48 / 50
第五章
18.
しおりを挟む
舞台へ崩れ落ちたサラの姿に、ヤツガシラの人々も、宰相家の人々も、驚き銘々に手を止めた。音楽が鳴り止んだ。物語はもう詠われない。サラに寄り添うように膝をついたルクサナは、彼女を案じて駆け寄ろうとする両親を、そっと手を掲げ押し止める。
「半年前の実りを祝う日──。あんたさっき、あたし達は、半年前の世界に遡ってきたのだと言ったわよね。それは本当? あたし達、本当にやり直しているの?」
サラの問いかけに、「えっ?」と思わず聞き返す。すると彼女は赤面して、しかし声を震わせてこう告げた。
「あたし、字が読めないし、暦も読めない。この本が千夜一夜の物語だとわかったのも、ただ、挿絵があったからなの。昔、母さんがよく話してくれた、魔人のような絵があったから……。あたしにわかったのは、死を覚悟したあの日、気づいたら、何故だか自分の姿が変わっていて、この家のお嬢様として扱われるようになったってことだけだった。意味がわからなかったけど、これが魔人のお慈悲なら、精々上手くやろうって、ここで今度こそ幸せになってやろうって、そんなふうに考えた」
中身が変わったのを悟られないよう、仮病を使って伏せっていたのだと、サラはそう言っていた。その上、暦が読めず、邸宅の外の様子もわからなければ、時を遡っていることに、サラが自ら気づくのは難しかったかもしれない。季節の移ろいを感じにくいこの国で、安らかに保たれた邸宅での暮らしが、日々の経過を感じさせにくいことはルクサナもよく知っている。
「あ、あたし……、あたしの家族は、みんな赤洟熱で死んだ。薬が欲しくてあちこち駆けずり回ったけど、高くてちっとも買えなくて。みんな苦しんで死んだ。私もそう。薬があれば怖い病気ではないとか聞くのに、貧乏人はこんなふうに苦しんで死ぬしかないのかって、この世界を恨んで死んだ。でも、ここが、半年前の世界なら」
聞いて、ルクサナもはっと息を呑む。
「あなたの家族、まだ無事でいるのかもしれない」
それに今なら、──赤洟熱の薬だって、手に入るのだ。
「あたしも、あんたみたいに未来を変えたい。あんたを拒絶したあたしが、今更こんな事を言うのはずるいって、わかってるけど、でも」
震えるサラの冷たい指先に触れ、ルクサナはそれをそっと両手で包み込む。
顔を上げたサラと、目があった。
「ちっともずるくなんてない。あなたが私を助けようと動いてくれたからこそ、私達、今ここに、こうしていられるのよ。それに、この不思議な数日間、私、わたくし、本当に楽しかった。……あなたの運命、お返しするわね。ありがとう、サラ」
微笑んで、二人同時に目を閉じる。
魔人の気まぐれが幕を下ろしたのであろうことに、二人は既に気づいていた。
「半年前の実りを祝う日──。あんたさっき、あたし達は、半年前の世界に遡ってきたのだと言ったわよね。それは本当? あたし達、本当にやり直しているの?」
サラの問いかけに、「えっ?」と思わず聞き返す。すると彼女は赤面して、しかし声を震わせてこう告げた。
「あたし、字が読めないし、暦も読めない。この本が千夜一夜の物語だとわかったのも、ただ、挿絵があったからなの。昔、母さんがよく話してくれた、魔人のような絵があったから……。あたしにわかったのは、死を覚悟したあの日、気づいたら、何故だか自分の姿が変わっていて、この家のお嬢様として扱われるようになったってことだけだった。意味がわからなかったけど、これが魔人のお慈悲なら、精々上手くやろうって、ここで今度こそ幸せになってやろうって、そんなふうに考えた」
中身が変わったのを悟られないよう、仮病を使って伏せっていたのだと、サラはそう言っていた。その上、暦が読めず、邸宅の外の様子もわからなければ、時を遡っていることに、サラが自ら気づくのは難しかったかもしれない。季節の移ろいを感じにくいこの国で、安らかに保たれた邸宅での暮らしが、日々の経過を感じさせにくいことはルクサナもよく知っている。
「あ、あたし……、あたしの家族は、みんな赤洟熱で死んだ。薬が欲しくてあちこち駆けずり回ったけど、高くてちっとも買えなくて。みんな苦しんで死んだ。私もそう。薬があれば怖い病気ではないとか聞くのに、貧乏人はこんなふうに苦しんで死ぬしかないのかって、この世界を恨んで死んだ。でも、ここが、半年前の世界なら」
聞いて、ルクサナもはっと息を呑む。
「あなたの家族、まだ無事でいるのかもしれない」
それに今なら、──赤洟熱の薬だって、手に入るのだ。
「あたしも、あんたみたいに未来を変えたい。あんたを拒絶したあたしが、今更こんな事を言うのはずるいって、わかってるけど、でも」
震えるサラの冷たい指先に触れ、ルクサナはそれをそっと両手で包み込む。
顔を上げたサラと、目があった。
「ちっともずるくなんてない。あなたが私を助けようと動いてくれたからこそ、私達、今ここに、こうしていられるのよ。それに、この不思議な数日間、私、わたくし、本当に楽しかった。……あなたの運命、お返しするわね。ありがとう、サラ」
微笑んで、二人同時に目を閉じる。
魔人の気まぐれが幕を下ろしたのであろうことに、二人は既に気づいていた。
10
あなたにおすすめの小説
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる