愛されたがりのオオカミは、愛したがりのトラに抱かれる。

野中にんぎょ

文字の大きさ
10 / 12

ほんとうに欲しかったもの、あげたかったもの

しおりを挟む
「ミラ神父」
 オルガンの手入れをしているミラ神父に近づけば、彼は昔から変わらない柔和な笑みを浮かべてマダラに視線を向けた。マダラは磨いた銀のロザリオを彼に差し出し、「ありがとうございました。ミラ神父にお返しします」と頭を下げた。
 ミラ神父はこっくりと頷いてからロザリオを受け取り、「もう今夜には?」と静かに尋ねた。この方には何もかもお見通しなのだと、マダラは相好を崩し、「はい」と答えた。
「またいつでも帰って来なさい。ここはお前の家。ここにはいつでもお前の家族がいる」
 その温かい抱擁をいつまでも感じていたかった。けれど、もう、前に進めるから。自分には帰る場所があるのだと、胸を張って言えるようになったから。
 物陰からこちらを見つめていたエバーに頷いて見せれば、エバーもまた微笑みを浮かべて頷いた。兄妹のように育った二匹に言葉はいらなかった。眼差し一つで互いの考えていることが手に取るように分かる。それは血を分けることよりも難しいことなのかもしれなかった。
 少ない荷物をボストンバックに詰め込み、月影の下で玄関の段差に腰掛ける。
今日この時、ここで出会えなかったら、甘い感傷を胸に別の街で生きて行こう。マダラはそんなことをつらつらと考え、抱えた膝に面を埋めて彼を待った。
 シシと二匹で生きていけたらどんなにいいか。
 そう思っていたのに、口に出せなかった。シシも臆病だけれど、自分も大概だ。臆病な二匹だから、寄り添ってちょうどいい。そう思ってるのは自分だけなのだろうか。なあ、シシ――。
「マダラ」
 月夜に声が降る。
 マダラはその声に、ゆっくりと顔を上げた。……上げてから、気が付いた。マダラは泣いていた。涙に濡れた頬に夜風が触れる。歪んだ視界の向こうには、月と同じ輝きを纏った眼差しがふたつ、揺れていた。
「一度も、愛してるなんて、言ってくれなかったのに」
 彼を見た途端に恨み言が口をついて出て、マダラは思わず肩を揺らして笑ってしまった。涙を流しながらこちらを詰るマダラを、シシは無言のままに見つめた。
 シシは少し変わってしまっていた。
 艶を纏ったスーツを身に纏い、金色の髪は小奇麗にまとめ、日雇いの工事現場には間違っても行けないような革靴を履いている。それでも、彼の瞳は、表情は、何一つ変わっていなかった。あの頃の、マダラと愛し合っていた頃の、シシだった。
「愛してるなんて、言えなかった」
 うち震えた声に、マダラは涙を拭って彼を確かめた。
「本気で愛していたから、愛してるなんて、言えなかった。君を失ってしまうかもしれないと思うと、怖かった。口づけを交わしても、君のフェロモンを知っても、それだけは確かめられなかった。君を僕のものだと言うので精一杯だった」
 シシは拳を胸で固く握った。「手紙なら伝えられると思った。どうしても伝えたかった。君の心を……繋ぎ止めたかった。ごめん……」言ったきり、項垂れる彼。マダラは立ち上がり、彼の傍へと歩み寄った。
「あの贈り物は、お前が?」
「だって僕もしっぽながおじさんだ。ちゃんと自分で働いたお金で贈ったものだよ。君を近くに感じたいと願っていたら、自然とそうしてた。でも今は……それ以上に、彼らに喜んで欲しいと思ってる。彼らは僕の小さな友人だから」
「自分の家には帰れたの?家族には?」
「自分の足で帰ったよ。……家があることの、家族がいることのありがたみを、この歳になって初めて知ったよ。でも、マダラ、僕が帰りたいのは――、」
 二匹は月影の下で眼差しを深く交わした。
 思い出すのは、あの狭くて古い畳の部屋のこと。そこには薄っぺらのラグが一枚、小さなちゃぶ台が一つ置いてある。風呂もなければテレビも洗濯機も電子レンジもない。二匹で台所に立てばおしくらまんじゅうになってしまう。……なのに、帰りたい。帰りたくてたまらない。あの部屋こそが、二匹の帰る場所だったから。
「僕が帰りたいのは、君の居たあの部屋」
 二匹で一つのフライパンの中身を分け合って、小さな布団に入り温もりを分かち合って、「ただいま」「おかえり」を繰り返した。これからも飽きるほど繰り返すのだと、そう信じて疑わなかった。……そんな、青く、痛々しいほどに真っ直ぐな日々だった。
「僕はばかだ。あんな部屋、なんて言ったのに、帰りたくてたまらない。どんなに広い部屋も、どんなに景色の素晴らしい部屋も、君が居なければ何の意味もない。……僕はあの部屋を何度だって夢に見る。明け方になると君が玄関の鍵を開ける音が何度だって聞こえて来る。君の温もりが、君の声が、何度だって、僕の胸の中に蘇る。……ごめん。君の作り上げて来たものを、あんな言葉で――、」
 シシの瞳に自分が映り込む。マダラはそれを見つめながらシシの胸に両手をつき、背伸びをして彼の唇をふさいだ。……身長差の為に、その口づけは的からわずかに外れた。けれど次の瞬間にはシシがマダラの腰を両手で掴み、首を傾げて探るように唇を合わせてくれた。
 深く長いキスの後、それでもまだ何か言いたげにしているシシに、マダラは困ったように微笑んだ。
「子どもたちの欲しいものは分かるのに、俺が欲しいものは分からないの?もう、曲がりくねった話はいいよ。ごめんもいらないよ。なあシシ、もう怖がらないで。俺の欲しいものを、ちゃんとちょうだい。そうしたら俺、」
 今度はマダラが唇をふさがれる番だった。
「マダラ、愛してる」
 唇が離れた一瞬で、シシははっきりと口にした。ハッとしてその言葉に応えようとするとまた性急に唇を奪われ、言葉は互いの唇の間へと吸い込まれてしまった。悲しみも寂しさも戸惑いも離れていた時間も、全てを拭い去るような熱っぽいキスに、マダラもまた精いっぱいに応えた。
「シシ」
 やっとのことで名前を呼べば、きつく抱きすくめられる。懐かしい温みにほろ苦く甘ったるい記憶が氾濫して、マダラは目の前の胸に面を埋めた。
「帰ろう。僕たちの家に」
 広い胸の中で彼の言葉に小さく頷くと、肩口でシシが微笑んだ気配がした。空に薄く弧を描いた月だけが、身を寄せ合う二匹をいつまでも見つめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

処理中です...