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明希の場合 14.
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あれは、もともと住んでいた家を出る少し前だったと思う。まだ離婚の話は聞いていなかったけど、子供なりに不穏な空気を察していた頃だ。
自分の部屋で寝ていた俺は、何となく目を覚ましてしまって。隣の部屋から聞こえてきた声に誘われて、つい、布団から抜け出した。
「明希は、俺が引き取るんでいいんだな」
「うん、いいよ」
「面会は、」
「あぁ別にいいよ、そういうのめんどくさいし」
「おまえ……、本当にいいのか?」
「いい、いい。私、本当は女の子が欲しかったんだよねぇ。それなのに男の子だし、あんたそっくりでかわいくないし。全然いらないわ」
母の発言に父はとても怒っていたと思う。何を言っていたのかまでは覚えていないけど。
その時の俺は、母の言ったことがうまく呑み込めていなくて、ただ「そうなんだ」と思いながら、二人に見つからないようにそっと部屋に戻った。
それから、父に母とは離れて暮らすことになったことと、引っ越すことを教えられたけど、しばらくは何事もなかったように、それまでと変わらない生活が続いた。
まぁ母はその時にはもうほとんど帰ってこなくなっていたんだけどね。
だから、その言葉の意味を本当に理解できたのは、母が家を出た日だった。
小さな鞄を抱えた母はとても楽しそうに、「じゃあね」とだけ言って振り返ることなく家を出て行った。
それを見た父は何か言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛んでいたことを覚えている。
父と母と三人で住んでいたころの記憶はおぼろげだけど、幼いころ母にひどく扱われたということはないと思う。むしろ、記憶にある母は俺を「かわいい」と抱きしめ、笑っていた。
だからこそ、俺は母を何の疑いもなく信じていたし、愛されていると思っていた。
でも、違った。
母にとって俺は、望んでいない、かわいくない、いらない子供だったのだ。
だから、俺は捨てられたのだ。もう二度と母には会えないのだと、思っていた。
それなのに、記憶の中の母とはほとんど共通点のないその人は、急に現れたその日の翌日も、その次の日も、俺の前に現れた。
もちろん無視していたんだけど、俺の後をついてくるもんだからスーパーでバイトしていることは早々にばれてしまって。その人は毎日スーパーにやって来るようになった。
それでも、なんとか避けようとしたんだけど、今度は他の店員に俺がいるかどうか話しかけるようになってしまって。
やめてくれ、と言ったら、それならバイトが終わるのを待っているからシフトを教えてと言われた。
断ったらまた他の人に迷惑がかかる。最悪、バイトをやめなければならなくなるかもしれない。それは、すごく困るから。
いたしかたなく教えたら、バイト終わりに待ち伏せをされるようになった。
無視すれば、後をついてくる。ついてこないでくれと言ったら、じゃあもっと話をしたい、だってさ。
いまさら何を話すことがあるのかと、思っていたけれど、その人は一方的に自分の話をするだけで、俺の話を聞きたがることはなかったし、家までばれるのは避けたかったから、仕方なく承諾した。
困っていたし、正直嫌だった。
でも、父親にその人のことは言えなくて。
離婚した後、無理をして作った笑顔ばかりだった父親は、今、優一朗さんといることで、とても幸せそうな顔をするようになった。その顔を曇らせてしまいたくなかった。
翔にも、話していない。
それどころか、あれ以来、翔と少しだけ距離をとってしまっている。
「明希、なんか最近疲れてない? バイト大変?」
翔は何も変わらない。ずっと、ずっと優しいまま。
でも、今はその優しさがつらい。
俺のご飯が食べたいと言ってくれるけど、どうしても家に呼ぶ気にはなれなかった。
孝太郎と一緒にいるところを想像するだけで、じくじくと胸が痛むから。
前から同じようなことがあった。その時は、ストレスのせいで腹が痛くなったんだと思っていたけど、そんなことはない。痛いのは胸で、原因はただの嫉妬だ。
わかってしまえば簡単な話だった。
初めてできた親しい友人を、翔を孝太郎にとられるのが俺は嫌だったんだ。
自分に嫉妬なんて感情があることに驚いてしまって、なかなかうまく消化できない。
前のように翔の目を見られない俺を、翔は変わらず心配してくれる。慮ってくれる。
だから、つい求めてしまいたくなる。
―――い、――――けて。
つい口に出そうになる言葉を必死に飲み込む。
言ったところで、きっとどうしようもなくて、翔を困らせるだけなんだから。
「大丈夫、ありがとな」
なんでもないふりをするしかなかった。
自分の部屋で寝ていた俺は、何となく目を覚ましてしまって。隣の部屋から聞こえてきた声に誘われて、つい、布団から抜け出した。
「明希は、俺が引き取るんでいいんだな」
「うん、いいよ」
「面会は、」
「あぁ別にいいよ、そういうのめんどくさいし」
「おまえ……、本当にいいのか?」
「いい、いい。私、本当は女の子が欲しかったんだよねぇ。それなのに男の子だし、あんたそっくりでかわいくないし。全然いらないわ」
母の発言に父はとても怒っていたと思う。何を言っていたのかまでは覚えていないけど。
その時の俺は、母の言ったことがうまく呑み込めていなくて、ただ「そうなんだ」と思いながら、二人に見つからないようにそっと部屋に戻った。
それから、父に母とは離れて暮らすことになったことと、引っ越すことを教えられたけど、しばらくは何事もなかったように、それまでと変わらない生活が続いた。
まぁ母はその時にはもうほとんど帰ってこなくなっていたんだけどね。
だから、その言葉の意味を本当に理解できたのは、母が家を出た日だった。
小さな鞄を抱えた母はとても楽しそうに、「じゃあね」とだけ言って振り返ることなく家を出て行った。
それを見た父は何か言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛んでいたことを覚えている。
父と母と三人で住んでいたころの記憶はおぼろげだけど、幼いころ母にひどく扱われたということはないと思う。むしろ、記憶にある母は俺を「かわいい」と抱きしめ、笑っていた。
だからこそ、俺は母を何の疑いもなく信じていたし、愛されていると思っていた。
でも、違った。
母にとって俺は、望んでいない、かわいくない、いらない子供だったのだ。
だから、俺は捨てられたのだ。もう二度と母には会えないのだと、思っていた。
それなのに、記憶の中の母とはほとんど共通点のないその人は、急に現れたその日の翌日も、その次の日も、俺の前に現れた。
もちろん無視していたんだけど、俺の後をついてくるもんだからスーパーでバイトしていることは早々にばれてしまって。その人は毎日スーパーにやって来るようになった。
それでも、なんとか避けようとしたんだけど、今度は他の店員に俺がいるかどうか話しかけるようになってしまって。
やめてくれ、と言ったら、それならバイトが終わるのを待っているからシフトを教えてと言われた。
断ったらまた他の人に迷惑がかかる。最悪、バイトをやめなければならなくなるかもしれない。それは、すごく困るから。
いたしかたなく教えたら、バイト終わりに待ち伏せをされるようになった。
無視すれば、後をついてくる。ついてこないでくれと言ったら、じゃあもっと話をしたい、だってさ。
いまさら何を話すことがあるのかと、思っていたけれど、その人は一方的に自分の話をするだけで、俺の話を聞きたがることはなかったし、家までばれるのは避けたかったから、仕方なく承諾した。
困っていたし、正直嫌だった。
でも、父親にその人のことは言えなくて。
離婚した後、無理をして作った笑顔ばかりだった父親は、今、優一朗さんといることで、とても幸せそうな顔をするようになった。その顔を曇らせてしまいたくなかった。
翔にも、話していない。
それどころか、あれ以来、翔と少しだけ距離をとってしまっている。
「明希、なんか最近疲れてない? バイト大変?」
翔は何も変わらない。ずっと、ずっと優しいまま。
でも、今はその優しさがつらい。
俺のご飯が食べたいと言ってくれるけど、どうしても家に呼ぶ気にはなれなかった。
孝太郎と一緒にいるところを想像するだけで、じくじくと胸が痛むから。
前から同じようなことがあった。その時は、ストレスのせいで腹が痛くなったんだと思っていたけど、そんなことはない。痛いのは胸で、原因はただの嫉妬だ。
わかってしまえば簡単な話だった。
初めてできた親しい友人を、翔を孝太郎にとられるのが俺は嫌だったんだ。
自分に嫉妬なんて感情があることに驚いてしまって、なかなかうまく消化できない。
前のように翔の目を見られない俺を、翔は変わらず心配してくれる。慮ってくれる。
だから、つい求めてしまいたくなる。
―――い、――――けて。
つい口に出そうになる言葉を必死に飲み込む。
言ったところで、きっとどうしようもなくて、翔を困らせるだけなんだから。
「大丈夫、ありがとな」
なんでもないふりをするしかなかった。
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