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3章、水の都の踊り子

2、水上都市シーリン②

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 デカい湖だ。泳いでいる魚の姿が所々に見えている。
 日の光を浴びて輝く水面。青空の色がどこまでも続く。そこに写し出された周囲の風景。まるで自然の額縁だ。


 空気が良く、暖かい。水の上に手をつけた瞬間、ヒヤリとした。心地よい冷たさだ。恵まれた土地なのだろう。湖のほとりにあった街の景観を見てきてそう思う。
 
 
 人と物の流れが止まらない。それだけの魅力があるということだ。魚、石材、その他の資源。時間があれば、水上都市の中をひと通り見て回ろう。
 


 「エドワーズ。もしかして……あれがそう?」

 「ああ。ようやく見えてきたみたいだな」
 


 壮観な眺めだった。
 細長い桟橋が無数に伸びている。元々は孤島の周りを土で埋め、徐々に拡張していった場所だ。その土台として真下に敷かれているのがニディスの石材。
 頑丈な素材で浸水を防いでくれる。大理石のような光沢を発しており、見映えがいい。なのでシーリンの辺り一面は白に染まっている。
 

 都市の南側が、資材の搬入を受け付ける要所だ。鎧に身を包んだ者たちが目を光らせている。俺とリーゼは桟橋で船を降り、都市の内部へ入った。
 

 青い屋根、白い外壁で揃えられた美しい街並み。ここにも冒険者ギルドはある。職員がギルドカードの確認をしている間に、依頼の貼り出されている掲示板を覗いてみた。その内の大半が護衛関係の仕事である。
 

 『盗賊に注意!!』と書かれた貼り紙がされていた。
 手配書も掲示してある。金貨数枚の安い命だ。対象の生死は問わないとされている。
 


 「酷い似顔絵だな」

 「なんか見た目が醜い鬼オークっぽい。実は人じゃなくて、魔物とか?」
 


 それはない。しかしこれ、一体誰が描いているんだ?間違えられて襲われたやつは、堪ったものじゃないぞ。
 ちなみに醜い鬼オークは存在する。桁外れの腕力、大きな図体。身長は三~五メートル近くある。知能の方はお察しの通りの悪さだ。つまり、アホなのである。


 それでも冒険者ギルドが定めた討伐ランクは脅威のB。あらゆる毒物に対して耐性を持っており、皮膚の上は分厚い『魔力防御』で覆われている。
 魔物の討伐ランクというものは、人族の領域内でのみ通用する話だ。その外側の世界にまで、冒険者ギルドは手を伸ばせない。
 

 必要な情報を得たあと、斡旋してもらった宿に向かった。
 広くて清潔な部屋である。窓の外には湖が。外観も素晴らしかったけど、期待以上だ。これで宿代は相場と同じ。リゾート地にやって来た気分である。
 


 「こりゃあ凄い!冒険者ギルドさまさまだな」

 「私、市場を見に行きたい!ね、エドワーズ。行ってもいいでしょ?」
 
 
 
 リーゼが、ソワソワとした様子をしながら俺に尋ねてくる。
 この都市の内部は、他の場所と違って治安が良い。いちいち付いていかなくても大丈夫だろう。許可を出すと、リーゼはすぐに部屋の中から飛び出していった。
 

 残された俺は、目の前に置いた地図を広げる。昔、ラッセルから貰ったものだ。
 ギルドから得た情報を頼りにしながら、その上に直接文字を書いていく。



 「問題はどのルートを行くのか……だな」
 


 水上都市から北へ進んだ先はダンジョンだらけだ。常に危険が伴うため、ここを行くのは避けた方がいい。
 北西にある『メイル街道』。少し遠回りになってしまうが、現在の状況を考えればこの道を選ぶのが最短だろう。数十キロ先がニディスの王都。そこに用はないので、俺たちは途中で脇の方へと出る。
 


 (ひとまずは、そこにある『レストランジの森』を目指すとするか)


 
 ニディスの国土は、レーゲスタニアの倍以上。北側の三割は沼地である。どんな場所なのかは実際に行ってみないと分からないな。
 この辺りの地域は人里離れた魔境なので、頼みの綱である『聖木』の加護も行き届いてなさそうだ。何も問題が起きないことを祈ろう。


 暫くすると、リーゼが大量の荷物を抱えて部屋に戻ってきた。
 「魔導具のポーチはどうしたんだ?」と聞いてみると、どうやら中身の方が既に一杯になっているらしい。どれだけの量を買い込んできたのだろう?
 


 「見て!エドワーズ。ソールド石から削りだした塩だって。この赤い葉っぱがハートリーフ。ピリッとした辛さがあるらしい。それでこっちは――」



 楽しげな表情で話をするリーゼ。さっそく買ってきた食材で料理をしたいと言い出した。宿の方からも了承を得ているらしい。
 そもそも低ランク冒険者たちの殆どは自炊をおこなう。外食はたまの贅沢でするだけだ。冒険者ギルドからの斡旋先ということもあって、その辺りの事情については宿側も織り込み済みなのだろう。
 


 「外の様子はどうだった?」

 「まるでお祭りみたい。楽器を弾いてる人があちこちいた。歌っている人も。
 あとなんだっけ?集まってきた人たちの前で、物語をお話する人……」

 「吟遊詩人?」

 「そうっ、それ!その人もいた。私、見たの初めてだったから。
 ちょっと立ち止まって聞いていたけど、前にエドワーズが言ってた通り、スッゴく面白そうだった!!」



 日が落ちるまでは、まだ時間がある。
 もともと出掛けるつもりは無かったが、料理が出来るまでの間、都市の内部を少しだけ見て回ろうかな。
 リーゼに頼んで小遣いを出してもらう。旅の資金は全て彼女が管理していた。それには理由がある。



 「エドワーズ。分かっているとは思うけど……」

 「娼館に行かなければいいんだろ?大丈夫だって!約束はちゃんと守るよ」

 「そう?ならいい。でも……もしも約束を破ったら――」

 「……破ったら?」

 「バッサリ、全部ちょん切るから」
 
 

 「どこを?」とは、流石に聞くことができなかった。恐ろしすぎる。
 宿を出てから道沿いに歩いていった。時間を掛けて発展していったのであろう、美しい街並み。辺りには積み重ねてきた歴史の面影が色濃く残っている。
 石橋や用水路。足元にある石畳の造りも見事なものだ。見張り台のような建物が至る所にある。都市の治安が保たれているひとつの要因だ。


 市場では石材の競りが開かれていた。屋台からはモクモクと湯気が立ち昇る。買い食いはできないので、そのまま素通りしていった。
 広場から離れた路地の方に入っていく。雑貨品を扱っている店で、鉱石が埋め込まれた安物のペンダントを購入した。濃く、蒼い深海の色。リーゼの瞳に少し似ている。何故か気になってしまったのだ。
 俺は、衝動買いしてしまったそれを、腰に巻いたポーチの中へと仕舞っておく。



 (ん?なんだ?あの人だかり……)
 


 突き当たりにある道の角。二十人程度の人が立ち止まり、何かを見ていた。
 近づいてみると鈴を鳴らす音が聞こえてくる。まるでリズムを刻むように。人々の合間を通って、覗いてみた先に女神がいた。
 


 ――ただ「美しい」という感想が、俺の頭の中に浮かんだ。



 栗色の長い髪。踊り子の衣装を身につけた少女。胸と下半身以外、肌を隠している物は何もない。
 その手に持った透明感のあるレースの布が宙を舞う。頭の上に咲く、花の形をした紫色の髪留め。どうやら先ほど聞こえてきた鈴の音は、あそこから響いているらしい。
 


 (綺麗なもんだな……!!)



 動きは激しく、時には緩やかに。不思議と惹きつけられるものがあった。
 とんでもなく整った顔つきをしている。リーゼに匹敵する現実離れした美少女を、俺は師匠以外に初めて目にしたかもしれない。
 尻に食い込む薄い生地。腰回りは驚くほど引き締まっている。最も注目するべき部分はお腹にあるヘソだ。まさに芸術。ベストキングなヘソである。
 

 踊りが終わると、それを眺めていた衆人たちは拍手喝采。少女の手前に置かれた桶に向かって、次々と硬貨を投げ入れていく。
 そんな光景を見た俺は、ほぼ無意識に自らの財布へと手を伸ばし――。





*****





 「もう一度説明して」



 というわけで最初から状況を説明しよう。俺は今、リーゼによって正座をさせられている最中だ。
 宿に帰ってきてからすぐにこれ。その原因は、もちろん当事者の俺にある。
 


 「あのですね。道端で踊っている女の子を見かけたんですよ。で、周りの観客が投げ銭を始めたものだから、ついつい俺も――」

 「全部使った?」

 「その通りでありますっ!!」



 嘘は言ってない。気がついたら財布ごと投げ入れてしまっていたのだ。不可抗力である。



 「中にいくら入っていたのか、ちゃんと言葉にして言って」

 「リーゼから貰ったお小遣いと合わせて、大体金貨十五枚」

 「……今日のエドワーズは晩ごはん抜き」



 「そんな!」と、俺はリーゼの足下にすがりついたが、突き放された。情状酌量の余地は無いらしい。



 「だってもう後ろに作ってあるじゃん!生殺しだよ!!」

 「全然違う。バカなこと言ってる暇があったら、使ったお金をキッチリ残らず取り返してきて。
 そうしたらご飯を食べさせてあげてもいい。分かった?」

 「そんなぁ……。リーゼのケ~チ!ケチケチケチケチ……」



 本気の殺気が飛んできた瞬間、俺は部屋から逃げ出した。
 このままでは命が危うい。例の踊り子の少女を探し出して、金を返してもらう必要がある。情けない。なんと言って返してもらおう?腹も減っているし……。
 今から探し始めて見つけることは出来るのだろうか?運良く同じ宿にでもいない限り、不可能だろう。そんな奇跡はそうそう起きる筈もなく、



 「は?」



 バタリと、隣の部屋の扉が開いた。中から出てきたのは、見覚えのある栗色の髪の少女。
 踊り子の衣装ではなく、今は部屋着用のラフな格好をしている。俺の姿を目にしたその子が、何かに気づいたように声を上げた。



 「あっ!」








 
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