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1巻

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   プロローグ 彼女は秘密にしたい


「――昔々、導師どうし様は男の子と女の子を創りました」

 図書館の一角にある絵本の読み聞かせスペースには、幼い子どもたちが十人ほど集まっている。興味深そうに耳を傾ける子どもたちを前に、図書館の新人職員がたどたどしく絵本のページをめくる。
 その様子を見て、エーコ・アルスベクは、懐かしさを覚えた。去年自分も同じように、緊張しながら読み聞かせしていたことを思い出す。
 エーコが勤めている図書館では、月に一度、お話会と称して子どもたちを集め、絵本の読み聞かせをしている。
 今月のお話は、創世の物語。導師様によってこの世界が創られた日を祝う、創世祭そうせいさいが近いからだ。
 この物語は、誰もが知っている。当然子どもたちも、家で同じ話を聞いたことがあるだろう。
 そこで図書館では、子どもたちを飽きさせないため、普通の家庭にはない大きな絵本を使うことにしていた。
 新人の女性職員が、ややこわばった声で読み聞かせを続けた。

「導師様は、男の子に魔法の力を与えました。そしておっしゃったのです。『なんじは男。この力をもって女を守る生き物である』と。こうして男の子は、魔法が使えるようになりました」

 開かれたページには、男の子の手からキラキラと魔法が飛び出すシーンが描かれている。そのとき、一人の女の子が口を開いた。

「ねぇ、女の子に魔法は使えないの?」

 無邪気な問いに、エーコはひとり苦笑いをする。新人職員は、絵本をめくる手を止めて答えた。

「女の子に魔法は使えないのよ。導師様は男の子にしか魔法の力を与えなかったんだもの」

 ドキン、とエーコの心臓が跳ねた。その動揺を表すかのように、茶色の長い髪が、さらりと肩をすべる。
 魔法を使えるのは男だけ。それは、この世界ではあたり前のこと。だけど、エーコにとっては厄介な事実でもあった。

「えー、女の子だって使えてもいいよね?」
「そうねぇ……私も小さい頃はそう思っていたけれど、魔法が使える女の子なんて聞いたことがないわ。導師様から力をもらってもいないのに、そんな子がいたらおかしいでしょう?」
「ちぇっ。私も魔法、使いたかったなあ」

 女の子は残念そうに言う。その隣で、男の子がバッと手を挙げた。

「僕は使えるよ!」
「ほんと? 何ができるの?」

 女の子が興味津々きょうみしんしんという感じで目を輝かせる。

「お湯が沸かせるよ!」

 得意げに胸を張る男の子に、女の子は拍子抜けしたように笑った。

「なんだ。そんなの、うちのママだってキッチンで沸かしているわよ」

 女の子の言葉はもっともだが、男の子は少し不機嫌そうだ。
 科学がそれなりに発達している現在、魔法に頼らなくても日常生活は十分送れる。魔法を使えると便利だが、使えなくて困ることはほとんどない。

「お空でも飛べるならすごいけど、できないんでしょ?」
「それは……」

 女の子に問われて、男の子は口ごもる。
 空を飛ぶなんて、よほど魔力が強くないとできないことだ。それに、魔法には火・水・土・風の四つの属性があるが、一人の人間が使えるのは、そのうちのどれか一つだけだ。たとえ魔力が強くても、属性によって得手不得手えてふえてがある。

「頼りなーい!」

 容赦なく追い打ちをかける女の子に、男の子は悔しそうに両手を握りしめる。
 そんな二人のやりとりを、新人職員はハラハラした様子で見守っていた。

「そんなことないもん!」

 男の子がそう叫んだ。よほど悔しかったのだろう。両手を胸の前でぐるぐると振り回し、魔力をり始めた。
 これにはエーコも新人職員もギョッとする。
 魔法を使う際には、『かた』という特別な手の動きで魔力をる必要がある。男の子たちはみんな、六歳になると魔法学校に入って『かた』について学ぶ。そこで初めて魔法を使えるようになるのだが、魔力の強い子どもは、デタラメに手を振り回すだけで魔法を発動させてしまうことがあった。

「待って待って! 図書館の中で魔法を使っては駄目よ!」

 エーコが止めに入るが、男の子は必死に両手をぐるぐると動かし続けている。
 やがて男の子の手の中に、ポウッと小さな赤い炎がともった。

(火魔法か――!)

 火属性の魔法は、何かを燃やしたり、熱したりすることにけている便利な魔法なのだが、ここで発動するのは非常にまずい。ここは図書館であり、火がつけば燃えてしまう本だらけだ。

「駄目だよ、使っちゃ!」

 そう言って男の子の両手を押さえつけようとしたが、遅かった。
 ボッと火の玉が現れ、新人職員のほうに飛んでいく。

「きゃっ!」

 彼女は慌てて絵本を放り出し、その場から逃げる。火の玉は絵本に当たり、一瞬にしてそれを燃え上がらせた。
 床の上でパチパチと火のを散らす絵本に、子どもたちが悲鳴を上げる。

「きゃー!」
「燃えちゃったよぉー!」

 エーコは素早く動き、慌てる子どもたちに避難をうながした。

「みんな、ここから離れてください!」

 近くに保護者がいた子どもたちは、すぐにそちらへ駆けていく。けれどそうでない子どもたちは、どこに逃げればいいのかわからず右往左往うおうさおうしている。
 魔法を使ってしまった男の子は、呆然とその場に立ち尽くしていた。

「早く残りの子どもたちを避難させて! それから消火器も持ってきて!」

 エーコは男の子に寄り添いながら、新人職員に指示を出す。彼女が残っている子どもたちを連れ、慌てて読み聞かせスペースから出ていくと、そこには男の子とエーコだけが残った。
 幸い、火は絵本以外に燃え移る気配がなく、徐々に小さくなっている。だが、ここから離れるに越したことはない。

「さあ、君も……!」

 男の子の肩を抱いてうながすが、彼は青ざめたまま動かない。

「ぼ、僕……わざとじゃ……」
「うん、わかってる。大丈夫だよ」

 エーコは落ち着かせるように優しく言う。ところが、次の瞬間――

「何をやってるの!」

 男の子の母親らしき女性の金切り声が響いた。こちらに向かってくる彼女の顔はけわしい。
 男の子はビクリと震え、それから自分の両手をじっと見つめた。

「僕……僕……」

 混乱している男の子の肩に手を添えて、エーコはそっと外へ誘導しようとする。

「大丈夫だからね」

 しかしエーコの言葉は、男の子にはなんのなぐさめにもならなかったようだ。先ほどよりも大きな炎が男の子の手の中にボオッと現れた。
 男の子が意図して出したものではないことは、すっかり血の気を失ったその顔を見ればわかる。

「お、お姉ちゃん……消えないよぉ……!」

 男の子が泣きそうな声をあげた。

(まずい、暴走だ――!)

 暴走とは、魔力の強い子どもにときたま見られる現象だ。魔力をコントロールする方法を知らない子どもは、感情のたかぶりによって魔法が発動してしまうことがある。
 もし、男の子の魔力が暴走して本棚などに火がつけば、一気に燃え広がるだろう。図書館が火事になってしまう。

「その炎は何! 早く消しなさい!」

 ヒステリックに叫ぶ母親の声は、男の子をますます動揺させた。手の中の炎が複数に分かれ、男の子の周りを取り囲んでいく。

「落ち着いて! 大丈夫だから、落ち着いて!」

 エーコは必死に話しかけるが、男の子には聞こえていないようだ。とうとう大声をあげて泣き始めた。

「ごめんなさいいぃ、うえぇぇぇぇぇ……!」

 それに呼応するかのように、彼の周囲を取り囲んでいた火の玉が動き始め――

(ああ、もうっ!)

 エーコは男の子の肩から手を離し、胸の前で小さな球を持つようなかまえをとる。
 唯一幸運だったのは、周囲にいた人々がすでに避難していて、近くには男の子と彼の母親、そしてエーコしかいなかったことだろう。

(――女の子に魔法は使えないけれど……)

 エーコが泥団子をこねるように両手を動かすと、そこにきらきらと光る砂が集まってきた。ものの数秒で、砂の球ができあがる。

(いっけーーーーーー!!)

 心の中で強く念じながら足下に叩きつけると、それは床に吸い込まれていく。
 次の瞬間、バンッ、バンッ、バンッと何かを叩くような音がして、男の子とエーコを取り囲むように土壁が現れる。それは四方に飛び散ろうとしていた火の玉をすべて吸収した。ついで小さな砂のドームができて、エーコたちのすぐそばで燃えていた本を包み込んだ。
 魔法で作られた火が、一瞬にして消える。壁やドームは役目を終え、サラサラと崩れていった。
 しん、と図書館の中が静まり返る。

「なんだ? 誰が魔法を使ったんだ? 全員無事か?」

 消火の応援に来た男たちが、エーコのほうに視線を向けた。エーコは男の子を抱きしめながら苦笑する。

「大丈夫です! お騒がせしました!」

 男たちは火が消えているのを確認して、燃えた絵本の後始末に取りかかった。
 エーコはホッとして息をつく。しかし、魔力を暴走させた男の子は、エーコのそでをぐいぐいとひっぱり、目をまん丸にして問いかけてきた。

「おねーさん、さっきのは魔法?」

 そしてもう一人、男の子の母親も――

「早くこっちに来なさい!」

 母親は青ざめた顔で男の子の腕をつかむと、彼をエーコのそばから引き離す。
 先ほどまで怒りに満ちていた彼女の表情は、今はおびえに変わっている。

「どうして女なのに魔法が使えるの……? こんなのおかしいわよ……」

 小さくつぶやかれた母親の言葉は、エーコを傷つけるには十分だった。

(ほんと、どうして私、魔法が使えるのかな?)

 エーコにもわからない。
 ただ、生まれたときから彼女には魔法が使えて、今までそれをひた隠しにしてきた。
 この秘密を知っているのは、一つ年下の従弟いとこだけだ。エーコの唯一の理解者でもある彼の言葉を思い出す。

『女の子には魔法が使えないはずのこの世界で、エーコの存在が人々の目にどう映るかわからない。だから、くれぐれも気をつけるんだよ』

 いつもエーコのことを心配してくれていた従弟いとこに申し訳なく思ったが、後の祭りだ。
 エーコが溜息ためいきをついたとき、新人職員が消火器を持って駆けつけてくる。

「消火器、持ってきましたあ! ――って、あれ……? もう火が消えてる?」

 何も知らない新人の困惑した声に、なんと答えていいのか迷ってしまう。
 男の子の母親の視線が痛いほど突き刺さる。
 ――畏怖いふ
 一言で言うならば、そんな視線だった。あり得ないものを目にし、戸惑い、そして恐れている。

(あーあ、こうなるのはわかっていたのになあ……)

 それでも男の子を助けたかった。だから後悔はない。けれど、女に魔法が使えるということは、こんなにも異常なことなのだ。
 エーコは、改めてショックを受けていた。


 そしてこのことがきっかけで、おそらく世界でたった一人の魔法を使える女の子は、平穏な日常を捨てることになるのだった。



   1 新人魔導士は駆け落ちしたい


 この世界では、女は魔法を使えない。けれど自分は魔法が使える。
 その矛盾むじゅんに気がついたのは、エーコが三歳の頃。叔母おばに聞かされた創世の物語がきっかけだった。
 それまでは、うっかり魔法を使ってしまうこともあった。だが、運よく誰にも気づかれずに幼少期を過ごすことができた。
 両親が多忙でエーコに無関心だったことが一番大きいが、それ以外にも理由がある。親の代わりに面倒を見てくれた叔母おばの家に、魔力が強く暴走しがちな従弟いとこ――シクア・チャリスタがいたからだ。エーコが魔法を使っても、それはシクアがしたことになっていた。
 やがてエーコが成長し、自分の『異常』をきちんと理解するようになると、決して人前では魔法を使わないようになった。
 生まれてから二十一年、そうやって隠してきたエーコの秘密を、シクア以外が知ることはなかったのだが――


「エーコ、とうとうやっちゃったのか」

 シクアが呆れながらエーコのもとにやってきたのは、創世祭の直後のことだった。
 幼少の頃からすぐれた魔法を使う従弟いとこは、今年二十歳で成人し、魔導士として魔法省まほうしょうへの就職が決まった。
 魔法省というのは、魔法に関する法律を整備したり、魔法の研究をおこなったりしている国家機関で、職員として採用されるのは大変難しく、名誉なことだ。
 エーコたちの住む辺境の町でも、シクアの就職はかなり話題になった。先日シクアはみんなに送り出されて、王都に華々しく旅立ったはず。なのに、なぜか急に帰ってきたのだ。
 エーコの一人暮らしの家の前に立つ彼は、なんとも言えない微妙な顔でこちらを見つめてくる。

「……なんのこと?」

 帰宅したところを待ち伏せされたうえ、いきなり訳のわからないことを言われて、エーコは怪訝けげんな顔をする。
 しかし、その表情が演技だということは、姉弟きょうだい同然に過ごしてきたシクアにはお見通しだったようだ。

「図書館で……魔法を使ったんでしょ?」
「わああっ……」

 エーコは慌てて玄関の鍵を開け、シクアを家の中に引っ張り込む。そして、シクアの両肩をつかんで正面から向き合った。

「も、もう……王都にまでうわさが……?」

 エーコが恐る恐る尋ねると、シクアは首を横に振る。

「まだだけどね。僕にはちょっとした情報網があって、それで知ったのさ。だから急いで来たんだ」
「ううう……どうしよう、シクア……あの子のお母さん……私のことを、化け物でも見るような目で見てたよぉ……」

 つい数週間前の出来事が脳裏のうりよぎる。
 勤め先の図書館で、魔力を暴走させた男の子を助けるために、エーコは魔法を使ってしまった。
 エーコが助けた男の子は素直ないい子だったが、いかんせん、素直すぎたのだ。
 あの事件以来、図書館でエーコを見かけるたびに、『おねーさん、魔法使えるんだよね?』と聞いてくる。みんなの手前ごまかしてはいるが、そのせいで別の子どもまで同じことを聞いてくる始末だ。
 母親も母親で、エーコのことを化け物だと吹聴ふいちょうしているらしい。女が魔法を使えるなどあり得ない話なので、大人たちの間では本気にされていないが、純粋な子どもたちの間ではどんどん広まっており……
 エーコに魔法が使えるのではないかと疑う大人が現れるのも、時間の問題だった。
 もし騒ぎになれば、図書館に勤め続けるのも難しくなるだろう。

「エーコ、王都に来る?」
「え?」

 頭を抱えていたエーコの肩に、シクアがポンと手を置く。エーコとほとんど身長差のないシクアは、真正面から彼女の目を見つめて、やんわりと微笑む。

「僕の代わりに魔法省で働かない?」
「――は?」

 思わず口をぽかんと開けてしまった。シクアは、そのくるっくるの短い髪を人差し指でいじりながら、さらに信じがたいことを言う。

「僕……好きな人ができて、その人と駆け落ちしようと思うんだよね」
「はあ?」
「だから、王都の国民登録コード、書き換えてきたんだ」
「はーあ?」

 エーコは理解が追いつかない。

(何を、書き換えた――?)

 国民登録コードは、国民一人ひとりの性別、生年月日、経歴などをまとめて暗号化したものだ。王都には最新鋭の電子装置があり、それで国民の情報を一括管理している。

「僕とエーコの名前を入れ替えといたから、エーコは堂々と魔法省に勤めてくれていいよ」
「え、え? 国民登録コードって、そんなに簡単に書き換えられるの?」
「結構厳重なセキュリティがかかっていたけど、僕、そういうの解除するの得意だから」

 シクアは得意げに言うが、やったのはとんでもないことだ。

「魔法省の新人魔導士が就職した途端に失踪しっそうなんかしたら、絶対大事おおごとになっちゃうだろ」
「国民登録コード、書き換えることのほうが大事おおごとだよね!?」

 エーコは思わずツッコんでしまったが、シクアはどこ吹く風だ。

「大丈夫、バレなきゃ大事おおごとにならない!」
「脳天気すぎるっ……!」
「魔法を使えることがバレちゃったのに、まだ図書館で普通に働いているエーコも脳天気だよね?」
「うっ……」

 そう言われると耳が痛い。

「まあ、魔法が使えますって宣言して、生活していくならいいけど」

 意地の悪いシクアの言葉に、エーコは「無理」と短く答える。

(自分が異常だなんて思い知らされるのは、もうりだ……)

 男の子を助けても、母親からは感謝の言葉なんて一言もなかった。別に感謝してもらいたくて助けたわけではないが、まさか化け物扱いをされるとは思ってもみなかった。
 あのときの母親の目を思い出してへこみ始めたエーコの肩を、シクアがポンポン、ポポンッとリズミカルに叩く。

「だからエーコ、僕の代わりに魔法省で働いて!」
「いやいや、絶対バレるって! 魔法省に、シクアと同じ魔法学校出身の人がいたらどうするのよ?」

 エーコは従弟いとこの暴走を必死に止めようとしたが、シクアはチッチッチッと舌を鳴らして自信満々に断言する。

「残念ながら、僕の通っていた魔法学校は田舎いなかの馬鹿学校だから、魔法省に入れる生徒なんて僕だけだったよ。あそこの先生たちのレベルじゃ、今後も僕くらい優秀な人材が育つとは到底思えないね」

 母校を馬鹿にしすぎだけれど、事実そうなのだから、本当にたちが悪い。
 身体つきは貧弱なシクアだが、頭だけはこの片田舎かたいなかに不似合いなほど優秀だったのだ。

「それに、魔法省の採用データも、エーコの情報に書き換えてきたから大丈夫だよ。魔法省の新人魔導士は、水属性の魔法を使うシクア・チャリスタではなく、土属性の魔法を使うエーコ・アルスベクという『男性』だ」
「ちょ、待って。私に男として勤めろってことなの?」
「魔法省だもの、当然じゃないか」

 魔法に関する様々な案件を扱うため、魔法省の職員はもちろん男性のみだ。

「大丈夫だよ。エーコ、女っぽくないし。変装したら、誰も女だと思わない。いけるいける!」
「そんなうまくいくわけないでしょ」
「もう……エーコはわがままだな」

 わがままなのはどっちだ! と叫びたかったが、それよりも先にシクアがエーコの鼻先に指を突きつけてくる。

「男の子の暴走、魔法で止められたんだよね?」

 問いかけの意図をはかりかねて、エーコは首を傾げた。シクアは彼女の鼻先をチョンとつついて言う。

「ずっと二人で魔法の練習をしてきた甲斐かいがあったね」
「う、うん……」

 シクアと同じように魔力が強かったエーコは、力を暴走させないように、シクアから魔法を学んでいたのだ。それだけでなく、図書館の本などを使って独学で勉強もしてきた。

「エーコは女だからみんなの前で魔法は使えないけど、それを使うこと自体は嫌いじゃないってこと、僕は知ってるよ」

 シクアがにっこりと微笑んでみせる。

「シクア……」
「魔法省でなら、堂々と魔法を使えるよ?」

 小首を傾げて、こちらの様子をうかがうシクアに、エーコはグッと言葉を詰まらせた。
 女である自分が魔法を使えることがバレてしまうのは怖いが、その力自体に対する恐怖はなかった。生まれたときからかたわらにある力は、エーコの一部分といってもいい。
 返事に困っていると、シクアは好機とばかりに言葉を重ねてくる。

「それに、エーコをここに一人残していくよりは、魔法省にいてもらったほうが僕も安心できるし……だから、ね? エーコ、お願い!」

 シクアが両手を合わせて必死に懇願こんがんしてくる。こうなると、この従弟いとこを実の弟のように可愛がっているエーコは、断れない。

「絶対、バレると思うんだけど……」
「大丈夫、バレやしない。毎年、魔法省では千人もの人員を採用しているんだもの。それに、僕の採用データを書き換えた後、フェイクとして他の職員のデータも書き換えたんだ。既存の職員も含めて所属やら階級やらのデータをごちゃまぜにしてきたから、きっと今頃、魔法省はてんやわんやだよ。新人の名前が一人くらい変わったところで気づかないって」

 サラッと告げられた内容のすべてが、ことごとく恐ろしい。エーコは頭を抱えたまま、シクアに確認する。

「バレて捕まったらどうするの?」
「バレると思う?」

 これがシクアでなければ、バレると断言したいところだったが、この従弟いとこならば……と何も言えなくなってしまう。彼は本当に優秀だ。それこそ、国一番と言い切ってもおかしくないほどの頭脳に、強大な魔力とそれをあやつる技術を持っている。
 にもかかわらず、シクアはえて手を抜いていた。学校で一番になることはあったが、地方や国で一番になるような成績は、わざと取らなかったのだ。『目立ちすぎても面倒くさいからね』というのが、シクアの口癖だった。
 まさかそれが、こんな大それた犯罪をするときに、有利に働くなんて……
 片田舎かたいなかの学校でトップの成績だった程度の男が、国の中枢ちゅうすうのネットワークをいじれるなどとは、誰も思わないだろう。

「だからエーコ、安心して魔法省に行きなよ。やばくなったら、そのときは僕が逃がしてあげるから」

 エーコは深くため息をつくと、シクアの顔を見た。彼はエーコの答えを、満面の笑みで待っている。口車に乗せられている気がしないでもないが、エーコだってこのままこそこそし続けるのは嫌だった。

「――わかった」

 こうしてエーコは、エーコ・アルスベクという名前のまま、性別と年齢をいつわり魔法省で働くこととなった。そして一足先に王都へ戻るシクアを見送り、自身も準備をしっかり済ませて出発した。


(だけど、これはちょっと想定してなかったなー!!)

 仰向あおむけに倒されたエーコの上に、一人の男がのしかかっている。剣呑けんのんな光を宿した黒い双眸そうぼう。シクアの栗色の瞳とはまったく異なる、夜の闇のような色だ。
 そして、エーコの顔に突きつけられたナイフ――
 シクアのことだから、まだ何かあるにちがいないと予想してはいたが、だからといってこれはない――とエーコは心から思った。

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