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5. 許さない
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“青天の霹靂”ってこういうことをいうのか。
巴はスマホの検索結果を呆然と見つめながら、頭の中に凄まじい勢いでこの言葉が駆け巡った。
今日もいつものように幼馴染である旭の部屋に夕飯を作りに行き、自分のマンションへ帰ってきたところ。本当は旭の部屋に泊まりたいが、『巴はモデルなんだからこんなところで寝かせられない』なんて意味不明な理由でなかなか許してもらえない。
――ずっと一緒にいたいと思っているのは僕だけなのかな。
心でため息を吐きながら、日課となっている“チェック”を行うためにスマホのアプリを開いた。
便利な世の中で本当によかったとつくづく思う。
スマホにたった一つアプリを入れるだけで、今旭が何に興味を持っていて、誰といつ、どんなやり取りをしていて、そして今、どこにいるのかまでわかる。しかもそれを旭に知られることなく、だ。
旭は電子機器に疎く、スマホも巴に言われて上京する際にようやく買った。だから“設定”と称してこのアプリを入れることはいとも簡単だった。もちろん、気づく様子もない。まぁ気づかれたところで「心配だったんだ」とでもいえば旭なら許してくれるだろう。
そんな風だから、旭はスマホを持っているだけで大して使っていないし、わざわざ毎日チェックするような変化もない。いつも大学の友人らとのやり取りを覗いたり、居場所を確認したりするくらいだった。
でも、最近は見逃せない変化が一つあった。数日前、突然旭が実家に呼び出されたのだ。
旭は実家のある村をとても嫌っており、そのことを旭の両親もよくわかっている。だから、上京してからはお正月に一日顔を見せに行くくらいで、ほとんど帰っていなかった。
それなのに、突然呼び出されるなんて、きっとただ事ではない。
メッセージのやり取りなら見られるのに、電話だったせいで肝心の呼び出された理由がわからない。訃報であれば、同じ村の出身である巴も呼ばれるはずだから、旭の家に何かあったと考えるのが妥当だ。
結局スマホからその理由を知ることはできず、さっき実家から戻ってきた旭に直接尋ねてみたが、あからさまにはぐらかされた。だから今日はもう一度スマホをくまなくチェックをして、なんとしてでも何があったかを把握しなければならない。
旭のことで巴に知らないことなどあっていいはずがないのだ。
まずは居場所の確認。今も問題なく自分のアパートにいる。
次はメッセージのやり取り。今日は巴としかやり取りをしていない。ということは手掛かりなし。
いろいろと確認を進めていくと、新しいアプリが一つ追加されていることに気が付いた。名前からは何のアプリかわからない。自分のスマホで検索した結果を見て、思わずスマホを落とした。
カツンと言う音と共に床に転がったスマホを慌てて拾い、再度確認するがその結果に間違いはない。
――男性限定のマッチングアプリ……?! なんでこんなもの……!!
旭は女の子にも大して興味はなさそうだが、だからと言って男がいいというふうでもなかった。
たとえ性的指向が男であったとしても、旭はアプリまで使って唐突に出会いを求めるような性格ではない。そもそも、“恋愛”というもの自体に興味がないのだ。
だが、検索履歴にも“男との出会い”を捜す言葉がずらっと並んでいる。なぜ、どうして、という言葉が頭をこだまする中、震える指でチェックを進めていく。でも、その理由がわかるようなものは何も出てこない。
巴は思わず、クソッとスマホをソファに投げつけた。
――なんで僕がいるのに、他の男と出会う必要があるの?!
旭の一番近くにいる男は間違いなく巴だ。それを差し置いて、わざわざアプリまで使って“知らない男”と会う必要があるということは、巴には頼めない、明かせない何かがあるということだ。
それが何なのかはわからないが、タイミングから見て実家に呼び出されたことと関係があるのだろう。
自棄になっても仕方がない。これまでのように冷静に今の状況を把握し、打開策を練らなければならない。
――旭、大切な僕の神様……。絶対に誰にも渡さない。
旭は子供頃から格別にかわいかった。つややかな黒髪に、重くないのか思ってしまうほど、長くて濃い睫毛。筋の通った小ぶりな鼻の下にあるプルンと赤い唇。初めて会ったのはまだ三歳の時だったけど、その衝撃はいまだに忘れない。その可憐さに目が釘付けになった。
本人に一切自覚はないが、今もそれは変わらない。それなりに身長もあるから子どもっぽいわけでも、女性っぽいわけでもないのに、成人した男性としてはありえないほどに可憐なままだ。とはいえ、巴が旭を“神様”だと思っている理由は、もちろんその外見だけではない。
母親に連れていかれた何もない村は、巴に悪意しか向けなかった。母親はすぐに巴を置いていなくなったし、祖父母も表面的には巴をかわいがってはくれたが、その悪意から逃げることも抵抗することも許してはくれなかった。だから、ただただ耐えるしかなかった。それができたのはまぎれもなく、旭がいたからだ。
旭はその可憐な外見に反して、とても負けん気の強い子供だった。
巴が耐えることしか許されなかった悪意に旭は一人で立ち向かってくれた。梅雨時の雨のように降り続ける悪意に、旭は一緒に打たれてくれた。
それで親に怒られても、旭は怯むどころか、さらに反抗心を強めた。
旭の両親は村の人たちのように巴に悪意を向けることはなかったが、あくまで『傍観者』としての立場を貫いた。村の人たちからの信仰で成り立っている神社の神主なのだ。村を敵には回せないし、そうまでして巴を守る理由もなかったのだろう。大人になった今ならそう思える。
でも、同情的な目も結局は悪意と変わらない。いくら“家の中”では優しくしてくれたとしても、助けてくれない傍観者だって加害者なのだ。とはいえ、そのおかげで旭は実家も嫌ったから、結果オーライだとも思っている。
旭はよく、『大人になったら必ず一緒にこの村を出よう』と言っていた。その言葉が巴はたまらなく嬉しかった。もちろん、重要なのは『村を出ること』ではなく、『一緒に』というところだ。旭と一緒にいられるのならば、村でも、それこそ地獄でもどこでもよかった。
何もない村には唯一あった旭の家が神主を務める神社は、村の規模にそぐわないほど立派で美しい神社だった。その神社を、巴の祖父母はもちろん、村の人はとても大切にしていた。
そこには神様がいて、村を助けてくれるのだと言っていた。
でも、その神様は巴を助けてくれたことはない。
巴を助けてくれたのは旭だけだった。
だから、今も昔もずっと、巴の神様は旭だけだ。
祖父母は神様に助けてもらう代わりに、住まいであるお社をきれいにしたり、お供え物をしたりする必要があると言っていた。
だから、旭のために家事を完璧に身に着けた。
旭は全く家事ができないから、毎日のように旭の部屋を訪れるいい口実にもなった。
旭が使う物だって良いものでないといけない。そのためには金も必要だ。そう思って高校卒業前から始めたモデルは割のいい仕事だった。
モデルの仕事と学業を両立させるために旭とは違う大学に進学したが、旭の動向はアプリで把握できるから問題ないし、何より早く“自分で稼いだお金”を手に入れたかった。
祖父母は十分なお金を与えてくれるが、それで買ったものは祖父母のものであって、自分のものではない。だからこそ、自分で稼いだお金を使って買ったものを旭に使ってほしかった。
毎日巴の作った食事を食べ、巴が買い与えたものを使う旭を見ていると、旭を構築する全てに自分の名を刻んでいるような満足感があった。
それから、神様は大切に想い続けてないと怒っていなくなってしまうとも言っていた。
だから、いつも旭のことを考えた。ずっと見ていた。
そうしているうちに旭の全てを知っておかないと気が済まなくなった。
でも、成長するにつれて交友関係が広がると、それは当然難しくなる。
それを表すかのように、中学に入ってすぐ巴と旭は別のクラスになった。
もちろん登下校は毎日一緒だったが、それでも知らないことが増えていく。特に、巴の知らないところで旭に近づく人間がいることが許せなかった。巴から旭を奪おうとしているかのように思えた。
そんなこと許せるはずがない。
だから、旭に近づき、巴から奪おうとする人間は全て排除することに決めた。
巴には旭が唯一であるように、旭にも巴が唯一になれば、ずっと一緒にいられる。
そう思った。
幸い“かわいすぎる”旭に興味を示す女の子はあまりいなかったし、たまにいても巴が声を掛ければあっさりそちらになびいた。
男は少しだけ厄介だった。 “友人”という立場を利用して旭に気安く触れるし、一緒にいる時間も長い。女子と違って気軽に誘うわけにもいかないから、どうしようかと思っていたが、そもそも旭を不埒な目で見るような奴なら、巴にも簡単にそういう目を向けるということが分かった。
自分が優れた容姿に生まれたのは、こういう穢れた人間を旭に近付けないためなのだと思った。
こうして時間をかけて少しずつ旭を巴しかいない真綿の檻に閉じ込めていった。
それなのに見知らずの男に突然奪われるなんて、ありえない。絶対に許さない。
でも、スマホから得られる情報だけでは詳細がわからない。本人を問い詰めるわけにもいかない。答えが出ないまま気が付くと夜が明けていた。
――とにかく今日会いに行って、直接探るしかない。
そう思っていたのに、昼過ぎに旭から来たメッセージが巴をさらに窮地に追い込んだ。
『風邪を引いたから、治るまでしばらく部屋には来ないでくれ』
旭は本気でこの件から巴を除外するつもりだ。
旭が自分から離れて行こうとしているという恐怖と怒りで、震えが止まらない。
――そんなこと絶対に許さない。
この対応を誤れば旭を失うかもしれない。
でも、うまくいけばこれをきっかけに旭を完全に閉じ込めることができるかもしれない。
これまで感じたことない激情に巴は飲み込まれていった。
とりあえず、メッセージは当たり障りなく返した。
会いに行くと言っても絶対に拒否されるだろうとは思っていたが、案の定『夏休みの間は実家に帰ることにした』なんて、百パーセント嘘の返事が来た。でも、裏を返せば、そんな嘘をついてまで巴とは会いたくないのだろう。
無理に押し通しても警戒を深められるだけだ。だからここはいったん“泳がせて”おく。きっとそうしておけば旭は行動を始める。そして、逃げられないところで捕まえればいい。
旭が実家に帰ってから三日後、巴の予想通り旭は動き始めた。
例のアプリで、男と会う約束をしたのだ。
待ち合わせたのは同性愛者向けのお店がたくさんある街の駅だった。やってきた男はスーツ姿の好青年。背が高く、顔もいい。巴は思わず心の中で舌を打った。
――でも、まだ、だ。
グッと拳を握り、二人の後をつけて店に入ると、二人はカウンターに座り、旭は男が頼んだお酒を口にしながら何やら楽し気に話をしている。
巴も二人が見えるテーブルにつき、適当なものを頼む。出されたお酒を軽々しく口にする旭の警戒心の薄さに、テーブルに運ばれてきたグラスを握る手に思わず力が入る。
何やら巴のいるテーブルにやってきた男がべらべらと話しかけてくるが、全く耳に入ってこない。旭が男と話していることが気になって仕方がない。家に帰ったら盗聴できるものを捜そうと心に決めた。
今にも飛び出していきたい気持ちを何とか堪えながら二人の様子をじっと見つめていたが、男が旭の髪を撫でた瞬間、思わず持っていたグラスを床に落とした。
その音ににわかに店内が騒然とする。べらべらと話していた男が「服にかかった」などとうるさく喚いたせいで、一瞬旭から目を離したすきに旭は店の外へ連れ出されてしまった。
慌てて追いかけて店を出たが、それほど遅い時間ではない駅から続く通りにはたくさんの人が行きかっており、二人の姿はもう見当たらない。
大きく舌を打ち、『落ち着け』と自分に言い聞かせながらスマホを取り出して急いでアプリを起動する。居場所はそれでわかるのだ。
――早く、早く!!!
アプリが起動する数十秒ですらもどかしい。ようやく示した旭の位置に向かって走り出した。
「旭、帰るよ」
まさに間一髪だった。必死に走り、見つけた旭がいた場所の先にはラブホテルが何軒もある。そこに連れ込まれてからでは捕まえるのは難しかっただろう。
旭は驚いていたが、無理やり腕を引き駅でタクシーに二人で乗り込んだ。
初めは抵抗していた旭も、巴のマンションに着いた頃には随分と大人しくなり、巴に腕を引かれるまま部屋へと入った
ところが、巴が手を離した瞬間、旭は膝から崩れ落ちるように床に倒れ込んだ。
「旭?!」
「んぁっ!」
抱き起そうと触れた瞬間、旭はビクンと体を震わせ、熱のこもる声を漏らした。体を丸めながら肩を震わせ、荒い息を吐き出す旭に、思わず巴はゴクリと息を呑んだ。
もう一度手を伸ばした瞬間、旭と視線が合った。いつも曇りなく強い光を放つ旭の真っ黒な瞳は、見たことのない熱に濡れていた。
「とも、え……ごめん……」
荒い息とともに伸びてきた手は巴の首に回され、唇が重なった。
巴はスマホの検索結果を呆然と見つめながら、頭の中に凄まじい勢いでこの言葉が駆け巡った。
今日もいつものように幼馴染である旭の部屋に夕飯を作りに行き、自分のマンションへ帰ってきたところ。本当は旭の部屋に泊まりたいが、『巴はモデルなんだからこんなところで寝かせられない』なんて意味不明な理由でなかなか許してもらえない。
――ずっと一緒にいたいと思っているのは僕だけなのかな。
心でため息を吐きながら、日課となっている“チェック”を行うためにスマホのアプリを開いた。
便利な世の中で本当によかったとつくづく思う。
スマホにたった一つアプリを入れるだけで、今旭が何に興味を持っていて、誰といつ、どんなやり取りをしていて、そして今、どこにいるのかまでわかる。しかもそれを旭に知られることなく、だ。
旭は電子機器に疎く、スマホも巴に言われて上京する際にようやく買った。だから“設定”と称してこのアプリを入れることはいとも簡単だった。もちろん、気づく様子もない。まぁ気づかれたところで「心配だったんだ」とでもいえば旭なら許してくれるだろう。
そんな風だから、旭はスマホを持っているだけで大して使っていないし、わざわざ毎日チェックするような変化もない。いつも大学の友人らとのやり取りを覗いたり、居場所を確認したりするくらいだった。
でも、最近は見逃せない変化が一つあった。数日前、突然旭が実家に呼び出されたのだ。
旭は実家のある村をとても嫌っており、そのことを旭の両親もよくわかっている。だから、上京してからはお正月に一日顔を見せに行くくらいで、ほとんど帰っていなかった。
それなのに、突然呼び出されるなんて、きっとただ事ではない。
メッセージのやり取りなら見られるのに、電話だったせいで肝心の呼び出された理由がわからない。訃報であれば、同じ村の出身である巴も呼ばれるはずだから、旭の家に何かあったと考えるのが妥当だ。
結局スマホからその理由を知ることはできず、さっき実家から戻ってきた旭に直接尋ねてみたが、あからさまにはぐらかされた。だから今日はもう一度スマホをくまなくチェックをして、なんとしてでも何があったかを把握しなければならない。
旭のことで巴に知らないことなどあっていいはずがないのだ。
まずは居場所の確認。今も問題なく自分のアパートにいる。
次はメッセージのやり取り。今日は巴としかやり取りをしていない。ということは手掛かりなし。
いろいろと確認を進めていくと、新しいアプリが一つ追加されていることに気が付いた。名前からは何のアプリかわからない。自分のスマホで検索した結果を見て、思わずスマホを落とした。
カツンと言う音と共に床に転がったスマホを慌てて拾い、再度確認するがその結果に間違いはない。
――男性限定のマッチングアプリ……?! なんでこんなもの……!!
旭は女の子にも大して興味はなさそうだが、だからと言って男がいいというふうでもなかった。
たとえ性的指向が男であったとしても、旭はアプリまで使って唐突に出会いを求めるような性格ではない。そもそも、“恋愛”というもの自体に興味がないのだ。
だが、検索履歴にも“男との出会い”を捜す言葉がずらっと並んでいる。なぜ、どうして、という言葉が頭をこだまする中、震える指でチェックを進めていく。でも、その理由がわかるようなものは何も出てこない。
巴は思わず、クソッとスマホをソファに投げつけた。
――なんで僕がいるのに、他の男と出会う必要があるの?!
旭の一番近くにいる男は間違いなく巴だ。それを差し置いて、わざわざアプリまで使って“知らない男”と会う必要があるということは、巴には頼めない、明かせない何かがあるということだ。
それが何なのかはわからないが、タイミングから見て実家に呼び出されたことと関係があるのだろう。
自棄になっても仕方がない。これまでのように冷静に今の状況を把握し、打開策を練らなければならない。
――旭、大切な僕の神様……。絶対に誰にも渡さない。
旭は子供頃から格別にかわいかった。つややかな黒髪に、重くないのか思ってしまうほど、長くて濃い睫毛。筋の通った小ぶりな鼻の下にあるプルンと赤い唇。初めて会ったのはまだ三歳の時だったけど、その衝撃はいまだに忘れない。その可憐さに目が釘付けになった。
本人に一切自覚はないが、今もそれは変わらない。それなりに身長もあるから子どもっぽいわけでも、女性っぽいわけでもないのに、成人した男性としてはありえないほどに可憐なままだ。とはいえ、巴が旭を“神様”だと思っている理由は、もちろんその外見だけではない。
母親に連れていかれた何もない村は、巴に悪意しか向けなかった。母親はすぐに巴を置いていなくなったし、祖父母も表面的には巴をかわいがってはくれたが、その悪意から逃げることも抵抗することも許してはくれなかった。だから、ただただ耐えるしかなかった。それができたのはまぎれもなく、旭がいたからだ。
旭はその可憐な外見に反して、とても負けん気の強い子供だった。
巴が耐えることしか許されなかった悪意に旭は一人で立ち向かってくれた。梅雨時の雨のように降り続ける悪意に、旭は一緒に打たれてくれた。
それで親に怒られても、旭は怯むどころか、さらに反抗心を強めた。
旭の両親は村の人たちのように巴に悪意を向けることはなかったが、あくまで『傍観者』としての立場を貫いた。村の人たちからの信仰で成り立っている神社の神主なのだ。村を敵には回せないし、そうまでして巴を守る理由もなかったのだろう。大人になった今ならそう思える。
でも、同情的な目も結局は悪意と変わらない。いくら“家の中”では優しくしてくれたとしても、助けてくれない傍観者だって加害者なのだ。とはいえ、そのおかげで旭は実家も嫌ったから、結果オーライだとも思っている。
旭はよく、『大人になったら必ず一緒にこの村を出よう』と言っていた。その言葉が巴はたまらなく嬉しかった。もちろん、重要なのは『村を出ること』ではなく、『一緒に』というところだ。旭と一緒にいられるのならば、村でも、それこそ地獄でもどこでもよかった。
何もない村には唯一あった旭の家が神主を務める神社は、村の規模にそぐわないほど立派で美しい神社だった。その神社を、巴の祖父母はもちろん、村の人はとても大切にしていた。
そこには神様がいて、村を助けてくれるのだと言っていた。
でも、その神様は巴を助けてくれたことはない。
巴を助けてくれたのは旭だけだった。
だから、今も昔もずっと、巴の神様は旭だけだ。
祖父母は神様に助けてもらう代わりに、住まいであるお社をきれいにしたり、お供え物をしたりする必要があると言っていた。
だから、旭のために家事を完璧に身に着けた。
旭は全く家事ができないから、毎日のように旭の部屋を訪れるいい口実にもなった。
旭が使う物だって良いものでないといけない。そのためには金も必要だ。そう思って高校卒業前から始めたモデルは割のいい仕事だった。
モデルの仕事と学業を両立させるために旭とは違う大学に進学したが、旭の動向はアプリで把握できるから問題ないし、何より早く“自分で稼いだお金”を手に入れたかった。
祖父母は十分なお金を与えてくれるが、それで買ったものは祖父母のものであって、自分のものではない。だからこそ、自分で稼いだお金を使って買ったものを旭に使ってほしかった。
毎日巴の作った食事を食べ、巴が買い与えたものを使う旭を見ていると、旭を構築する全てに自分の名を刻んでいるような満足感があった。
それから、神様は大切に想い続けてないと怒っていなくなってしまうとも言っていた。
だから、いつも旭のことを考えた。ずっと見ていた。
そうしているうちに旭の全てを知っておかないと気が済まなくなった。
でも、成長するにつれて交友関係が広がると、それは当然難しくなる。
それを表すかのように、中学に入ってすぐ巴と旭は別のクラスになった。
もちろん登下校は毎日一緒だったが、それでも知らないことが増えていく。特に、巴の知らないところで旭に近づく人間がいることが許せなかった。巴から旭を奪おうとしているかのように思えた。
そんなこと許せるはずがない。
だから、旭に近づき、巴から奪おうとする人間は全て排除することに決めた。
巴には旭が唯一であるように、旭にも巴が唯一になれば、ずっと一緒にいられる。
そう思った。
幸い“かわいすぎる”旭に興味を示す女の子はあまりいなかったし、たまにいても巴が声を掛ければあっさりそちらになびいた。
男は少しだけ厄介だった。 “友人”という立場を利用して旭に気安く触れるし、一緒にいる時間も長い。女子と違って気軽に誘うわけにもいかないから、どうしようかと思っていたが、そもそも旭を不埒な目で見るような奴なら、巴にも簡単にそういう目を向けるということが分かった。
自分が優れた容姿に生まれたのは、こういう穢れた人間を旭に近付けないためなのだと思った。
こうして時間をかけて少しずつ旭を巴しかいない真綿の檻に閉じ込めていった。
それなのに見知らずの男に突然奪われるなんて、ありえない。絶対に許さない。
でも、スマホから得られる情報だけでは詳細がわからない。本人を問い詰めるわけにもいかない。答えが出ないまま気が付くと夜が明けていた。
――とにかく今日会いに行って、直接探るしかない。
そう思っていたのに、昼過ぎに旭から来たメッセージが巴をさらに窮地に追い込んだ。
『風邪を引いたから、治るまでしばらく部屋には来ないでくれ』
旭は本気でこの件から巴を除外するつもりだ。
旭が自分から離れて行こうとしているという恐怖と怒りで、震えが止まらない。
――そんなこと絶対に許さない。
この対応を誤れば旭を失うかもしれない。
でも、うまくいけばこれをきっかけに旭を完全に閉じ込めることができるかもしれない。
これまで感じたことない激情に巴は飲み込まれていった。
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待ち合わせたのは同性愛者向けのお店がたくさんある街の駅だった。やってきた男はスーツ姿の好青年。背が高く、顔もいい。巴は思わず心の中で舌を打った。
――でも、まだ、だ。
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慌てて追いかけて店を出たが、それほど遅い時間ではない駅から続く通りにはたくさんの人が行きかっており、二人の姿はもう見当たらない。
大きく舌を打ち、『落ち着け』と自分に言い聞かせながらスマホを取り出して急いでアプリを起動する。居場所はそれでわかるのだ。
――早く、早く!!!
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「旭?!」
「んぁっ!」
抱き起そうと触れた瞬間、旭はビクンと体を震わせ、熱のこもる声を漏らした。体を丸めながら肩を震わせ、荒い息を吐き出す旭に、思わず巴はゴクリと息を呑んだ。
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