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変われなかった僕
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昴君に何かあったら、僕は生きていけない。
軋むペダルを懸命に踏み込み、睦月は昴のサロンの駐車場まで自転車を飛ばした。「別れる」とか「別れない」とか、どうだっていい。そう思うと、睦月の身体が一枚の羽と同じくらいに軽くなった。
駐車場に昴の車を見つけ、睦月は自転車の方向を変えてサロンへと急いだ。とにかく昴に何かあったらいけないと、その一心で螺旋階段を駆け上がって、準備中のサロンのドアを開け放った。
「すば、昴君、いますかっ」
レセプションの女の子は睦月の一心不乱な様子に狼狽えるばかり。空気の変わった店の奥から昴が駆けて来る。ああ、無事だ、よかった、何もなかったんだ。睦月がふっと気を緩めた一方で、昴は眉間に皺を寄せて睦月をサロンの外へと追いやった。バルコニーで階段ぎりぎりまで詰め寄られ、睦月は肩を強張らせた。
「お前、何やってんだよ」
「昴君、聞いて、さっき、写真が」
切れ切れに伝えて握っていた写真を見せれば、昴はさっと顔色を無くした。「なんだよこれ」言って写真を二枚捲ったきり、昴は視線を斜め下に投げて考え込んでしまった。「昴君」睦月はそんな昴の肩に触れ穏やかに言った。
「僕、この子と昴君のことを責めるつもりはないの」
「……は?」
「綺麗な子だし……、昴君とお店に来てくれた時もすごくいい子そうだった。……僕がここで言いたいのはそういうことじゃなくて、こういう写真があるってことは、しかも家に届いたっていうことは、昴君のことを誰かが」
「ははっ」
懸命に紡ごうとしていた言葉を、昴の乾いた笑みがぶつ切りにしてしまう。
「お前、マジで何言ってんの?」
冴え冴えとしたその声に、睦月は頬を叩かれたような心地になった。昴は鼻先までにじり寄り、侮蔑の眼差しで睦月の瞳を射抜く。彼の唇は歪んだ笑みを浮かべていた。
「お前、自分のこと棚に上げてんなよ。……昨日、源城とかいうヤツの家に行っただろ。俺には全部分かってる。お前が家に帰りたくなさそーに臨海公園の近くうろうろしてたことも、街に戻ったけど結局あいつの家に行ったことも」
睦月は驚きの為に反応が遅れ、昴はそれを動揺と取ったのかますます笑みを深くした。
「俺の目の前で抱き合ったり見つめ合ったり出来るんだもんな。二人きりになったら何してるかなんて分かんないよね。ねえ、一晩中、あいつと何してたの?俺の浮気疑う資格、お前にあんの?」
「昴君、違う、僕が言いたいのは、そういうことじゃなくて」
「じゃあ何?……それとさ、ここ来んなって言っただろ。俺との約束破ってんじゃん。なんだよこの写真。こんなもんの為に……」
昴は写真を睦月の胸に放った。バラバラと足元に散らばる写真を、睦月は慌てて掻き集めた。「あー、そっか、分かった」手元に落ちた黒い影を見上げれば、昴はこれ以上なく冷たく笑っていた。
「お前、俺と別れたいんだ?そんでさ、あいつに乗り換えたいんだ?」
「違う、僕は」
「別れたいなら別にいいよ。お前がそうしたいなら、いつでも」
「……昴君!」
震えた声を張り上げると、昴はサロンに踵を返してしまった。あまりのことに涙も出ず、睦月はその場に膝を着いたまま散らばった写真に震える手を伸ばした。
「ああ、そうだ、合コンの邪魔はしに来ないでね」
思いついたような声が降った後に、ドアの閉まる音。睦月はガラス越しの店内を振り返った。
サロンの奥からこちらを見つめている知里と視線がかち合う。彼女は口元に手のひらを当て、瞳を見開いていた。その様子には動揺が漲っている。
まさか、知里ちゃんが?
建物内から昴と女の子を撮ることは、知里にならば容易だろう。昨晩睦月をつけていたボブカットの女の子も、よくよく思い出せば知里に背格好が似ている……。そこまで思い至って、睦月はよろよろと立ち上がった。力の入らない脚に鞭を打って階段を下り自転車を押してゆっくりとサロンを離れる。
朝の光の中で、睦月はただただ惨めだった。けれど多分、やれることは、やった。
昴に何かある前に写真のことを伝えることが出来た。他人からどう見えようが、どんなに惨めで愚かだろうが、昴が傷つくよりずっとマシだ。
「約束、破っちゃったなあ。……生まれ変われなかったなあ……」
睦月はぽつんと呟き、サロンからの家路をゆっくりと歩いた。この見慣れた景色を瞳に焼き付けるように、ゆっくりと。
家に着くなり睦月は旅行鞄を広げ、そこに自分の荷物をあるだけ詰めた。五年も住んでいたのに睦月のものはその旅行鞄一つに納まって、自分でも驚いてしまった。
二人に何かあった時の為にと用意していた口座の通帳とキャッシュカードを炬燵机に置き、手紙には暗証番号に合わせて短い別れの言葉を添えた。
――今までありがとう。すごくたのしかった。だいすきだよ。 睦月
言葉にするとなんて短いのだろう。けれどもう、昴を幸せに出来る未来が睦月には見えなかった。彼が望むような恋人にはなれない。睦月は昴を愛しているからこそ、嫉妬してしまうし、心配もする。嫉妬して、爆発して、別れることに怯えて、その繰り返し。そんな不毛なサイクルに昴を巻き込むくらいなら、傍を離れた方がマシだ。
睦月は源城のくれたクマのぬいぐるみを愛車のカゴに入れてペダルを踏み込んだ。……部屋の鍵はもちろん、扉を閉めた後に付属している郵便受けに入れた。よく鍵をなくす睦月に呆れて昴がくれたキーホルダー。その鈴が悲しく鳴ったのを、睦月は一生忘れられないだろう。
軋むペダルを懸命に踏み込み、睦月は昴のサロンの駐車場まで自転車を飛ばした。「別れる」とか「別れない」とか、どうだっていい。そう思うと、睦月の身体が一枚の羽と同じくらいに軽くなった。
駐車場に昴の車を見つけ、睦月は自転車の方向を変えてサロンへと急いだ。とにかく昴に何かあったらいけないと、その一心で螺旋階段を駆け上がって、準備中のサロンのドアを開け放った。
「すば、昴君、いますかっ」
レセプションの女の子は睦月の一心不乱な様子に狼狽えるばかり。空気の変わった店の奥から昴が駆けて来る。ああ、無事だ、よかった、何もなかったんだ。睦月がふっと気を緩めた一方で、昴は眉間に皺を寄せて睦月をサロンの外へと追いやった。バルコニーで階段ぎりぎりまで詰め寄られ、睦月は肩を強張らせた。
「お前、何やってんだよ」
「昴君、聞いて、さっき、写真が」
切れ切れに伝えて握っていた写真を見せれば、昴はさっと顔色を無くした。「なんだよこれ」言って写真を二枚捲ったきり、昴は視線を斜め下に投げて考え込んでしまった。「昴君」睦月はそんな昴の肩に触れ穏やかに言った。
「僕、この子と昴君のことを責めるつもりはないの」
「……は?」
「綺麗な子だし……、昴君とお店に来てくれた時もすごくいい子そうだった。……僕がここで言いたいのはそういうことじゃなくて、こういう写真があるってことは、しかも家に届いたっていうことは、昴君のことを誰かが」
「ははっ」
懸命に紡ごうとしていた言葉を、昴の乾いた笑みがぶつ切りにしてしまう。
「お前、マジで何言ってんの?」
冴え冴えとしたその声に、睦月は頬を叩かれたような心地になった。昴は鼻先までにじり寄り、侮蔑の眼差しで睦月の瞳を射抜く。彼の唇は歪んだ笑みを浮かべていた。
「お前、自分のこと棚に上げてんなよ。……昨日、源城とかいうヤツの家に行っただろ。俺には全部分かってる。お前が家に帰りたくなさそーに臨海公園の近くうろうろしてたことも、街に戻ったけど結局あいつの家に行ったことも」
睦月は驚きの為に反応が遅れ、昴はそれを動揺と取ったのかますます笑みを深くした。
「俺の目の前で抱き合ったり見つめ合ったり出来るんだもんな。二人きりになったら何してるかなんて分かんないよね。ねえ、一晩中、あいつと何してたの?俺の浮気疑う資格、お前にあんの?」
「昴君、違う、僕が言いたいのは、そういうことじゃなくて」
「じゃあ何?……それとさ、ここ来んなって言っただろ。俺との約束破ってんじゃん。なんだよこの写真。こんなもんの為に……」
昴は写真を睦月の胸に放った。バラバラと足元に散らばる写真を、睦月は慌てて掻き集めた。「あー、そっか、分かった」手元に落ちた黒い影を見上げれば、昴はこれ以上なく冷たく笑っていた。
「お前、俺と別れたいんだ?そんでさ、あいつに乗り換えたいんだ?」
「違う、僕は」
「別れたいなら別にいいよ。お前がそうしたいなら、いつでも」
「……昴君!」
震えた声を張り上げると、昴はサロンに踵を返してしまった。あまりのことに涙も出ず、睦月はその場に膝を着いたまま散らばった写真に震える手を伸ばした。
「ああ、そうだ、合コンの邪魔はしに来ないでね」
思いついたような声が降った後に、ドアの閉まる音。睦月はガラス越しの店内を振り返った。
サロンの奥からこちらを見つめている知里と視線がかち合う。彼女は口元に手のひらを当て、瞳を見開いていた。その様子には動揺が漲っている。
まさか、知里ちゃんが?
建物内から昴と女の子を撮ることは、知里にならば容易だろう。昨晩睦月をつけていたボブカットの女の子も、よくよく思い出せば知里に背格好が似ている……。そこまで思い至って、睦月はよろよろと立ち上がった。力の入らない脚に鞭を打って階段を下り自転車を押してゆっくりとサロンを離れる。
朝の光の中で、睦月はただただ惨めだった。けれど多分、やれることは、やった。
昴に何かある前に写真のことを伝えることが出来た。他人からどう見えようが、どんなに惨めで愚かだろうが、昴が傷つくよりずっとマシだ。
「約束、破っちゃったなあ。……生まれ変われなかったなあ……」
睦月はぽつんと呟き、サロンからの家路をゆっくりと歩いた。この見慣れた景色を瞳に焼き付けるように、ゆっくりと。
家に着くなり睦月は旅行鞄を広げ、そこに自分の荷物をあるだけ詰めた。五年も住んでいたのに睦月のものはその旅行鞄一つに納まって、自分でも驚いてしまった。
二人に何かあった時の為にと用意していた口座の通帳とキャッシュカードを炬燵机に置き、手紙には暗証番号に合わせて短い別れの言葉を添えた。
――今までありがとう。すごくたのしかった。だいすきだよ。 睦月
言葉にするとなんて短いのだろう。けれどもう、昴を幸せに出来る未来が睦月には見えなかった。彼が望むような恋人にはなれない。睦月は昴を愛しているからこそ、嫉妬してしまうし、心配もする。嫉妬して、爆発して、別れることに怯えて、その繰り返し。そんな不毛なサイクルに昴を巻き込むくらいなら、傍を離れた方がマシだ。
睦月は源城のくれたクマのぬいぐるみを愛車のカゴに入れてペダルを踏み込んだ。……部屋の鍵はもちろん、扉を閉めた後に付属している郵便受けに入れた。よく鍵をなくす睦月に呆れて昴がくれたキーホルダー。その鈴が悲しく鳴ったのを、睦月は一生忘れられないだろう。
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