少年は雨を連れてくる

桐坂

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五章

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 明日に朝には町を発つという晩のこと。ニナギは、夕食を終えて、スオウのもとに寄っていた。

 どうやらニナギが使っているベッドは客人用だそうだ。普段は使っていないそうで、スオウの寝室兼、書斎は二階の端にある。部屋の大きさはあまり変わらないけれど書棚の大きさと、蓄えられた本の数、そして呪術師として使用している札や、筆記具はこちらの部屋の方が格段に多かった。

 簡素な客間にくらべ、雑然としているといえば良いのか。良い意味で生活感のある部屋だ。
 空気がこもってはいけないからと開けられている窓からは、夏の夜のそよ風が入り込んでいる。里の空気より乾燥している。

「来たね。座って」

 ニナギがここに来たのは快癒のまじないを行ってもらうためだ。シーラも共にした夕食時に約束したのだ。夕食を終えた後シーラは、自分は別のところに泊まっているからと、スオウの家を後にしたから、今ここには二人しかいない。
 ニナギは促されて、近くにあった丸いすに腰を落ち着けた。

「ごめんね散らかってて」

 スオウは机の上から小さな壺を見つけ出すと、向かいの木のいすに座った。

「昔から片付けはちょっと苦手なんだ」

 本人がいうように少し散らかっているように見えるけれど、許容の範囲内だ。ニナギの母親は片付けが苦手で、家の中の整頓はもっぱら父の仕事だったと思い出した。それを習ってニナギは自分のものだけでもきちんと片付けるようになった。

「定期的に整頓しているんだけど、どうにもものが多くて。あるものは元のところにというのが呪術でも基本なのにね」

 推測するに、元の場所に戻しても後から新しいものが入ってくると手が回らないようになってしまうのだろう。

 机の上を占領する書きかけの札や呪物がそれを証明していた。本人が本業といっている呪術師としての依頼や何かだろうか。そうだとするとあれだけぞんざいに扱って大丈夫かと思わないでもないが、それで仕事として成立してきたのなら大丈夫だろうと割り切った。

「ニナギ君は呪術について興味がある?」

 しげしげとそれらを眺めているニナギを見て、スオウがそう聞いた。

「そうですね。里にも関わりが深いと知ったから、ちょっとは」

 思えば巫女様が扱っている占盤も呪術の系統を引くまじないのはずだ。封じられている龍のこともそうだし。今回の里の異変に深い関わりがあるような気がして、ニナギには無視できなかった。

「だったら呪術の基本を知っているかな」
「俺の里では漠然としていて、基本のようなものはあまり教えてもらえないので」
「そうかい、だったら新鮮な話かもしれないな」
「聞きたいです」

 そう言うと彼は一呼吸置いてから話し始めた。

「まじないを行う者にとって必要な事は分かるかな。それは、知識と経験ともう一つ。己の感覚だ。自然を感じ取ること、他人の感覚を共有すること。共感とも少し違うけれど、大方それと同じものと考えてもらって良いと思う。呪術師の才能があるということは、その人個人の力が強いという意味ではないんだ。じゃあ、どこから才能のある呪術師と判断するのか」

 スオウは、ニナギの足にまじないを書いた符を貼り付けた。ガーゼに固定したと言う方が正しいかもしれない。呪術師は治療師ではないから直接患部を見ることはないということをニナギはスオウから教わった。

 確かにニナギの里でも怪我をしたときは、薬草を使うがまじないを行うことはない。たぶん、怪我を治すまじないなど存在しないからだと今になって分かった。

「呪術師の技の基本は自然の手助けをすること。それ以上の介入は神様の領分に立ち入ってしまう。呪術は繋ぐ力であって、創る力ではないんだ」
「繋ぐ力ですか」
「そう。あまりぴんときていない顔だね」
「まじないが何でもできないって事はよく分かります」
「ちょっと難しくいってしまったかもしれないな。ニナギは自然の声を聞いたことがあるかい?」

 それなら自信をもってあると言える。里の人はニナギを含めて山の声なき声に耳を傾けて生きている。夏の行事もそれで決めてしまうのだから、そこは徹底している。
 ニナギは頷いた。

「人ならざるものの声は、普通の人には聞こえづらいんだ。それが聞こえる者達は総じて呪術師の素質があると言って良い。そうした声を拾って、聞こえない人に繋ぐのが役割だよ」

 聞こえる人は聞こえない人に。そうして住んでいる土地や、人とうまくつきあっていく。時には自分では聞こえない体の苦痛や、心の苦痛をその人に教えてあげる。そうすればその人は、自分の状態を自覚できるようになる。知らずに背負っていた重荷を、存在を知ることで下ろすことができるようになる。

「資質によって、聞こえる声と聞こえない声があるけれど、それは聞こえる人が聞こえる部分を補えばいい。難しいことじゃない。呪術師の力の大小は、どれだけ他のものに心を傾けて、聞こえない声を聞けるかというところにあるんだ。視たところ、君の力は僕よりも強そうだ」
「そうなんですか?」
「さっきいっただろう? 呪術師として必要な部分は、知識と経験と感覚だって。知識や経験は呪術師として誰かに師事すれば簡単に学ぶことができるけれど、感覚を育てるのは容易なことじゃない。そこだけはどうしてもその人本来の才能に頼る部分が大きい。君は呪術を学んではいないけれど、声なき声を聞き、それに共鳴することにはとても長けているように見えるよ」

「里の巫女様が言っていました。俺の母は、山の声をよく聞いたって。母さんは山のことに関しては巫女様にひけを取らなかったそうです」
「多分、君のお母さんはとびきり優しかったんだろうね」
「え?」
「感じるということは共感するということ。共感するということは、他人の感情に触れるということ。感情に触れられるということは、彼女が人の心をそれだけ理解していたか、もしくは理解しようと歩み寄っていたから。だからそれだけ優しかったんだろう」

 スオウは淡々と語ったが、ニナギを見る目は優しかった。巫女様が、里の子供達を見る目と似ている。多分彼も優しいのだ。そうでなければ、呪術師として人を見ることはできない。快癒のまじないを施してもらったところが、とても温かく感じた。痛みはもうなくなっていた。

「僕は人の『痛み』を聞くのが得意なんだ。君の心は今、とても複雑な声をしている。君以外の声も少し聞こえるな。こちらは僕の専門外だから、聞こえづらいけれど」
「すごい、ですね。俺のこと、俺以上にわかってるみたいです」
「それが僕の仕事だからね」

 スオウは微笑んだ。

「大丈夫だよ。君の周りには、君を助けようと色々なものが手を差し伸べているみたいだから」
「……」
「助けが必要なものには、今度は君が手を差し伸べてあげてみて」
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