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1巻

1-2

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 僕がこの町に引っ越してきて以来、店が開店しているところを見たことは一度もない。なのに何故僕がこの店に期待を抱いているかというと、その理由は店先の張り紙にあった。
 ――いわくきの骨董品の出張買取・修理・おはらいなどうけたまわります。お気軽にご相談ください。
 張り紙に書かれたそれを読む限り、この店は相当変わっていると思える。〝いわく憑き〟〝お祓い〟などの言葉に引っかかりを覚えるが、注目したいのは〝修理〟の文字だ。
 どことなく不思議な気配を放つこの店ならば、祖母の懐中時計を直してもらえるような気がしてならない。
 閉ざされたままの格子戸が開いてる時があれば、足を踏み入れてみよう。そんなことを考えつつ、今日も閉まったままの店の前を自転車で通り過ぎたのだった。


     *


 数日後。図書館で課題をこなして大学を出た頃には、すでに外は薄暗くなりかけていた。
 アパートへ続く坂道にさしかかろうとした時、疲れのせいか、なんだか今日は最後まで上りきれないような気がして、自転車を押して歩くことにする。
 坂の手前で自転車を降り、ふと目の前にある骨董店に視線を移した瞬間、自分の目を疑った。

「嘘だろ」

 いつもはぴったりと閉められている格子戸が開いており、あろうことか店内に明かりがともされていた。
 何度か目をこすって確認したが、やはり僕の見間違いではなく、店の戸は開いていた。
 引き寄せられるように入口に近づいて中を覗き込んだ。温かな色の電球に照らされた店内には、沢山の骨董品が所狭しと並んでいる。

「すみません」

 恐る恐る声をかけてみたが、声が反響しただけで返事はなかった。けれど、こうして電気がいていて入口も開いているのだから、開店していることに間違いはないだろう。

「失礼しま……す」

 店に入って真っ先に目に留まったのはレジ台だ。入口のすぐ左側に、年季の入ったアンティークのレジスターが置かれている。
 レジ台の奥には、長方形のローテーブルを挟んでロングソファが置かれているのが見えた。その周囲にもごちゃごちゃと物が置かれていて、さらに奥には大きめの窓がある。
 一方、入って右側は商品の陳列スペースのようだ。
 こちら側に窓はないが、天井から吊られたシャンデリアや様々な種類の照明が棚に並んだ商品をぼんやりと照らしていた。
 人がぎりぎりすれ違えるくらいの間隔で置かれた棚に並ぶのは、いかにも骨董品らしい物から、一見ガラクタに見えるような物まで多種多様だ。けれど決して乱雑に置かれているわけではなく、物があふれていながらもなんとなく秩序ちつじょがあるように感じられる。
 ひとまず店の人を探そうと、陳列棚の間からそろそろと奥を覗き込んだ。
 ここは店で、自分は客なのだからもっと堂々としていればいい。そうは思うものの、店の不思議な雰囲気に圧倒されて、思わず息をひそめてしまう。
 壁にいくつもかけられた振り子時計はそれぞれ振り子を揺らし、大きな飾り皿やつぼの隣では蓄音機ちくおんきが威厳たっぷりに存在を主張している。
 髪が伸びそうな日本人形や、今にも動き出しそうなほど精巧なビスクドールからは、こちらをじっと見つめているかのような不気味な視線を感じた。
 どれもこれも、長い年月をてきた品々なのだろう。高価そうな骨董品達を壊さないように、細心の注意を払いながら店の奥へ進んでみる。
 一歩足を踏み出すたび、まるで怪しい客人を品定めするかのように空気がざわめく。物に囲まれているだけだというのに、息が詰まりそうなほどの威圧感に気圧けおされそうだ。

「お前、ひとりなんだろ」

 その時、地をうような低い声が耳元で聞こえた気がした。
 店主が現れたのかと思い辺りを見回すけれど、店内は相変わらずしんと静まり返っている。

「ひとりぼっちは悲しいだろう。寂しいだろう」

 今度は背後から、ノイズがかかったような女性の声が聞こえた。反射的に振り向くが、そこにあるのは骨董品だけで人の姿は見えない。

「あの……どなたかいらっしゃるんですか……」

 震えた声で問うものの、返事はない。けれど威圧感のような気配を感じていたのは気のせいではなかった。明らかに、この店にはがいる。ぞくりと背筋が凍るのを感じて、慌てて店から出ようときびすを返した。

「そんなに慌てずともいいだろう。ゆっくりしていくといい」

 今度は目の前から老人のような声が聞こえ、その瞬間なにかにつまずいて派手に転んだ。
 咄嗟とっさに棚を掴んでしまい、木の床に倒れ込むと同時に商品がいくつか落ちてきた。

「……っ」

 小さくうめきながら体を起こす。顔を上げると、周りに置かれている骨董品が自分の方へ雪崩なだれ落ちてくるような錯覚におちいって、尻餅をついたままあとずさった。
 店内を照らしていた電球がちかちかと点滅したかと思えば、ばちんと音を立てて消え、辺りは暗闇に包まれる。
 その瞬間、店にある時計が一斉に鳴った。
 それだけじゃない。
 触れてもいないのに不気味な音を奏でるオルゴール。
 かたかたと音を立てて小刻みに揺れる陶器。
 暗闇に徐々に目が慣れてきたところで、僕はさらなる異変に気づいた。
 僕の周りを取り囲むように、数え切れないほどの影がたたずんでいる。どれもはっきりと見ることはできないが、人影だけでなく猫やきつねなどの獣のような姿も見える気がした。

「自ら入ってきて、おびえることはないだろう」
「かわいそうな坊や。なぐさめてあげなくちゃ」
「ふふ……滑稽こっけいな姿だなぁ」

 挑発するような声や、こちらを哀れむような声、小馬鹿にしたような笑い声。様々な声が聞こえてくる。
 同時に、いくつもの手がこちらに伸びてきて、驚きと恐怖で声のひとつも上げられない。
 迫り来る影に命の危険を感じつつ、腰が抜けて逃げ出すこともできなかった。
 そして僕が固く目を閉じた瞬間――

「やめなさい!」

 ――女性の鋭い声が店内に響いた。
 恐る恐る目を開けて、僕はハッと驚く。目の前には、影から僕を守るように女の人が立っていた。

「この子に手出ししたら許さないわよ!」

 その女性は両手を広げ、僕を取り囲んでいる影に向かって啖呵たんかを切る。
 暗くて姿はよく見えないが、揺れる長髪と和服のようなシルエットがぼんやりとうかがえた。
 彼女はどこから現れた? 何故、僕をかばっている? そもそも一体なにが起きているんだ?
 疑問が次々浮かんで、気分が悪くなりそうなほど頭の中でぐるぐると回り続けている。

「キミは……」

 思わず声が漏れていた。そんな僕の声に反応して、彼女はくるりとこちらを振り返る。

「はじめまして、一樹。会いたかったよ」

 彼女の嬉しそうな声が降ってくる。

「女、我らと一戦まじえるつもりか」
「そっちがその気なら相手になるわよ! さぁ、かかってきなさい!」

 影の挑発に、彼女はおくすることなく不敵に言って、不穏な空気を発するそれらと向かい合った。

「面白いではないか……」

 影達の殺気がみるみるふくらんでいく。
 もはや僕の存在なんておかまいなし。彼女と影がにらみ合い、それをあおるように骨董品達はがたがたと激しく揺れている。
 窓は閉まっているのに風が舞い上がって骨董品が棚から落ちていく。それらが床にぶつかる音が聞こえるたび、別の意味で気が遠くなった。

「なにしてる」

 場の空気に割って入るように、男性の声が聞こえた。次の瞬間、ぱっと電気がともって店の中が一気に明るくなる。
 光に目を細めながら声が聞こえた方に視線を動かすと、レジ台の横に長身の男が腕を組んで立ち、僕達をにらみつけていた。
 年齢は三十代前半くらいだろうか。がっしりとした体に、はっきりとした目鼻立ち。毛先のはねた硬そうな短髪にあご無精髭ぶしょうひげが似合う、所謂いわゆるワイルド系の風貌だ。
 藍色の着物を身につけ、腕には木製の古い数珠じゅずをつけている。店内の雰囲気と相まって、まるで時代劇の中に飛び込んだような感覚におちいった。
 尋ねずともわかる。この男性が店主だろう。
 腰を抜かしたままの僕を睨みつけ、彼は無言でこちらに歩み寄ってくる。それを見て、はっと我に返った。

「すみません。あの、僕……怪しい者じゃなくて……」

 電気がいたことで明らかになった店の惨状に、血の気が引いていくのを感じた。
 骨董品が床に散乱し、中には割れてしまっている皿やつぼなどもある。そんな悲惨な状態の店内で腰を抜かしている、見知らぬ人間。
 今の僕が、品物を見ていただけなんです、なんて言っても説得力は欠片もない。
 大股で目の前までやってきた男は、相変わらず無言のままじっと僕を見下ろした。その鋭い眼光に、このまま殺されてしまうのではないかと思うほど身がすくんだ。
 硬直して男を見上げていると、彼は僕から視線を外し、僕に迫っていた影の方を睨みつけた。

「お前ら、客になにしてくれてんだよ。目ぇ離した隙に調子乗ってんじゃねぇぞ」

 えらくドスのきいた声に、空気がびくりと震えた。
 影達は我先にと方々の骨董品に吸い込まれるように消えていき、大量の気配は一瞬にして消え去った。

「大丈夫? 怪我はない?」

 僕を守ってくれていた女性が、心配して顔を覗き込んでくる。
 彼女の見た目は二十代前半くらい。少しタレ目で金色の瞳が印象的な、美しい女性だ。髪は黒くまっすぐで、しゃがむと床についてしまうほど長い。真っ白な着物のえりを左前にして着ており、死装束しにしょうぞくを連想させた。

「兄ちゃん、大丈夫か」
「は、はい」
「客なんて滅多に来ないから、まさかいるとは思わなかった。すまねぇな」

 男は僕の傍にしゃがむ女性をちらりと見たあと、僕に手を差し出した。その手を掴むと、強い力で引き上げられる。

「今の、見えてたのか」
「え……あ……」

 突然の質問に、なんのことかと尋ねようとして口をつぐんだ。
〝見えていた〟というのは恐らく、僕を取り囲んでいた影と、今目の前にいる女性のことを指しているに違いない。

「お前もあやかしが見えるんだな」

 今度は確信を持ってはっきりと言われ、僕は素直に頷くことしかできなかった。


 僕にはこの世ならざるもの――あやかしの姿が見える。
 物心ついた頃から当たり前のように見ていたそれらがあやかしと呼ばれる存在だと知ったのは、祖母に引き取られてからだった。祖母もまた、僕と同じようにあやかしを見る人だったのだ。
 幼い僕の遊び相手になってくれるあやかしもいたが、彼らのすべてがいいものとは限らなかった。
 最近見たものでいくと、先日の必修授業中。僕の肩にわざとぶつかってシャープペンシルを落とし、授業が終わるまで僕の邪魔をし続けたアイツ。
 その後昼食を食べに入った食堂で、僕のきつねうどんをうらやましそうに見ていた女もそうだ。もっとも、害意はなさそうだったけれど。
 一部のあやかし達にとって、僕のような見える人間は興味の対象になるらしい。その中には、普通の人間を攻撃して僕の反応を楽しむような悪質なヤツもいる。
 あやかしは、無視するに限る。そう学習した僕は、耳をふさぎ、目を伏せて、彼らをやり過ごすすべを習得した。
 その結果、周囲の人間とも距離ができてしまったものの、そうやってなんとか今までやってきたのだ。

「あの……貴方も、アレが見えるんですか」
「まぁな。見えてなきゃ、こんな仕事やってねぇよ。立ち話もなんだから、座れや」

 店主にうながされるまま移動し、座り心地のいいソファに腰を下ろした。

「ここは……骨董店……ですよね」
「ああ。だが、ここにある物には皆、付喪神つくもがみってのがいてるんだよ」
「つくも、がみ」
「長い年月をた物に取り憑いたあやかしのことだ。さっき兄ちゃんを取り囲んでたのがそうだよ」
「……そんな危ない物を、お客さんに売りつけてるんですか?」

 向かいのソファに座った男に思わず尋ねると、彼は呆気に取られたようにまばたきを繰り返したあと、腹を抱えて大爆笑した。

「いや、まさか! 客も承知の上で買っていくんだよ」
「……だとしても、あやかしが取り憑いてるんですよね。買い手が傷つけられるんじゃないんですか?」
「兄ちゃん。ひとつ勘違いしてねぇか? 誰が憑いてるのは悪いもんだけって言ったよ」

 取り憑くと言ったら普通、悪いイメージしか持たないだろう。
 わけがわからず首をかしげると、店主は呆れたように肩をすくめた。

「そりゃあ悪いヤツが憑いてるのもあるけどよ。中には持ち主を幸せにしたり、守ったりするいいあやかしが憑いてるのもあるんだぞ」
「はぁ……」
「信じてねぇって顔だな……ったく、兄ちゃんだって持ってるだろ」

 男はあごで僕の隣を示した。その先に視線を動かすと、いつの間にか僕の隣に座っていた、白い着物の女性と目が合った。

「……彼女も付喪神なんですか」
「なんだ、持ち主のくせに気づいてなかったのかよ。なんか依代よりしろになりそうな物、持ってるだろ?」

 男は心底驚いたように言って、目をしばたたかせた。
 付喪神が憑くほどの古い物――

「思い当たる物なんて、これくらいしか……」

 ポケットから懐中時計を取り出して、机の上に置いた。

「へぇ……上等な懐中時計だな」
「祖母の形見なんです。祖母が亡くなる間際に譲り受けたんですけど、あやかしがいてたなんて初めて知りました」

 男は身を乗り出して懐中時計を手に取ると、明かりに当てながら品定めするようにじっくりと眺めはじめた。

「祖母が、この時計には守り神が宿っていて、持ち主を幸せにしてくれるって言ってました。それは……本当だったってことですか?」

 隣に視線を移して問うと、白い着物の女性は肩をすくめながら口を開いた。

「さぁ、どうだろうね。本人のとらえ方次第じゃない?」

 やけに明るくはきはきした声だが、まったく答えになっていない。
 そんな女性に、男も問いを投げかける。

「しかしお前……持ち主が『見える』相手だとわかっていたんだろ。なんで今まで姿を見せなかったんだ」
「この子が私達と距離を取っているのは知っていたからね。……ずっと隠れて見守ってたの」

 挨拶あいさつが遅くなっちゃってごめんね、と彼女は申し訳なさそうに謝った。
 彼女が祖母の言っていた守り神なのだろうか。仮にそうだとしても、彼女が幸運を運んでくれるだなんて、そう易々と信じられるはずがなかった。
 とはいえ彼女が身をていして僕を守ってくれたのは事実だ。助けてくれたことに関しては、素直に礼を述べるべきだろうと思った。

「……助けてくれて、ありがとう」

 そう言って頭を下げると、彼女は照れ臭そうにはにかんだ。

「どういたしまして」
「……感動的な流れのところ悪いけど、兄ちゃんはなんの用でここに来たのか聞いてもいいか?」

 男に問いかけられて、僕はこの店に入ってきた理由をようやく思い出した。

「実はこの懐中時計、動かないんですよ。時計屋さんで見てもらったんですけど、中はなにも壊れてないって言われて……。でも、ここならなにかわかるかもしれないと思って来ました」

 どれ、と男は懐中時計の背面を開け、目を凝らして部品を確認しはじめる。

「ふむ……確かに壊れてる部品はないな」

 返ってきた言葉は、他の店で言われたのと同じだった。
 この店でも駄目だったか。そう落胆する僕に、思いもよらない言葉が投げかけられる。

「けど……お前はこの時計が動かなくてもいい、って思ってるんじゃないのか?」

 言われたことの意味がわからず、僕は男をじっと見つめた。

「だってお前、その付喪神つくもがみのこと、まったく信じてないだろ。持ち主が信じていない物が動くわけあるか」

 故障の原因として挙げられたのは、あまりにも非現実的なものだった。
 しかし祖母が死ぬ瞬間まで、この懐中時計はきちんと動いていた。ということは、彼の分析もあながち間違ってはいないのかもしれない。

「現状は、付喪神がお前に一方的に片想いしてるって感じだなぁ。かわいそーに」
「えー……想いが一方通行なのは辛いなぁ」

 男の言葉に、白い着物の女性が便乗する。これではまるで、僕が悪者みたいではないか。


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