魔王の事情と贄の思惑

みぃ

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 雨の音が耳について、ヴィンは目が覚める。けれど瞼は重く、開かない。
 夢うつつの意識の中で、時折強くなり、弱くなりする雨の音をぼんやり聞いていると、二度寝の誘惑に抗えなくなりそうだった。

 精力的に活動するより、眠っている方が好きだ。寝坊したところで、困ることはない。それでもヴィンは誘惑を振り切り、身体を起こした。

 ぱたぱたと長い睫毛を上下させ、意識を覚醒へ向かわせるがあくびがふわりとこぼれる。雨のせいで外が薄暗いせいか寝過ぎたようで、普段起きる時間よりほんの少し遅い。ぐぐ、と身体を伸ばして、ヴィンはベッドから下りた。

 冷たい水で顔を洗い、備え付けの鏡を見ると、赤みの強い紫の瞳と目が合う。意思の強さが滲みでているのか、愛想がないせいか、印象はどことなく冷たい。ろくな手入れなどしていないのに艶やかな黒髪はさらりとしていて、短いのに寝癖などついたことがなかった。

 魔王城、と呼ばれる場所にヴィンは住んでいるが、身支度はひとりでする。魔族ではなく人間で、高貴な身分でもないことから、まわりに虐げられているわけではない。ただ単に、世話をされるのが鬱陶しいからだ。

 魔法、魔道具を駆使した生活環境は快適で、部屋から出ずとも暮らせるくらいに整っている。幼い頃に両親と暮らしていた時よりも、ヴィンは清潔に過ごせていた。
 飢えを感じることもない。出歩き、叱られることもない。六歳のあの日捨てられたことを、ヴィンは唯一両親に感謝していた。

 身支度を終えても、雨はまだ変わらずに降っている。今日は一日雨なのかもしれない。部屋を後にし、いつにも増して薄暗い城内を歩き、ヴィンは食堂へ向かった。

 石造りのせいで、靴音が響く。寒々しい印象も受けるが、ヴィンにとってはこれが当たり前で、好ましかった。生家と正反対だからかもしれない。記憶から薄れつつあるが、生家は虚栄心の塊というイメージがヴィンの中にはあった。

「オハヨウ、オハヨウ、ヴィン」

 ぱたぱたと羽音を立て、まるまるしたスズメが飛んでくる。どこかで、ヴィンが来るのを待っていたのかもしれない。

「おはよ、ジュジュ」

 とん、と肩に乗っても重さは感じないが、時折見かける他のスズメと比べると、少し丸すぎる気がした。

「ジュジュ、太った?」
「フトッテナイヨ」
「僕以外から、ごはんもらってない?」

 一瞬、動揺したのが伝わってくる。非常に、わかりやすい。魔に属する者は狡猾なはずなのに、例外はどこにでも存在した。
 ジュジュは半魔だからかもしれないが。

「モラッテナイヨ」

 指先に移ったジュジュが、かわいらしく首を傾げる。愛らしいな、とヴィンは表情を緩めた。

「今度から、勝手にあげないように言わないと」

 ぴぎゃ、とスズメらしからぬ声をジュジュが上げる。喜怒哀楽が、人間であるヴィンよりもはっきりしていた。

「ソンナ、セッショーナ」
「ねぇ、誰にそんな言葉教えてもらうの」

 この前おやつをあげたら返ってきたのが、カタジケナイだ。聞き流していたが、耳慣れない言葉が二度目ともなれば、ヴィンでも気になった。

「ラルフダヨ」

 魔王の側近の、双子の片割れだ。魔族ではあるが、人と変わらない容姿をしている。少しではなくかなりの悪戯好きだが、知識量は多い。長寿で時間を持て余しているせいなのか、色々知ることを生きがいとしている。その膨大な知識、思想に偏りがないことから、ヴィンの家庭教師もしていた。

 主観を交えず、公平なところは尊敬している。ただ害はないが、性質の悪い悪戯を仕掛けて楽しむところがあった。要は、性格が悪い。魔族らしいといえば、魔族らしかった。

「ジュジュ、あのひとは?」
「ショクドウ、マッテル、ゴハン」
「きみは?」
「マッテタ」
「食べてない?」
「タベテナイ、ゴハンホシイ、オネガイ」
「あげるけど、食べ過ぎないように」
「アイワカッタ」
「飛べなくなるよ」

 ぴぎゃ、とまた悲鳴に近い声を上げる。理解したようで、ぶるり、とジュジュは小さな体を震わせた。

「トベナイ、コマル」
「そうだね、だから食べ過ぎたらだめだよ」
「ワカッタ、タベスギナイ」

 いいこ、と指先でふわふわな毛を撫でる。ころんとしたフォルムはスズメらしからぬ姿だが、愛らしさは増していた。

「じゃあ、行こうか」

 この城の主、魔王であるアーティスが待つ食堂へとヴィンは足を急がせた。
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