その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

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2.お腹いっぱいの恋

9 (完)

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 ひとしきり食べて喋って、元気になった水谷 花憐は、力強い足取りで帰っていった。
 花憐を見送ってから後片づけをして、景は悪魔二人とカフェ「ファウスト」を出た。
 深夜零時近くとあって人通りはほとんどなく、車も来ない。景とベルゼブブが連れ立って先を歩き、少し後ろを景のママチャリを引いたティンカー・ベルがついて来る。

「あの……。あなた、まだ花憐ちゃんにつきまとうの?」

 隣を歩くベルゼブブの表情を伺うように、景は尋ねた。
 このハエ男と契約した人間、すなわち神戸 あすなは、水谷 花憐を醜く貶めることを願ったという。だが花憐は今も可愛い。彼女の美貌が損なわれるまで、ベルゼブブは纏わりつくつもりだろうか。

「はあ? 俺はしっかり仕事をやり遂げたじゃねえか」
「え? だって……」
「お前、どこに目ぇ付けてんだ? あの花憐って女、すっげえブサイクになってたじゃねえか」
「え? え?」

 ベルゼブブこそ、どこに目が付いているのか。「あの大きな複眼はガラス玉か」と、景は凄みたくなった。
 ベルゼブブは花憐に「暴食」の呪いをかけて、太らせようと企んだという。呪いはいつまで続くか分からないが、だから今後の花憐はもう少し自分に甘くなるかもしれない。己に課していたダイエットのペースを緩めて――。
 だがそのせいで花憐が見苦しいまでに太るとすれば――景はそんな日は来ない気がするのだが、ともかくそれはまだ先の話だろう。

「花憐ちゃんは可愛いよ?」

 腑に落ちない顔をしている景に、ベルゼブブは自分の口元を指して見せた。

「あの女、ここにでっかいニキビができてただろう? ありゃあきっと、ストレスが原因だぜ。俺の追い込みが効いたんだな! ひでえブスになっちまって、可哀想に! ガハハハ!」
「ニキビ? そんなのあったっけ?」

 景は記憶を辿る。花憐にニキビなどなかったような、あったような、なかったような……。なんにしろ記憶にも残らない、些細な変化であったことは間違いない。

「そんなテキトーな感じで、お客さんは納得してくれるの~?」

 景が懐疑的に聞き返すと、ベルゼブブはフレームの太い流行遅れの眼鏡をずり上げた。

「いーんだよ。もうひとつの願いはバッチリ叶えてやったんだから、そこは総合的に見てもらわねえと」
「もうひとつの願い?」

 景はますます首を傾げた。ベルゼブブは得意気に笑っている。

「花憐も覚悟を決めたみたいだし、これからはくだらねえ仕事は断るだろうよ。そうやって、本当に自分がしたいことだけ引き受けるようになる。だからテレビだとか雑誌で、花憐を見かける機会は減るだろう」
「うん。ちょっと寂しいけど、きっとそれが花憐ちゃんのためなんだよね……」

 悲しそうに眉を下げながら、景は相槌を打った。
 後ろからカラカラと、ティンカー・ベルの引く自転車の、車輪の音が聞こえてくる。

「出番が減れば、神戸 あすなは『花憐の人気は落ち目だ』と思うだろう。――ほれ。『水谷 花憐を表舞台から引きずり下ろせ』っていう奴の願いは、見事叶っただろう?」
「なるほどね……」

 新たなステージを目指すために花憐は退き、そのことで神戸 あすなは満足する。それで丸く収まるなら、結構なことなのかもしれない。神戸 あすなの自分勝手な欲望が満たされるのは、少々納得いかないが……。

「ベルゼブブさんて、いい人だね」

 景はしみじみつぶやいた。
 結局このハエ男は、呪いの対象である水谷 花憐を害するどころか、彼女が無茶をしないか無理をしないか、ストーカーに間違われるほど親身になって見守っていたわけだ。
 ただし当の花憐は、最後までベルゼブブの存在に気づいていないようだったが。
 ベルゼブブはふんと低い鼻を鳴らした。

「うるっせえな。だいたい俺は人じゃなくて、悪魔だっつーの。――そろそろ行くぜ。神戸 あすなから、俺の嫁、まっぷるたんのDVDを受け取らねーとな!」

 脂肪のたっぷりついた丸い背中に、虫に似た透明な羽が現れる。ブーンと不快な羽音を立てて、ベルゼブブは飛び立った。
 ティンカー・ベルは空を見上げ、別れの挨拶を口にする。景もそれに習った。

「またな、ベルたん」
「さよなら、ベルたん」
「たん付けすんじゃ――」

 よっぽど急いでいたのか、ベルゼブブの文句は終いまで聞こえなかった。




 景のアパートまでは、あともう少しだ。
 差し掛かった小道は、まばらな街灯で照らされるだけで暗く、物騒である。だが普段なら不安を覚えるようなところでも、今日は同伴者がいて、それも人ならざる者、しかもかなり強い悪魔が一緒だから心強かった。
 ベルゼブブが去って空いた景の隣へ、ティンカー・ベルは自転車を押しつつ進む。景の愛車は普通のママチャリだったが、図体の大きなこの悪魔が押していると、玩具のように小さく見えた。

「ベルゼブブさんて、なんだか不思議な悪魔だね」
「あれは、あの女に惚れていたな」
「惚れてた? 花憐ちゃんに? でもベルゼブブさんは二次元しか愛せないタイプじゃないの?」
「悪魔の愛は広いのだ。二次元だろうが三次元だろうが、全ての生きとし生けるものを愛でる。――ただしひとつだけ、受け入れられないものがあるが」
「受け入れられない……? それはなに?」

 悪魔はどうやら博愛精神の持ち主らしい。そんな彼らが拒絶する唯一のもの。それはなにか、気になってしまう。
 景が尋ねても、ティンカー・ベルは微笑むだけで教えてはくれず、あっさり話を変えてしまった。

「悪魔はな、前向きな努力家の人間が好きなのだ。だから手を貸してやりたくなって、しかしやり過ぎてしまう。まあ、我らはつまり、お節介なのだな」
「……………………」

 景は悪魔が出てくる童話や、御伽噺を思い出した。
 悪魔に関わった登場人物はろくな目に遭わず、たいていは悲惨な運命をたどる。その原因は、ティンカー・ベルが先ほど言ったとおり、悪魔の助力が過剰だったからなのかもしれない。
 昔から「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というではないか。
 ならば悪魔をほどほどに頼れば、人間もほどほどの恩恵を受けるに留まり、幸せになれるのだろうか。

 ――だからティンカー・ベルは、妙に細かいところがあるのかなあ。
 
 やり過ぎないように。依頼主の望む範囲から逸脱しないように。全てを台無しにしないようにと、細心の注意を払っているのだろうか。
 そこまで気を使ってくれるということは、ティンカー・ベルは確かに人を好ましく思っているのだろう。
 もし、そうならば――。

「悪魔も人に恋したりするの?」

 景の心臓はドキドキと高鳴る。しかし返ってきた答えは、味気ないものだった。

「知らん」
「知らんて……」
「分からん」
「分からんて……」

 もっと突っ込んで聞いてみたかったが、なにから切り出せばいいか迷っているうちに、話題はベルゼブブのことに戻ってしまう。

「ああ見えて、ベルゼブブは面倒見がいいのだ。長く生きているから、知識も豊富だしな」
「長生きって、あの人いくつ?」
「確か三百歳は越えている」
「おお、悪魔っぽい」

 人間の姿のときのベルゼブブは、三十手前の青年に見える。しかしハエ男と化したときの彼は、確かに三百年という長い年月を生きてきたと言われても納得の、禍々しさを漂わせていた。

「ん? ベルゼブブさんが三百歳だとしたら、じゃあティンカー・ベルは何歳なの?」
「今年で二十二になる」

 軽く尋ねたら軽く返ってきた悪魔の答えに、景は驚愕を隠せなかった。

「にじゅうに!? 二十二万歳とか、二十二億歳とかの間違いじゃなくて!?」
「失礼な。我はそんなに老けているのか?」

 自転車のハンドルから片手を離して、ティンカー・ベルは自身の青い頬を撫でている。
 いや、お肌だってピチピチだし、顔つきも体つきも若々しいし、言わてみれば確かに、年寄りと思わせるような衰えは欠片も見当たらないのだが。しかし悪魔という特殊な生き物であることと、妙に落ち着いた言動からして、景はティンカー・ベルが遥かに年上なのだと思い込んでいた。

「私と二つしか違わないの……」

 その事実に衝撃を受けながら、景はふらふらと歩いた。
 すると突然、くうと間抜けな音がする。ティンカー・ベルの腹の音だ。

「腹が減った……」
「あ」

 きっとティンカー・ベルは景の作る晩御飯をあてにして、なにも食べていなかったのだろう。お土産にと握ったおにぎりも、先ほど花憐にあげてしまったし。

「コンビニでも寄って行く?」

 しかしティンカー・ベルは首を横に振り、自転車を景に寄せた。

「精気が欲しい」
「えーやだよ」

 景は悪魔が近寄った分、一歩引いた。しかしティンカー・ベルは懲りずに、自転車を押して突っ込んでくる。

「ちょ、危ない!」

 景はベルゼブブの「不味い」という、あの絶叫が忘れられなかった。

「ベルゼブブさん、私の精気、美味しくないって言ってたよ!」
「ベルたんには、味の違いが分からないのだ」
「う、嘘だあ……!」

 ぐいぐいと自転車の先で押されて、景は道端に追いやられてしまう。

「ベルゼブブやほかの悪魔がどう言おうと、我はお前の精気が大好きなのだ。それではダメか?」
「……………………」

 なにも言えなくなってしまった景に、ティンカー・ベルは顔を近づける。間に自転車を挟んで、二人は唇を重ねた。

「不味い。もう一回」
「バカ……」

 つい笑ってしまった景の頬や額に、ティンカー・ベルは続け様に口づけた。

「ベルゼブブの奴にだいぶ吸われたようだったが、大丈夫か?」

 そういえばベルゼブブに触れられた瞬間は目眩がしたが、今はなんともない。

「うん、平気」
「ならばいいが。――まったく。今度奴に会ったら、羽を毟っておこう」
「いやいや、せっかくのお友達なんだから、仲良くしなよ」

 自転車のハンドルを握るティンカー・ベルの大きな手に、景は自分の手を重ねた。

「そういえば別にキスしなくても、触るだけで精気は吸い取れるみたいだけど? ベルゼブブさんはそうしてたし」
「あいつは童貞だからしょうがない。可愛い女の子にブッチュ~とやれるのだ。せっかくのチャンスを使わないほど、我はマヌケではない」
「かっ……!」

 景の顔は赤くなる。
 本当に本当に悪魔は、悪魔という生きものは、こういうことをさらっと言い出すから困るのだ。

『ティンカー・ベルの言葉に深い意味なんてない! 彼にとって自分は、ただのエサだ。目を覚ませ! しっかりしろ!』

 頭の中で、何人もの自分が声を張り上げて警告している。

 ――それでも。
 景は青い悪魔に、引かれて惹かれて、墜ちていく。

 再び深く口づけてから、名残惜しげに二人は離れた。
 ティンカー・ベルは右手で右の、景は左手で左のハンドルを持ち、もう片方の手は共にサドルに置いて、重ねた。
 悪魔の手は温かい。
 晴れ渡った夜空の下、二人は一緒に自転車を押して帰った。


~終~


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