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一章

どこぞの主役のプロローグ

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ここセレソン王国にはロックガーデンという地帯がある。
20種ほどの鉱石を栽培し加工するこの鉱園はウェイブ家という貴族によって管理されていた。

ウェイブ家現当主ウェイブ=ネイム 、35歳。

300年も続くこの産業を任されているわりには、
所有する土地も資産もそうでもない、いわゆる田舎貴族という立ち位置だ。

そのパッとしない立ち位置は他の貴族にとっては嘲笑の対象ではあったが、
その評価に対しては何も思うことはなく、
特に見返そうなど成り上がろうなどという野心もない。
この国の貴族によく見られる貴族第一主義というわけでもない。
外見にしても目鼻が立っているというわけでもなく、
オシャレとは無縁の存在で、コートより作業着の方を着ている時間が長い。

ただ、よく領民の声を聞き、よく働き、いつも穏やかで、よく笑った。
凡夫であるからこそ名主である。

それが彼の周りからの評価だった。

そんな彼が屋敷から十数キロ離れた鉱園で仕事もせずうんうん唸りながら右往左往してる姿は、
普段の彼を知っている人にとっては初めて見る光景であった。

原因は明け方から産気づいた妻の容態についてだ。

彼の妻、ヴィクトリアの懐妊がわかったのはちょうど2年前の夏のことだった。
今まで子宝に恵まれなかった夫妻は、二人で飛び跳ねて喜び、
私財を売ったお金で二回もお祭りを催した。

子供ができないことで夫妻が悩んでいたことを知っていた領民たちは心から祝福し、
振舞われたお酒で気持ちよくなりながら生まれてくる子供の健康と安寧を願った。

彼らの子供はお腹の中で順調に育ち、冬をこえ母体ともに健康。
あとは来年の春先に生まれてくるのを待つばかりであった。

しかし一年たっても、その翌月、翌々月をすぎても、
彼らの子供はまったく生まれる気配はなかった。
なぜ生まれないのかと夫妻が首を傾げているうちに、また冬がきた。
子供は既にお腹の中で死んでいるのではないのかと誰もが思ったし、医者もそう判断した。

もしかしたらお腹の子供は人間ではなく、悪魔がいるのではないかと領民の間でも噂になった。
そんな風評と妻の容態が心配なウェイブは妻に切開手術を提案したが、ヴィクトリアはそれを拒んだ。
この時代の切開手術はそこまで精度の高いものではなく、また母体にも非常に負荷がかかる。
それにヴィクトリアはどこか絶対に生まれて来ることを確信してるようでもあった。

生まれて来るのを無理に開けて取り出すのはよくないわ。
それにこんなにもお腹で元気に動き回ってるんですもの。
きっととんでもない傑物になるわ。
それか本当に、みんなの言うように悪魔の子かもね。

といつものように態度を変えず微笑みながら語る妻を見て、
ウェイブはなにがあろうとも妻を守ることを心に誓ったのだ。

そして二度目の冬をこえ、すっかり暖かくなった春の先。
ついにその日が訪れた。


産気づき苦しむ妻の横で何をしていいかわからず部屋の中を右往左往するだけのウェイブは、
使用人に邪魔だと早々に退場させられた。


部屋から追い出されて既に12時間。鉱園について10時間。
それでも落ち着きなく歩き回るウェイブを見かねた使用人や鉱夫たちが、彼に落ち着くよう諭しているところ、
なんとも可愛らしい泣き声が風に乗って彼に届いた。


どんな音をも聴き逃すまいとしようとしても普通なら気づきようがないかぼそい声だったのだろうが、
彼には確かに聞こえたのだ。


瞬間、歩き回り過ぎてパンパンになったウェイブの足はまるで新品の頃を思い出したかのように、
けたたましい音を立てながら地面を蹴り殴った。

旦那様、馬の方が早いのではと、鉱夫の一人が後ろより声をかけたが、
鉱夫が言い終わる頃には、彼の姿は遥か彼方に豆粒のように見えるばかりであった。


「ヴィクトリア!!」
ウェイブは彼女の寝室へのドアを開くなり愛する妻の名を大声で叫んだ。

「ああ、ウェイブ来てくれたのね……って、
あなたどうしたのそのかっこ。来る途中で狼にでも襲われたのかしら」

ヴィクトリアは、多少疲れが見えるものの、以前いつもの調子と優しい口調で自分の夫にそう尋ねた。
見ればウェイブの格好は全速力で走ったおかげで、ズボンは泥がはね、上着にいたっては走ってる途中で全て吹き飛び、
最近目立って来たお腹がこれでもかと自己主張していた。

「旦那様なんとはしたない!! しかもこんな泥だらけで!! そんな格好で奥様ばかりかご子息に近づくなど、
このセルベス絶対に許しません!!」

ウェイブが入って来るなり怒鳴り付けているのは、
セルベスというネイム家のメイド長。
ネイム家に30年使え、すでに初老と呼ばれる年ではあるが、
非常に経験豊富で、仕事も誰よりも早い。
今回の出産にあたっても助産師を務めた厳格な性格の女性だ。


「……子供!! ということは……!!」
このメイド長の気の強さが苦手なウェイブも、今回ばかりは引いてはいられず、
セルベスを押しのけ前に進もうとしたが、

「旦那様!! まずは体を清める方が先です!!」
どんな力で押してもセルベスは押しのけれるどころかビクともしなかった。
ウェイブは左右に逸れては妻の元に進もうとするがその度にセルベスはウェイブの行く手を塞ぐ。

「いいのよセルベス」
ヴィクトリアはそんな彼らのやり取りを見ながらクスクス笑いながらそういった。

「でも奥様」
「わかってるわ。ウェイブ、あなたそんな泥だらけで私や子供に病気でも移ったらどうするの?
いいから着替えて来なさいな。
それにあなた、自分の子供に初めて見せる姿がそんなだらしないお腹を丸出した姿で本当にいいの?」

そう優しく諭すヴィクトリアの言葉を聞いて、初めて自分の格好に気づいたウェイブは、

「す、すぐに着替えて来る!!」
顔を赤らめながらそういって足早に部屋を飛び出した。



十分後、身なりを整えたウェイブが彼女の寝室へ戻ってきた。
ウェイブは多少髪のセットが崩れていたが、セルベスはもう何も言わなかった。
一歩一歩ゆっくり彼女へと歩みを進める。

微笑むヴィクトリア。
その腕に抱かれスヤスヤと眠っている子供。

「……ああ」

望んでやまなかった自分たちの子供。
それが妻と一緒に迎えてくれている。
ウェイブは涙が抑えられなかった。
彼女の傍に腰を下ろす。

「どっちだった?」
「女の子。残念だけど今からお嫁に行っちゃうことも考えないとね」
「何をバカなことを。僕は絶対嫁がせたりはしないからね。しかし」

ウェイブは自身の子供をその目で改めて観察する。妻にそっくりな美しい金髪。
そして可愛らしく口元をゆがめた際に見える綺麗な歯。
妻に似て美人になるのは間違いない。
だが。

「赤ん坊、ではないわよねぇ」
ヴィクトリアは少し困ったような笑みを浮かべた。

そうなのだ。
ウェイブやヴィクトリア自身も生まれたばかりの赤ん坊を見たのは、1、2回あるくらいではあったが、
記憶にあるのはもっとしわくちゃでお猿さんのような姿をしていた。
しかし生まれて来た子は、
どう見ても生まれたばかりには見えない既に1歳くらいは立ってるような体の大きさだった。

「ケンペ先生も初めてですって。こんなにも遅い出産で、しかもしっかりと二年分お腹の中で成長している子なんて」

ヴィクトリアが戸惑うウェイブにそう告げる。

ケンペ先生はネイム家のお抱え医師で、既に年は60を越えてはいるが腕のいい医師だった。
お腹の中で子供は死んでいると判断し、切開をすすめたのもケンペ先生であるため、
生まれて来た子を見て先生自身声を上げるほど驚いた。
今は無事職務を全うし、今は仮眠をとっているのだが、
セルベスは少し彼に思うとこがあるようだった。

「あのヤブ医者、あんなに腹を切れだ、
私の経験からして子供が生きている可能性は低い、などと言っておいてこれなのですから。
旦那様そろそろ彼におひまを取らせた方がよろしいのではないのですか」

自他共に厳しいセルベスの辛辣な言葉にウェイブとヴィクトリアは苦笑した。

「まぁいいじゃないですか。こうやって生まれて来てくれたのもケンペ先生のおかげです」
「そうだよセルベス。それにこんな田舎貴族のとこへ来てくれる医者ってだけでもありがたいもんさ。
僕はなにも気にしてないよ」

二人の本心からくる言葉を聞いてセルベスは小さくため息をはいた。
この夫婦はこういう気性であるから使用人にも領民にも甘い。
誰にも分け隔てなく優しいのはいいことだが、雇用主であるということを自覚し、
厳格な態度を取らねばならない時もあるというのに。

だからといって口に出すなど野暮なことはしない。
主人に足りない部分があるのならそこを補うのが従者の役目であることを彼女は理解しているのだ。

「では私は席を外します。何かあればすぐお呼びください」
さっと一礼。
そして無駄のない所作でセルベスは部屋を後にした。


「……怒らせちゃったかな?」
「違うわよ、そろそろ私たちだけにしてあげようというセルベスの気遣いよ」
なるほどと、ウェイブは頷いた。

「誰も彼も私にはもったいないくらいできた人たちだよ」
「ええ、ほんとそう思うわ」
妻の思わぬ同意に少しウェイブが動揺すると、ヴィクトリアはクスクス笑いながら
「でも私に取ってもあなたは私にはもったいないくらい素敵な旦那様よ」
とウェイブに告げた。

ウェイブは一瞬キョトンとした顔を作り、そして赤面し、そして彼女の目を見ながら微笑んだ。
彼は今日初めての口づけを妻と交わし、お疲れ様とありがとうを彼女に告げた。



「で、名前はどうしようか」
「あら、男の子ならアーサー、女の子ならエレナ。そう決めていたじゃない」

すっかり陽も落ち、ランプの光のみに照らされた室内で語る夫婦。
二人の子供は今もヴィクトリアの腕の中で寝息を立てていた。

「いやしかしだね、彼女の顔を眺めていたらもっと相応しい名があるような気がして来て」
いやエレナもいい名前だと思うけどね、と付け足すウェイブ。

「まぁ呆れた。昔から優柔不断だと思っていたけどこういうとこでもそうなのね。
私と妹、どちらをもらう時の話だってあなたって人は」

「ま、まぁまぁそれはいいじゃないか、ねぇキミも何かいい名前はないかい?」

よっぽど掘り返されたくない話だったのか、取り繕うように自分の子供へと尋ねるウェイブ。
もちろんそんな問いに答えが返って来るはずもなかったのだが、

——ソウザ

自分たち以外誰もいないはずの室内。
男のような低い声が聞こえた、気がした。

顔を見合わせる夫婦。

「……聞こえたかい?」
「……ええ、聞こえたわ」

子供は今もスースーと可愛いらしい寝息を立てている。

静寂が部屋に沈んでいく。

ウェイブはこの時、ある頃の妻の言葉を思い出していた。


——それか本当に、みんなの言うように悪魔の子かもね。



明日の朝、集会が開かれ子供が生まれたことと、生まれた子の名前が領民に周知された。
生まれた子の名はソウザ=ネイム。
あまり可愛くない名前ではあるなと誰しもが思ったが、
領民たちはネイム家の繁栄とソウザのこれからを祝福したのであった。

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