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act34.魔女の腹心
しおりを挟む交流会9日目。
最終日を明日に控えたその日は、ニコライ第二皇子が座学から一緒に参加する。
とはいえ折角殿下が参加するのだからと、座学はそれまでの教師が生徒に対する講義形式ではなく…令嬢達と殿下とで議論形式にて行われることになった。
議題は”帝国内での現状について”。
当然、『この場だけの議論』であり、議論内での発言に政治的意味は含まれない。
内政には関与できない令嬢達の立場からみた帝国内の疑問や問題点を挙げていき、ニコライが答えられる範囲で解答し、そして改善案を挙げていく…いわゆる『ごっこ遊び』というものだ。
だが。
「昨年秋ごろの隣国との紛争…帝国に直接の被害はございませんでしたが、やはり麦や塩といった食糧、医療物資、布や油などの価格高騰は…大分落ち着いてきたものの、未だに下がりませんわね」
「こちらの方では暖冬による獣害も大くて。それに、物資提供による村々の備蓄が少なかった事が重なって、経済的被害は大きかったと聞き及んでおりますわ。逆に毛皮などは安くなってしまって…安く手に入るのは良い事ですけれど、民の暮らしは厳しいようです」
「獣害…ああ…そういえば例の毒ウサギ混入事件。確か、オルラン伯が発見されたのでしたっけ、プーシュカ?」
「はい。オルラン公爵主導にて帝国中央軍部と連携し、一斉捜査を行ったと伺っております。当時の帝国軍発布の流通規制に関する詳細は、帝国軍内務書記官であるグロース伯が資料をまとめておりましたが…すみません、詳細までは…」
「それなら私の父も拝見したわ。当ロスティスラブ家でも例の資料は非常に役立たせて頂いたもの、後できちんとお礼を言わないとね。流通に関しての問題点と言えば、当家からも挙げさせて頂くわね。厳戒態勢が解除されたことで今まで滞っていた流通が一気に広がりましたけれど、一方で戦時被害による特別減税を悪用している者も目立ってきました。取締り強化をしたいところなのですが、先の…ポルタヴァ邸事件で内政官がね…。新任の方も兼任が多くて、引継ぎも未だに連携が取れていなくて。申請許可などの業務が大幅に遅れているのよね」
「そうですね。新しい商売を始めるにしても地方ならともかく、帝都に出入りする商会組合の方々からは苦情も出始めておりますし…組合が力を持ちすぎたら周辺貴族たちも黙ってはいませんわ」
「とはいえ、いつまでも戦後処理に追われているわけには参りませんでしょう?秋冬に向けて川などの整備修繕なども行わないと、今年は物資不足で死者も例年に比べて多くなる見込みですわ。私共の方では春の大雨で川が氾濫してしまって、建築資材が不足しておりますの。どなたか融通できる伝手をお持ちでないかしら」
「それなら私の方で力になれるかもしれないわ。ああ、でも代わりに鉄などは価格高騰の煽りで資金繰りが厳しくて、少し助けて頂けると嬉しいのだけど…」
「鉄は真っ先に戦争のために使われてしまいますものね。私の方でも鉄の価格が跳ね上がっておりますわ。戦争なんて止めてしまえばいいのに」
「隣国との紛争など、勝ったとしても得るものは殆どございませんものね。賠償金が支払われても少額、更に物資そのものが存在しなければ意味がありませんし。整備修繕は尤もですが、税の引き上げは今はまだ早いかと。備蓄が少ない状態で巻き上げても、民が苦しむだけですし…」
と、令嬢たちは厳しい顔で議論を交わしていく。
圧倒されたのは、ニコライと傍に控えるロジオン、それから教師たち…所謂男性陣だ。
政治には関わらない…お花畑の住人だと思っていた令嬢たちが、どんどん自領の現状や政策について挙げて行き、その他の令嬢たちがそれに付随し、議論を躱していく。
特に冷や汗をかいているのは、矢継ぎ早に交わされる議論をまとめるべく読んだ内務書記官の青年だった。
「殿下。以上の事、皇帝陛下はどのようにお考えですか?」
令嬢たちがニコライを見つめると、ニコライはその剣幕に軽くたじろぎつつ…けれどもしっかりと笑顔を浮かべ議論に参加した。
所詮は『ごっこ遊び』で括られる範囲でしかないものだったが、とはいえ、令嬢たちの議論には目を見張るものもあった。
白熱したそれは昼食の時間もほとんど切り上げ、…尤も、ニコライの前で今までの様にコルセットを外して食事を堪能するなどという事は出来ないため当然量も少なくて済んだが…結局午後も殆ど討論に時間を使い果たした。
公爵令嬢が政治にばかり関心が向くのは決して褒められたものではないにしろ…それでも彼女たちの向学意欲と知性は決して悪いものではない。
有り体に言ってしまえば、男性と同じ土俵に上がって口出しし過ぎるのは良くないが、かといって…まるきりの馬鹿でも困る。
特に、公爵令嬢達は他国からすれば一国の姫としての扱いとさほど変わらない。
そうすると、公務としての責務は必須となる。
8日間の座学の間は非常に大人しく…そしてどこか気もそぞろで、言ってしまえば『不真面目』な態度の令嬢が多かった。
だが…彼女たちは議論と言う形で。
正しく『公爵令嬢』たる資質をニコライ達に…これでもかという程見せつけていた。
その結果に、ニコライは大いに満足そうに笑顔を浮かべた。
「今回、議題をまとめた物は皇帝陛下に成果として提出させて頂く。貴女方一人一人が帝国をどれだけ深く愛し、また帝国の為に尽くしてくれているか、よく理解した。貴女たちのおかげで、短期交流会は…非常に有益なものだと判断できた。陛下もお喜びになることだろう。10日間の間で皆が得たもの、新たに築き上げたもの…そういったものに今一度思いを馳せ、糧にしてほしい。帝国一丸となってより豊かな未来を切り開くために、貴女たちの力が必ず必要になる。明日…最終日だが、事前に通達したとおり帝城で簡単な夜会を開くことになっている。別室を借りている令嬢たちは特に、地方へ帰る為の準備等も色々忙しくなるだろう。その為午前・午後は自由とするが、このサロンは貴女たち用に開放しておくので好きに使ってくれて構わない…良ければ、皆で集まって存分にお喋りを楽しんでくれると幸いだ。夜会が終了すると同時に城門を開放し警備も通常業務に戻る。それで解散とさせて頂く…質問がなければ、本日はこれで終わりにしたいが如何かな?」
ニコライの演説に、令嬢たちは笑顔を浮かべ…肯定の代わりに拍手をして応えた。
ちらほらとサロンを出ていく令嬢達を見送る中、ニコライがシェルシェンとプーシュカを呼び止める。
「すまないが、二人とも少しだけ時間をくれないか」
シェルシェンが頷いた後、プーシュカへ顔を向ける。
厳戒態勢により…早めに城門が閉じてしまう事を気にしていた。
「ああ、大丈夫。そこまで時間はかからない…何なら、歩きながら話そうか。シェルシェンにはすまないが、城門まで同行してくれるか?」
察したニコライが、ふわりと笑顔を浮かべた。
それならばと了承したプーシュカを後ろに、シェルシェンとニコライが並んで歩き始める。
「明日の夜会の事なんだが、聞いたよ。プーシュカはクロウンと出るそうだな」
夜会はニコライ主催であるため、当然ながらその通達はニコライに行く。
「オルラン伯が参加されるという返事がなかったから、少し気にはしていたんだ。…シェルシェン、ありがとう」
ニコライの笑顔に、シェルシェンは軽く頬を染めて頷く。
「いえ…、プーシュカは私の大切な友人ですから」
「君たちが仲良くなってくれたのもとても嬉しいよ。そこで相談なんだが…プーシュカ、2曲目からは私と踊ってくれないか?」
シェルシェンとプーシュカ、双方からえっ?という声があがる。
帝国の舞踏会では、初めの1曲は必ず同伴相手と踊る…というのは当然にしろ、2曲目には『恋人ないし親族もしくは極めて親しい友人と踊る』というマナーがある。
勿論ずっと同じ相手と踊り続ける…というのもマナー違反ではあるが、最後の一曲は必ずしも同伴相手とは限らなくても良いことになっている。
曲によっては全員で手を繋ぎ輪を作る踊りがあり、それを好んで最後に入れる主催者も多いからだ。
勿論、ワルツの様に二人で組む場合、同伴相手の許可がいるが…ラストダンスに同伴相手を選ぶのは、帝国では大抵…夫婦か恋人のみでありそこまで重要には考えられていない。
問題なのは、2曲目だ。
基本的には同伴相手と踊るものだが、2曲目は『我々は非常に親しい間柄です』と周囲に示すものである。同伴相手と続けることが多いのも、お互いが『数合わせではなく本当に仲が良いのですよ』という言い訳にも使われる。
その2曲目にニコライは、プーシュカを指名したのだ。
当然、二人は困惑する。…特に、シェルシェンが。
思わずシェルシェンは、その場に立ち止まってしまった。
「あ、あの、…ですが、2曲目は…」
言いよどむシェルシェンに、ニコライはやや残念そうな笑顔を浮かべる。
「…君の言いたいことは解っている。勿論、本来なら君と踊るだろう。…だが、考えてほしい。君が社交界の場にプーシュカを友人として紹介するとなると、殆どの者が君を…そしてプーシュカを、あらぬ方向へと疑いだすだろう。銀色の魔女がシェルシェンを唆し…取り入った。シェルシェンが、銀色の魔女に誑かされた。そういった噂が既に宮中でも広がりつつある」
「そんなもの、…口さがない者達のでたらめです!」
シェルシェンの抗議に、ニコライは真面目な顔をして首を横に振る。
「だが、下位貴族達に不信を…不満を持たせる口実になる事には変わりない。だからこそ、本来君と踊るはずの2曲目を…あえてプーシュカと踊る事で…私とシェルシェンが、プーシュカの立場を保証してやる。シェルシェン、君がプーシュカに2曲目を譲ったとなれば…君の意思で彼女と親しくしているのだと明確にできる。…違うか?」
その言葉には、納得のいく説得力があったのだろう。
シェルシェンが顔を曇らせながらも、反論はしない。
「解ってくれ。…これは君たちの名誉を守るために私が出来る事なのだ…君も同意してくれるね、プーシュカ?」
ちらりと…笑顔を浮かべるニコライに、プーシュカは淑やかに頭を下げる。
「殿下には過分なご厚情を頂きましたこと、ましてお誘いまで頂けるなんて、余りある光栄にございます」
うんうん、と満足げにニコライが頷いた。
「勿論、君たちの事は私が…」
「…ですが、お受けできません」
遮り出された言葉は、否定だった。
「は?」
一瞬聞き取れなかったのか、想定外だっただろうその言葉に今度はニコライが目を丸くする。
「え、な、何故だ…?」
向き直り、プーシュカは真顔のまま…やや冷ややかな視線で、ニコライを見た。
「ご無礼を承知で申し上げます。殿下のご厚情は理解しております…ですが、私がどのような形を取ろうと…どのように動こうと、口さがない者は私を非難するでしょう。そういった方は、初めから私を色眼鏡で見ておりますから。…仮に私が殿下と踊らせて頂いたとしても、今度は私が殿下を誑かしたのだとお思いになります。シェルシェン様だけでなく、殿下ともなれば更にその噂は激化するでしょう」
その言葉に、ニコライがぐ、と言葉を飲み込む。
「それに、本来シェルシェン様と踊るべき2曲目を…私が奪ったとなれば、貴族の方々だけでなく騎士隊や公爵家の方々もあらぬ疑いを持たせてしまいます。私への多大なるご配慮、痛み入ります。ですが、公の場で認められたいのならば、寧ろ礼儀はきちんと守るべきかと。…とにかく、シェルシェン様や他の公爵令嬢様方を差し置いて私が殿下と踊るなどという恥知らずな真似はできません」
「プーシュカ!」
恥知らずな真似…つまり、それは持ちかけたニコライこそが恥知らずだと言外に告げる。
驚いたシェルシェンが思わず声を上げた。
「殿下にそのような口の利き方!」
シェルシェンに叱咤され、プーシュカは二人の前で丁寧に頭を下げる。
「申し訳ございません、殿下…言葉が過ぎました。非礼をお詫びいたします」
「ああ…いや…その」
呆気にとられたニコライが、言いにくそうに口をもごもごとさせる。
「私の方こそ…配慮が足りなかった。済まない、二人とも」
「いいえ、殿下は私たちのことを考えて下さったのですから!」
頭を下げそうになるニコライに、シェルシェンが制す。
「いや…良いんだ。少し…君の置かれた立場を軽く考え過ぎていたようだ。今回の話はなかったことにしてくれ。…ただ、3曲目以降なら、君は私と…その、新しい友人として…踊ってくれるだろうか?」
「皆様の後でしたら、喜んでお受けいたします。殿下」
臣下の礼を取るプーシュカに苦笑しつつ、ニコライは頷いた。
「ありがとう。…では私は話が終わったので戻るとしよう。明日を楽しみにしているよ、二人とも」
「「御機嫌よう、殿下」」
2人が臣下の礼を取り、去っていくニコライの背中を見送る。
姿が見えなくなって、漸く溜息を吐いたシェルシェンが…突然、がばりとプーシュカに抱きついた。
「!!!しぇ、シェルシェン様?!」
廊下の真ん中で、帝国の宝石が銀色の魔女に抱きつくという…あまりにも派手すぎる光景は、幸いにも…巡回の騎士すらもいなかった為誰にも見られていない。
「プーシュカ、ああ、プーシュカ!ごめんなさい!」
プーシュカに抱きつくシェルシェンの体は…微かに震えていた。
「シェルシェン様…落ち着いて下さい、お待ちを!」
ゆっくりとシェルシェンを引き離し、周囲が誰もいない事を確認してプーシュカが安堵する。
「あの、シェルシェン様…?」
見れば、シェルシェンは頬と鼻の頭を赤くしていた。
ふるふると震え、目が潤んでいる。
「私…私は最低だわ…、貴女は私に…、それなのに、私は…!」
感情が高ぶっているらしく、殆ど何を言いたいのかが分からない。
プーシュカは混乱しつつも大丈夫です、大丈夫です、と何度も繰り返しシェルシェンの背中を撫でながら声を掛け続けた。
シェルシェンが落ち着きを見せると、漸くぽつりぽつりと言葉を漏らし始めた。
「私、殿下が2曲目に貴女をお誘いになった時…貴女に嫉妬してしまったの。どうして?って、頭が真っ白になってしまった…殿下のお考えは、分かるのよ。でも、それなら3曲目以降だって構わないじゃない。なのに、どうして、って…」
そこまで言ってしまうと、堰を切ったようにシェルシェンは続ける。
「貴女が頭を下げた時、『ああ、お受けするんだ』って、とてもがっかりしたの。勝手よね。貴方が殿下を好いていない事は知っていても、やっぱりって…一瞬だけ貴女を疑ってしまったの」
俯いたまま、何度もごめんなさい、と繰り返す。
「貴女はそんな人ではないと頭では告げていても、どろどろとした気持ち悪さが拭えなかった。貴女が断ってくれなかったらきっと、貴女を信じ切れなかったと思うわ。そして、そんな自分が醜くてたまらないの!」
「シェルシェン様…、そんな、どうかそんなに自分を卑下なさらないで下さい」
「ごめんなさい、貴女を疑って。信じていると、友人だと言っておきながら…駄目ね、私、本当に殿下の事になると冷静でいられなくなる…」
涙を浮かべたその瞳は、年頃の少女らしい愛らしさに満ちている。
プーシュカはふ、と柔らかく微笑んだ。
「それが”恋”というものなのでしょう?シェルシェン様、どんなに強く結ばれた友情も、恋で簡単に解れてしまうといった話は昔からいくらでもあるものです。それだけシェルシェン様が、真に殿下をお慕いになられている証左ではございませんか」
「だからといって、真っ先に貴女を疑ってしまった事には変わりがないでしょう!」
埒が明かないと判断したプーシュカが、ふう、と溜息を吐いて笑う。
「…私には、シェルシェン様のお心の内まで考えが至りませんでした。あの時お断りしたのは、私の事情によるもの。もし、あの時殿下のお誘いに利があると判断すれば、お受けしていたと思います。…シェルシェン様の目の前におられたのに、気にせず」
「!」
「ですが、今しがたシェルシェン様の胸中を知り…自分が浅はかだったと気付きました。今はお断りして良かったと、心から思っております。私はシェルシェン様が大切だと口にしておきながら、シェルシェン様のお気持ちを無下にしようとしておりました。…私をお責め頂けますか?」
その言葉に、シェルシェンは首を横にぶんぶんと振る。
「でしたら、またお相子ですね」
そうプーシュカが微笑み、シェルシェンの体から力が抜けていき…笑顔になっていく。
「プーシュカ…私、貴女の事がどんどん好きになっていくわ」
「お互い様です。それにシェルシェン様、私が出過ぎたときはきちんと叱って下さったでしょう。…私を庇う為に」
あの時シェルシェンが叱咤しなければ。
プーシュカの物言いは例え正しい事であったとしても…侮辱だと、不敬だと言われ、処罰は免れなかったかもしれない。
それをいち早くシェルシェンが自ら叱咤することで止めたのだ。
「だって、まさかあそこまで貴女が言うなんて思わなかったのだもの…」
「申し訳ありません。…私も少し、腹が立ってしまって」
「貴女が?」
おおよそ極端な感情の波が見受けられないプーシュカが…腹を立てたと知って、シェルシェンは驚きのあまり目をぱちぱちとさせる。
「殿下のあれは…あまりに殿下主体でのお考えでしたから。それに今思ってもシェルシェン様まで蔑ろにするなんて、私たちのどちらに対しても…殿下のなさりようは、あまりに失礼すぎるのではないかと」
「そう…そうね」
ふくっ、くすす、と、シェルシェンの口から息が漏れる。
「殿下は本当に私達を心配して下さってのお誘いだったのでしょうけれど。…確かに、そうよね」
なんとかぎりぎり、閉門までに城門へ辿り付き。
待機していた傍付きと共に馬車に乗るプーシュカの姿を見送った後、シェルシェンは廊下を歩いていく。
足取りはとても軽かった。
(もし…明日の夜会がうまくいって。そして本当に私のトイカロットとして領地に来てくれるなら…)
シェルシェンは歩きながら、優美に微笑む。
すれ違う兵士たちや役人たちが、…彼女のそのあまりに輝かしい姿に誰もが見惚れ…目を奪われる。
(きっと毎日がとても楽しくなるわ。私がいる限り、二度とあの子を魔女だなんて呼ばせない!)
「くそっ、忌々しいあの魔女め!」
ガンッ、と、鈍い金属音と共に…空になった真鍮のゴブレットが絨毯の上に転がる。
「私に恥を欠かせやがって、あの女、あの女の言い回しはなんだ!俺を恥知らずだと?嫌味さ加減といい、あの黒蛇そっくりじゃないか!」
新しいゴブレットに葡萄酒を注がせ、ニコライがまた一気に煽る。
「殿下、そろそろお控えになりませんと明日に障りが…」
控えていた従者の1人が床のゴブレットを拾い上げると、ニコライはああ?と、従者を睨みつけて黙らせる。
「ったく、シェルシェンめ、あの出しゃばり女。あれが止めなければ、無理やりにでも言いくるめられたものを。…そもそも、あの魔女にしたってこの私が誘ってやってるのに喜びもしない。下品な乳牛女の癖に、全く…」
ぶつぶつと、また葡萄酒を注がせる。
また一息に飲み干し、従者に顔を向けた。
「…ほんっとおおおに、あの黒蛇は参加しないのだよなあ?」
「オルラン公爵に問い合わせはいたしましたが、無回答のままです。既に回答期限を過ぎておりますので、例え後ほどお越しになられても夜会の参加はできません」
「ぜったいだなぁ!?」
「はい。いくら公爵家のご子息とはいえ、殿下主催の夜会です。特例は認められません」
従者の回答に満足したのか、うんうんと頷いたまま、べったりと机に張り付く。
「ふん。…まあいい。魔女も引きずり出したんだ、後はゆっくり口説いてモノにしてやる。シェルシェンも役立ってくれたしな…あいつが婚約者候補じゃなければ褒美に抱いてやれたのになぁ」
「…」
ニコライの暴言に、従者たちは内心”この場にロジオン様がいてくれればなぁ”と空を見つめてやり過ごす。
「…まあいい。今回の交流会は大成功だった。令嬢たちのおかげで俺の株も上がる」
「あの、殿下。あの交流会には何の意味が…?」
「なんだ、解ってなかったのか。今日の議論内容だ。見てみろ」
「はぁ」
書記官が記した令嬢たちの議論記録を確認すると、従者たちが目を丸くした。
「これ、各公爵領の窮状と…今後の展望案ですか?」
「ご令嬢たちはどうやら『自分たちがいかに頭が良く、有能であるか』を見せびらかしたいらしい。それまで幼い頃から散々続けてきた座学でさぞや退屈だっただろう。…いやあ、おかげで随分と白熱した」
クックッ、とニコライが楽しそうな笑みを浮かべる。
「ああいう…多少学があって自分を賢いと思っている女たちってのは大抵思い上がりの出しゃばりばかりだからな。そういう奴は自分をより有能に見せようと…べらべらと必要以上の事をよく喋ってくれる。まあ、多少盛ってはいるだろうが嘘を吐くことはないだろう。何故なら、これは皇帝陛下に訴状として提出される前提だからだ」
貴族令嬢は、令嬢と言うだけでどんなに優秀でも…男性と同等に内政へ深く関わることはできない。
自身が嫁いだ先の家―――屋敷の中だけでなら、彼女たちは一国の主となる。
彼女たちが行える政治は、いかに家を守り、存続させるか。
家を繁栄させるべく外で奮闘する夫への助力、社交界でのしきたりや客へのもてなし、抱える家令や使用人たちへの差配など…そういった”人間関係を円滑にさせるための”教養を身に着ける為に、より高位の貴族の元へ短期間奉公を務める必要がある。
勿論、彼女等とてある程度の学問や社会情勢は知っておかねばならない。
だが…より専門的な、高等な学問や男同様に…家ではなく外の政治にばかり関心を向ける令嬢などは”頭でっかち”としてかえって評判が悪くなる。
その為、まともな帝国貴族令嬢ならば決して政治へと関心を向けたりはしないのだが…公爵令嬢はやや事情が違う。
公爵令嬢たちはシェルシェンに限らず…いずれ王配として嫁ぐために、帝王学を学んでいる事が多い。
帝国ではなく、他国の王家へとの縁談もあり…そこで王妃となれば、待ち受けるのは王母としての地位。
その為には当然、政治知識は必要となる。
それに各地を治める公爵家の人間としての責任と矜持もあるのだろう。
彼女たちにとって…自身が知識としては学んでいても、実際に携わることが許されなかった国内政治について…公に語り合える今回の場は、渡りに船だったのだろう。
唯一…自領について何一つ言及せず、明言を避けていたのがプーシュカただ一人だけだった事は気になるが、彼女は所詮、オルラン公爵家の臣下…エフスターフィイ侯爵家の令嬢である。
プーシュカは座学の成績こそ他公爵家を圧倒する程高く、公爵家のトイカロットを務めあげるだけの知識と教養はあったのだが、反面…最後の政治議論では非常に口数が少なく…彼女自身の私的な意見を述べる事がなかった。
いかに彼女がオルラン公爵夫人のトイカロットだったとしても、流石にオルラン領の内実まで知らされていない方が可能性として高い。
もしプーシュカが不可侵であるオルラン領の内情を知っていれば…この記録は値万金にも匹敵したのだが、それを望むのは流石に強欲が過ぎるだろう。
そうニコライは納得しつつ、舌に残った葡萄酒の味を堪能する。
「だがこれを先に陛下ではなく…然るべきところにもっていけば、どうだ?公爵家にも…あわよくば商人、地方貴族たちの弱みも握れ、なおかつ恩も売れる!陛下の私への評価も確実に上がる!…義兄上がどれだけ帝城内で自分の駒を集めても、俺は新興の地方貴族どもを掌握し、勢力を盛り返せる寸法だ!」
はぁー成程!と、従者たちが感心する。
「勿論、これをこのまま父上に出すわけにはいかない。『読みやすく清書』した上で献上するがな。私の為に令嬢たちは本当によくやってくれたのだから、明日は大いにサービスしないといけないな!」
高笑いするニコライに、従者たちは改めて尊敬の念を込めて頷いた。
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