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愛のためなら、愛し方も変えられる?
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「……はよ」
昨日の身なりのままでポトフを皿に注いでいると、昴が背中に声を掛けてくれた。睦月はほっとして、けれど泣き腫らした顔を見られるのが恥ずかしくて、振り向かずに「おはよっ!ご飯の準備するからちょっと待っててね!」と明るい声を張り上げた。
二人の間に沈黙が落ちる。昴の朝食を炬燵机の上に並べてから、睦月は台所の隅で立ったままジャムパンを齧った。いちごジャムの甘さが睦月の心を底から掬い上げる。
いや。昴君と離れるなんて、絶対にいや。
「す、昴君」
ジャムパンを平らげ濃い目に淹れた珈琲を一気飲みしてリビングの入り口に立つ。
「昨日はごめんなさい」
謝罪の意を強く示したくて深く頭を下げたが、昨夜の出来事が昨日のことなのか今日のことなのか、眠っていない睦月には分からなかった。
「もう、昴君の職場には、行かない」
顔を上げると、昴は眼差しだけを上げて睦月を見つめていた。睦月は自身のスマートフォンとスマートトラッカー四つを炬燵机の上に並べ、昴の前に改まった。
「黙ってて、ごめんなさい。僕、昴君に内緒で、昴君のスマホにGPSのアプリ入れて……、監視みたいなこと、してて。ごめんなさい、もうしない、アプリももう僕のスマホから消したから!」
「……」
「そ、それと、上着とかいつもの鞄とかにスマートトラッカーも入れてて……、これで全部なの。昴君が持ってて。僕、もう、君を監視したりしない!」
「……」
「昴君のスマホ見るのも止める!暗証番号っ……変えといて!僕、今の暗証番号分かってるから!それと、それと……」
無言のまま机の上のスマートトラッカーを手に取る昴。睦月は腫れた瞼をぎゅっと閉じて「もう、嫉妬も、しない。やきもち、一生、焼かない」と声を振り絞った。
僕、生まれ変わらなきゃ。まるまま、違う僕にならなきゃ。
眼差しを鋭くし、睦月はラグに額を擦りつけて「ずっとずっと、ごめんなさい。だから、別れないでください……」と声を震わせた。「はあ」一拍遅れていつもの溜息が降って来る。
「服と靴、用意しといて」
立ち上がり、そうとだけ言って洗面所に消えていく昴。睦月はぱっと面を上げて「は、はい!」と声を上ずらせた。
……別れなくて、済んだ?昴の寝ぐせを整えながら、メイクを施しながら、服を選びながら、睦月は愛しい昴と別れなくて済んだことを実感し徐々にいつもの調子を取り戻していく。
「昴君っ、昨日はごめんねっ!今までごめんねっ!僕たちが愛し合ってれば誰がどんなことしてきたって関係ないもんね?嫉妬なんか時間の無駄だよねっ!」
睦月はタンブラーを手に取った昴の胸に飛び込み頬を擦り寄せた。「仲直りのチューして!」「なんで。いつもお前が勝手に一人で騒いでるだけじゃん」二人の間にいつもの空気が戻って来て、睦月はほっと心を緩ませた。
ベランダに飛び出し、車に乗り込んでいる昴に大きく両手を振る。
「すばるくーん!あいしてるよー!」
昴はこちらを見たものの、手を払う仕種をして車に乗り込んでしまった。けれどフロントガラス越しに見えた昴はほんの、ほんの少しだけ目を細めてこちらを見ていて、睦月はそれだけで胸がいっぱいになってしまった。
絶対に生まれ変わって、昴君と一生一緒に暮らすんだ!
睦月は天に拳を掲げ、家を飛び出した。ママチャリを胸の高鳴りのままにぐんぐん飛ばし、店まで全速力で駆け抜ける。散らかしっぱなしになっていた厨房を整頓し、窓を開け放っていつもより念入りに掃除をする。
僕は生まれ変わるんだ!
その言葉もまた、呪いのように「別れるから」の隣にくっついた。睦月はただ無心にシンクを磨き続けた。
「なんだいその彼。ムツキを一晩中寒空の下に放って、ずいぶん冷たいヤツじゃないか」
さざんくろすのカウンター。ランチの後の珈琲を傾けながら源城は珍しく声を荒げた。睦月は慌てて「そういう話じゃないの!注目するべきところはそこじゃなくって……」と話題の矛先を逸らそうとする。
「ボクが思うに……その顧客、トラブルになったのはこれが初めてじゃないね。彼が顧客とのトラブルを上手く処理できていないからいざこざが長引いているんじゃないのか?」
「ええ?でも、そんな話、昴君からは聞いてないけど……」
「言わせてもらうけどね、君たち、慢性的なコミュニケーション不足だよ。情報の共有が全くなされていない。すれ違うのも当然だ」
「すれ違ってなんかないもん。確かに僕が喋るばっかりだけど、昴君はいろんな方法で僕に愛を伝えてくれるもん!」
「例えば?」
「ごはん残さず食べてくれたり……、毎日家に帰って来てくれたり……」
「もうそれは聞き飽きたよ!そんなの!鳩にだって出来るじゃないか!君たちは人間だろう。恋人に言葉と態度を尽くさないで一体誰にそうするんだ?……トラブルの後に恋人を夜道に一人残して自分は車で帰る、なんて論外だよ。彼は本当に君のステディなのか?」
睦月の頭の中で白い鳩が「くるっぽー」と鳴いた。第三者の視点が睦月と昴の世界に介入し、二人の関係を精査しようと目を光らせる。どこかいたたまれなくなり、睦月は握り合わせた両手をしきりに揉んだ。
「僕たちはそれでいいのっ。……僕、昴君を一生大切にするって、そのままの昴君を愛するって、そう誓ったんだもん」
「それは好意を寄せている相手と奴隷契約を結んだって話かい?」
「奴隷じゃなくて恋人!昴君は僕を奴隷扱いしたことなんてないもんっ。いつも恋人として大切にしてくれてるもん!」
――一生、昴君を大切にします!まるごと、どんな昴君でも受け止めます!僕を昴君の恋人にしてください!
何度も何度も愛の告白を断られて、けれど睦月はめげなかった。毎週のようにデートに誘って、「行かない」と言った彼を待ち合わせ場所で何時間も待って、果ては昴の勤めるサロンのスタッフからも気の毒がられて、けれど睦月はずっとしあわせだった。
――俺は誰とも付き合う気ないから。ついでに言うと、客と付き合うなんて論外だから。
すげなくされても、プレゼントを突き返されても、睦月は何度だって「僕は昴君がすき!」と堂々と想いを伝えた。……おそらく、睦月のアタックに心を打たれたわけではなく、ただ単に面倒になったのだろう。半年も経つ頃、昴は突然に折れた。
――ホントのホントに、どんな俺でも大丈夫?
初めてデートの待ち合わせ場所に来てくれた昴が睦月の手を握ってそう尋ねた。ただもうそれだけで脳内がオーバーヒートしてしまった睦月は何を尋ねられているのかも分からず、けれど昴相手に「NO」の文字はないのでコクコクと何度も頷いた。
――じゃあ、付き合ってみようかな。俺のこと、本気で大切にしてね。
気まぐれでもお試しでも構わない。睦月は昴の手を握り返し、彼を「本気で大切にする」と誓った。どんな昴でも、そんな彼を大切にすることでどんなに自分が惨めになっても、本気で愛して、本気で大切にしてきた。もう、五年も。
「愛の形は様々だね。ボクの経験不足だ。すまない親友。君が大切だから過ぎた言葉を並べてしまった。こんなボクをどうか許して」
「源城君が僕を思って言ってくれてるのは分かってる!だから謝らないで!アイシングをたっぷりかけたレモンケーキを出すから紅茶でもどう?」
「ワオ!なんて完璧な友人なんだ、君は!心から愛してるよ、ムツキ」
「えへへえ。僕も愛してる」
カウンター越しに熱いハグを交わす二人。常連のおじいさんたちはこの応酬に慣れっこになってしまい「またか」といった様子で珈琲を傾けている。
「むっちゃん、ランチまだやってる?」
カロン、と揺れるドアベル。厚いドアの向こうから知里が顔を覗かせた。「やってるよ!Bランチしか残ってないけどいい?」「やった!全然いいっ。カウンター空いてる?」睦月が手招きすると知里は黒のワンピースを揺らしてカウンター席に腰を下ろした。
「むっちゃ~ん……。なんかビジュの強い紳士がいるんだけどっ」
二つ離れた席に居る源城のことだろう。声を潜ませても雰囲気で美貌を噂されているのを感じたのか、源城は涼しい笑みを浮かべて知里に会釈した。
「こちらは源城一誠君。前の職場の同僚なんだ。先月ドイツから日本に戻って来たばかりなの。……源城君、こちらは深瀬知里ちゃん。昴君のサロンで働いているスタッフさんだよ」
源城は歓迎の笑みを湛え「会えて光栄です、知里さん」と手を差し伸べた。職業柄、麗しい人種に慣れている知里でさえ頬を赤らめて握手に応えた。
「むっちゃ~ん!こんなイケメンいるなら連絡しといてよ~!メイク直して来たのにっ」
「ええ?知里ちゃんはそのままで十分可愛いじゃない。Bランチのご飯は白米と五穀米が選べるけどどうする?ハンバーグも大根おろしかデミグラスソースか選べるよ」
知里は一瞬むっと眉間に皺を寄せ、けれど次の瞬間にはそれをほどいて「五穀米で大根おろし!」と答えた。大根おろしとシソを乗せた和風ハンバーグに生野菜のサラダ、季節の野菜を使った三種の小鉢、オニオンスープ。知里の前にランチのお膳を置けば、藤色の爪を乗せた指先が睦月の手に触れた。
「あのね、むっちゃん、この間はごめんね」
「全然。僕こそごめんね。雰囲気悪くしちゃったね。知里ちゃんは気にしないで」
「……や、そういうわけには。奥泉君に今日呼び止められて、むっちゃんはもうここには来ないからカルテ削除しといてって言われて」
この一言には睦月も驚いた。五年通って、昨日の今日で?あのサロンに通った五年は昴との五年そのもの。胸がズキッとしたけれど、睦月は努めて笑みを浮かべた。
「そっか。でも、知里ちゃんのせいじゃない。僕のせい。気にしないでね」
触れていただけの知里の手指が、するりと手を握る。「むっちゃん」知里は反対の手で一枚のメモを差し出した。
「これね、私の連絡先。お客さんとスタッフだった頃はそういうのよくないから渡せなかったんだけど。……髪、もううちで切れないんでしょ?私、お姉ちゃんがネイルサロン開いてて。よかったらなんだけど……、むっちゃんの髪、そこで私に切らせてくれないかな」
急な申し出に睦月は戸惑った。「知里ちゃん、本当に気にしないで」「もちろん、奥泉君には内緒にする。ばれたらきっとお互いに怒られちゃうし」知里はちろりと舌を出していたずらっぽく笑った。
「知里さん。ムツキの言う通りだよ。そんなに気にすることはない。家に帰れば美容師の恋人がいるんだ、家で彼に切ってもらえばいい」
助け舟を出した源城を横目で見やり知里は笑みを深めた。
「むっちゃんはそういうこと出来ない人なんです」
その声音はどこか頑なだった。「だよね?むっちゃん」尋ねられ、睦月は瞳を瞬かせた。知里の手は睦月の手を離し、箸を取った。
「奥泉君、ちょっとひどいよ。カルテだってむっちゃんとの思い出じゃんね。なんて、部外者の私がこんなこと言うの、おかしいけど。私、五年も傍で二人を見て来たから、なんかちょっとむかついちゃった」
眉根を寄せて可愛らしく笑う知里をよそに、源城は睦月に向かって「なぜ?」と眉を顰めた。
「なぜ家で髪を切ってもらうのが嫌なの?君の恋人は美容師なんだろう?」
その問いに睦月が答える前に、知里はサラダを掴んだ箸を下ろし源城に面を向けた。
「奥泉君がプロの美容師だからですよ。彼の技術は全グループ内でも上位に食い込む腕前です。私は彼と同期ですけど、彼のカットにはすでに指名料が加算されています。私のカットは五千円、けれど彼がカットすると六千五百円。……むっちゃんは奥泉君の努力を誰よりも近くで見て来たから、そんなことを家でさせるわけがありません」
パクンとサラダを食み「このドレッシングおいしー」と頬を綻ばせる知里。源城の睨むような視線に耐えかねて、睦月は面を俯かせた。
「むっちゃんの料理って最高。私の奥さんになってよお」
「ふふ。ここの喫茶店を畳まなくちゃならなくなったらそうしようかな」
カウンターの空気を和ませたくて知里の軽口に乗る。源城はますます眉間の皺を深くしてレモンケーキに噛り付いた。知里の連絡先が書かれた紙が空調の風に端を揺らしている。睦月は紙を手に取りエプロンのポケットへ押し込んだ。
「むっちゃん。カットしたくなったら連絡してね」
知里は人差し指を口元に持って行き微笑んだ。サロンでは見たことのなかった表情に、睦月はわずかに動揺してしまう。
「……はあ」
知里の去った店内、睦月はお膳を下げながら溜息を吐いた。僕のカルテがなくなった。もうこれで本当にサロンに行けなくなってしまった……。
昨日の身なりのままでポトフを皿に注いでいると、昴が背中に声を掛けてくれた。睦月はほっとして、けれど泣き腫らした顔を見られるのが恥ずかしくて、振り向かずに「おはよっ!ご飯の準備するからちょっと待っててね!」と明るい声を張り上げた。
二人の間に沈黙が落ちる。昴の朝食を炬燵机の上に並べてから、睦月は台所の隅で立ったままジャムパンを齧った。いちごジャムの甘さが睦月の心を底から掬い上げる。
いや。昴君と離れるなんて、絶対にいや。
「す、昴君」
ジャムパンを平らげ濃い目に淹れた珈琲を一気飲みしてリビングの入り口に立つ。
「昨日はごめんなさい」
謝罪の意を強く示したくて深く頭を下げたが、昨夜の出来事が昨日のことなのか今日のことなのか、眠っていない睦月には分からなかった。
「もう、昴君の職場には、行かない」
顔を上げると、昴は眼差しだけを上げて睦月を見つめていた。睦月は自身のスマートフォンとスマートトラッカー四つを炬燵机の上に並べ、昴の前に改まった。
「黙ってて、ごめんなさい。僕、昴君に内緒で、昴君のスマホにGPSのアプリ入れて……、監視みたいなこと、してて。ごめんなさい、もうしない、アプリももう僕のスマホから消したから!」
「……」
「そ、それと、上着とかいつもの鞄とかにスマートトラッカーも入れてて……、これで全部なの。昴君が持ってて。僕、もう、君を監視したりしない!」
「……」
「昴君のスマホ見るのも止める!暗証番号っ……変えといて!僕、今の暗証番号分かってるから!それと、それと……」
無言のまま机の上のスマートトラッカーを手に取る昴。睦月は腫れた瞼をぎゅっと閉じて「もう、嫉妬も、しない。やきもち、一生、焼かない」と声を振り絞った。
僕、生まれ変わらなきゃ。まるまま、違う僕にならなきゃ。
眼差しを鋭くし、睦月はラグに額を擦りつけて「ずっとずっと、ごめんなさい。だから、別れないでください……」と声を震わせた。「はあ」一拍遅れていつもの溜息が降って来る。
「服と靴、用意しといて」
立ち上がり、そうとだけ言って洗面所に消えていく昴。睦月はぱっと面を上げて「は、はい!」と声を上ずらせた。
……別れなくて、済んだ?昴の寝ぐせを整えながら、メイクを施しながら、服を選びながら、睦月は愛しい昴と別れなくて済んだことを実感し徐々にいつもの調子を取り戻していく。
「昴君っ、昨日はごめんねっ!今までごめんねっ!僕たちが愛し合ってれば誰がどんなことしてきたって関係ないもんね?嫉妬なんか時間の無駄だよねっ!」
睦月はタンブラーを手に取った昴の胸に飛び込み頬を擦り寄せた。「仲直りのチューして!」「なんで。いつもお前が勝手に一人で騒いでるだけじゃん」二人の間にいつもの空気が戻って来て、睦月はほっと心を緩ませた。
ベランダに飛び出し、車に乗り込んでいる昴に大きく両手を振る。
「すばるくーん!あいしてるよー!」
昴はこちらを見たものの、手を払う仕種をして車に乗り込んでしまった。けれどフロントガラス越しに見えた昴はほんの、ほんの少しだけ目を細めてこちらを見ていて、睦月はそれだけで胸がいっぱいになってしまった。
絶対に生まれ変わって、昴君と一生一緒に暮らすんだ!
睦月は天に拳を掲げ、家を飛び出した。ママチャリを胸の高鳴りのままにぐんぐん飛ばし、店まで全速力で駆け抜ける。散らかしっぱなしになっていた厨房を整頓し、窓を開け放っていつもより念入りに掃除をする。
僕は生まれ変わるんだ!
その言葉もまた、呪いのように「別れるから」の隣にくっついた。睦月はただ無心にシンクを磨き続けた。
「なんだいその彼。ムツキを一晩中寒空の下に放って、ずいぶん冷たいヤツじゃないか」
さざんくろすのカウンター。ランチの後の珈琲を傾けながら源城は珍しく声を荒げた。睦月は慌てて「そういう話じゃないの!注目するべきところはそこじゃなくって……」と話題の矛先を逸らそうとする。
「ボクが思うに……その顧客、トラブルになったのはこれが初めてじゃないね。彼が顧客とのトラブルを上手く処理できていないからいざこざが長引いているんじゃないのか?」
「ええ?でも、そんな話、昴君からは聞いてないけど……」
「言わせてもらうけどね、君たち、慢性的なコミュニケーション不足だよ。情報の共有が全くなされていない。すれ違うのも当然だ」
「すれ違ってなんかないもん。確かに僕が喋るばっかりだけど、昴君はいろんな方法で僕に愛を伝えてくれるもん!」
「例えば?」
「ごはん残さず食べてくれたり……、毎日家に帰って来てくれたり……」
「もうそれは聞き飽きたよ!そんなの!鳩にだって出来るじゃないか!君たちは人間だろう。恋人に言葉と態度を尽くさないで一体誰にそうするんだ?……トラブルの後に恋人を夜道に一人残して自分は車で帰る、なんて論外だよ。彼は本当に君のステディなのか?」
睦月の頭の中で白い鳩が「くるっぽー」と鳴いた。第三者の視点が睦月と昴の世界に介入し、二人の関係を精査しようと目を光らせる。どこかいたたまれなくなり、睦月は握り合わせた両手をしきりに揉んだ。
「僕たちはそれでいいのっ。……僕、昴君を一生大切にするって、そのままの昴君を愛するって、そう誓ったんだもん」
「それは好意を寄せている相手と奴隷契約を結んだって話かい?」
「奴隷じゃなくて恋人!昴君は僕を奴隷扱いしたことなんてないもんっ。いつも恋人として大切にしてくれてるもん!」
――一生、昴君を大切にします!まるごと、どんな昴君でも受け止めます!僕を昴君の恋人にしてください!
何度も何度も愛の告白を断られて、けれど睦月はめげなかった。毎週のようにデートに誘って、「行かない」と言った彼を待ち合わせ場所で何時間も待って、果ては昴の勤めるサロンのスタッフからも気の毒がられて、けれど睦月はずっとしあわせだった。
――俺は誰とも付き合う気ないから。ついでに言うと、客と付き合うなんて論外だから。
すげなくされても、プレゼントを突き返されても、睦月は何度だって「僕は昴君がすき!」と堂々と想いを伝えた。……おそらく、睦月のアタックに心を打たれたわけではなく、ただ単に面倒になったのだろう。半年も経つ頃、昴は突然に折れた。
――ホントのホントに、どんな俺でも大丈夫?
初めてデートの待ち合わせ場所に来てくれた昴が睦月の手を握ってそう尋ねた。ただもうそれだけで脳内がオーバーヒートしてしまった睦月は何を尋ねられているのかも分からず、けれど昴相手に「NO」の文字はないのでコクコクと何度も頷いた。
――じゃあ、付き合ってみようかな。俺のこと、本気で大切にしてね。
気まぐれでもお試しでも構わない。睦月は昴の手を握り返し、彼を「本気で大切にする」と誓った。どんな昴でも、そんな彼を大切にすることでどんなに自分が惨めになっても、本気で愛して、本気で大切にしてきた。もう、五年も。
「愛の形は様々だね。ボクの経験不足だ。すまない親友。君が大切だから過ぎた言葉を並べてしまった。こんなボクをどうか許して」
「源城君が僕を思って言ってくれてるのは分かってる!だから謝らないで!アイシングをたっぷりかけたレモンケーキを出すから紅茶でもどう?」
「ワオ!なんて完璧な友人なんだ、君は!心から愛してるよ、ムツキ」
「えへへえ。僕も愛してる」
カウンター越しに熱いハグを交わす二人。常連のおじいさんたちはこの応酬に慣れっこになってしまい「またか」といった様子で珈琲を傾けている。
「むっちゃん、ランチまだやってる?」
カロン、と揺れるドアベル。厚いドアの向こうから知里が顔を覗かせた。「やってるよ!Bランチしか残ってないけどいい?」「やった!全然いいっ。カウンター空いてる?」睦月が手招きすると知里は黒のワンピースを揺らしてカウンター席に腰を下ろした。
「むっちゃ~ん……。なんかビジュの強い紳士がいるんだけどっ」
二つ離れた席に居る源城のことだろう。声を潜ませても雰囲気で美貌を噂されているのを感じたのか、源城は涼しい笑みを浮かべて知里に会釈した。
「こちらは源城一誠君。前の職場の同僚なんだ。先月ドイツから日本に戻って来たばかりなの。……源城君、こちらは深瀬知里ちゃん。昴君のサロンで働いているスタッフさんだよ」
源城は歓迎の笑みを湛え「会えて光栄です、知里さん」と手を差し伸べた。職業柄、麗しい人種に慣れている知里でさえ頬を赤らめて握手に応えた。
「むっちゃ~ん!こんなイケメンいるなら連絡しといてよ~!メイク直して来たのにっ」
「ええ?知里ちゃんはそのままで十分可愛いじゃない。Bランチのご飯は白米と五穀米が選べるけどどうする?ハンバーグも大根おろしかデミグラスソースか選べるよ」
知里は一瞬むっと眉間に皺を寄せ、けれど次の瞬間にはそれをほどいて「五穀米で大根おろし!」と答えた。大根おろしとシソを乗せた和風ハンバーグに生野菜のサラダ、季節の野菜を使った三種の小鉢、オニオンスープ。知里の前にランチのお膳を置けば、藤色の爪を乗せた指先が睦月の手に触れた。
「あのね、むっちゃん、この間はごめんね」
「全然。僕こそごめんね。雰囲気悪くしちゃったね。知里ちゃんは気にしないで」
「……や、そういうわけには。奥泉君に今日呼び止められて、むっちゃんはもうここには来ないからカルテ削除しといてって言われて」
この一言には睦月も驚いた。五年通って、昨日の今日で?あのサロンに通った五年は昴との五年そのもの。胸がズキッとしたけれど、睦月は努めて笑みを浮かべた。
「そっか。でも、知里ちゃんのせいじゃない。僕のせい。気にしないでね」
触れていただけの知里の手指が、するりと手を握る。「むっちゃん」知里は反対の手で一枚のメモを差し出した。
「これね、私の連絡先。お客さんとスタッフだった頃はそういうのよくないから渡せなかったんだけど。……髪、もううちで切れないんでしょ?私、お姉ちゃんがネイルサロン開いてて。よかったらなんだけど……、むっちゃんの髪、そこで私に切らせてくれないかな」
急な申し出に睦月は戸惑った。「知里ちゃん、本当に気にしないで」「もちろん、奥泉君には内緒にする。ばれたらきっとお互いに怒られちゃうし」知里はちろりと舌を出していたずらっぽく笑った。
「知里さん。ムツキの言う通りだよ。そんなに気にすることはない。家に帰れば美容師の恋人がいるんだ、家で彼に切ってもらえばいい」
助け舟を出した源城を横目で見やり知里は笑みを深めた。
「むっちゃんはそういうこと出来ない人なんです」
その声音はどこか頑なだった。「だよね?むっちゃん」尋ねられ、睦月は瞳を瞬かせた。知里の手は睦月の手を離し、箸を取った。
「奥泉君、ちょっとひどいよ。カルテだってむっちゃんとの思い出じゃんね。なんて、部外者の私がこんなこと言うの、おかしいけど。私、五年も傍で二人を見て来たから、なんかちょっとむかついちゃった」
眉根を寄せて可愛らしく笑う知里をよそに、源城は睦月に向かって「なぜ?」と眉を顰めた。
「なぜ家で髪を切ってもらうのが嫌なの?君の恋人は美容師なんだろう?」
その問いに睦月が答える前に、知里はサラダを掴んだ箸を下ろし源城に面を向けた。
「奥泉君がプロの美容師だからですよ。彼の技術は全グループ内でも上位に食い込む腕前です。私は彼と同期ですけど、彼のカットにはすでに指名料が加算されています。私のカットは五千円、けれど彼がカットすると六千五百円。……むっちゃんは奥泉君の努力を誰よりも近くで見て来たから、そんなことを家でさせるわけがありません」
パクンとサラダを食み「このドレッシングおいしー」と頬を綻ばせる知里。源城の睨むような視線に耐えかねて、睦月は面を俯かせた。
「むっちゃんの料理って最高。私の奥さんになってよお」
「ふふ。ここの喫茶店を畳まなくちゃならなくなったらそうしようかな」
カウンターの空気を和ませたくて知里の軽口に乗る。源城はますます眉間の皺を深くしてレモンケーキに噛り付いた。知里の連絡先が書かれた紙が空調の風に端を揺らしている。睦月は紙を手に取りエプロンのポケットへ押し込んだ。
「むっちゃん。カットしたくなったら連絡してね」
知里は人差し指を口元に持って行き微笑んだ。サロンでは見たことのなかった表情に、睦月はわずかに動揺してしまう。
「……はあ」
知里の去った店内、睦月はお膳を下げながら溜息を吐いた。僕のカルテがなくなった。もうこれで本当にサロンに行けなくなってしまった……。
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