22 / 25
ことりのラブソング(下)
しおりを挟む
「僕は、あなたとは行けないけど、この世界のどこにいてもあなたを想ってる。僕、瞼を下ろすといつも、あなたが傍にいる気がするんだよ。あなたが許してくれるなら、僕ずっと、傍にいないあなたを想い続けられる気がする」
譲司の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
あなたが僕を、どんな場所にいても見守っていてくれたように。僕もあなたを、どんな場所にいても想い続ける。
「星と星が繋がって星座を描くことは知っているでしょう。僕たちだったら、ああいうふうにできるんじゃないかって思うんです。だってあなたは、時と場所を超えて眩い光を放っている、星みたいな人だから」
温かな雨が降る。
譲司の目尻から落ちたひとしずくが世良の頬に伝う。譲司の涙を拭いたくて身体を離すと、彼は世良を掻き抱いた。
「私も、君を愛してる」
頬をすり寄せられ、世良も譲司の首元に鼻先をすり寄せた。巣穴にいる二羽のウサギのように、全身で互いの存在と心を確かめ合う。
「君は私をずるいと言ったが、君の方がよほどずるい。そんなことを言われたら、こう返すしかない。だって私は君のことを、こんなにも……!君は、私の気持ちなんか分かり切っているからこうするんだろう!」
譲司は堰を切ったように捲し立て、腕に力を込めた。
「ごめんなさい。僕、この気持ちしか、あなたにあげられるものが、」
「もういい。御託は聞き飽きた。違う言葉で、態度で、行動で、私を宥めてみせろよ」
譲司は獲物にとどめを刺すように世良の喉元へ噛みついた。世良は譲司の腕の中でもがき、彼の首に腕を回して飛びつき、口づけた。
唇を深く奪い合って、互いを繋ぐ導火線に火を這わせる。譲司はかつてしたように口づけたまま世良を抱き上げ、近くにあったソファーへ転がした。世良は譲司の腕を掴んで引きつけ、彼の唇の先へ囁いた。
「あなたを心から愛してる。どれだけ離れたって、この気持ちは変わらない。……僕もあなたが恋しかった。離れていた間、僕がどれだけあなたのピアノに支えられたか、あなたに教えてあげたい。僕もあなたが恋しくて死にそうで、だけど、心の中にあなたがいてくれたから頑張れた。こんな人、世界中を探したって、すぅちゃんとあなたしかいない」
一息で訴え、はあ、と息を吐くと、譲司はやっと表情を和らげてくれた。
そのさまが、おむかえを待つ子どもが窓の外に親を見つけた時のそれに似ていて、世良の胸がぐわあと波打った。
「譲司さん……」
譲司の頭を胸に抱くようにすると、譲司はくてんと世良に体重を預け、深い息を吐いた。まるで泣き疲れた子どもみたい。そう思って旋毛に口づけると、それは気に食わなかったのか、譲司は「私がそんなもので満足すると思うな」とむくれた声を出した。
「譲司さん、僕、分かってるつもり。ぜんぶ、あげるから。ぜんぶ、あなたのものだから」
譲司は世良を恨めしそうに睨み、それから、世良の胸に顔を押し付けた。不機嫌な譲司を、そうと抱き寄せる。世良は身体に圧しかかる重みに酔いしれた。
ゆっくりと、順を追うように譲司の面が上がり、視線が通じる。
世良は譲司の乱れた前髪を指先でよけ、額に口づけた。……繰り返しそうしていると、彼の眉間の皺も次第に緩んでいった。譲司は世良を見つめながら愛を乞うた。
「ことりのうたを、歌って」
世良は譲司の髪を梳きながら、『ことりのうた』を歌った。
いつの間にか、その歌は世良にとって、一つの童謡でなく、愛のうたになっていて、世良は口端をほのかに上げた。
愛をうたうよ。何度だって、あなたに向けて。
「ゴラァ!いつまで乳繰り合ってんだクソニート!こっちはてめぇのロマンスなんかどーだっていいんだよ!」
怒号と共に、ドンガンドンガンと扉が打たれる。今日はなんだか、共に過ごした日々を思い出すことばかり。世良と譲司は顔を見合わせて、それから、思い切り破顔した。
「主役に子守りさせるなんておまえはどんな神経してんだよ!つか、なんだあのセトリ!金払って来てる客をなんだと思ってんだ、こっちはおまえの思い出作りでやってんじゃねーんだわ!」
譲司が扉を開けると、直を抱き上げた漣が飛び込んで来た。譲司は直をひたと見つめ、「少し背が伸びたか?」と出し抜けに尋ねた。
直は漣に「レン君、ありがとう」と言って漣の額に落ちた一筋の金髪を直してから、床へ降りた。服装はいつもの、シンプルなTシャツとハーフパンツで、膝小僧には絆創膏がついていて、なのに直は目を離した一瞬で少女へ近づいていた。
「そんなにすぐには大きくなれないよ」
直は照れくさそうにはにかみ、「ジョージ君、やっと会えたね」と言って両手を広げた。
「直」
譲司は彼女の名を噛みしめるように呼び、抱き上げ、顔を覗き込んだ。
「やっぱり大きくなってる。私には君が少し成長したように感じる」
「そう?自分では分からないのかも。自分に自分は見えないから」
「ああ、そうだな、君は賢いな。……ママとはぐれずに来られて、えらかったな。ここまで来るのに迷わなかったか?」
「ジョージ君に教えてもらったことは全部覚えてる。タブレットでおしゃべりする方法も、ちゃーんと覚えてたでしょ?」
得意気に言ってから、直は口元を両手で覆った。どうやら、譲司がいなくなったばかりの頃にテントに籠っていたのは、譲司と秘密のおしゃべりをしていたためらしかった。
「ママ、ナイショにしていてごめんなさい。怒らないで……」
「世良君、直は悪くない。私がそうしようと言ったんだ。君は、その、ほら、直にさよならを告げるな、とは言わなかっただろう」
「すぅがさびしがったんだよ。なんでなんでって泣いたんだよ。だからジョージ君は教えてくれたんだよ。ジョージ君は悪くない」
「いや、直、ちがう、私も君とそうしたかったんだ、君のせいじゃない。親の了解も得ず、君とアプリケーションを介してコミュニケーションを取っていた、私の方がよほど悪い」
縮こまっている二人を前に、世良は腰に手を当てた。
「すぅちゃんっ。アプリは勝手にダウンロードしちゃだめって言ったでしょう。テントの中でずっと譲司さんとお話してたの?使うのも一日三十分ってお約束したよね?……譲司さん。そんな屁理屈を理由にするなんて、大人のすることじゃありません。悪いことをしたと思うなら、ごめんなさいしてくださいっ」
毅然として言えば二人はクシュンとしおれてしまい、世良は相好を崩した。
「ですが!今回に限って許しましょう。……すぅちゃん。譲司さんと別れるのがつらかったんだよね。ママのことも心配だったんだよね。謝るのは、僕の方。僕の寂しさをすぅちゃんに背負わせてしまって、ごめんなさい。ここまで連れて来てくれて、ほんとうにありがとう」
直は上げた顔をみるみるくしゅくしゅにして、世良に向かって両手を伸ばした。
「ま、ままぁ……」
「おいで、すぅちゃん」
譲司から世良へ、直が渡される。世良は「ほんとうだ。なんだかすごく、大きくなったような気がする……」と呟き、直のこめかみに頬をすり寄せた。譲司と目が合うと、彼は唇をむずむずさせてから、小さな声で「すまなかった」と言った。世良は首を振った。
「譲司さん。この子に真っ直ぐに向き合ってくれて、ありがとうございます。この子が寂しがったから、どうにかしてあげたくなったんですよね。そもそも、僕のわがままが原因ですし……。これからも、直と仲良くしてもらえると嬉しいです」
譲司はホッとしたように唇を緩め、それから直の手を握った。三人で視線を巡らせ互いの存在を確認し、また一つ息を吐く。血も繋がっていないのに、出会ったのはこの夏のことなのに、どうしてこんなにも強く「何度でもここに帰りたい」と思えてしまうのだろう。
「ママ。ジョージ君がいると、おちつくね」
世良は直の言葉にドキリとしたけれど、彼女がニコニコしていたから、「うん。そうだね」と素直に返した。
「ジョージ君がいると、ママ、うれしそうだね」
「うふふ。それは、すぅちゃんの方じゃないの?」
「もちろん、すぅもうれしいよ。ジョージ君がいてくれてうれしいし、ママがうれしそうでうれしい。ジョージ君もママに会えてうれしそう。ジョージ君って、ほんとうにママのことが好きだよね。ジョージ君はいつも、ママのことジーッっと見てたもんね。大好きだから、いっぱい見たくなっちゃうんだよね」
譲司と世良は頬を真っ赤にして黙りこくった。大人二人が急にぎくしゃくしはじめたものだから、直は瞳を丸くした。
「え?なんで?ママもジョージ君が大好きなんじゃなかったの?泣いてたのはジョージ君に会いたかったからでしょう?……夜になるとジョージ君のCDばっかりきいてたもんね?ヨーカン食べるとグスグス泣いてたもんね?ジョージ君に会いたかったんだよね?すぅ、まちがってる?」
世良は羞恥で暴れ出しそうな「もとの自分」を押し留め、「あ、あのね、すぅちゃん」と声を上ずらせた。……と、無垢な子どもの猛攻に参ってしまった大人二人に代わり、漣がパンパンと手を叩いた。
「はいそこまで。おしゃべりは他所でしてくんない?譲司、おまえももう帰れ。雑用もできん木偶の棒がいたって邪魔でしかねーから」
世良は慌てて漣に頭を下げ、「神野さん、すぅちゃんを見て頂いて、ありがとうございました」とお礼を言った。
「なんでおまえに礼言われなきゃなんないの。別に、おまえに頼まれたわけじゃねーし」
漣は払うように手を振り、譲司に視線を向けた。
「約束は守ったぞ。言ってた通り、今日の出演料はタダってことで」
「構わない」
「ピアノ・デュオする約束も忘れてねぇからな。渡したラフマニノフのデュオ、さらっとけよ」
「……分かった」
漣はしぶしぶと応える譲司を嬉々として眺め、直に「おい」と投げかけた。
「スナオ。次に会うまでに、『タランテラ』、『マズルカ』、さらっといて。そんで『エリーゼのために』は完璧に仕上げとけよ」
「おい神野。どのタランテラだ、どのマズルカだ。課題を出すならちゃんと詳細を、」
「うっせーんだよ、無収入のくせに保護者ヅラしやがって!……スナオ!家に楽譜送るからポスト気にしとけ。分かったな!」
直は「はぁい!」と元気よくお返事し、「レン君、ありがとー!」とお礼を言った。漣は以前のように踵を返し背中を見せてから、ひらりと手を振った。
ドアが閉まると、見知らぬ場所に自分と直、そして譲司がいて、世良は譲司に笑いかけた。譲司は二人へ歩み寄り、直の頭をそうと撫でた。
「これから……、遅いランチでもどうだろう。男の子が昔、おじいちゃん先生と通っていたお店があって。そこの、天ぷらの乗ったどんぶりがすごく美味しいんだ。直、君に、食べさせてあげたい」
「いいよー」と軽やかに即答した直に、譲司と世良は笑った。
こうやって、繋がれるといい。どんな場所にいても、どれだけ歳を重ねても、それぞれを取り巻く環境がどんなに変わっても。三人で集まれば、そこが僕たちの「家」になる。
「じゃあ、行こうか」
直は譲司と世良の手を取った。手と手と手で繋がれる喜びが、世良の胸を熱くした。
譲司の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
あなたが僕を、どんな場所にいても見守っていてくれたように。僕もあなたを、どんな場所にいても想い続ける。
「星と星が繋がって星座を描くことは知っているでしょう。僕たちだったら、ああいうふうにできるんじゃないかって思うんです。だってあなたは、時と場所を超えて眩い光を放っている、星みたいな人だから」
温かな雨が降る。
譲司の目尻から落ちたひとしずくが世良の頬に伝う。譲司の涙を拭いたくて身体を離すと、彼は世良を掻き抱いた。
「私も、君を愛してる」
頬をすり寄せられ、世良も譲司の首元に鼻先をすり寄せた。巣穴にいる二羽のウサギのように、全身で互いの存在と心を確かめ合う。
「君は私をずるいと言ったが、君の方がよほどずるい。そんなことを言われたら、こう返すしかない。だって私は君のことを、こんなにも……!君は、私の気持ちなんか分かり切っているからこうするんだろう!」
譲司は堰を切ったように捲し立て、腕に力を込めた。
「ごめんなさい。僕、この気持ちしか、あなたにあげられるものが、」
「もういい。御託は聞き飽きた。違う言葉で、態度で、行動で、私を宥めてみせろよ」
譲司は獲物にとどめを刺すように世良の喉元へ噛みついた。世良は譲司の腕の中でもがき、彼の首に腕を回して飛びつき、口づけた。
唇を深く奪い合って、互いを繋ぐ導火線に火を這わせる。譲司はかつてしたように口づけたまま世良を抱き上げ、近くにあったソファーへ転がした。世良は譲司の腕を掴んで引きつけ、彼の唇の先へ囁いた。
「あなたを心から愛してる。どれだけ離れたって、この気持ちは変わらない。……僕もあなたが恋しかった。離れていた間、僕がどれだけあなたのピアノに支えられたか、あなたに教えてあげたい。僕もあなたが恋しくて死にそうで、だけど、心の中にあなたがいてくれたから頑張れた。こんな人、世界中を探したって、すぅちゃんとあなたしかいない」
一息で訴え、はあ、と息を吐くと、譲司はやっと表情を和らげてくれた。
そのさまが、おむかえを待つ子どもが窓の外に親を見つけた時のそれに似ていて、世良の胸がぐわあと波打った。
「譲司さん……」
譲司の頭を胸に抱くようにすると、譲司はくてんと世良に体重を預け、深い息を吐いた。まるで泣き疲れた子どもみたい。そう思って旋毛に口づけると、それは気に食わなかったのか、譲司は「私がそんなもので満足すると思うな」とむくれた声を出した。
「譲司さん、僕、分かってるつもり。ぜんぶ、あげるから。ぜんぶ、あなたのものだから」
譲司は世良を恨めしそうに睨み、それから、世良の胸に顔を押し付けた。不機嫌な譲司を、そうと抱き寄せる。世良は身体に圧しかかる重みに酔いしれた。
ゆっくりと、順を追うように譲司の面が上がり、視線が通じる。
世良は譲司の乱れた前髪を指先でよけ、額に口づけた。……繰り返しそうしていると、彼の眉間の皺も次第に緩んでいった。譲司は世良を見つめながら愛を乞うた。
「ことりのうたを、歌って」
世良は譲司の髪を梳きながら、『ことりのうた』を歌った。
いつの間にか、その歌は世良にとって、一つの童謡でなく、愛のうたになっていて、世良は口端をほのかに上げた。
愛をうたうよ。何度だって、あなたに向けて。
「ゴラァ!いつまで乳繰り合ってんだクソニート!こっちはてめぇのロマンスなんかどーだっていいんだよ!」
怒号と共に、ドンガンドンガンと扉が打たれる。今日はなんだか、共に過ごした日々を思い出すことばかり。世良と譲司は顔を見合わせて、それから、思い切り破顔した。
「主役に子守りさせるなんておまえはどんな神経してんだよ!つか、なんだあのセトリ!金払って来てる客をなんだと思ってんだ、こっちはおまえの思い出作りでやってんじゃねーんだわ!」
譲司が扉を開けると、直を抱き上げた漣が飛び込んで来た。譲司は直をひたと見つめ、「少し背が伸びたか?」と出し抜けに尋ねた。
直は漣に「レン君、ありがとう」と言って漣の額に落ちた一筋の金髪を直してから、床へ降りた。服装はいつもの、シンプルなTシャツとハーフパンツで、膝小僧には絆創膏がついていて、なのに直は目を離した一瞬で少女へ近づいていた。
「そんなにすぐには大きくなれないよ」
直は照れくさそうにはにかみ、「ジョージ君、やっと会えたね」と言って両手を広げた。
「直」
譲司は彼女の名を噛みしめるように呼び、抱き上げ、顔を覗き込んだ。
「やっぱり大きくなってる。私には君が少し成長したように感じる」
「そう?自分では分からないのかも。自分に自分は見えないから」
「ああ、そうだな、君は賢いな。……ママとはぐれずに来られて、えらかったな。ここまで来るのに迷わなかったか?」
「ジョージ君に教えてもらったことは全部覚えてる。タブレットでおしゃべりする方法も、ちゃーんと覚えてたでしょ?」
得意気に言ってから、直は口元を両手で覆った。どうやら、譲司がいなくなったばかりの頃にテントに籠っていたのは、譲司と秘密のおしゃべりをしていたためらしかった。
「ママ、ナイショにしていてごめんなさい。怒らないで……」
「世良君、直は悪くない。私がそうしようと言ったんだ。君は、その、ほら、直にさよならを告げるな、とは言わなかっただろう」
「すぅがさびしがったんだよ。なんでなんでって泣いたんだよ。だからジョージ君は教えてくれたんだよ。ジョージ君は悪くない」
「いや、直、ちがう、私も君とそうしたかったんだ、君のせいじゃない。親の了解も得ず、君とアプリケーションを介してコミュニケーションを取っていた、私の方がよほど悪い」
縮こまっている二人を前に、世良は腰に手を当てた。
「すぅちゃんっ。アプリは勝手にダウンロードしちゃだめって言ったでしょう。テントの中でずっと譲司さんとお話してたの?使うのも一日三十分ってお約束したよね?……譲司さん。そんな屁理屈を理由にするなんて、大人のすることじゃありません。悪いことをしたと思うなら、ごめんなさいしてくださいっ」
毅然として言えば二人はクシュンとしおれてしまい、世良は相好を崩した。
「ですが!今回に限って許しましょう。……すぅちゃん。譲司さんと別れるのがつらかったんだよね。ママのことも心配だったんだよね。謝るのは、僕の方。僕の寂しさをすぅちゃんに背負わせてしまって、ごめんなさい。ここまで連れて来てくれて、ほんとうにありがとう」
直は上げた顔をみるみるくしゅくしゅにして、世良に向かって両手を伸ばした。
「ま、ままぁ……」
「おいで、すぅちゃん」
譲司から世良へ、直が渡される。世良は「ほんとうだ。なんだかすごく、大きくなったような気がする……」と呟き、直のこめかみに頬をすり寄せた。譲司と目が合うと、彼は唇をむずむずさせてから、小さな声で「すまなかった」と言った。世良は首を振った。
「譲司さん。この子に真っ直ぐに向き合ってくれて、ありがとうございます。この子が寂しがったから、どうにかしてあげたくなったんですよね。そもそも、僕のわがままが原因ですし……。これからも、直と仲良くしてもらえると嬉しいです」
譲司はホッとしたように唇を緩め、それから直の手を握った。三人で視線を巡らせ互いの存在を確認し、また一つ息を吐く。血も繋がっていないのに、出会ったのはこの夏のことなのに、どうしてこんなにも強く「何度でもここに帰りたい」と思えてしまうのだろう。
「ママ。ジョージ君がいると、おちつくね」
世良は直の言葉にドキリとしたけれど、彼女がニコニコしていたから、「うん。そうだね」と素直に返した。
「ジョージ君がいると、ママ、うれしそうだね」
「うふふ。それは、すぅちゃんの方じゃないの?」
「もちろん、すぅもうれしいよ。ジョージ君がいてくれてうれしいし、ママがうれしそうでうれしい。ジョージ君もママに会えてうれしそう。ジョージ君って、ほんとうにママのことが好きだよね。ジョージ君はいつも、ママのことジーッっと見てたもんね。大好きだから、いっぱい見たくなっちゃうんだよね」
譲司と世良は頬を真っ赤にして黙りこくった。大人二人が急にぎくしゃくしはじめたものだから、直は瞳を丸くした。
「え?なんで?ママもジョージ君が大好きなんじゃなかったの?泣いてたのはジョージ君に会いたかったからでしょう?……夜になるとジョージ君のCDばっかりきいてたもんね?ヨーカン食べるとグスグス泣いてたもんね?ジョージ君に会いたかったんだよね?すぅ、まちがってる?」
世良は羞恥で暴れ出しそうな「もとの自分」を押し留め、「あ、あのね、すぅちゃん」と声を上ずらせた。……と、無垢な子どもの猛攻に参ってしまった大人二人に代わり、漣がパンパンと手を叩いた。
「はいそこまで。おしゃべりは他所でしてくんない?譲司、おまえももう帰れ。雑用もできん木偶の棒がいたって邪魔でしかねーから」
世良は慌てて漣に頭を下げ、「神野さん、すぅちゃんを見て頂いて、ありがとうございました」とお礼を言った。
「なんでおまえに礼言われなきゃなんないの。別に、おまえに頼まれたわけじゃねーし」
漣は払うように手を振り、譲司に視線を向けた。
「約束は守ったぞ。言ってた通り、今日の出演料はタダってことで」
「構わない」
「ピアノ・デュオする約束も忘れてねぇからな。渡したラフマニノフのデュオ、さらっとけよ」
「……分かった」
漣はしぶしぶと応える譲司を嬉々として眺め、直に「おい」と投げかけた。
「スナオ。次に会うまでに、『タランテラ』、『マズルカ』、さらっといて。そんで『エリーゼのために』は完璧に仕上げとけよ」
「おい神野。どのタランテラだ、どのマズルカだ。課題を出すならちゃんと詳細を、」
「うっせーんだよ、無収入のくせに保護者ヅラしやがって!……スナオ!家に楽譜送るからポスト気にしとけ。分かったな!」
直は「はぁい!」と元気よくお返事し、「レン君、ありがとー!」とお礼を言った。漣は以前のように踵を返し背中を見せてから、ひらりと手を振った。
ドアが閉まると、見知らぬ場所に自分と直、そして譲司がいて、世良は譲司に笑いかけた。譲司は二人へ歩み寄り、直の頭をそうと撫でた。
「これから……、遅いランチでもどうだろう。男の子が昔、おじいちゃん先生と通っていたお店があって。そこの、天ぷらの乗ったどんぶりがすごく美味しいんだ。直、君に、食べさせてあげたい」
「いいよー」と軽やかに即答した直に、譲司と世良は笑った。
こうやって、繋がれるといい。どんな場所にいても、どれだけ歳を重ねても、それぞれを取り巻く環境がどんなに変わっても。三人で集まれば、そこが僕たちの「家」になる。
「じゃあ、行こうか」
直は譲司と世良の手を取った。手と手と手で繋がれる喜びが、世良の胸を熱くした。
7
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる