少年は雨を連れてくる

桐坂

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三章

6

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 よく見るとその布には丸や三角などで奇怪な模様が描かれ、今置いた石の他にも鹿の角を削ったものや、何かもわからない牙が置かれている。まじないを行う時は、他にも天候や季節、太陽なども関係してくるようだが、詳しいことは知らなかった。

「まじないで何かわかる?」

 巫女の手元をぼんやりと見ながら、ニナギは尋ねた。

「さあの。まじないは決断を下すための指針ではあるが、それ自体が結果ではないからの」
「……どういうこと?」
 模様の中央に注がれていた巫女の目が、ニナギの目をとらえた。

「たとえ話をしよう」

 長い袖を捌いて、手を膝に置く。

「ニナギ、もしおぬしが何かを決めかねて人の助言を仰いだとする。おぬしはそれを鵜呑みにして実行するじゃろうか」

 真剣な顔。ニナギは考えた。

「……正しいと思ったら」
「もし間違っていると判断したら?」
「別のやり方を考える」
「ふむ」

 巫女が眉を上げる。

「今おぬしは、助言を指針としたのじゃよ」
「え? あっ」

 巫女は笑う。

「助言を仰ぐのは間違っておらぬ、しかし、それをただ受け容れてしまってはそれはすでに、己の意思ではないのじゃよ」

 彼女は続ける。

「最後は自分で決めねばならぬ。それが自分の言に責任を持つ者の務めなのじゃ」
「責任……」
「そう、そして、それは決して言い逃れができないと言うことでもある」

 責任を持つと言うことは言い逃れができないと言うこと。

「自らの決に責任が持てん者は、人の上に立つことはできぬ」

 ニナギは頷いた。今のように里が揺れている時、決断を下す者が必要になってくる。今は父や巫女がその役目を担っているが、いずれニナギが背負わなければいけない事でもある。

 ニナギはしっかりと心に刻みつけた。

「はい」
「ま、そう構えることもあるまい。自らで決断するときは、遅かれ早かれやってくるものじゃ。悩めば良いのじゃ。悩まぬものはおらぬからな」

 カルラは微笑んだ。祖母がいればこんな感じなのだろうなとニナギは思う。

「巫女様もそうだった?」
「ああ、そうじゃ。わしも、ユハも、おぬしの母親も」
「父さんと、母さんも……」

 ニナギが生まれるより何年も前から生きている彼らは、何を考え、悩みながら生きてきたのだろう。

 父は今年で四十二歳になる。母も生きていれば同じ歳。巫女様が長寿なことは言わずもがな。
 自分より何倍も歳を重ねてきた彼らだが、ニナギにはあずかり知らぬ葛藤もあっただろう。

 それを乗り越えてきたからこそ、ここまで強いのだ。彼らとまだまだ未熟な自らを天秤にかけても結果は分かりきっている。

「母の話をされるのは嫌か? 彼女は早くに逝ってしまったからの」

 黙っている事を気に病んだのか、巫女が心配げな顔をした。

「いや、俺はあまり母さんのことを覚えてないから」

 ニナギが五歳の時に亡くなった母の死はあまりに早くて、それほど母親との思い出というものをニナギは持っていなかった。

「ユハが話をせなんだか」

 巫女が父のことをちらりと見やる。父は少し気まずそうな表情をしていた。
 どうしたのだろう。

「ユハ、おぬし口べただからといって母親のことを話してやらぬとは……」

 半眼の巫女の雰囲気が、なんだかあきれたような色を帯びている。
 ユハはたまらず目を反らしたようだった。

「切っ掛けがつかめず……」
「切っ掛けなど自分で作れば良かろう」

 ため息をついたカルラと、肩を悄然と落とす父の姿を交互に見て、ニナギは首をかしげた。
 しばしの沈黙があって、カルラが長々とため息をつく。

「おぬしがもともと寡黙な性格だというのは心得ておるつもりだがなユハよ。息子と語るのも父親の役目ぞ」
「……言葉もありません」
「そういうところ、ナギサとは正反対よの」
「そうですね」
「母さんとですか?」

 ニナギが五歳に時に死別した母――ナギサのことは、たまに記憶の端に浮かぶ程度だ。母のことを思い浮かべてはじめに思い出すのはその太陽のような笑顔と、優しげな声。そして雨。
 母が死んだのは、今のように長雨が続いた日だった。

「ユハは子供の頃から、人とのつきあいが苦手でな。幼なじみであったナギサに引っ張られて、野山に連れ出されておった。ユハが文句を言うのを、ナギサはぴしゃりと言い切るのじゃ。『文句を言うのなら私より強くなりなさい!』とな」
「似ていませんよ、巫女様」
「実際その頃はナギサの方が腕っ節が強くてな。ユハは負けるのが悔しくて稽古に励んだんじゃよ」

 そんな話、初めて聞いた。ニナギは目を丸くしてそれを聞いた。昔語りは面白かった。強かった母と、いつも押し切られる父の関係は、とても新鮮だった。

「ユハは真面目じゃが、人の心を読むと言うことにとんと疎くての。人付き合いもそれほどうまくなかったから、いつも言い負かされるのはユハの方じゃった」

 物心ついたときから父は強くて、族長として里の人をまとめていたから、そんな印象全く抱く余裕すらなかったのだ。
 ユハの言葉を無視して、巫女は続ける。

「ナギサの告白への返事がまた面白かったのじゃ」
「巫女!」
「何じゃ、里の者は大体知っておろうが」
「それでもです! ニナギ、興味を示しても良いことはないぞ」

 父の目が本気で、怖かった。
 ニナギは首を縦に振る。巫女は面白くなさそうだったが、しばらく話したことで満足したようだった。

 ニナギの知らない母の話。彼女はどうやってこの里で過ごしてきたのだろうか。母が亡くなってから十年たって、ニナギに直接母親の話をするものは居なかった。腫れ物を触るように話題に出すことすら、憚るような風潮でもあったのだろうか。

「俺、母さんのこと知りたい」

 父の視線が痛いが、自分の母親のことなのだから、知っても良いじゃないかという気持ちはある。それを止める権利はないはずだと。
 そう思っても怖いものは怖いが。

 巫女は笑っていた。そうじゃろうと。
 父は苦い顔をしていた。

「ナギサの事だけなら……」

 しかし、ニナギの真剣な言葉に結局は折れてくれたようだ。過去の自分のことも踏まえて笑い話として話されるよりは、母親の話主体で、語る方がよほど良いと判断したんだろう。

 父親は話し始めた。
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