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act32.魔女の計画
しおりを挟む「夜会…ですか?」
「ええ。最終日にね」
プーシュカが首を傾げる。
交流会6日目、和やかな昼食の席でプーシュカが対面の席に座っているにシェルシェンに尋ねる。
本来ならば席順…序列の高い順から並んで座っていくのだが、参加している公爵令嬢達の『自分達だけなので昼食の席くらい、好きなように座りましょう』という提案に全員が快諾し、毎日くじで決めるようになった。
平時…例えば社交界であれば、公爵令嬢以外にも色んな取り巻きなどが存在する為、派閥と言う名の薄い壁…女性特有の『仲の良い集団』で集まってしまうのだが。
今回の珍しい試みに、普段滅多に顔を合わせない同士の令嬢たちが自由に話をすることができるというのは、令嬢達も楽しいことらしい。
「今回参加している私たちと、宮廷貴族を集めての簡単な夜会をということなの。勿論、社交期ではないから地方におられる方々お招きすることはできないけれど…でも、あら?皆様、織り込み済みよね」
シェルシェンが首を傾げると、プーシュカ以外の令嬢全員が当然とばかりに頷いている。
「当初の説明会で、最終日の2日間に殿下も参加される…というお話は覚えておりますが」
「その最終日の夜にね。…でも確か交流会参加のお手紙があった時、一緒に通達があったのだけれど。オルラン公からは?」
無言で首を横に振るプーシュカに、あらま、と令嬢たちが目を丸くする。
社交界の不文律ではあるが…基本的に夜会などの招待状は、どれでも最低でも一か月前までには招待先に送られ、最悪でも2週間前までに返事を届ける事が決まっている。
招待するホスト側も趣向を凝らさねばならない上に、招待する側への失礼があっては決してならない。
それだけの準備がかかるのだから、当然互いに前もって必要事項を共有しなければならない。
開催する会の名目。
主賓がどの家か。
どれだけの家が参加するか。
当日のタイムスケジュール。
舞踏会ならば何曲を予定しているか。
食事会ならば参加する家で祝い事や訃報などがなかったか、それらによる食事や飾りなどの配慮。
そして招待される側も勿論、それに向けての準備を進めなければならない。
令嬢であれば新しい衣装、装飾品。
何より、独身令嬢にとって目下の問題はエスコートの相手だ。
当日同伴する為、事前に互いで示し合わせなければならない。
帝国では一応、夜会には同伴を伴うのがマナーである。
今回の交流会の通達も勿論、一か月以上前もって通達されている。
その際に夜会があることをプーシュカに告げなかったのはラザレフだ。
「あら…では…いつも通り…オルラン伯が参加するのかしら」
シェルシェンの眉が若干顰めるものの、それよりも周囲の令嬢たちが笑顔をひきつらせている。
各公爵家令嬢にまで、キーロフの嫌われぶりは徹底しているらしい。
そこまでいくと最早感心しかない、とプーシュカも目を丸くする。
そして当然、キーロフからも何の連絡はない。
キーロフ自身から何の音沙汰も聞こえてこないのは不気味でしかないが、それでも来ていないのだ。
「いいえ…公爵様からは何も伺っておりませんし、オルラン伯からの連絡もございません」
「あら…では、エスコートの相手はどうするの?プーシュカ、貴女はご親族や御兄弟は…?」
「弟が一人おりますが、まだ6つになったばかりで…」
プーシュカの言葉に軽く令嬢たちがどよめく。
彼女たちの反応を察したプーシュカが、ふわりと笑顔を浮かべた。
「母にそっくりで。白金のふんわりした髪と真ん丸な青い目がとても可愛らしいんですよ」
その言葉に、安堵する声がちらほらと漏れた。
それらについてはプーシュカも特別何か思う事はない。
ただ一人、シェルシェンだけがやや顔を曇らせる。
「…。…そう、6つではね。…では、私の従姉弟にエスコートさせましょう。良いかしら?」
プーシュカがシェルシェン様の従姉弟かぁ…と呆けている横で、令嬢の一人…フローラが声を上げる。
「まあ!もしかして…”妖精伯”ですか!?」
見れば、令嬢達も一斉におお…と何やら…プーシュカの弟の件よりもざわついている。
シェルシェンが朗らかに微笑んだ。
「ええ。彼ならば宮廷勤めですから夜会の招待を受け取っているでしょうし、今度も相変わらず一人でしょうから。私から打診すれば、問題はないと思うから大丈夫。為人は保証するわ」
プーシュカに優しく言い聞かせるように微笑むと、誰かのぼそりとした、「いいなぁ…」と声があがる。
「あの…、不勉強で申し訳ありません、その、妖精伯…?を存じ上げないのですが…」
社交界に全く出てこないプーシュカだ。当然、知る由もないだろうと周囲の令嬢が頷き、誰彼ともなく口を開く。
「クロウン・レトヴィザン伯…ロスティスラブ公の弟君、レトヴィザン侯のご令息です。ロスティスラブ家のご血縁であられますから、それはもう…ニコライ様やロジオンにも負けず劣らずお美しい方で」
「はぁ…」
「あの方もあまり社交界にお出にならないのですけれど…あの方がいらっしゃるのなら更に煌びやかになりますわね。しかも、今回はニコライ殿下主催。殿下とロジオンも参加されるでしょうし、まるで奇跡ですわ!」
基本的に、貴族というものは長い血脈の中で大抵見目良い相手が迎えられ…当然ながらその流れを続ければ見目の良い同士が結ばれていく。
それぞれの方向性はあるにしろ…特に高貴な血筋に関して言えば、顔面水準は非常に高い。
実際、今回参加している公爵令嬢達も…シェルシェンは別格にしても、やはり見目は良い。
その彼女たちをして『美しい』と称される男がいるのだという。
「ですが、プーシュカとレトヴィザン様が並んでる姿は圧倒されそうですわね。見てみたいやら、恐ろしいやら…」
「更にシェルシェン様とニコライ様…それからロジオンも並ばれるでしょう?眩しさに目が潰れてしまいそうね。蝋燭の本数を減らしてもらった方が良いのではないかしら」
「私、遮光グラスを用意しておこうかしら。あと、立ちくらみ用に気付け薬」
きゃあきゃあと楽しそうに…銀の髪と目を忌避しない…少なくともそう振舞ってくれている令嬢達の言葉に、プーシュカは苦笑する。
「まぁ…私はこの髪と顔を隠しますので、そのレトヴィザン様にご迷惑は掛からないと思います」
「えっ?…隠してしまうの?以前みたいに?」
シェルシェンが首を傾げる。
「ここでは取っているのに、どうして?」
「今回、交流会の参加に当たっては髪と目を隠さぬようオルラン公から言いつけられましたが…社交界では隠せという命令が撤回されておりません。今回の件も、初耳ですから…」
「夜会は交流会の一環ですから、オルラン公も言わなかったのじゃない?」
シェルシェンが周囲を見渡す。
令嬢達もとくに異論はないようだった。
彼女たちがプーシュカと出会って一週間となる程度ではあるが、既に令嬢達の間でプーシュカの容姿を気にする者はいない。
何かあれば、彼女たちもプーシュカをフォローしてくれるだろう。
今後トイカロットとして招くシェルシェンにとっても、プーシュカを”銀色の魔女”ではなく”親しい友人”として、きちんと周知させておきたい狙いがあるのだろう。
プーシュカが…オルラン伯キーロフの手から逃れ、社交界に溶け込めるように。
「…そう、ですね。…わかりました。では、今回は…その、このままで…参加いたします」
緊張気味に告げるプーシュカに対し、シェルシェンが微笑む。
令嬢達も強かながら、優しげな笑みを浮かべて頷いた。
「安心して、プーシュカ。私たちが傍にいますからね」
「公爵家の令嬢である私たちがいるんですもの、これ以上に心強い事はないんじゃないかしら?」
「まあ、私たちもその内貴女のその髪と目を利用させて頂くかもしれないけれど」
プーシュカは思わず目を潤ませながら…、それを悟られない様に頭を下げた。
「皆様…、本当に、ありがとうございます」
講習会が終わり、帝城を出るために歩くプーシュカを送迎する名目でシェルシェンがついてくる。
当然、シェルシェンの方が先に歩くことになるので立ち位置は完全に逆なのだが。
「早速クロウンに話を通しておくわね。あと4日しかないけれど、元々彼も参加することになっている筈ですし、問題はないわ」
”打診する”ではなく、”話を通す”と告げるあたり、流石は公爵令嬢というところだろう。
意外と強引に物を進める人なんだな、とシェルシェンについて考察しながらプーシュカが頷く。
「ありがとうございます。…御手を煩わせてしまって…」
「今後も貴女は私のトイカロットとして社交の場に出るのだから当然よ。貴女に恥をかかせるようなことがあったら、私の方がみっともないもの。彼にとっても不利益な話ではないし、気にする必要はないわ」
朗らかに笑うシェルシェンに、プーシュカはそれ以上何も言わずについていく。
「でも…本当に、オルラン伯は参加しないのよね?ごめんなさい、貴女を疑う訳ではないのだけれど」
「はい…いえ、解りません。オルラン公は夜会の事も恐らく承知していたと思いますが、私には何も仰らなかったので。キーロフ…オルラン伯も領地におりますが…」
自分ですらキーロフの行動を把握することは難しい…と正直に伝えると、シェルシェンの苦笑いが聞こえる。
「だとしても、何の音沙汰もないのでしょう?恐らくオルラン公からの招待状の返事も、殿下にはお出ししていない筈だから、貴女だけが参加する形とみていいでしょうね。それにしても、オルラン公も随分意地悪な事をなさるわね?」
「オルラン公は思慮深いお方です。私に、自分でどう切り抜けるか判断したいのだと思われます。勿論、今回はシェルシェン様と皆様のお力添えがあったからこそという事は十分理解しているつもりです。私一人の力ではどうしようもありませんでしたから…」
「あら、そんな事はないわよ?言ったでしょう。私は貴女自身を見て、貴女の助けになろうと思ったのだもの。これは私の判断。だから…彼女たちには何も働きかけていないのよ?」
プーシュカが目を見開く。
「たった6日、されど6日。…この6日で全てが判断できるほどの仲ではないけれど、それでも貴女自身が…貴女のその…銀色の容姿を差し引いても…好ましいと思えたから。だからこそ、皆も貴女を認めた。それは貴女自身の功績よ」
シェルシェンの言葉に、プーシュカの心が、顔が、熱くなっていく。
「…私たちを動かせるなんて、やっぱり貴女は魔女なんじゃないかしら」
くすくすと笑うシェルシェンに、プーシュカは再び目尻が熱くなる。
「私、…その、こんなに…皆様に良くして頂けるとは思ってもいなくて…」
「でしょうね。わかるわ」
俯くプーシュカを、シェルシェンは振り返って眺めたりはしない。
ただ、踏み出す一歩は非常にゆるやかだ。
「貴女はずっと地面の中で…雪の下に埋もれていただけ。…埋められていた、と言った方が良いわね。でも、雪が融ければその水で芽が育つ。貴女は漸く、芽が出たと思えば良いわ」
彼女の言葉は正しく、太陽と呼ぶに相応しいのだろう。
シェルシェンの言葉に、プーシュカは何か…今までに感じた事のない、暖かい何かが広がっていった。
プーシュカが上邸宅に戻ると、屋敷がいつもより明るく…少しだけ空気が重い事に気が付く。
…また誰か来訪者だろうか、と馬車から降りつつ首を傾げる。
しかし、隣のオルラン上邸宅の方に目を向けても、館は主がいない…真っ暗な姿しか見せていない。
いつもならキーロフかユーリーのどちらか、もしくはその両方だった。
…その二人だけだった。
だが今のプーシュカには、その他に来訪者がいてもおかしくないのだ。
初めてできた同性の友人…アリーナだろうか。
だが、彼女ではないだろう。彼女であれば前日に通達が来る。
では、同盟関係にあるパーヴェル第一皇子だろうか。
ありえなくはないが、それにしては館の雰囲気が落ち着き過ぎている。
同様にニコライという可能性もなくはないが、却下する理由も同様だ。
―――だとすれば。
緊張気味に、けれど心を弾ませながら玄関口の扉が開かれるのを待つ。
玄関を真っ直ぐ進み、応接室へと歩いていく。
プーシュカは自身がみっともないように裾を直し、髪をなでつけ…その扉を開いた。
プーシュカの予想通り、そこに待っていたのは。
「ああ…プーシャ、戻ったか。ご苦労だったね」
のんびりとお茶を飲みながらパイプをふかし寛ぐ、オルラン公爵家現当主―――ラザレフだった。
「公爵閣下。お待たせ致しまして大変申し訳ございません」
プーシュカはその場で臣下の礼を取り、傅く。
「うん、いや、少しこちらに用事があってね。折角だ、可愛いプーシャの顔を見に寄ったのだ。…上邸宅には寄らずに帰るから、灯りがなくて混乱させてしまったろう?さ、顔をお上げ。座りなさい」
「失礼いたします」
一礼して、ソファに座る。
エフスターフィイ家の使用人が恭しく、プーシュカへのお茶を注ぐ。
やはり、かたかたと緊張しているようだった。
「お忙しい中のご来訪、プーシュカは嬉しく思います」
プーシュカが笑顔を浮かべると、ラザレフもうんうん、と相槌を打つ。
「どうだね、交流会の方は?友人はできたかな」
朗らかに、優しく微笑むラザレフに対し、プーシュカも頷く。
「はい。ロスティスラブ家ご令嬢のシェルシェン様が、交流会が終わったのち…私をトイカロットとしてお召しになりたいとお誘い下さいました」
ほう、とラザレフが満足げに笑う。
「ロスティスラブ…シソイの娘か。それは素晴らしい、随分と大物を仕留めたようだ…それで?」
「はい。他のご令嬢の方々からもご厚情を頂けております。…閣下、一つ宜しいでしょうか?」
「言ってみなさい」
プーシュカが頷いて口を開く。
「交流会の最終日、夜会が開かれるとの事ですが。私、本日その話を伺いまして」
「ああ、その件だが。そうそう――お前に伝えるのをうっかり忘れてしまってな。すまないことをしたね…それで、どうなったかな?」
「いいえ、閣下はご多忙ですもの。シェルシェン様の伝手を頼り、レトヴィザン伯爵様に同伴をお願いして頂く手筈となっております」
「レトヴィザン…ああ、成程。」
ふう…、と、パイプの煙を吸い、ゆっくりと吐いていく。
「うん、まあ悪くない選択だ。…ロスティスラブ令嬢から切り崩しにいくのだね?」
はい、とプーシュカは首肯し、口を開く。
「ニコライ殿下が交流会に参加されるのは最終日とその前日2日間のみ。実を言えば、シェルシェン様からのお申し出がなければ殿下の側近であるオスリャービャ伯に近づき、打診するつもりでしたが…」
「いや、それでいい。ロスティスラブ家の令嬢を早々に味方に付けられたのは非常に大きい。…ああ、そうだ、そのトイカロットの件だが――無論、許可する。いずれ誰かしらの推薦状がこちらに届くだろうが、そちらは私が対応するから安心しなさい。良くやったね、流石私のプーシャ。期待以上の成果だよ」
ゆっくりと立ち上がり、手を伸ばしてプーシュカの頭を撫でる。
ごつごつとした大きく分厚い皮膚の手は温かく、心地よい。
プーシュカは自然と顔が綻び、頬を染める。
「お前は本当に、息子共と違っていつも私の助けになってくれるな。…それに、ロスティスラブ家と親しい縁が繋がるのは非常にありがたい。だが、確かご令嬢が第二皇子の婚約者候補だったな?…ロスティスラブ家と諍いを起こすのはまずい。…お前は第二ではなく第一皇子に働きかけるつもりか?」
「左様でございます」
「ああ、流石はプーシュカ。私は何も言わなかったが…よく私の意図を汲み取ってくれたね」
うんうん、と満足げに綻んで頷くラザレフに、プーシュカは心から安堵する。
―――自分のとった選択は、間違っていなかったのだ。
「だが、解っているな?第一皇子は既に婚約者が確定している。それも、相手は他国の姫君で本人同士の関係も良好。…これを破棄させるとなると、国家が揺らぐ。確実に戦争の火種となるだろう。…それに対しプーシャ、お前はどう出る?」
ラザレフはやや心配そうに眉毛をさげながら、…その黒く鋭い視線をプーシュカに投げかける。
「…今現在で考えている事ではございますが」
プーシュカがゆっくりと思考を巡らせながら、口を開く。
「私が愛人として皇子に取り入り、姫君の方から破棄させる様に仕向ける事が得策かと」
「ふむ。」
「先だって、パーヴェル殿下とは…私がニコライ殿下に取り入った上でパーヴェル殿下を支援する旨をお
伝えしております。それについて殿下からも了承を頂いております」
その報告には、ラザレフが目を丸くして身を乗り出した。
「ほう!」
「パーヴェル殿下御自身から、こちらに挨拶と称し御来訪下さいまして…その際に。ですが、殿下御自身もキーロフと組んで何か一計を案じている様です」
「キーロフか…」
息子の名前が出た途端、ラザレフの眉間に険しい皺が寄る。
「成程、殿下と。…奴め、お前を帝都に向かわせたのが相当気に喰わんらしいな…少し前から領地を放って行方を眩ませておる」
キーロフが”行方を眩ませる”という事は一見普通ではあるのだが、それを父であり一応の主であるラザレフの耳に届く程、となるとそれは相当の事だ。
キーロフ自身、領地に籠りっぱなしという性分ではないが、だからといって無責任というわけでもない。
寧ろ、責任感は人一倍強い方だ。
手続きや形式的な書類などにも非常に拘り、誰の指摘も受けさせない程完璧に仕上げる。
彼の…教本と見紛うほど癖のなさすぎる筆跡も、元々は自身の書類に一切の落ち度がない事を証明させるため…”読み違え”等を発生させないがために修得した技術であることをプーシュカは知っている。
実務上ではその実績と信頼があるからこそ本人は…多少奔放に動いても黙認されていた。
だが、今回は。
キーロフがラザレフに対し、一切の連絡を寄越さずにいる。
最低限、『長期間領地から離れる』旨を書かれた書類の提出のみで、その内容も肝心なところ…離れる目的や期間等は…手続き上に抵触しない範囲でぼかされている。
何度となく家令や側近たちと皺を寄せあいながら確認しても、…嫌味のない程落ち度のない書類に大した理由もなく却下することはできなかった。
正式な手続きを踏まえて出奔した息子に対し、頭痛を走らせる。
「ユーリーから何か聞いてはおられないのですか?」
「それなんだが、お前がオルランを離れた後のすぐ…一週間程だったか。小隊を率いてラヴニーナ…パーヴェル殿下所有領に派遣している」
「パーヴェル殿下の?」
驚いたのはプーシュカだ。
オルランを発つ前には、ユーリー自身からオルラン領を離れるという話は一切聞かされていなかった。
「殿下直々に要請を受けてな。”冬の間に帝国正騎士隊の教導官を担当した際の評判を聞き、是非自領の兵たちにも短期間、指導をして欲しい”と…その内容自体に嘘はないだろう。…が、殿下とあの馬鹿が裏で何かしているというのなら、恐らく共謀してのことだろう」
ユーリーは基本的に、ラザレフの命に従って動く。
だが、だからと言ってユーリー自身がラザレフのみに”忠実”であるわけではない。
ラザレフの命令に抵触しない限りキーロフにも従順であり、更に言えば兄弟仲は良好だ。
役職やしがらみを抜きにしてラザレフとキーロフ、どちらへ付くかと言われれば間違いなくキーロフだろう。
…プーシュカに関わる事ならば、特に。
ラザレフは眉間に皺を寄せたまま、徐にパイプをゆっくりと吸い上げる。
今にして思えば、事前にキーロフから知らされていたのだろう。
殿下からの要請を承諾しユーリーに派遣の命令を与えた時…ユーリーは一切驚いた様子も、質問も一切なかった。
ラザレフがユーリーに命令を出せば、ユーリーの思惑や感情を一切無視して…全て情報を吐かせることはできる。
だが、本人がそこに居なければ問い質すこともできない。
無論…手紙を出しても良いが、ユーリー自身が発った後のキーロフの動向など『知らない』の一言で済むのだ。
パーヴェルに尋ねても無駄だろう。間違いなく、キーロフ出奔に一役噛んでいる。
―――更に言えば、パーヴェルによってユーリーの所在すら偽る事すら可能になってしまう。
小賢しい若造どもが…と、ラザレフは顎の髭を弄りながら渋い顔をし、煙を吐いていく。
「…と、言う事は今、キーロフとユーリーが何をしているか全くわからないという事ですか?」
「そうだ。幸い、解りやすい事に目的は間違いなくお前だろうという推測は立つ」
「私(わたくし)ですか」
プーシュカも内心、そうだろうな、という気はしている。
今も昔も、キーロフが自発的に何か動くとすれば、それは…過程はどうあれプーシュカのためだ。
それは彼が、キーロフ自身が望んだ…プーシュカの騎士であることから起因している。
過保護で、過干渉。
全てプーシュカのためと彼は言う。
それなのにどうして、彼は。
どうしていつも、私の”思うとおりにさせてくれないのだろう”。
そう、一度としてキーロフはプーシュカを…プーシュカの意思のままに動くことは許さなかった。
必ずキーロフがお膳立てした…彼の手で整備された道の上を歩いていた。
だが―――それらは全てラザレフの承知の上の元成り立っている話だ。
ラザレフがそうあれと命じたからこそ、プーシュカはキーロフの傍にいた。
勿論、情はある。
何よりも大切なラザレフとディア―ナの息子であり、共に同じ主を仰ぐ存在。
そしていつか主に…そして臣下となる存在。
…場合によっては、自身の子の父親となるかもしれない存在。
(キーロフの、馬鹿)
しかし、今回はキーロフは自ら、ラザレフの手を離れた。
それはつまり…プーシュカがキーロフを庇う事はできないということだ。
場合によっては、敵となるかもしれない。
そういうことだ。
「夜会にはプーシュカ、お前をオルラン家の名代として出席にしてある。…奴の事だ、殿下から事情を聞いて夜会に乱入するやもしれん。十分に気を付けろ」
それはありそうだ、と、プーシュカも納得する。
ラザレフはゆっくりパイプの中の煙草を灰皿に捨て、立ち上がる。
「プーシュカ、何度も言うが…お前は私や我が父、祖父…オルラン家全ての希望であり、エフスターフィイ家の希望だ。イオアン様とは違う…お前にしかできない、お前と…そしてキーロフ、ユーリー三人の幸せの為でもある」
「承知しております、公爵閣下」
プーシュカが笑顔を浮かべる。
そんなプーシュカに、慈しんだ表情を浮かべてまた頭を撫でる。
「息子共は当てにできん。…お前に尽くすよう育てたつもりだったが、すまないな」
「いいえ、キーロフもユーリーも、閣下が正しいのだといずれは理解してくれます。彼等はとても頼もしいですから」
「そう言ってくれると安心するよ。…もう小父様とは呼んでくれないのかね?」
そう微笑みかけるラザレフに、プーシュカは嬉しそうに頷く。
「ええ、いいえ、小父様。ディア―ナ様にも、プーシュカは上手くやっているとお伝えくださいませ」
「勿論だとも。お前がいかに私たちの為に尽力してくれているか、私とディア―ナが一番理解している。お前を一番に考えているよ。…お前の顔が見れて安心した。ではな、プーシュカ。体を大切にしなさい」
「ありがとうございます、小父様」
夜の帳が落ちながら、エフスターフィイ家上邸宅からオルラン公爵家の馬車がゆっくりと出ていく。
それらは帝都の民にとって、決して珍しいものではない。
誰もがその馬車の事を忘れ…そして夜の闇に消えていった。
プーシュカは一人、行方知れずとなったキーロフの安否を気遣った。
生存の意味ではない。
お願いだから、馬鹿な事はしないで、…私の邪魔をしないで。
その祈りもまた、同じように夜の闇に消えていった。
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