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5章、呪われた二ディスの沼地

8、狩場

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 誰も動けない。しかし、数秒後にはようやく理解が追いつく。
 たった今、目の前で人間がひとり拐われたのだ。一体何に?
 ……答えは明らかに決まっている。



 「どうだ……見えたか?」

 「はい。鱗のない、まるで蛇のような見た目でしたね」



 ブレイズが、険しい表情で辺りを見回す。それだけ事態が切迫しているということだ。
 


 「クッ!――ケイン、エリル。二人は、ブレイズ彼らのことを見張っておいてください。
 ワタシが、魔術師アルフレッドの救出に向かいます!」



 「待ちなさいっ!」――すぐに駆け出そうとしたミレイナのことを、サイラスが後ろから呼び止める。 
 ――何を勝手に決めているの?



 「サイラス様!勝手ながら、我々の仲間の生死に関わる事態です。
 手遅れになる前に、今すぐ救出へ向かなければ――ッ!」

 「はぁ?ミレイナあなた、ちょっと意味がわからないんだけど。
 でもまぁ……確かにひとり足りないわね。いつの間にいなくなったのかしら?」



 サイラスは、一連の出来事をまったく目にしていないらしい。呆れるばかりである。
 ガロウジですら、「何を呑気な」と口にしていた。ミレイナの苛立ちは限界である。ザジが、剣呑な顔つきで拳を構えた。
 ――おいっ!今のは一体なんだってんだ?



 「エドワーズ、これ……前の時と同じ!」

 「なんか気持ち悪くなってきたわね……」



 リーゼは、今回が初めてではない。ティアの顔色が悪くなる。魔力溜まりだ。
 白い霧の色が一層濃くなる。ズルズルと、枯れ草の上を何かが通り過ぎる音。視界から得られる情報だけが、頼みの綱。遥か上空から聞こえてくる鳥の声。まるで死の合唱のようだ。
 ここにきて、サイラスがようやく気づく。
 ――なに?そこに何がいるっていうのよ!



 「団長、これでは話になりません。ここは自分たちに任せて、早く――!」
 
 

 最初の犠牲者は、ミレイナの仲間である槍持ちの男だった。先ほど見たものと同じ。霧の向こうから伸びてきた灰色の物体に全身を絡み取られて、言葉が途切れる。



 ――ギィィンッ……!



 「……ッ!硬いッ!」
 

 
 それを黙って眺めているミレイナでは無い。レイピアによる刺突攻撃を繰り出した。鋼を打ったような音が辺りに響く。傷ひとつ付いていない。ミレイナは一旦冷静になり、距離を取る。
 一同はそこで初めて、目前に現れた怪物の姿をはっきりと目にすることになった。



 「なんという大きさだ……!」

 「本体じゃないですね。足……巨大な触手か」



 ブレイズですら、驚きの言葉を口にする。大木のような太さ。その表皮は鋼鉄製の刃を弾く。
 頭上高くにまで持ち上げられた槍持ち冒険者の男。助け出す術はない。そのまま彼方へと連れ去られてしまう。
 


 「……エドワーズ!」
 
 「うそでしょ?こんなの……!」

 「(かなりマズいな。想像以上だ)」



 直立したまま、四方八方から迫りくる触手の影。どこにも逃げ場はない。完全に囲われてしまっている。
 


 「リーゼッ、防御を!」

 「わかってる!!」



 巨影全体が鞭のようにしなり、一気に叩きつけられた。肌に感じる衝撃音。
 リーゼが展開した魔法障壁には、たったの一発で大きなヒビが入っていた。ビシリ、ビシリと徐々に広がっていく。



 「ダメ……保たない!」

 「もう一度くるわよ!」


 
 考えている暇は無かった。

 
 
 「【黄金バルメルの装具】」



 俺は、付加魔法エンチャントでダメージを受けた箇所を補強する。早くも【虹の魔法】切り札を使ってしまった。
 魔法障壁越しに、灰色の触手が何度も叩きつけられる。ミレイナやザジたちの安否は不明だ。なにせ魔物の攻撃が雨のように絶え間なく降り注いでいる。どうにかして、この状況を打開しないと。



 「ヒイィイ!オレたちゃ、もうおしまいだ!」

 「ガロウジあなたは黙ってて!
 エドワーズ、このままだと多分、みんなやられちゃう。私とティアで協力して、触手あれの注意を引いておくから。その隙に打開策を用意しておいて」

 「えっ?……ちょ、ちょっと待ちなさいよ!リーゼ。ムリムリムリムリッ!!」



 ティアが即座に、自らの首を振る。
 ――あれだけはダメなのよ。ホントに……絶対無理だからっ!
 ニュルッとしたもの、そういう系は苦手であると、前に話をしていた。尋常ではない量の汗。小刻みに震える体。
 どう見ても、まともに戦わせられる状態ではない。



 「……仕方ない。俺が、リーゼと一緒に前へ出るよ」

 「あたしね、ああいうの昔からホントに苦手で……ウッ!は、吐いちゃいそう!」

 「ティア!今はそんなことを言ってる場合じゃ――!」

 「ならば俺が行こう」



 ブレイズが、そのように申し出てくれる。他に手はない。
 この場はどうしても頼るしかなさそうだ。



 「後ろから援護する。すぐに行って!」

 「承知した」



 リーゼの合図と同時に、俺は付加魔法を解除する。持続時間の限界だった。
 「この時を待っていた」とばかりに、襲い来る魔物の触手。リーゼの氷風が、その勢いを僅かに押し返した。ブレイズの大剣から、カチリと機械的な音が鳴る。


 
 「さすが……!」



 爆発、それにより生じる炎。
 振り払われた高温の刃が、灰色の巨影の動きをピタリと捉える。
 青白い血飛沫が舞った。仕込まれた『火線茸』の焦げる匂い。その爆破方向は完全に制御できている。道が開けた。全員で一目散に駆け抜ける。



 「おいっ、あれを見てみろ!」



 ガロウジが指を指す。その先では、触手に捕まり宙吊りとなった者たちの姿があった。その中にミレイナはいない。護衛対象のサイラスは、腰を抜かしているようだ。
 お荷物を抱えながらも、なんとか一人だけで持ちこたえる事ができたらしい。
 
 

 「ブレイズ!やはり無事でしたか」
 
 

 ミレイナの全身は泥だらけだった。傷を負っている様子はない。
 上空から、威勢のいい声が聞こえてくる。
 ――離しやがれ!この化け物がっ!
 ザジが、己を拘束している触手に噛みついていた。文字通り歯の立つ相手ではない。
 

 リーゼが氷の鎌を構える。ひと回り、ふた回り、どんどんサイズが大きくなった。複合魔法の重ね掛け。
 巨大化したそれを、前方に向かって回転を加えながら投擲する。


 触手の一本に刃先が食い込み、根元からザックリと両断した。当然、ブレイズとミレイナの二人は驚いていたが、それも一瞬のこと。
 「今は合わせるべきである」と判断し、揃って前に飛び出していく。



 「ワタシたちで、あれの動きを止めますよ!」

 「わかっている」


 
 ブレイズの一撃には、大きな破壊力がある。
 ミレイナは、軽装を活かした速さと手数で攻めるタイプだ。レイピアの切っ先に魔力を集中させた超連撃。
 触手を覆っていた灰色の表皮が剥がれ落ち、その内側の肉が抉れる。一定以上の距離に寄せ付けない。


 リーゼの大鎌魔法が、それらを一本ずつ正確に斬り倒していく。
 ザジとその仲間たち、弓使いの女性の拘束が解かれ、地面の上に落下した。枯れ草の山がクッション代わりとなり、全員が無事である。
 それでも尚、俺たちの周囲には無数の触手が林のように連なっていた。
 
 
 
 「おい、お前ら!もう少しマシな助け方は無かったのか?」

 「……誰?この人」

 「『鉄拳』のザジ様だっ!」


 
 いちいち声が大きい。リーゼが五月蝿そうに目を細めている。
 


 「驚きました……!まさかこんな小さな子どもが、魔術師の奥義である複合魔法を習得できているなんて」

 「ああ、実に見事なものだった」

 「へー!ミレイナとブレイズあなたたち二人とも、なかなか見る目があるじゃない。
 そうよそうよ!リーゼはね、とーってもスゴイッ……ウエェ!き、気色悪っ!」

 「大丈夫なのですか?その子は……」


 
 ティアの顔色は真っ青だ。リーゼが、その背中を労るように擦っている。
 サイラスの格好は、とにかく酷いものだった。髪はボサボサ、羽毛のマントは破れており、頭の上から大量の泥水を被っている。
 ――ワタクシに対して、このような仕打ち……あなたたち、帰ったら全員クビよ!覚えておきなさいっ!
 


 「へッ!カマ野郎が。助けてもらった分際で、よく言うぜ」

 「珍しく同感するよ」

 「なぁ、エドワーズ。地下洞窟の入り口は、確かこの近くにあるんだ。急いで走っていけば、なんとか逃げ切れるかもしれねえ」

 「……その案でいくしかなさそうだな。ガロウジ、すぐに道案内を頼む」
 
 「ほいきた。ならさっそく……!ありゃあ、何がどうなってやがるんだ?」


 
 二本の触手が、交互に絡みつき柱となる。俺たちが見つめる中で、完全に同化した・・・・・・・
 環境に合わせた適合能力。魔物の進化。自らの狩場に現れた獲物ご馳走を逃すまいと牙を剥く。
 

 
 
 



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