鴉取妖怪異譚

松田 詩依

文字の大きさ
40 / 41
第伍話「血ヲ吸ウ鬼」

血ヲ吸ウ鬼・漆

しおりを挟む

「君は相変わらず面倒ごとに巻き込まれるな」

 暗い路地裏に響く低い声。
 ゆっくりと目を開けると、声の先にいたのは夜の闇に溶け込むような真っ黒の男——鴉取久郎が立っていた。

「鴉取……」
「ようやく正体を見せたな、通り魔」

 鴉取は三毛縞の傍に立つ女を見てにやりと笑うと、不穏な空気を一切恐れることなくこちらに近づいてきた。
 闇夜に鴉取の瞳の赤が夜行性動物のようにぼうっと光っている。

「……オトモダチを助けにきたの? 不味そうな臭いがするお兄さん」
「お前が正体を表すのをずうっと待っていたんだよ。お前がユキさんではないというのはミケの話を聞いて察してたからな、彼と二人になればきっと捕食行動に出ると踏んでいたんだ。だから、ミケにはなるべく人気のない道を歩くようにと指示を出した……その方が、遠慮なく襲いやすいだろう?」

 鴉取は戯けて笑って見せる。
 先ほどスクイアルの店先で別れる際に鴉取は三毛縞に耳打ちをしていた。その際、必ずこの女は正体を表すはず。自分が助けに行くまでなんとかもたせろ、と話していたのだ。

「……じゃあ私はまんまと貴方の策略にはまっていたってわけ?」
「そうなるな、お馬鹿な通り魔さん」
「私、貴方のこと大っ嫌いだわ」

 煽るような笑顔を浮かべる鴉取を女は忌々しそうに睨みつけた。

「お前の正体は怪異だったんだろう。最初はただ単に人の生気をほんの少量奪うだけだった。だが、数を重ねていくたびにいつしか欲が生まれ始めた」

 鴉取は女を見据えたまま口を開く。

「若い女の血はさぞかし美味しいことだろう。見目麗しい男の血もさぞかし美味しいことだろう。最初は無差別にいろんな人間の精気を奪っていたお前も、ついに味を覚えてしまった。そしてもっと良い血を、次は自分の体が欲しい、と徐々に欲望が生まれていった」
「そうね。そのおかげで私は上の存在になったの。誰も知られないところでひっそりと生きる怪異ではなく、この世に生まれ自分の意思で好きなことができるようになった!」

 女は嬉々として両手を広げ舞い踊って見せる。
 これまで一つの場所でじっと獲物が来るのを待っていた怪異が、自由に動ける術を見つけた。それは自由そのものだっただろう。

「本来体を持たぬものが、実体を持つのは酷く体力を消費するのだろう。だから己を保つため、狩りを続け人々から血を奪った。そしてとうとう人を殺した……殺してしまったのだろう?」

 鴉取は挑発するように女を指差した。

「人に認知されなければ怪異とは呼ばれない。お前は人の生き血を吸う通り魔、という怪異に認知され、恐れられ、どんどんと力を増していった。それも自分では制御できないほどに」
「……っ」

 その言葉に女は僅かに動揺し、歯を食いしばる。

「怪異は決して意思を持たない。故意に人を傷つけることはない。意思を持った怪異は、妖でも妖怪でもない——ただの化け物だ」

 そこまで話すと鴉取は徐に黒い手袋を外した。手袋から顔を出したのは鉤爪がある黒い鳥の左手。

「そして化け物を殺せるのは、化け物だけだ。私はお前を喰らうためにここにきた。さぁ、かかってくるがいい。相手になろう」
「……余裕ぶっちゃって。私は何人もの血を吸ったの。そう簡単に倒されるわけないでしょう? 貴方に食われるくらいなら、私が貴方を喰うわ」

 話しながら女の体は徐々に変化していく。
 牙が伸び、爪が鋭く尖り、白目が赤く変貌し眼光鋭く鴉取を見つめる。その姿はまさに鬼そのものだった。そして戦闘態勢に入るように身構えた。

「ミケ、その場を動くなよ」

 その瞬間、二人は同時に距離を詰めた。
 鴉取の左手と鬼の手がぶつかり合う。女が鴉取を仕留めようと鋭い爪で切り裂きかかかるが、鴉取はそれを最小限の動きで易々と交わしていく。
 明らかに人間ではない異種同士の戦い。三毛縞は瞬きもせず、目の前の光景を目に焼き付けていた。

「くそっ!」
「……もう、終わりか?」

 攻撃する一方だった女に疲れの色が見え始めた。すると鴉取はその隙をつき、一気に距離をつめると左手で女の首根っこを掴み、建物の壁へとおしつけた。
 その反動で壁は僅かにへこみ、女は体えめり込ませる。

「……私を、殺すの?」
「いいや」

 鴉取は女をつかんだ左腕をそのまま徐々に上へと上げる。
 女の足が地面から離れ、空中に浮く。鴉取は左手一本で女の体を軽々と持ち上げた。

「——ぐっ、私を殺したら、この借り物の体も死ぬ」

 そう女は兎沢ユキを人質にとっている。彼女を手にかけるということは同時に兎沢ユキの死を意味していた。
 そうなるときっと鴉取が手も足も出せないだろうと踏んだ女は勝ち誇ったように笑う。

「だからいっているだろう、殺しはしないと」

 だが鴉取の表情は一切崩れなかった。女を見上げ、にこりと笑う。

「食べるんだよ。お前だけをな」

 その瞬間、鴉取の左の背中から片翼が生えた。
 鴉取久郎はその体の半分に怪異が封じられている。異形の人間。この姿が彼の正体。

「なんだ、その姿は……」
「お前と同じ化け物だよ。お前は意思のない怪異とは違う。だから少々痛むかもしれないぞ……覚悟しろ」

 そうして鴉取は女を思い切り引き寄せると、女の真似をするように女の首に思い切りかぶりついた。

「いただきます」

 食事の挨拶とともに鴉取は女を——血を吸う鬼を食い始めた。
 大量の鴉が餌を啄むように、怪異を食い散らかす。咀嚼音を鳴らしながら、鴉取久郎は無我夢中で女を喰らった。

「ぎゃああああああ!」

 女の悲鳴が響き渡る。
 けれども鴉取は一切動きを止めることなく女に食らいつく。

 鴉取久郎は怪異をその体に取り込む。そうしなければ、彼は己の半身に宿る怪異に飲み込まれ化物と成り果ててしまう。
 鴉取久郎は文字通り怪異を喰らうのだ。

 口元につく血。鴉の羽を飛ばしながら食事を続ける、人間とは呼べない異形の友人の姿。
 恐ろしく、怪しく、けれども美しい。
 三毛縞公人はその光景に見惚れていた。その場から一歩も動くこともなく、一言も発することなく友人がそれを喰らう様をただじっと見つめていた。

 そしてやがて女の声は聞こえなくなった。怪異は——化物は鴉取に食われたのだ。
 怪異が消えれば兎沢ユキは解放される。意識をなくした兎沢は鴉取の腕の中に倒れ込んだ。

「よくがんばったな、もう大丈夫だ」

 兎沢の髪を撫でる鴉取の姿はもう元に戻っていた。

「——鴉取」
「ああ……ミケ。もう終わったよ」

 手の甲で口元を拭いながら鴉取はにこりと微笑んだ。

「……彼女は」
「眠っているよ。病院へ運べばすぐ治るだろう。記憶はきっとない」
「そうか……よかった」
「君も、怪我はないか」
「ああ。君のおかげでまた命を救われた、ありがとう」

 三毛縞の無事を確認すると鴉取は安心したように笑った。
 そして二人は兎沢を病院へ運ぶためにその場を離れた。あの女がいた場所には僅かな肉片と、鴉の羽が数枚落ちているのであった。



「あとはお医者様の方が診てくれるそうだ。命に別状はなさそうだよ」

 三毛縞は病院に兎沢を置いて外に出てくると、鴉取は壁にもたれて待っていた。

「そうか、何事もないなら良かったよ。さて、俺たちも帰るとするか」
「ああ」

 そうして二人はようやく帰路に着く。長い、長い一日だった。
 特に会話もなく二人で並んで歩く。兎沢と二人で歩いていた時はあんなに気になっていたはずの沈黙は全く気にならなかった。

「——なぁ、ミケ」

 珍しく会話を切り出したのは鴉取だった。

「なんだい?」
「君は俺が恐ろしくないのかい?」

 鴉取は三毛縞を見ず、真っ直ぐ前を見つめたままそう問いた。
 その瞬間三毛縞の脳裏に蘇るのは先ほどの光景。異形の左手に左肩に生える黒い片翼。そして闇の中で怪しく光る紅い瞳。確かに普通の人間とは違う姿。何も知らぬ人間が見たら腰を抜かし、化物だと罵ることだろう。

「いいや、全く」

 三毛縞はその問いを一蹴した。あまりにも潔い答えに鴉取は思わず足を止め、珍しく驚いたように目を丸くし友人を見上げた。

「鴉取と一緒にいると僕の小説のネタになる。それに、僕の書いた話は君の役に立てているんだろう? 怖くなんかないさ。だって、君は大事な友人なんだから」

 屈折なく笑う三毛縞。
 その言葉に鴉取はしばらく目を丸くし固まったかと思うと、くつくつと徐々に笑いが溢れ始めた。

「全く……無自覚な化け猫だな、ミケは」
「……は?」
「いや……こちらの話だ。君という友達がいて本当によかった」
「僕も君という友達がいてくれて本当に嬉しいよ」

 鴉取は嬉しそうに微笑んで三毛縞の肩を軽く叩いた。
 そうして二人は和やかに会話をしながら歩いていく。東都の張り詰めていた空気がどことなく緩んだように思えた。
 こうして怪異は黒い鴉が食べた。人知れずして通り魔事件は解決に向かったのである。



 それから一ヶ月後、三毛縞公人は「吸血鬼」という新作小説を発表する。
 その小説はこの間まで巷で騒がれ、未解決のまま消えていった連続通り魔事件を題材にされているということで東都の人間たちの興味を惹き一躍人気小説となった。
 結局あの騒動は未解決のまま語り継がれることになるのだが——人間というものは実に面白いもので、解決した事件より、謎を残した方が皆楽しんで考察するのだろう。
 そうして人伝に噂は広まり、東都に夜な夜な吸血鬼が現れる——という都市伝説が生まれるのはもう少し先の話である。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...