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2.お腹いっぱいの恋
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しおりを挟む――誰かのために作った料理を、その誰かに美味しく食べてもらって。
悪魔の舌や手が動くたび、彼の体温が肌に染み込んでいくかのようだ。
「や、やめて……」
景は自分の吐く拒絶の言葉の、その白々しさに呆れてしまう。――本当はもっと、して欲しいくせに。
景にもたれかかって、ティンカー・ベルは耳や首筋にキスしてくる。悪魔の動作のひとつひとつは、明らかに女慣れしている男のそれだ。相手を不安にも不快にもさせない。景はむしろそれが嫌だった。溺れていく自分を、快楽に弱い自分を、見せつけられているような気がするからだ。
――本気で嫌がってないって、見透かされてるんだろうな……。
不甲斐ない自分に歯噛みしているうちに、景のスウェットパンツと下着は下ろされ、下半身を裸に剥かれてしまった。
「うー……」
もはや抵抗する気も失せた景は、真っ赤になって唸るだけだ。
ところで彼女が最近新調した部屋着は、今日着ているスウェットの上下を含め、五着にも及んでいる。もちろんティンカー・ベルの訪問に合わせて買ったものだ。景はそれらをよそ行きの服を選ぶよりもずっと時間をかけて吟味し、購入した。
――それなりに着飾り、女であることを意識して。
ティンカー・ベルは景を抱えると、シンクの上に浅く腰掛けさせた。そのまま景の一方の足裏をシンクの縁に置き、右足だけ膝を立てるような格好にさせる。
片足が大きく開いたせいで、景の陰部はすっかり晒されてしまった。ティンカー・ベルは跪き、そこへ顔を寄せる。
「こんなのやだっ! 恥ずかしい……!」
景は足を下ろそうとするが、股間に入り込んだ悪魔の頭が邪魔をして、できない。なんとか逃げようとじたばた暴れていると、大事なところを甘く齧られてしまった。
「やっ……!」
「おとなしくしていろ」
ティンカー・ベルは景の陰核を唇で優しく挟むと、舌全体で包み込むようにして扱いた。
「やっ、やああっ!」
あまりの刺激に、景の肉芽はぴんと勃つ。そこから唇を下ろして、ティンカー・ベルは景の性器を形作るひとつひとつに、丁寧に口づけていった。
「んっ……」
普段は炊事をする場所で、はしたなく足を開き、喘いでいる。
なんていやらしいんだろう、恥ずかしいんだろう。そう意識するほど、景は酔った。
「よく濡れているぞ。お前は悪魔を喜ばせるのが上手だ」
顔は紅潮し、男の手に掴まれた太ももはしっとりと汗ばみ――。
悪魔でなくとも、きっと男ならば、頭からペロリと食べてしまいたくなるだろう景を見て、ティンカー・ベルは笑った。雌の部分をひととおり味わってから、花弁を開き、奥の窪みに舌先をねじ込む。
「やっ、入れちゃだめ……っ!」
「このままお前の処女膜を食べてしまおうか」
「ば、バカっ……! 変態っ!」
無遠慮に侵入して、妖しい痺れを引き起こす悪魔の舌を拒もうと、景は下半身に力を入れた。しかし入り口付近の壁をぐにぐにと舐め回され、そのたまらない快感にあっさりとほぐれされてしまう。
「ひっ、ん……! やっ……!」
やっと掴んだシンクの縁を、指先が白くなるほど強く掴んで、景は耐えた。おかしくならないように、乱れないように。それなのに性器は、勝手に、正直にヨダレを垂らし、更なる愛撫を求めるかのように潤む。
「大盤振る舞いだな、大蔵田 景。口がベタベタになってしまったぞ。どうしてくれる」
「っ……!」
わざとらしく音を立てて愛液を啜られ、景の頬はカッと熱くなった。ティンカー・ベルは意地悪だ。
「お前のいやらしい汁で溺れ死ぬ前に、お前のほうこそ天国へ送ってやらねばな」
膣に舌を沈め、悪魔は興奮を吸って育ったクリトリスを親指の腹でゆっくり、愛でるように撫でた。
「あっ、や、やっ……! やあああっ!」
性的な悦楽にはまだ慣れていない。絶頂へ至る恐れから、景は自分の足の間にあるティンカー・ベルの頭を、強く押した。だが悪魔はびくともせず、ますます楽しそうに笑って、景の縦の割れ目をペロリと舐め上げた。
「ひっ……!」
――こうやって、気持ちがいいことをしてもらって。
「イキそうなんだろう? 遠慮するな」
ティンカー・ベルの親指が動く。
まるく、まるく、肉の珠の輪郭をなぞるように。その規則正しい緩やかな動きがほんのわずか早く、強くなった途端、景の全身は強張った。
「ひ、あっ、ああああ……!」
目の前が白く眩む。
景の性器はひくひくと複雑に収縮し、最後にとろりと白く濁った体液を吐いた。
ティンカー・ベルは立ち上がると、疲労と羞恥、そして怯えが浮かんでいる景の瞳を見詰めて、にんまりと笑った。
唇を重ね、舌を奪う。
「う……」
吸い出された自分の舌が、悪魔の口の中で弄ばれている。抵抗する体力も気力も残されていない景は、瞼を閉じ、なすがままになるしかなかった。
粘膜同士が絡み合い、互いの唾液を交換する。
「お前の精気はどんどん芳しく、美味になっていくな……」
ご馳走を味わう美食家のようにうっとりしながら、ティンカー・ベルはもう一度二度と、口づけを楽しんだ。
「う……」
絶頂からゆっくりと降りていく景は、気だるさに身を浸しながらぼんやりと思う。
誰かのために作った料理を、その誰かに美味しく食べてもらって。
それなりに着飾り、女であることを意識して。
気持ち良くしてもらって。
――女の幸せって、こういうことを言うんじゃないの?
翌日の職場において、景は心ここにあらず、時を過ごした。
任された仕事はロボットのように正確にこなしているし、客への受け答えや同僚との雑談にも卒なく応じているのに、頭の中では別のことを考えているのだ。
そう、あの悪魔のことだけを。
ティンカー・ベルのことを、好きか嫌いかと問われれば、「好き」だろう。だが景は、恋や愛を知らない。――知ったつもりになっていて、前回は大失敗したのだ。
そんな風だったから、あの悪魔に恋をしているのかと聞かれれば、答えられなかった。
――分からない。
ティンカー・ベルはひとりぼっちの自分の側にいてくれて、だから寄りかかりたいだけなのかもしれない。それを男女間の愛情と履き違えてしまえば、きっと不幸になるだろう。
例えば、初恋の相手だと思い込んでいた、飯島 大吾の件がある。
景は大吾への想いを、なかなか壮絶な形で断ち切ったのだが、思えば景が大吾のことを本当に本気で愛していたなら、また違う結末もあったのかもしれない。大吾はあまり褒められた男ではなかったが、景が彼に心底惚れていたならば、悪魔の力で結ばれて、それはそれで幸せだったのだろうから。
しかし景は大吾の胸に、己の自尊心を捨て去ってまで飛び込むような、そこまでの思い入れはなかった。
愛するだけじゃなくて、愛されたい。そう願うのは、贅沢なことなのだろうか。
そんなことを考えているから、だから昨日の悪魔の所業が余計引っかかる。
――なんでちゃんとセックスしないんだろう。
ティンカー・ベルは一方的に景を弄び、自分自身についてはお構いなしだ。昨日も、この間もそうだった。
景から精気とやらを吸い取っているらしいが、それで満足なのだろうか。
性的な欲求はないのか。
挿入寸前の、あそこまでしておいて?
――私としたくないのかな。私に魅力がないのかな……。
どれだけ気持ち良いことをしてもらっても、なにかが物足りない。結局は、欲求不満に陥る。
――ティンカー・ベルのアレを、アレしてくれたら、どんな感じなんだろう……。
「景さあん」
「!」
人様には言えないような、いかがわしいことを想像している真っ最中にいきなり声をかけられて、景は悲鳴を上げそうになった。
汗をかきながら振り返ると、同僚の姫名がニヤニヤ笑っている。景の顔はひきつった。
自分に悪感情を持っているらしい姫名のことが、景はどうも苦手だ。彼女と同じシフトに入ると、ついつい緊張してしまう。
「ねえ、あそこの人、見て下さいよぉ」
とりあえず今回の姫名の攻撃の矛先は、どうやら景ではなく、ほかに向いているらしい。
姫名がそっと指した客席の、二人がけのテーブル席には、男性が一人座っていた。
その人物に、景は見覚えがあった。最近よく見かけるお客様だ。彼はいつもホイップクリームをトッピングしたコーヒーを頼む。
「なんかあいつ、水谷 花憐ちゃんのこと、見張ってるみたいなんですよ」
姫名がひそひそと囁くとおり、男性客の斜め前のカウンター席には、モデルの水谷 花憐が腰掛け、雑誌を読んでいた。
「気持ち悪くありません? もしかして、ストーカーじゃね?」
気持ち悪いとは、主に男性客の外見からの判断だろう。
その男性客は背が低く、太っていた。服装は、流行なんて意識しない、したら負けとばかりのくたびれたシャツとトレーナーに、下はサイズの合っていないパンパンでパツパツのジーンズだった。あまり頻繁にカットしていないのだろう長めの髪と、団子鼻に眼鏡をかけており、ニキビの目立つ脂ぎった顔をしていた。
確かに、あまり見目よろしくはないが……。しかし水谷 花憐は有名人だし、彼女のように美しい人にならば、誰だって自然と目が行ってしまうのではないか。それを変質者のように決めつけては、可哀想な気がする。
「……お客さんのこと、そんな風に言ったらダメだよ」
あまり厳しくならないように注意すると、姫名はみるみる目尻を吊り上げ、足音も荒く奥へ引っ込んでしまった。
――また嫌われてしまっただろうか。景はため息をついた。
客席に視線を戻すと、なぜかあの男性客がこちらを睨んでいる。姫名も景も小声で話していたし、彼からカウンターの内側のここまでは距離もあるから、まさか先ほどの会話が聞こえていたわけではないだろう。
だが、どうして……? 思わず男から目を逸らした瞬間、額にちりっと焼けつくような痛みが走った。
「いたっ……」
刻印のあたりだ。そういえば聞こうと思っていたのに、昨晩はティンカー・ベルに、額の印のことを聞くのを忘れてしまった。
額に細かく触れるが、特に異常はないようだ。痛みがあったのも一瞬だけだったし、気のせいだったのだろうか。
出入口が開閉すると鳴るチャイムの音がしたので、顔を上げると、先ほどの男性客がリュックを肩に掛け、出て行くところだった。
「あ、ありがとうございました!」
男の背中に声をかけると、今度はすぐ近くに人の気配を感じた。見れば、なんと水沢 花憐が、レジの前に立っている。
「あのー。さっき私、パンケーキ頼んだんだけど、それを焼いたのはあなたですか?」
少し前まで調理を担当していたから、花憐のパンケーキを作ったのは、確かに景である。
「は、はい」
粗相でもあっただろうか。こういう風に客がわざわざ話しかけてくる場合、たいていはクレームだ。景は身構えた。
「あのね、すごく美味しくて」
「……え?」
思ってもいなかったことを言われて、景はきょとんと目を丸くした。
「私ね、えーと、あんまり太ってはいけない仕事をしてるんです」
「も、モデルさんですよね? 知ってますよ。ファンです」
花憐は頬を緩めて、「ありがとう」と礼を言った。
「それでね、だから私、甘いものが大好きなんだけど、食べられないの。でも二週間に一度だけは、ここのパンケーキを食べることを、自分に許してて。それで通ってるうちに、なんとなくいつも味が違うなって思ったの。や、美味しいんだよ? でもね、本当にちょっとだけ……。盛りつけ方にも差があって。それで今日はね、すごく美味しくて。だから、なんの違いだろうって考えてたら、あなたがいたのね。そういえば私が美味しいなあって、この店で感動しているとき、いつもあなたがいるなって気づいたの」
ほかの多くの店と同じように、ここ「ファウスト」の調理担当者も各種レシピを厳密に守り、商品を提供している。だがそれでも、料理の仕上がりには多少のバラつきがあった。注意深く観察し、味合わなければ分からない程度の、ほんの誤差の範囲ではあるが。
「私、あなたのパンケーキが一番好きみたい。これからも通うから、美味しく作ってね」
「あ、ありがとうございます……!」
温かい激励が胸に響き、景は泣きそうになった。
可憐はにっこり笑うと、手を振って店を出て行った。景はその後ろ姿を、まるで天使か女神様を崇めるように見送った。
――それにしても、食べたいものも、食べられないのかあ。
やはりあれだけの美を保つには、それなりの努力と苦労が不可欠なのだ。
自分には無理だと、景は悟った。料理するのも、できたものを食べるのも、大好きだからだ。
颯爽と去っていた花憐の、抜群のスタイルを思い出しながら、景は腹を摘んだ。……摘めてしまう。
そのとき頭の中で、なにかが閃いた。
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