少年は雨を連れてくる

桐坂

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六章

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 収束点はここ。

 里の周辺から、野を越え、山を越え、人の街を飛び越えて、地中から、空から、怒号のように生命の息吹を感じることができた。ゆらゆらゆれる生命自体を乗せて、土地を巡る脈は、大地の川のようにあらゆるものにその恩恵を伝える。

「ここはかつてその気脈が、交わるところだった。土地は力に溢れ、住まうものに恩恵をもたらした。住まう人は特別な力を持つようになった」

 ナユタは静かな声で語り始めた。それは物語の始まりの話。龍がただの龍として存在していた頃の話。穏やかな顔には、うっすらと悲しみと寂しさが浮かんでいる。

「彼らは土地に感謝した。しかし感謝だけでは終わらなかった。力を持った彼らは、次第に増え、より多くの力を求めて争うようになった。この土地が特殊だったばかりに、土地の恩恵を求めて、人は分裂した。争いは、かつては彼らの仲間だった者達が死んでも終らなかった。土地は人の血と憎しみと怨嗟にまみれ、いつの間にか、大きな力は呪いとなった。僕にはそれが絶えられなかった。僕の心もまた。暗い闇に呑まれていった」

 多分それは、ニナギが生まれる何百年も前の話で、人の世界では忘れ去られてしまった歴史。しかし、彼は昨日のことのように覚えていた。

 龍の瞳の中で、暗い炎が揺らめいているように見えた。と同時に悲しみで溢れている。溢れた悲しみはそのまま、川から溢れ、山肌をなめて、人の里を押し流したに違いない。それが、暴れ龍の理由。

「悲しいね」

 そうやって争ってしまうのは、人が生きていればいつか起こってしまうことなのかも知れない。怒りや悲しみはいつか、その感情を爆発させてしまう。くすぶり始めたものは、他者を飲み込んで広がるか、自分を灰にするまで止まらないからだ。人の心も、里に蔓延した不安も、そして数百年前の争いも、原因は人に備わった感情。しかし情は、他者を愛しみ、足りない部分を補い合う役目もあるというのに、どこかで歯車がかみ合わなくなって、歪んでしまうのだろう。

「人がその時のままでいたのなら、僕はこの里を捨てていたと思う。でも、そうじゃなかった。ニナギが、人の優しい部分を教えてくれた。人の優しさとつなげてくれた」
「ナユタが、人をそんなふうに見てくれて良かった」

 刀身に宿る光が強くなった。引き寄せられてきた純粋な力は、太陽のように辺りを照らす。闇に落ちようとする里の光だった。

「ニナギがその可能性を繋いだんだよ」

 繋ぐ。
 里は繋がる。気脈は土地に力を与える。
 心は繋がる。ナユタが力を貸してくれたように。希望を、未来に繋いでゆく。
 大きな力の奔流が、足下から、空から、ぐんぐんと迫ってきた。

 少なからず力を持っている里の人々も、ようやくその力に気がつき始めた。広場にざわめきが広がる。久しく感じていなかった人にとっては恵みの力だ。本来のように土地の力と融合して、人にもその恵みを分け与えてくれるだろう。

「里が開いたね」

 無表情だったナユタの顔に、微かではあったが笑みが浮かんだように見えた。

「そうだね」

 見上げた空は、夕方と夜の色が同居していた。そこら中に気脈の力が漂っている。ニナギは大きな力に、少しだけ不安を感じた。山を蘇らせる力。と同時に人を狂わせる力。

 里は開かれ、土地の危機は去ったはずなのに、心にはしこりのように詰まっている。
 この感覚を、どう説明して良いか分からなかった。それになんだか、力は溢れそうなのに、土地に変化が現れないのが気に掛かった。

「どうしたの、ニナギ」

 面で表情は見えないけれど、敏感にその心を察したナユタはそう聞いてきた。剣の柄を握っている手の表面に、嫌な汗をかく。背筋が寒くなって、大きな不安が押し寄せてきた。

「変な感じがする」

 これは、何だろうかと、言葉を探っているその時。人々の歓声を突き崩すように、地面がぐらりと揺れた。

 それは里で何回か経験した揺れと同じだった。

「どうして、里が開かれたから土地はもう大丈夫なはずじゃあ」

 揺れはしばらく続いて、とまったと思ったらまたすぐに始まった。地面が揺れる。それはそのまま、里の人にとっては生活の基盤が揺れると言うこと。不安は大きい。滞りなく儀式が済んだのに、どうしてと言う思いが、ありありと人々の表情には表れていた。

 いっそう大きな揺れが、足下をさらう。
 転びそうになって、たたらを踏みながらも必死で踏ん張った。

「ニナギ! 山の声は!」

 ナユタの方を見ると、彼には珍しく、焦燥が浮かんでいる。表情からにじみ出る焦りに背中を押されるようにして、ニナギは慎重に山の声を探ろうとした。

 断続的に続いている揺れに集中が取られる。そんな中、少しでも声に耳を傾けられるようにしゃがみ込んで目をつむる。手に触れている地面からは、地が発する地鳴りのような低い音を響かせてはいるけれど、聞きたいものは一向に届きそうになかった。それどころか、かつて熟れた果実のように力を蓄えていた土地に張りがない。まるでそれは水分を吸い取られ、萎んでしまった実のようだ。

 舞によって高められた感覚が、如実に語ってくる。土地の終わりを。里の修復できない現状を。

「手遅れだった……?」
「そんなはず」

 ナユタの顔がこわばる。多分、ニナギの顔も同じだろう。ここまできて、間に合わなかったというのか。土地はもう死んでしまっていたのか?
 いっそう地鳴りが大きくなる。
 苦悶の表情を浮かべ、ナユタが口を動かした。

「僕の力が、強ければ、分け与えられたかも知れないのに」

 龍の力が、強ければ。
 龍は封印によって力を削がれてしまったから、僅かしか残っていない。気脈はもう解き放った。辺りには気脈からの力が、漂っていた。漂うどころではない。充満していると言ってもいい。この状態は、おそらく土地が力を蓄えられなくなったから。そうするだけの力すら、なくなってしまったから。

 このままだと、土地は蘇らないばかりか、人にも影響を与えてしまうかも知れない。良い影響では無いことぐらい簡単に推測できる。

「ナユタに力があれば、なんとかできるのか?」

 ニナギは聞いた。それならなんとかできるかも知れない。一つの答えがニナギには浮かんだ。

「そうだ」

 ならば話は早い。ニナギは彼に力を返す方法を、力を長く蓄えてきた場所を知っている。見つけたのは偶然だった。ニナギが川に流されなければ、それは分からなかった。

「まさか! 知っているのか?」

 頷く。

「あそこだ! 俺が、最初にナユタを見つけた場所。結界の起点が。あそこにある」

 結界は龍の力を一部使っている。数百年起点となり続けて、それでなおなくならない、龍の本体。龍の力の源。龍宝珠の片割れ。

「ニナギ! 案内を!」

 ナユタの手を取って、ニナギは走り出した。沢までは、少しある。地揺れの中、走るのは困難を極めた。断続的で、爪に揺れている訳ではないことが幸いした。一部石垣が崩れているところもあったが、道はなんとか通ることができた。

 足場の悪い中をできるだけ早く焦りながら歩を進めていたから、着いたときには肩で大きく息をしていた。

「ここ」

 ニナギが、はじめにナユタを拾ったところ。そして、そこにある橋は、濁流に流されたときにナユタの人にはない力を初めて見たところ。

 今になって思う。その場所が同じだったのは偶然ではなかったのだと。龍の力が、大きく働いているところは自然とナユタ自身が感じていた。

「きっと川の底だよ」

 結界がなくなって機能しなくなった宝珠の力は少ししか感じ取れないけれど、そこにあると言うことだけは確信を持てる。ここまできてはっきりとそれを感じられた。
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