魔王の事情と贄の思惑

みぃ

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 ノックと同時に、ドアを開ける。二対の瞳が、ヴィンへと向けられた。

「ねぇ、久しぶりに手合わせしよう」

 固めていた表情をアーティスは緩め、苦笑する。

「やらない」
「なんで」
「おまえと俺がやりあったら、甚大な被害がそこら中に出る」

 傍らに立つ、魔王の最側近で右腕でもあるリュディガーの赤紫色の瞳が、すうっと鋭さを増す。静かに、怒りが再燃しているのかもしれない。以前夢中になりすぎて、色々なものを破壊し尽くしたことがある。ふたりそろって、リュディガーにかなり説教された。

「……なんか、いい感じにできないの。あなた魔王でしょ」
「できません」
「めんどくさいだけだろ」
「……そんなことない」

 嘘だ、と一瞬でヴィンは見抜く。
 軽く眉をひそめ、手のひらの上に魔法陣を展開すると、亜空間から剣を取り出し即座に、アーティスに向けて打ち込む。ガキン、と音を立てて、あっさり防がれた。一瞬で張られた結界だ。予想通りではあるけれど。

「あっぶねぇな!」
「嘘つく方が悪い」
「魔王にそんな態度取るの、おまえだけだからな」
「あなたがそう育てたんだろ」
「俺、か?」
「さあ、どうなんだろうな。わりと好戦的なのが、まわりに多いからな」

 視線を送られたリュディガーが、肩をすくめた。

「だよな、絶対俺だけのせいじゃない」

 苦笑して、アーティスは嘆息する。こんなやりとりもいつものことで、巻き添えがなければリュディガーもまったく気にしない。

「だいたい、あなたは魔王らしくない」

 温厚で、平和主義、日々真面目に執務に勤しむ。
 椅子にふんぞりかえって、ワインなど飲まない。

「それは、まあ。魔王なんて職業のようなもんだし」
「ふたりとも、執務室で暴れないでください」

 話しながら、打ち込む隙をヴィンが窺っていると、気付いたリュディガーに窘められる。仕方なく、剣を持つ手の力を抜いた。

「ほら、暴れても平気な場所造って」
「むり、それよりどっからその剣持ってきた」

 愛剣というものが、ヴィンにはない。当然、今まで帯剣などしていなかった。
 
「宝物庫」
「おいー! まあ、いいけど」
「いいんだ」

 軽く驚く。眺めているときに、急襲にちょうどいいかと勝手に持ち出した自覚はある。用が済んだ後で、返せばいいと思ったからだ。

「いいだろ、別に」

 確認するように、アーティスはリュディガーへ視線を送る。それを受け、あっさり頷いた。

「問題ないな」
「ほらな。それ、もらっておけよ。剣を渡そうと思っていたからちょうどいい」
「ふうん、ならもらっておく」

 欲しくて持ち出したわけではないが、くれるというのならもらっておく。いずれどこかで、役に立つ可能性もあった。
 亜空間に放り込んでおけば、持ち運ぶ必要もない。

「じゃあ、外で続きしようか」
「いや、おまえが勝手に襲いかかってきたんだろ」
「あなたが素直じゃないから」
「そーいう問題かよ。他のやつとやってろよ。俺は仕事がある」
「相手にならなくてつまらない」
「……強くなりすぎだ」
「あなたにはまだ勝てない」
「おまえなあ……魔王に勝ってどうする」

 存外、真剣に響く声に訊かれる。
 真紅の瞳と視線を合わせ、ヴィンはぱたぱたと瞬きした。

「どうもしない。勝てないのがおもしろくない」
「ああ、そう」

 いつもの、魔王らしからぬアーティスの表情に戻る。魔王の証である真紅の瞳の色さえ変えてしまえば、その整った容姿に目を奪われることはあっても、魔族で魔王だと気付く者はまずいない。普段のアーティスは、威圧感も、冷淡さも、きれいに隠していた。

「だから、手合わせ」
「うんうん、ヴィンはひまなんだな」

 子どもを見るような目に、ヴィンは軽く苛つく。
 拾ってもらい十年、すでに十六だ。

「子ども扱いしないで」
「そうだな。最近かまってやれてないし、どっか遊びにいくか」
「仕事がたまってるから、無理だ」

 呆れたような声で、リュディガーから待ったがかかる。

「ちがう、遊んでほしいわけじゃない」
「どこがいいかなぁ」
「ちがうって言ってる」
「じゃ、あとはたのんだ」

 笑顔で、アーティスはリュディガーに告げた。

「ちょ、」

 腕を掴まれたと思った瞬間、ヴィンは視界がぶれる。瞬きする間に、周囲の景色が変わった。
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