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6章、北の大地

1、オストレリア到達

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 ニディスの沼地を抜けたあと。俺たち三人は、隣国ケラリナの中部にまで到達していた。
 

 三つの大国が縦に連なっている。これまで通ってきたどの国よりも遥かに広い。旅の道は、快適で安全な空の上。しかし、ずっと飛んでいるわけにもいかない。
 長時間の魔法の使用は精神が疲弊してくる。休息は必要だった。
 

 途中で村や街に立ち寄り、食糧などの必需品を購入する。ここでも冒険者のギルドカードは有効だ。万能の通行証。
 ティアはたくさん食べるので、どれだけ買い込んでおいてもまるで足りない。頻繁に地上へ降りる必要があった。
 

 雨などの悪天候も避けなければならない。肌を叩く水滴の勢いは凄まじいものだ。濁流の中を突き進むようなもので、目も開けていられない。



 ――ビシャッ!バリバリバリバリッ……!



 突然の雷雨に見舞われ、ティアが氷像リュシェールの上から吹き飛ばされる。伸ばした『魔鋼糸』が、なんとかその体を捉えた。ティアを宙ずりにしたまま、氷像リュシェールの全体が急加速する。
 目の前に迫る地面。氷像リュシェールの着地と同時に、乗っていた背中から飛び降りる。三人ともずぶ濡れで酷い有り様だ。
 俺が一緒にいても、ティアは構わず服を脱ぎ出し始める。それを必死に止めるリーゼ。「世話がかかる」と文句を言う。



 「そうやってすぐ、男の人の前で服を脱がないで!」

 「別にいいじゃない。相手はエドワーズなんだから」



 俺には裸を見られても恥ずかしくないらしい。
 ならば見よう、ガンガン見よう。するとリーゼから目潰しが飛んでくる。そのうち失明したらティアのせいだぞ。
 

 雨に濡れた服のおかげで、二人の身体のラインがはっきりわかる。年頃の男がこれを目にして、平気でいられる筈がない。刺激が強すぎるのだ。
 ならば「街へ立ち寄る際に発散しよう!」としてみたが、リーゼが常に目を光らせているので、それもできない。……どうしろというのだ。


 ケラリナ国の北部に差し掛かった時、俺たちの前に厄介な問題が立ち塞がる。当初の予測が大きく外れ、氷嵐ブリザードによる足止めを食ってしまった。
 

 なんとか近くの街に入る。二週間、そこに釘付け。ティアにとっては経験したことのない寒さだろう。薪の火の前で青白い顔をしながらブルブルと震えていた。
 獣人族の領域、西側の気候は暖かい。ティアのは薄着なので、リーゼが着ているマントと同じものを用意した。
 

 お手製の魔装具。軽くて丈夫、寒さをほとんど通さない。
 リーゼは動きやすいように肩を出したノースリーブの格好をしているが、これのおかげで厚着をしなくてもすんでいる。
 ティアは、それを布団代わりにして寝ることが多くなった。首を出したまま、室内をゴロゴロと何度も往復する。



 「それはなんの遊びだ?」

 「体を動かさないとねー、落ち着かないのよ!」

 「一緒の部屋にいる、私たちの方が落ち着かない」



 その頃には、戦いの中で使用した魔導具の補充などで、手持ちの素材がほとんど底をついていた。
 『避魔針アンチマジックツール』は残り一本。作れたのはこれだけである。薬関係も不足していた。俺は元々、その方面については詳しくない。回復魔法、薬学の知識、学んだところで実践できるかは話が別だ。
 薬師は専門職、そのように考えている。
 

 嵐が過ぎ去ると、辺りは完全に雪に埋もれてしまっていた。
 吐く息が白くなる。ローレンの故郷はもっと寒いのだろう。俺とリーゼにとっては慣れた光景。ティアは大はしゃぎで、白く染まった大地の上に向かってダイブしていた。
 




 レバルト国の都市近郊、針のように山頂が尖った山々の上を氷像リュシェールに乗ったまま通過する。
 緑の少ない土地。レバルトの国土は広いが、豊かさとは無縁の場所だ。上空から眺めていても、それがよく分かる。盗賊が蔓延る無法地帯。弱者からの略奪行為が日常となっている。
 

 各国を追われたならず者たちが行き着く地。眼下で繰り広げられる光景から目を背けたくなる。
 たまらずリーゼが戦闘に介入した。俺は許可を出していない。勝手に氷像リュシェールを盗賊たちの目の前に降下させ、威圧する。蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
 

 リーゼは知らなかったが、襲われていたのは奴隷商人の馬車だった。十数人、鉄製の檻の中に入れられている。
 手綱を握っていた男は、後ろの荷台に頭を打って気絶していた。リーゼとティア、二人が戸惑いながら俺を見る。



 「何これ……ひどいっ!」
 
 「どうしよう?この人たち、早く助けてあげないと!エドワーズ……」

 「……ここに置いていくしかないな」

 「「えっ?」」
 
 
  
 二人が驚く。俺の言葉は予想外のものだったらしい。



 「さっき上から見えた。近くに村がある。俺たちにできることは何もない」

 「で、でも!怪我だってしているし……」

 「俺もリーゼも、回復系の魔法は苦手だろう?手持ちの食糧を分け与えればいい。それで十分だ」


 
 そこまで面倒は見切れない。リーゼたちは最後まで複雑な表情を浮かべていた。
 北から流れてきた魔物たちが土地を食い荒らすことで、そこに住む人々が行き場を失う。国力は痩せ細り、あのような連中の排除にまで手を回せない。この数年で、辺りの状況は一変したという話を聞いた。


 誰もが明日を生きることに必死な世の中。東の森から運ばれてきた『聖木』の真下に身を寄せ合いながら生活している。
 魔族領を隔てる北の結界。その修復が早急に求められている実情を、リーゼたちはそこで初めて目にした。


 
 
 
 レバルトの次は、隣国のダナル王国へ。
 広い領土を持つ軍事国家。ニディス国、第二都市で起きた一件。各国の闇情報屋に向けて、俺たちの手配書を回した奴らだ。裏で、魔族との繋がりがあるのは間違いないだろう。
 

 冒険者であろうと問答無用で拘束される。これまで通り、旅の物資を補給するのは難しかった。辺りが暗くなる時間帯を見計らって、こっそりと街の内部に侵入する。
 高い塀があっても、俺たちにとっては関係ない。一度中に入ってしまえば、あとは楽だった。兵の意識は検問所の外に向けられている。その辺を出歩いていても案外バレないものだ。
 

 ダナルの王は独裁的な政治をしている。聞くところによると、国民からはかなりの額の税を徴収していた。王宮での贅沢三昧な暮らしぶりは有名らしい。
 

 色々と国の動向を探ってみた結果、あることが分かった。
 ここ最近になって、ダナルの北側にある山脈付近に軍隊が送られたそうだ。オストレリア王国の国境際。目的は不明だが、「戦争が始まるのではないか?」と考える者もいる。
 オストレリアの国土。現在、その大半は魔物の支配下だ。攻め入るなら絶好の機会。しかし、国の南側は自然の要塞で囲われている。今すぐに何かが起きることはない。念のため、気にかけておこう。


 凍えるような寒さが毎日続いた。飲み水を汲もうとして、近くにあった川の中へと手を伸ばす。氷のように冷たかった。手のひらが一瞬で赤く腫れている。これでは水浴びもできない。
 俺たちが凍傷にならないように、リーゼが手袋とマフラーを編んでくれた。裁縫の練習を続けてきた成果は上々だと、珍しく得意げだ。ティアは、マフラーを顔全体にグルグル巻きにして寒さを凌いでいる。
 

 夜になると、辺りはさらに冷え込んできた。魔法で土壁を造り、簡易的な風避けのための小屋を建てる。
 こうでもしないと野宿を続けるのは難しい。俺やリーゼでも堪えるほどだ。純魔石の消費量はおよそ七、八割ほど。持ってきた薪、石炭燃料類の補給は見込めないだろう。
 この先は街がない。動物、魔物、生きる者すべてを拒む自然の猛威が立ちはだかる。
 

 ゴールまであと少しというところで、ティアが高温の熱を出して倒れてしまった。



 ――ジュウウウウ!



 「嘘だろ?あんなに冷えていたのに……」

 「すごい熱……!」



 ティアのおでこに置かれた白いタオル。その水分が一気に蒸発してしまった。
 それを見た俺は、外にある土壁を二重の構造に強化して、その間に暖かな空気を循環させた。暖炉を用意して、これでもかと中に火をくべる。これから長丁場になるだろう。人里までは、かなりの距離があるため引き返せない。
 


 「ウゥ……ケホケホッ!ご、ごめんなさい~!」

 「話さなくていいから。ちゃんと休んで」



 ――パクリ。



 ティアの開いた口に、リーゼがおかゆをすくったスプーンを突き入れて黙らせる。
 お椀の中身はすぐに空。リーゼの手が、忙しそうに動き続けている。
 

 
 「ハグハグハグ……!おいふぃい。おかわりっ!」
 
 「病人なのに、おかわりするのか」

 「もう、これで六杯目」



 なら安心だ。食べて寝ておけば、そのうち回復するだろう。
 一人で外の探索に向かった。オストレリア王国の国境際。派遣された軍隊の話を思い出す。凍てついた湖をまたいだ先。いくつもの痕跡を辿りながら森を抜けると……いた。
 全身黒い甲冑に包まれたダナルの兵士。軍事国家というだけはある。遠目から見て、そこそこ腕の立ちそうな者たちが数名混じっていた。数は二千ほど。続々とやって来る。異様な雰囲気を纏っていた。



 (あれは軍の旗じゃないな)



 野営地の一角に張られた立派な天幕。あの紋章は王家のものだろう。親衛隊のような連中が守りについている。どうやら、この国の王自ら足を運んできたらしい。噂通り、本当に戦争をおっ始めるつもりなら、随分と気が早い。裏で魔族が糸を引いているのだろうか?
 「これ以上ここにいても、得られる情報は何もない」と考えた俺は、来たときと同じようにひっそりとその場をあとにした。


 九日後、ティアがようやく元気になった。俺たちはすぐに旅の続きを再開する。
 北側から流れてくる風の勢いは凄まじい。道中は空の上にいるため、安全なルートを模索しながら進んでいく。途中、深い峡谷の間を通り過ぎた。そこに隠れ潜んでいた飛行型魔物巨大コウモリの大群に襲われる。



 「振り落とされないように、しっかり掴まれ!」

 「ワワッ!ちょっ、ちょっとまって!」

 「このまま突っ切る……!」



 最高速度に達した氷像リュシェール。その背中に、全員で必死にしがみついた。
 正面に迫る巨大な岩盤。俺の放った【アドマイオの裁き虹の魔法】が打ち砕く。落ちた破片が巨大コウモリたちの行く手を塞ぎ、俺たちを守る壁となった。こちらは奇跡的に無傷で済んでいる。
 そのままの勢いで白い霧を突き抜けた。白銀の美しい景色が視界全体に飛び込んでくる。



 「キレー!一面真っ白じゃない!」

 「エドワーズ。私たち、もしかして――」

 「ああ、間違いない。やっと着いたぞ」



 遠く離れたベシュリンの街、そこから旅に出て九か月。
 人族最北の地。ローレンの故郷、オストレリア王国に俺たちはようやく辿り着いたのだ。
 
 
 
 



 
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