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5章、呪われた二ディスの沼地

16、それぞれの思惑

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 「エドワーズ……どこかに行くの?」

 「少しだけね。すぐに戻ってくるよ」



 食糧庫に繋がる道を塞いでいた繭が取り払われる。みんな大騒ぎだ。外への連絡、戦利品となる魔装具などの回収作業で大忙しになるだろう。
 沼地を支配していたダンジョンの主を討伐したのだ。恐怖から解放された者たちの間に安堵が広がる。
 

 そんな中でも、俺だけは勝利の余韻に浸る間もなく、リーゼに一言告げてからその場を離れた。


 水の支配者クラーケンのねぐら。崩れた祭壇の奥を目指していく。横たわる魔物の死骸を踏み越えた先。
 蝋燭ろうそくクラゲの灯りから逃れるようにして、暗がりの壁の上に何かが張りついていた。



 (やっぱり、偵察用の魔導具か)



 ニディスの沼地の手前。レストランジの森で戦った魔族から奪った目玉。それと似たような物が俺の姿を映している。
 壁に固定された蜘蛛の手足。独立型の魔導具だ。魔力探知に引っ掛かったので来てみたが、移動もせずに残っている。
 カサカサと動き出し始めた。近くにある裂け目の中へと入っていく。「ついてこい」という意味だろう。


 戦闘時には気づかなかった。隠れ穴の先には、長い地下洞窟が続いている。水滴で削られた岩肌。湿気った空気。
 ここにも蝋燭ろうそくクラゲの灯りが届いている。
 

 罠である可能性。誘い出されている自覚はあった。
 ……今はあちらの目論みに乗ってやろう。でなければ、こうして抜け出してきた意味がなくなる。



 「……出てこいよ」



 擦れるような金属音。暗がりから現れた、赤い血のような目。黒騎士がそこにいた。忘れもしない、ローレンの仇が漆黒の魔剣を手にして立っている。
 鎧の胸部に残る傷痕。片腕には義手が付けられている。奴の場合は「新たに継ぎ足した」と言えるだろう。肉体を持たない、ただの影。その証拠に、割れた兜の隙間から黒い靄が見えている。
 
 

 《シュウウウ………!》



 蒸気のような煙を吐き出す。黒騎士は、何も話さない。真っ直ぐこちらに近づいてくる。やがて止まった。簡単に手が届く距離。
 先ほどの戦闘で『永久貯蔵魔石チャージャー』の中身は空だ。【虹の魔法】は使えない。俺は、見ていることしか出来なかった。
 


 (こいつ……以前よりも力が増している)



 黒騎士は知っていた。【極彩セレヴィアの魔剣】の威力を。
 ……こうして近づくこと自体が自殺行為である。それでも離れない、動かない。頭上から、俺の顔を覗き込む。



 ――聖痕。



 瞳の中に浮かんだ力の証。無限の魔力を得られる源。
 黒騎士は、それを食い入るように見つめていた。そのまま長い時間が過ぎていく。



 《………》

 「………」



 互いの思惑が絡み合う中、黒騎士がこちらに背を向けた。「用は済んだ」とばかりに去っていく。
 あの『魔力防御』は破れない。見送るしかなかった。黒騎士の気配が完全に消えた頃。俺は、右の瞳に浮かべた聖痕を引っ込める。
 やるべきことは終えたのだ。さあ、リーゼたちの所に戻ろう。





*****





 数日後。拠点の移設作業が完了した。
 地下遺跡の内部は大勢の人で溢れている。ギルドの幹部、その下に付く冒険者たち。新たに雇われた者もいる。かき集められた人手。その目前に山と積み上げられた戦利品。
 

 水の支配者クラーケンの解体作業は二週間近くかかるという。放っておくと腐敗してしまう部位があるため、急ピッチで進められていた。
 魔導具、魔装具の仕分けについては後回し。国と共同で鑑定をしていくそうだ。合流には、まだ数日かかるらしい。国側にとっては予想外の出来事。対応も何も、王都の方は混乱の真っ只中である。


 
 「それほど大きな功績だ。欲しい素材があれば、何でも優先的に手を回そう。遠慮なく言ってくれ」



 評議員のバロウからそのような申し出があったが、断った。
 親切心ではなく、下心はあるだろう。それでもサイラスよりは全然マシだ。
 
 
 サイラスといえば、なんとあのどさくさに紛れて死亡していた。水の支配者クラーケンの触手に摘まれた繭。あの中のひとつに入っていたらしい。
 回収された指輪とネックレスには覚えがあった。魔物の体液がベットリとついている。ティアが怪我をしてまで助けた相手。色々と思うところはあるが、こればかりは仕方ない。ベストは尽くした。
 バロウも、俺たちを責めていない。寧ろ感謝していた。「これで言い訳はいくらでもきくだろう」と。



 「しかし……本当にいいのか?私からすれば考えられんがね」

 

 バロウに出した要望は、すんなり通った。表向きは『金星』冒険者のブレイズとミレイナが、水の支配者クラーケンを討伐したことになっている。
 富と名誉。視点を変えれば余計な重しだ。俺たちが必要としている物は別にある。
 
 
 
 「スゴいわねー……おっきな宝石!」

 「星のようにキラキラしてる。あれが探していた純魔石なの?」

 「その外側だ。中身はまだ見えていないぞ」



 天井に埋まる宝石。透過した魔力の輝きが溢れている。並みの手段では砕けない。
 まずは外側の岩を削り取り、数人がかりで地上の方に降ろしてもらう。そこからは俺の役目だ。パズルのように複雑な魔力の流れ。たったひとつの正解を探り当て、オウトツすらない表層にナイフを刺し込む。



 ――バキッ!



 呆気なく割れた。輝きを失った鉱石の内側から出てきたもの。それを目にしたリーゼとティアが、揃って「おや?」と首を傾げる。



 「なんか普通ね」

 「うん。それに小さい。
 このくらいなら、簡単に持ち運ぶことができて楽だけど……」

 

 琥珀色の結晶。確かに見た目は大したことない。他の魔石と比較した時の差は歴然だった。魔力を感じない。まったくの無。
 リーゼたちには、そのように見えているだけだ。



 「なら、ティアが試しに持ってみろよ」

 「わかったわ!じゃあ……ンギギギギッ!な、なによこれぇ?全然びくともしないじゃない!」

 

 お次はリーゼ。ティアとは違い、色々と頭を使って工夫をしている。
 それでも結果は変わらなかった。



 「ダメ。少しも動かせる気がしない」

 「『魔力防御』と同じだ。自分の身体の一部だと思えばいい。そうすることで本来の能力を引き出せる。――このようにな」



 ヒョイッと、俺は片手だけで簡単に持ち上げてみせた。
 完全に密閉された魔力の器。同調することで効率良く魔法を運用できる。残念なことに【虹の魔法】だけは例外だ。
 

 リーゼの【氷竜リュシェール】には、膨大な魔力コストがかかる。それを補うための純魔石。繊細な魔力操作が要求される。リーゼなら、きっと出来るだろう。
 



 「凄い……!こうして持ってみると分かる。この魔石、底が見えない」

 「だから貴重なんだ。人族の領域外でも、なかなか手に入らない代物だぞ」



 数分後には俺と同様、リーゼも片腕の力だけで持ち上げられるようになっていた。この調子ならすぐに出発できる。
 国から派遣された軍隊が来る前に、こんな陰鬱な場所とはおさらばしたい。


 久しぶりに出た地上の空気は新鮮だった。これから各所に、人が滞在可能な拠点を増やしていくという。国の経済を発展させる足掛かりになるだろう。
 バロウからは「これもすべて君たちのお陰だ」と、最後にお礼を言われた。
 見送りに来たのは共に戦ってくれた仲間たち。ブレイズ、ミレイナ、ザジ、ガロウジの四人である(一人だけ、余計な者がいるような気がしないでもない)。



 「もう行くのか」

 「はい。できるだけ先を急いでいるので」

 「また出会うことがあれば、その時は改めて礼をさせてくれ。俺もミレイナも、今回の戦いの中でお前たちには随分助けられた」

 「それはこっちも同じです。……すみませんでした。
 俺の作戦で、ブレイズの大切な剣がバラバラに――」

 「あれは年季ものだ。また新しく買い換えれば、それで済む。とんでもない額の報酬を得たからな。
 この機会に、冒険者稼業を引退するか考えていたところだ」

 「それは本当ですか?ブレイズ!」



 ミレイナにとっては寝耳に水の話だろう。
 本気なのか冗談か。ブレイズの場合は、その辺りがまったく読めない。リーゼは「お似合いの二人」と言っていた。……どこがだよ?



 「お、おい!エドワーズ……何か大事なことを忘れちゃいないか?」

 

 ガロウジが、クネクネと体を動かしながらすり寄ってきた。俺が一歩下がる。するとガロウジが前に出る。その繰り返し。周りから向けられる奇異の視線がかなーり痛かった。
 


 「ちゃんと覚えているさ。これのことだろ?」

 

 俺が取り出した袋。金貨がたんまり入っている。案内役としての報酬、未払いだった残りの額だ。



 「ありがてえ!
 ヘヘッ!こいつがあれば、当分の間は好きなように遊んで暮らせるぞ」

 「そんな大金、いったい何に使うんだよ?」

 「そんなの決まってらあ!――酒と賭け事」

 「……ろくでもない大人」

 「勿体ないわね!あたしなら、美味しいご飯をお腹いっぱい食べるのに」



 リーゼとティア女性陣からは、ゴミを見るような目を向けられていた。ガロウジ本人は、どこ吹く風である。正当な報酬なので、受け取る権利は当然あった。
 これで心置きなく別れられることを、今は素直に喜ぶとしよう。



 「よお坊主、なかなかの活躍だったな。まぁ、このザジ様には敵わないけどよ。
 化け物の触手を踊るように躱していった。頭で考えなくても体が動く!潜在的な能力ってやつだな。それを気づかせてくれたお前には礼を言うぜ」

 「そりゃどうも」

 「この人、アホなの?」

 
 
 リーゼは呆れるというより、驚いていた。
 ティアといい勝負……いや、馬鹿さ加減では僅かにザジの方が上手か。



 「リーゼ、そろそろ頼む」

 「うん。任せて」



 同調した純魔石。リーゼは、そこから大量の魔力を一気に取り出す。氷嵐ブリザードの中から現れたリュシェール竜の氷像。一度は目にしたはずの者ですら、息をのむ美しさ。
 リーゼ、ティア、俺の順番で背中に飛び乗る。心地よい冷たさが伝わってきた。魔法は完全に制御できている。あとは空の上の旅に飛び立つだけ。俺は最後にもう一度、地上からこちらを見上げる者たちに視線を向ける。



 「ではな」
 「みなさん、どうかお元気で」
 「じゃあな。間違っても空の上から落っこちてくるんじゃねえぞ」
 「……(ザジは、口を大きく開けてポカンとしている)」
 

 
 氷竜リュシェールの翼が力強く羽ばたいた。
 一度、二度。グンッと、引っ張られるような感覚と共に、どんどん足下の景色が離れていく。ブレイズたちの姿は小さな点となり、やがて消えた。
 枯れ草で覆われたニディスの沼地。その先には果てのない光景がどこまでも広がっている。
 

 目指すは北のオストレリア王国。ローレンの故郷。俺たちの旅の目的地。いくつもの脅威が、俺たちのことを待ち受けているだろう。それでも止まることはない。約束があった。
 だからこそ命ある限り進み続ける。



 「やってみせるさ」


 
 

*****
 

 
 

 魔族の領域。そのどこか――。


 魔族は狂喜していた。なんという幸運。長年の悲願が叶う瞬間。それが今、間近に迫ってきている。
 見間違える筈がない。あれは聖痕だ。絶対者の証。なんとしても我が手中に収めたい。


 ガザールは上位魔族だ。力はあるが、頂点に君臨する者たちの前では霞む程度のもの。かつての簒奪者のように正面から挑んだところで、虫けらのように殺されるだけだろう。
 だからこそ、穢れた人族劣等種の領域にまで手を伸ばしたのだ。影からの支配。それで聖痕の所有権を得ようとした。長い年月をかけて進めてきた計画。他種族からの干渉は無きに等しい。

 
 
 ――待てばいい。ただ待てばいいのだ。いつかはワタシの時代がくる。



 何百年、何千年先の話だ?そう笑う者もいる。
 ……奴らはわかっていない。ガザールは時間をかけて、毒のようにジワジワと自らの傀儡かいらいを増やしていった。百年が経った頃、ようやく好機が訪れる。
 八人の絶対者、そのうちの二人が同時に死んだという話を聞いた。
 

 ガザールはすぐに動き出す。北の結界を崩し、多くの魔物を人族の領域内にまで引き入れた。全ては己が支配者と成り得るため。
 この混乱に乗じて、傀儡かいらいの勢力を広げていくのだ。取引を持ちかけたのは、まるまるとよく肥えた人族の愚かな王。ぶら下げた餌に、考えもせず食いついてきた。豚と変わらない。ガザールにとっては家畜のような存在だった。
 ……その家畜がヘマをする。やはり信用できるのは己の部下だけ。絶対に逃してはならない。貴重な転移魔石を使い、もっとも信頼できる刺客を送った。我が片腕、魔将ボレアス。
 しかし、そこで予想に反した事態が起こる。失敗したのだ。黒髪の人族劣等種に深い傷を負わされて。


 「まさか」と思った。相手は上位魔族を退ける力を持っている。劣等種ごとき、しかも子どもが……あり得ない。
 黒騎士を通して目にした光景。あの瞳の中に浮かんだ模様。確認する必要があった。劣等種の傀儡を通じて居場所を突き止める。半数近くの同族たちが一瞬で殺られた。これで疑う余地はない。奴こそが聖痕の現所有者だ。



 ――『虹の魔術師』。



 ガザールが思い浮かべた人物。とっくに死んでいるものだと考えていた。己が知る絶対者の内の誰でもない。そこである疑問を抱いた。
 ――なぜ生きている?奴の方ではない。我が黒騎士片腕と、逃げ出した同族たちだ。


 「殺されに行け」という命令。他の者には任せられない。
 黒騎士が、『虹の魔術師』の前に立つ。結果、奴は何もできなかった。あの程度のクラーケン魔物相手に苦戦し、戦いの中で生き残りを出す始末。


 「弱っている」――ガザールはそう確信した。沼地での戦闘の際に、一度は死にかけているではないか。よくよく考えてみれば、あの『深淵の魔術師』とやり合って無事で済む筈がない。納得のいく理由だ。
 ならば、あとは自身が動くだけ。直接手を下してやろう。もはや当初の計画はどうでもよかった。誰にも、決して渡さない。
 『虹の魔術師』……あれは、ワタシの獲物だ。
 

 
 戦いの舞台は、極寒の風に包まれた北の大地へ――。
 
 
 

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