少年は雨を連れてくる

桐坂

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五章

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 翌朝のこと。ニナギは出発の準備を整えていた。朝のきんと澄んだ空には雲一つない。外に出てみると、半袖では少し肌寒いかという気温で、夏が終りそうなことを告げているかのようだ。
 一晩考えた。自分には何ができるのか。

 信じること。
 そして、彼を信じている自分を信じること。

 ニナギの回復まで部屋を貸してくれた呪術師は、繋ぐことが呪術してとしての役割だといった。何年も普通だと思っていた声を聞くということが特異なことで、他にはなかなかない力だということ。

 その自覚はまだまだ薄いけれど、できることをできるだけする。そういう決心はついた。
 何より父やシュウ、巫女様は心配しているだろう。それだけは迷うことなく信じることができた。

「問題はどうやって帰るかだけど……」
「あら、それはもうわたしの力を借りるものだと思っていたけど?」
「シーラ、もしかしてネルーに乗せてもらえる?」
「むしろそれ以外どういう方法を取ろうとしていたのかが気になるけど」

 ここで、何も考えていなかったと言えば怒られるのだろうなと考えて、言葉にするのはやめておいた。曖昧な笑顔しか返せなかったからもしかしたらばれているかもしれないが。

「まあいいや、ニナギってやっぱりどこか抜けているよね」
「いつもそれ言われるけど、なんとかならない?」
「ニナギが一人前になったらね」

 そういえば一人前と言えば、閉じの儀式の舞手を任されていたのに、儀式自体に参加できなかったでは困る。川に落ちたときにはまだ儀式の日取りは出ていなかったはずだから、まだ参加できる可能性は残っているが、巫女様の采配にも寄るから、確実ではない。

 舞手になるのは夢だったから、もしそうなったら少なからずショックだ。
 ニナギは最悪の想像をして頭を抱えた。

「またなんか考えてるでしょ。あんまり現実の伴わない妄想はしない方が良いよ。ニナギの場合、変に消極的なことが多いんだから」

 さすが何年もニナギの友達を続けてきただけはある。ニナギの思考は丸わかりと言うわけだ。

「うーん、そうする」
「素直なのはいいことだ」

 普段男勝りなところを見せる彼女は意外と他人の感情の動きによく気づく。そういうところが彼女を信じる根拠でもある。

「それに、ネルーが折角乗せてくれるって言うのに、心ここにあらずだと失礼じゃない」

 そして相変わらずの鳥第一は変わらないらしい。

「シーラらしいよ」

 知らず苦笑がこぼれた。気負っていたものも幾分かとれたようにも感じる。

「ありがとう」
「なんのこれくらい」

 溌剌としたシーラの笑顔が、朝の澄んだ空気を暖かくしているようだった。

 シーラが連れてきたネルーに、ニナギは挨拶する。人の信頼はまだしも、警戒心の強い鳥の信頼を勝ち取るのは至難の業だ。シーラ達一族は、鳥が直感力に優れているからだと言うが、彼らが人のことをどういう生き物だととらえているのかを想像することは難しい。想像したところでそれが真実かどうか知る術もないのだから、するだけ無駄だと言われそうだが。

 彼女たちの一族はそんな鳥と何年も交流を共にしてきた。彼らの間にしかない絆や、意思疎通の方法があるのかもしれない。それを外部に明かすほど人間のことを鳥が信用するはずもなく、ニナギ達、彼らに関わる人間は、人と鳥を同様に尊重する意思を持っていればそれでいい。

 必要ならば彼らは教えてくれる。それぐらいはしてくれるだけ、人とも関わってきた一族だ。それをしないと言うことは、必要がないと言うことで、一族にとって大切なことだからだ。

「準備は?」

 少し寒いのか、シーラはマフラーを口元まで引き上げる。

「大丈夫。スオウさんが手伝ってくれた」

 着の身着のままだったニナギに、必要だろうと少しの食料を分けてくれた。そして空の上は寒いかもしれないからとマントをくれたのだ。お古だから返さなくても良いと言ってくれたが、生地はしっかりしていて温かい。

「ネルーもわたしも飛ぶ準備はできてる。後はニナギの心構えだけね。ネルーがうっかり落とさないとは思うけど、いつもみたいにぼーっとしてたら落ちるからね」
「怖いこというなぁ」
「あら、だったら気を引き締めておく事ね」
「そうするよ」

 肩をすくめるニナギの背中をシーラが軽く叩いて笑った。

「ほら、先に乗って? 大丈夫信じなさい」
「分かった」

 ネルーは大人しく、乗ろうとしているニナギを待っている。ニナギの背丈を優に超える体格に、力強い翼を羽ばたかせるための筋肉。馴れない騎乗に悪戦苦闘してなんとか羽の付け根にまたがることができた。鳥の羽毛は肌触りが良くつるつると滑るから、鞍代わりに取り付けられた分厚い布を敷いているのだが、その下には力強い体が隠れている。

 初めての感覚に戸惑っていると、シーラが馴れたようにひらりと、ニナギの前に飛び乗った。

「仕方ないから、わたしの腰に捕まっててよ。ほんとはわたしが後ろの方が安定するんだけど、ニナギの方が大きいから、前が見えなくなると困るの」
「ごめん」
「ま、仕方ないんだけどね。どうにもならないことだし、我慢するしかないわ」

 そう言いながら、シーラは手綱を握る。

「いくよ」

 それに軽く頷いて、ニナギはシーラの腰に腕を回した。
 一瞬の浮遊感のあと、体が後方に引っ張られて、思わず回した腕に力を入れた。ぐんと鳥の体が浮かび上がって、下から持ち上げられる感覚が来る。鳥の羽は数回の羽ばたきで風を掴んだ。一回一回羽が振られる度に、地面が遠のいていく。振り落とされないように注意するだけで精一杯で、周りを気にする余裕はほとんどなかった。気づいたときには建物は眼下にあり、小さくなっている。空がいつもより近かった。

 滞在していた街は思ったよりも小さいと感じた。街と都を繋いでいる大きな一本道を挟むように建物が建っている。空の上に上がれば、すべてが視界の中に入ってしまった。
 シーラはいつもこうして上空からすべてを見ているのだ。

「どう? 初めて空に上がった感想は」

 声も出ないニナギに、シーラはそう聞いた。口の端は少し笑っている。
 彼女から感じるのは誇りだ。この空を自慢していると言ってもいい。世界が変わると言うことはこういうことなんだろう、ニナギは漠然と考えた。

 地上にいては分からないことが、空の上からは丸見えだ。
 古来、龍は空を飛んで、天高くから見下ろし雨を呼んだという。
 ニナギは頭上に広がる青い空を見た。
 どこまでも空と一体化した様な感覚に、ふと思い出す。

「空を泳いでいるみたいだ」
「相変わらず面白いことをいうね。飛んでいるのに、泳いでいると言った人は初めてだよ」
「こうやって下を見てるとさ、自分がなんだかとても小さいように感じるよ」
「そうだよ。わたしたちは小さいんだ。わたしたちの間では、人間は鳥よりもずっと下なんだよ。そうやって空を自由に飛んでいる彼らに合わせてもらって初めて人間は空を飛べるんだ」

 鳥を操る一族と呼ばれるのをいやがる理由がよく分かる。鳥は人間を置いて、どこまでも飛んでいくことができる。そうならず、友のように接していられるのは、彼らが人間に対して情を持って接してくれているからだ。彼らが人に傍にいることを許してくれているからだ。

「こうして飛ぶと、それがよく分かるよ。うん、鳥たちはすごいね。俺たちが乗せてもらえるのはお情けみたいなものか」
「そう、だから、彼らは決して操られている訳じゃないんだよ。綺麗でしょ? この景色を見えるから、わたしたちはどうやっても鳥たちから離れられないんだ」

 シーラの口調はあきらめと幸福を両方とも内包している。
 ただただそれがまぶしい。享受し、協力して生きている環境が羨ましく感じる。羨ましいと感じ、そうなりたいと願うことが、おそらく答えなのだ。
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