卑屈ギャル♂、自己肯定感爆上げな恋をする

野中にんぎょ

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チョトツモーシンの代償

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 土曜日の午後五時、茜は弾んだ足取りで駅を出た。行き先はあのライブハウスだ。
「ジャズハウス・ライブハウス 潮騒しおさい」では、毎週土曜日の午後六時から「U-20」という若手アーティスト限定の対バンライブを催している。優成もきっとそこにいるに違いない。電車で衝撃的に出会い、潮騒で運命的に再会し、それから電撃的に結ばれて……!
「茜。こんな時間にこんな場所で何してんの」
 妄想のシャボン玉がパチンと弾ける。いやな予感がして振り返ると、そこには腰に手を当てた紫苑……だけでなく、新まで立っていた。「広尾、邪魔して悪いな」そう思うなら、来るんじゃねー!
「紫苑っ! なんでこいつまでいんだよぉ!」
「ついさっき、駅で偶然出会ったの。ジャズに興味があるんだって」
「そんな偶然があるかー!」
 今回は邪魔しないって言ったくせに! むくれる茜を後目に、紫苑と新は並んでおしゃべりしながら繁華街を進んだ。なんだよ、来るなんて一言も言ってなかったくせに……。微笑み合う二人に心がモヤッと陰る。
「あっ、すんませんっ!」
 どっ。前方から走って来た男が紫苑にぶつかる。あっ……。新の手が紫苑を支えるようにその背に伸び、茜は息を詰めた。
「ちょっと、茜!」
 紫苑の声で我に返る。気が付くと、茜は紫苑と新の間に割り込み、新を突き飛ばしていた。えっ、なんでおれ、こんなことっ……。驚いている新と視線が通じ、茜は面を真っ赤にした。
「茜、そんなことしたら危ないよ」
「だ、だって……、」
 心に立ち込めた靄がぐるぐると渦巻き始める。だっていやだ、こんなのいや、なんでかは分かんないけどとにかくいや! 混乱している茜の手を取り、紫苑は「仕方ないな」と言って茜を真ん中にしてくれた。
「小林、ごめん……」
 おずおずと新に謝罪すると、彼は「ん?」と、何もなかったかのようにこちらを向いてくれた。
「おれは大丈夫だ。おまえの久住にくっついて悪かったな」
 また、あの眩しそうな微笑み。なんで? おれ、おまえを突き飛ばしたのに。新の態度に不満さえ感じ、けれど、靄掛かっていた心に陽が差し込む。潮騒に着く頃には、茜はいつもの調子を取り戻していた。
「おれがドリンク取って来るから、紫苑はここで小林といて」
 潮騒は狭い入口からは考えられないほど人でごった返していた。同年代の客が多いかと思いきや、その半数以上が大人で、茜はきょろきょろしながらカウンターへ向かった。
「君、学生? ここは初めて?」
 ドリンクを注文すると、カウンターの男が茜に問いかけた。
「学生です。こーゆーところに来るのは初めてで、中に入るまでは緊張してたんですけど、思ったより平気みたい」
「あはは。いいね。君、ちょっとやんちゃ系? 学校、髪染めていいの?」
 いつの間にか伸びて来た手に髪を梳かれ、けれど兄の過剰なスキンシップに慣れている茜は、「そう。やんちゃ系。成績ヤバイおちこぼれ系」と笑って返した。男の瞳がゆらりと光った。
「いつもこの辺で遊んでるの? 学校どこ?」
「ううん。よく遊んでるのは、」
 はぷ、と息と声が出口を失う。大きな手に口元を覆われ、茜は瞳を瞬かせた。気が付くと、茜は新の腕の中にいた。
「んぐ、むぐーっ!」
「広尾、おしゃべりはおしまいだ。久住が待ってるぞ」
 目の前のペットボトル三本を、もう片方の大きな手が器用に引き寄せる。新は背中越しに茜を抱き寄せたまま、男に向かってあの微笑みとは別の微笑みを向けた。
「すみません。こいつ、おれのツレで。……広尾、行こうか」
 肩を抱かれ、くるりと方向転換させられ、茜は息を止めたまま硬直した。どっくん、どっくん、どっくん……。肌の下で心臓が跳ね回る。新を見上げると、暗い照明の下、猛禽類のように鋭い眼差しが前を射抜いていた。
「小林、紫苑は、」
「うん。近くで待ってもらってる。大丈夫、おれの帽子を貸しておいたから。この暗がりじゃ顔は見えない」
 茜はその言葉にホッとし、それと同時に、ずっと一人で抱えていた危惧を新が汲み取っていてくれたことに驚かされた。「小林」呼ぶと、新はこちらの心を覗き込むように視線を重ねてくれた。
「久住が心配なんだろう。だけど、久住もおまえが心配していたぞ。昨日、久住にしては長いラインが来て。おまえが一人でライブハウスに行くんじゃないかとやきもきしていたぞ。ことおまえに関して、久住の予想はよく当たる。久住に隠し事をするのは諦めるんだな」
「なんで小林と紫苑がラインすんの」
 おれは小林の連絡先を知らないのに、という不満は伏せ、茜は新を睨め上げた。
「どうしてだろうな。おれはあまり他人とそういうやりとりをしないが、久住とは共通のトピックがあるからか苦じゃないな」
「それって、おれのこと? 二人でおれの悪口とか言ってんの?」
「悪口じゃないよ」
 耳元に置くように囁かれ、胸がきゅうっと疼く。どく、どく、どく……。心臓がもうずっと忙しない。ずっとこうしていたい気持ちと、一刻も早く離れたい気持ちがせめぎ合う。
 頬が、耳が、身体のあちこちが熱い。頭はぽうっとして、足元はふわふわして、胸はムズムズして……。おれ、どうしてこんな気持ちになってるんだろう?
 紫苑が見えてくると、茜は心からホッとして紫苑の元へ駆け寄った。
「茜、ナンパされてたでしょ?」
「ナンパ? されるわけないじゃん。ほら、ジンジャエール」
 肩を竦めた紫苑が新と「ねえ?」というふうにアイコンタクトを取っているのを見て、茜はそっぽを向いた。
 照明が暗くなると、茜はむくれていたことも忘れてステージを見つめた。
 袖から出て来たのは、あの日のように髪を掻き上げた優成だった。
 彼の手元で光る黄金色の楽器。「紫苑、あの楽器なんていうの?」「テナーサックスだよ」よく分かんないけど、かっこいい……。茜は薄く唇を開けたまま優成の演奏に聴き入った。
 金色の照明に照らされ溶けてしまいそうな彼は、凛々しい美貌とは裏腹に甘い音でメロディーを歌い上げた。キラキラの楽器に、キラキラのステージに、キラキラの彼。茜は頬を染めてうっとりした。
 演奏が終わって真っ先に拍手をした茜に、優成は視線を止めた。眼差しが触れ合って、茜はときめきを感じるままにはにかんだ。そう、ここから二人の愛が始まるのだ。
「紫苑! 小林といて! すぐに戻って来るから!」
 優成が袖にはけた瞬間、茜はライブハウスを飛び出した。真面目な彼のことだ、演奏が終わったらすぐに帰ってしまうに違いない。
「優成君!」
 茜の予想は的中した。優成はもうすでに繁華街を抜けようとしていて、茜は咄嗟に彼の名を呼んでしまった。
 優成は茜を振り返った。……けれど、彼の表情は、あの熱っぽい演奏とはかけ離れた、冷め切ったものだった。
「どうしておれの名前知ってんの。てか、誰」
 冷たく突き放され、けれど茜はめげなかった。こんなの慣れっこだ。
「おれのこと分かんない? おれ、この間、電車で優成君に助けてもらったんだよ。ここに来てびっくりした。優成君にまた出会えるなんて」
 おもねるように笑みを浮かべると、優成は鼻で笑い、「何言ってんの、おまえ」と吐き捨てた。
「名前知ってて? こんな場所で会って? 偶然なわけないだろ。おまえ、何? ストーカー?」
 え……、なに? なにが起こってんの?
 じりじりと詰め寄られ、茜は後退りした。優成は戸惑っている茜を突き飛ばし、尻もちをついた茜を冷めた目で見下ろした。
「ストーカーも痴漢と同じ犯罪だってこと、おまわりさん呼んで教えてあげようか?」
 動けなくなった茜にしゃがんで視線を合わせ、優成は意地悪く笑った。……これが、優成君? おれの、王子様?
「ちょっと! 茜になにしてんの!」
 街のネオンに混じり、キャップを被った幼馴染が駆けて来る。紫苑は茜と優成の間に割って入り、キャップを優成に叩きつけた。
「警察? 呼びなよ。これは立派な暴力だよ。警察の世話になるのはあんたの方。それがいやなら茜に謝って!」
 声を荒げる紫苑に驚き、茜は紫苑の肩に触れた。けれど紫苑はその手を払い、「ダッサい男」と優成に向かって吐き捨てた。
「弱いヤツほど虚勢を張る。それをボクはよく知ってる。あんたも間違いなくそれだよね。……茜に謝って。じゃないと、あの店に来てたこと学校に言うよ。あんたの行ってるような進学校じゃ一発で停学になっちゃうかもね」
 優成は紫苑の言葉に青筋を立てたけれど、何かに気付いたように口を噤み、その場から去って行った。
「大丈夫か!?」
 地面にへたり込んだ二人の元へ新が駆けて来る。茜は怒りで身を震わせている紫苑の横顔を見つめた。紫苑は傷ついている。そのことが、茜には手に取るように分かった。

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