魔王の事情と贄の思惑

みぃ

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 どど、と水が盛大に落ちる音が、どこかから聞こえる。ヴィンが顔を上げ、あたりに視線を走らせると、白い水しぶきを上げる滝が少し遠くに見えた。水面を吹き抜け、肌を撫でる風は涼やかで心地好い。

「ホントに遊ぶつもりだったの」
 肩の力が抜け、気が削がれたヴィンはそっと息を吐く。
「物騒なことよりいいだろ?」
「魔王が物騒でなくてどうすんの」

 読んだ絵本や物語は、だいたい魔王は悪役だ。普通にそんな本が書庫に置いてある。幼い頃は本の中に登場する魔王と、ヴィンのそばにいる魔王が違いすぎて少し困惑したが、今ならわかる。そういうものなのだ。

 たとえヴィンにとって、人間である血縁上の家族の方がよほど悪意の塊で、嫌悪する対象だとしても、周囲の認識は魔王が悪でそれは覆らない。なぜなら、感情も、悪意も目に見えない。第三者にとって知らない事実は、ないものと同じだ。

 ならば、悪の象徴とされている魔王は、その通りの行動を取ればいい。
 物騒でいいはずだ。

「別に魔王が物騒じゃなくてもいいだろ。平和だし、誰も困らないんだし」

 平和主義の魔王など、大多数の人間にとって解釈違いだ。けれどそれがヴィンの知るアーティスで、その通りなのでうまい反論が見つからない。争い事が起きればいいと思っているわけではないが、ヴィンは釈然としなかった。

「そんな顔するなよ。たまにはのんびりするのもいいだろ」

 容姿すら魔王に見えない男は、ヴィンの眉間を指先でつつきながらほがらかに笑う。シルバーブロンドが、日差しを受けきらきらと輝いている。夜の輝きとはまた違った、美しさだ。出会ったときから、少しも変わらない。印象だけでいえば、二十代半ばから後半くらいだ。

「……あなたが遊びたいだけだろ」
「ばれたか」

 転移直前の、焦ったリュディガーの顔が浮かぶ。戻ったら間違いなく、執務を放りだしてと、説教コースだ。だとしても、ヴィンの知ったことでない。強引に連れ出したのは、アーティスだ。説教につき合う義理はなかった。

 改めてあたりを見回すと、緑豊かな自然が広がっている。川の水は青く澄んでいて、きらきら輝く水面が美しい。川の流れる音に混じり、鳥のさえずりがかすかに聞こえた。

 こんなところで暴れ、環境を破壊するのを良しとしないヴィンの性格をわかっていて、アーティスは連れてきている。最近では、いつもそうだ。手合わせをねだっても、不意打ちを狙い襲いかかっても、うやむやにして煙に巻いてしまう。
 子どものころはもっと真剣にヴィンを指導し、頻繁に手合わせをしてくれていたのに、今ではほとんどなかった。

(つまらない)

 軽く、拗ねた気持ちになる。けれど川のせせらぎ、瑞々しい木々の美しさに気持ちがやわらかくなり、最近ではあまり取れない日中の、ふたりの時間を楽しむことにした。

「たまには、恋人らしいことにつきあってあげる」

 するりと指先を絡めて手を繋ぐと、ヴィンは促すように引いて歩き出す。頭上では木々の枝葉が風に揺れ、隙間からは太陽の光がちらちらと差し込んでいた。

「川に入る?」
「え、ああ」

 素直に手合わせをあきらめ譲歩したのに、アーティスに軽く驚かれる。意味がわからなくて、ヴィンは軽く首を傾げた。

「なに」
「いや、恋人の自覚あったのか」
「あるよ。そうでなければ、寝所なんて共にしない」

 幼い頃は、ずっと知らなかった他人のぬくもりが、存外安心感を与えるものと知り、ヴィンはアーティスに促されるままベッドに潜り込んだ。寄り添って眠ると、心地が好い。

 今は、それだけではなかった。
 誰にでも、身体を許すほどヴィンは節操なしではない。むしろ、アーティス以外に触れられるなど、ぞっとする。想像すらしたくなかった。

「なにそのかお」

 目も、口元も、アーティスは緩んでいる。ほんのわずか、照れも滲んでいた。

「嬉しいんだろ」
「は?」

 当然のことしか言っていない。ベッドの中で散々、恋人以外とはこういうことはしない、浮気はするなと、うるさいくらいアーティスは繰り返していた。

「情緒をうまく育てられなかった気がして、後悔が残るところだったんだ」
「魔王が情緒なんて言うんだ」
「魔族だって、情緒はあるぞ。人間ほどには繊細ではないが」
「ふうん」
「ふうんって」
 困ったように、アーティスが眉を下げる。

「おまえの周囲にいるのは、俺を含め特殊だろ」
「さあ? 僕はそれしか知らない」
「そうなんだよ。城には、百年以上生きている魔族しかいない。そんな中で育って、同年代の子どもと触れ合う機会もなかったから、ヴィンは昔から子どもらしくないんだ」

 他の子どもを知らないので、子どもらしい、がヴィンにはわからない。
 生家にいるころ顔を合わせた兄は、そう歳は変わらないはずなのに、アーティスよりも傲慢だった。常にヴィンを下に見て、虐げていた。あんな悪意の塊が子どもらしいというのなら、触れ合う機会などなくてよかった。

「それって必要? 血縁上の兄みたいなのと関わり合いたくない」

 ぐ、と一瞬アーティスが息を呑む。

「あれは違う、異常だ。あんなのしか知らないとか……あの家は最悪だ」

 吐き捨てられた言葉には、怒りが滲んでいる。確かにアーティスに拾われたとき、ヴィンの姿はかなり酷かった。
 儀礼的に身なりだけは整えてあったけれど、身体は痩せ細り、適当に用意したのがわかる合わない豪華な服が、逆にみすぼらしい子どもという印象を与えた。

 初めて会った時の、苦い顔をしたアーティスを、ヴィンは今でも覚えている。生に執着はなく、ただ成り行きにまかせていたのに、家族にも向けられたことのない思いやりのある瞳を向けられたからだ。

「つらければ泣いてもいいのに、絶対泣かないし」

 聞かれるままに答えたので、生家でのヴィンに対するひどい扱いも知っている。そのせいなのか、アーティスは妙に過保護だ。

「泣いて、何が変わるわけでもないのに」
「それでも! 子どもは泣くもんなんだよ……わからないって顔してるし、やっぱり、無邪気な子どもとの交流が必要だったな。子どもは、子どもらしくあるべきなんだ」

 後悔を滲ませた、アーティスの声が呟く。

「物も欲しがらねぇしさ」
「欲しいもの、ないからね」

 与えられるもので、不自由なく暮らせる。生家に居る頃よりも、多くの物にヴィンは囲まれていた。
 望む必要がないだけなのに、アーティスを始めとした周囲には、ヴィンが何かを望むことをあきらめているように見えるらしい。

「そういうところだ。おまえはもっと色々欲しがって、わがまま言っていいんだ」

 くだらない感傷だと、ヴィンは嘆息する。
 必要なものと、いらないものを明確に定めているだけだ。

「じゃあ、手合わせ」
「それはだめ」

 即答され、ヴィンは川縁に立っていたアーティスの背を押す。もちろん、繋いでいた手を放すことは忘れない。うわ、と驚いた声が微かに聞こえ、ばしゃん、と水音が響いた。

「おっまえなぁ!」

 見事に川に尻をついたアーティスが、恨めしそうにヴィンを睨む。

「わがまま言っていいって言った」
「そうじゃなくてさ、もっと甘えろってこと」

 難しいな、とヴィンは思う。なにを望めばいいのか、わからなかった。
 川の中に足を踏み入れると、冷たい水の流れを感じる。座り込んだままのアーティスのところまで行き、顔をのぞき込んだ。

「もう子どもじゃないよ」
「俺の歳を考えたら、おまえなんてまだ子どもだろ」
「あなたは、子どもに欲情して手を出してるの?」

 痛いところを突いたようで、アーティスは眉を下げる。本当に、よく表情が変わる。間違いなくヴィンよりも、表情が豊かだ。

「色々複雑なんだよ、俺は」
「魔王なんだから、本能のままでいいだろ」
「魔王にも、理性はある」
「必要ないのに」
「あるって。むしろ、俺には必要。なくすわけにはいかないやつ」
「僕は、本能で行動する方がいいな」

 どこか困ったように、アーティスが笑う。ざわり、と強く吹いた風が木々を揺らし、川の流れが運んだ涼しい風がふたりの髪を乱した。



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