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1.「だいこうぶつ」
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――八月十五日。
信司は母と二人で墓参りにやってきた。
炎天下の墓場。日差しを遮る木々などなく、肌を焼くような日光が突き刺さる。
「あっちぃ……日当たり良すぎだろこの墓」
「日陰でジメジメしてるよりはずっといいんじゃない? でもやっぱり暑いよねぇ、お父さん」
なんて世間話を交わしながら、母は墓石に水をかけ雑巾で軽く拭き掃除をしていた。
信司も墓石の周りに生えた雑草を抜いたり、花瓶に花を生けたりと手際よく作業を進めていく。
そしてお供え物の干菓子と果物。そして父がいつも飲んでいた缶ビールを置き、線香を焚いて二人で手を合わせた。
「お父さん。信司は今東京の大学に通ってるんだよ。私もお父さんも勉強なんてできないのに……私たちのどっちに似たんでしょうね?」
まるで目の前にいるように母親は墓石に向かって言葉をかけている。
昨晩父親と会って色々近況報告を済ましている身としてはなんだかとてもむず痒かった。
「なぁ、母さん」
「ん?」
返事のない会話でも、どこか楽しそうにしている母の背中にそっと声をかけた。
「父さんってどんな人だった?」
「……あんたがお父さんの話するなんて珍しいわね」
「……まぁ、その。今まで全然そういうの聞いてこなかったし?」
意外そうな顔で信司を見上げる母と目があうと、どうにも照れ臭さが込み上げてきて頭を掻きながら目を逸らした。
「そうねぇ……口下手で不器用な人だったわよ。お酒を飲むと正反対に陽気になってよく喋ってくれるの。きっとお酒の力を借りないと思ったことを口にできなかったのよね。プロポーズしてくれた時なんて、緊張してたのかべろっべろに酔っちゃって……次の日プロポーズしてくれたことも忘れてたんだから」
「うわっ……それはないわ」
母は父との思い出を懐かしそうに笑って話してくれた。そういえば父と母の馴れ初めを聞いたのもこれが初めてかもしれない。家族の癖に信司にはまだまだ知らない父や母がいるのだと、今までどれだけ両親の話を聞いてこなかったのか呆れたくなるほどだった。
「口下手だけどとっても優しくて真面目な人。話すときに人の目をしっかり見て話すところがとっても素敵だった。でも、信司とは何を話したらいいのかわからないって、いっつも困っていたけどね」
可愛い人でしょう、と母は楽しそうにけらけらと笑う。
信司は返す言葉を思いつかないまま、母の言葉に黙って耳を傾けていた。
「本当はすぐ入院して手術をすれば良かったんだけど……また信司と離れ離れになるから。今までずっと家族と離れて暮らしていたから、最後くらいはずっと私たちと一緒にいたいって。今まで父親らしいことできなかったから、その分信司と話してたっくさん遊ぶんだって……病気なのに、お父さん今までで一番楽しそうに生き生きしてたわ」
だから、いつも父は家にいたんだ。
仕事なんてないのに、信司に心配をかけないようにわざわざスーツ姿で病院に行った。
信司が学校から帰ってくる時間に合わせて家に居たのは、少しでも息子と一緒にいるためだったのだろう。
今までの埋め合わせをするように、少しでも一緒にいたいと、あの口下手な父が何度も何度も話しかけた。
息子が受験間近で苛立っているとわかっていても話しかけ続けた。己の時間が残り少ないことをわかっていたから。
「教えてくれれば……俺も……」
「ごめんなさい。入院するまでくらいはどうしても信司に隠していたかったんだって。でも貴方にもちゃんと話していれば良かったわね……そうしたら、きっとちゃんと話せていたのに」
こうだったら、そうしたら。
なんて残された信司たちにはたらればのことしか思い浮かばない。
どれだけ願ったって時が戻ることはない。父はもう戻ってこない。けれどその誤解は解けた。父の願いも、母の思いも今ならわかる。
「……父さん。またくるよ」
もう一度手を合わせ、墓石を優しく撫でると信司は立ち上がった。
母親への親孝行作戦は、父と信司の男同士の秘密だ。母を喜ばせるたびに、こうして土産話を持って墓参りにくることにしようじゃないか。
「……なぁ、母さん」
「ん?」
「今日、唐揚げ食べたい」
久々のリクエストに母は大層驚いたように目を丸く見開いた。
目に浮かんでいた涙が引っ込んだようで、しばらく考え込んだ後深いため息をついた。
「……そうね。じゃあ今日はたらふく作りましょうか。買い物していくから最後まで付き合ってよね」
「はいはい。畏まりましたよ、お母さん」
父と息子の長い長いわだかまりが解けたことに気づいたのかは知らないが、母の口調はどこか安心したように穏やかだった。
今晩は、久々に母親の唐揚げが食べられる。唐揚げはつい先日食べたばかりだけどそれとこれとは別だ。
ニンニクと生姜がたっぷり効いた、しょうゆ味の大きな唐揚げ。
父と息子の大好物を依頼された母は、真夏に揚げ物なんて面倒くさいのよね、なんて文句を言いながらもどこか嬉しそうに微笑むその表情は、どことなく父親の笑顔と似ていたのだった。
第一話「だいこうぶつ」 完
信司は母と二人で墓参りにやってきた。
炎天下の墓場。日差しを遮る木々などなく、肌を焼くような日光が突き刺さる。
「あっちぃ……日当たり良すぎだろこの墓」
「日陰でジメジメしてるよりはずっといいんじゃない? でもやっぱり暑いよねぇ、お父さん」
なんて世間話を交わしながら、母は墓石に水をかけ雑巾で軽く拭き掃除をしていた。
信司も墓石の周りに生えた雑草を抜いたり、花瓶に花を生けたりと手際よく作業を進めていく。
そしてお供え物の干菓子と果物。そして父がいつも飲んでいた缶ビールを置き、線香を焚いて二人で手を合わせた。
「お父さん。信司は今東京の大学に通ってるんだよ。私もお父さんも勉強なんてできないのに……私たちのどっちに似たんでしょうね?」
まるで目の前にいるように母親は墓石に向かって言葉をかけている。
昨晩父親と会って色々近況報告を済ましている身としてはなんだかとてもむず痒かった。
「なぁ、母さん」
「ん?」
返事のない会話でも、どこか楽しそうにしている母の背中にそっと声をかけた。
「父さんってどんな人だった?」
「……あんたがお父さんの話するなんて珍しいわね」
「……まぁ、その。今まで全然そういうの聞いてこなかったし?」
意外そうな顔で信司を見上げる母と目があうと、どうにも照れ臭さが込み上げてきて頭を掻きながら目を逸らした。
「そうねぇ……口下手で不器用な人だったわよ。お酒を飲むと正反対に陽気になってよく喋ってくれるの。きっとお酒の力を借りないと思ったことを口にできなかったのよね。プロポーズしてくれた時なんて、緊張してたのかべろっべろに酔っちゃって……次の日プロポーズしてくれたことも忘れてたんだから」
「うわっ……それはないわ」
母は父との思い出を懐かしそうに笑って話してくれた。そういえば父と母の馴れ初めを聞いたのもこれが初めてかもしれない。家族の癖に信司にはまだまだ知らない父や母がいるのだと、今までどれだけ両親の話を聞いてこなかったのか呆れたくなるほどだった。
「口下手だけどとっても優しくて真面目な人。話すときに人の目をしっかり見て話すところがとっても素敵だった。でも、信司とは何を話したらいいのかわからないって、いっつも困っていたけどね」
可愛い人でしょう、と母は楽しそうにけらけらと笑う。
信司は返す言葉を思いつかないまま、母の言葉に黙って耳を傾けていた。
「本当はすぐ入院して手術をすれば良かったんだけど……また信司と離れ離れになるから。今までずっと家族と離れて暮らしていたから、最後くらいはずっと私たちと一緒にいたいって。今まで父親らしいことできなかったから、その分信司と話してたっくさん遊ぶんだって……病気なのに、お父さん今までで一番楽しそうに生き生きしてたわ」
だから、いつも父は家にいたんだ。
仕事なんてないのに、信司に心配をかけないようにわざわざスーツ姿で病院に行った。
信司が学校から帰ってくる時間に合わせて家に居たのは、少しでも息子と一緒にいるためだったのだろう。
今までの埋め合わせをするように、少しでも一緒にいたいと、あの口下手な父が何度も何度も話しかけた。
息子が受験間近で苛立っているとわかっていても話しかけ続けた。己の時間が残り少ないことをわかっていたから。
「教えてくれれば……俺も……」
「ごめんなさい。入院するまでくらいはどうしても信司に隠していたかったんだって。でも貴方にもちゃんと話していれば良かったわね……そうしたら、きっとちゃんと話せていたのに」
こうだったら、そうしたら。
なんて残された信司たちにはたらればのことしか思い浮かばない。
どれだけ願ったって時が戻ることはない。父はもう戻ってこない。けれどその誤解は解けた。父の願いも、母の思いも今ならわかる。
「……父さん。またくるよ」
もう一度手を合わせ、墓石を優しく撫でると信司は立ち上がった。
母親への親孝行作戦は、父と信司の男同士の秘密だ。母を喜ばせるたびに、こうして土産話を持って墓参りにくることにしようじゃないか。
「……なぁ、母さん」
「ん?」
「今日、唐揚げ食べたい」
久々のリクエストに母は大層驚いたように目を丸く見開いた。
目に浮かんでいた涙が引っ込んだようで、しばらく考え込んだ後深いため息をついた。
「……そうね。じゃあ今日はたらふく作りましょうか。買い物していくから最後まで付き合ってよね」
「はいはい。畏まりましたよ、お母さん」
父と息子の長い長いわだかまりが解けたことに気づいたのかは知らないが、母の口調はどこか安心したように穏やかだった。
今晩は、久々に母親の唐揚げが食べられる。唐揚げはつい先日食べたばかりだけどそれとこれとは別だ。
ニンニクと生姜がたっぷり効いた、しょうゆ味の大きな唐揚げ。
父と息子の大好物を依頼された母は、真夏に揚げ物なんて面倒くさいのよね、なんて文句を言いながらもどこか嬉しそうに微笑むその表情は、どことなく父親の笑顔と似ていたのだった。
第一話「だいこうぶつ」 完
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