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本編
カーテンコールはお断り。②
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「お楽しみいただけたのなら幸いです―――いけませんわ。王太子殿下。平民にそのように近づかれては」
「シャル?」
歩み寄られた分また後ずさる私の身のこなしは、なかなかに鮮やかだと思う。
計算通りにたどりついたバルコニーへ続くガラスドアに後ろ手をかけて。
「貴族籍の剥奪、公爵家からの絶縁勘当により、この身はすでに平民故」
「何を」
「まさか高貴なるものの宣言が翻されるなどあってはならないことでしょう」
「いやいやいやいや、シャル、もうそんな冗談」
「シャルロットどうし……ああ、そうね。ほらエディ、あなたちゃんとっねっ」
「えっ」
「ほらっお芝居だとシャルロットもわかってたとはいえ、ね?女の子ですもの。よその娘に触れたなんて面白くないわよね。男の子でしょっしっかり甘やかしてっ」
「ふ、触れたって、母上っ言い方!」
何言ってくれてるのこの人ら……いけない、こんな、あ、でももう平民だから令嬢言葉なんていらないわね。そうね。そうだわ。扇で口元隠さなくてもいいわ。もう。アルカイックスマイルもしなくていいんだわ―――すとんと表情筋から力を抜いて、ガラスドアを開け放った。
春の陽ざしに暖められた心地よい空気が、そよ風のようにふわりとひと吹き流れ込む。
部屋からは雲一つない青空が広がっているけど、薄い影がバルコニーにさっと走っていくのが見えて、知らず頬が笑みに緩んだ。
「貴族としての義務は果たしてきましたわ。でも仕方ありませんよね。剥奪されちゃったんだもの。絶縁勘当されちゃったんだもの」
いつでも仲良しなみなさんが、やっぱり仲良くぽかんとした顔を並べているのを見渡して。
それがとてもおかしくて、本当に久しぶりに肩の力が抜けて笑えた。
「あはっあはははっ楽しめましたでしょ?あとは親しい方々でお過ごしくださいな。あの哀れな令嬢も退場しましたし、端役も下がりますね?」
柔らかな光が降り注ぐバルコニーへと一歩踏み出して
指笛を甲高く響き渡らせれば
きゅーくるるると頭上はるか高くから応える鳴き声とともに
吹き込む突風
裾が翻るドレスに覆いかぶさる影
艶めく白銀の鱗にきらきらと輝くスピネルの瞳、しなやかな翼を広げて降り立つドラゴン。
冷たそうにもみえるその鱗は、触れればするりと温かく滑らかで。
額を撫でる私の手のひらに、もっととばかりに鼻面を寄せてはくるるくるると愛らしく喉を鳴らした。
「ごめんね待たせて―――帰ろっか」
◇◇◇
王妃殿下の数ある武勇伝のうちのひとつ。
王宮裏手に広がる禁呪の森には、身体欠損すら治癒するハイポーションの素材となる白竜石があるという。通常竜石は様々な希少薬の素材となるが、それはドラゴンを討伐して体内から取り出すしか入手方法がない。ドラゴンも最新の目撃情報は七十年前以上に遡り、その強さは師団級の布陣でやっと一体討伐できるほどのものと伝えられている。
そんな竜石の中でもさらに幻とまで言われている白竜石が、禁呪の森の奥深くにある泉の底にある。
禁呪の森にはドラゴンまでいかずとも難攻不落とされる魔獣がそこかしこに闊歩していて、それらが出てこないように結界をはってはあるけれど、内部に踏み込むことは死に直結する。
『大丈夫よ。秘密の抜け道があるの。泉まで直行なんだから』
無垢な少女のように悪戯に瞳を輝かせる王妃殿下によれば、その抜け道をたどる限りは魔獣に見つからないのだと。それを使って手に入れた白竜石で、当時の王太后の命を救ったらしい。その時王妃殿下は十一歳。こんなエピソードすら、数ある武勇伝のうちのひとつなのだ。おとぎ話の勇者もかくや。
『それにね、これもあればさらに安全!』
持たされた王家の秘宝は、半径五百メートル内にはあらゆる魔獣を寄せ付けないというネックレス。森の中であれば樹々が視界を遮る相乗効果で、まず魔獣とは出くわさない。
『だからいってらっしゃい。エドワードの妃としての実績になるわ』
そう言って一人送り出された十二歳の夏。
―――結論から言えば死にかけた。
獣道すら見つからない肩まで届く繁みをかき分け、木洩れ日もわずかな薄暗さの中で、古樹が伸ばすすねまである太さの根に足をとられ、自分以外の湿った息遣いに追われながら一睡もできずに逃げ回った。
無傷で生還できたのは奇跡の連鎖でしかない。
闇雲に逃げ惑いながらも泉にたどりついた奇跡。
泉にすまう白銀の仔竜に出会えた奇跡。
その仔竜が傷を癒してくれて、森の出口まで送ってくれた奇跡。
帰還予定時刻を三日も過ぎているのに、平時と変わらぬ佇まいの王宮にたどりついた。
出迎えもないまま、婚約者に与えられている部屋へ一人戻り、隅に蹲って眠った。
翌日身なりを整えて向かった王妃殿下の部屋には、どうだった?綺麗な泉だったでしょう?と笑顔の王妃殿下と、大丈夫だとは思ったけどやっぱり無事でよかったとふにゃり微笑む王太子殿下がいた。
◇◇◇
「シャル!離れろ!」
騎士団長と護衛騎士がバルコニーと部屋を分ける壁となり、その後ろから王太子殿下が叫ぶ。
重臣たちのあげる悲鳴を、国王陛下が一喝して抑えた。
ぎらりと陽光を跳ね返す剣。
射出は今かと待機する火球や氷礫。
「シャル……おいで、ゆっくりと、こちらにくるんだ」
公爵閣下の静かで平坦な声は、差し伸べられた指先とともにほんのわずかに震えているけれど、脚は一歩踏み出ている。
「まだ仔竜ですのに、ものものしいこと」
後ろ足で立つ竜の背は、私の鼻先までしか届かない。太くて長い尻尾を勘定に加えればその倍にはなるけれど。
私の両腕でちょうどよく抱きしめられる首に右腕を回して寄り添えば、きゅうと小さな鳴き声をあげる仔竜は二股に別れた細い舌先で私の鼻先を擽ってくる。
きらきらと潤んで透き通る深紅の瞳に映る私は、愉し気な笑みを浮かべている。
一人泥と血にまみれて、痛みと熱で遠ざかる意識の中、孤独と恐怖に震えて絶望する私を救ってくれたのはこの仔だけ。
よく鞣された皮よりも柔らかく滑らかな額に頬ずりをして、その温もりを味わう。
「禁呪の森の主か……?どうしてこんなところに」
国王陛下のお声は戸惑いながらも深みのあるよいお声ですね。セクシーエロボイス担当なんですって。王妃殿下が小娘のようにはにかみつつおっしゃってましたわ。馬鹿じゃないのかと思いました。
それはともあれ、禁呪の森の主とは初耳です。
「そうなの?シルヴァってば、あの森の主なの?」
確かにこのサイズにも関わらず、シルヴァといれば魔獣は襲ってくるどころか近寄ってもこないけれど。なんなら貢物っぽく木の実やら獣肉やら置いて逃げていくけれど。あ、もしかして本当に貢物だったのかしらあれ。
首を傾げてスピネルの瞳を覗き込めば、真似するようにこてりと逆に首を傾げる。知らないらしい。
「心当たりないそうですわ」
「いやいやいやいや……まだ幼生みたいだがその白銀の鱗は間違いないだろう。泉の白竜石は森の主が遺すものだと王家の伝承にある」
ああ、なるほど。確かにそれならシルヴァの住処が泉にあるのも頷ける。というか、え?それなら。
「シルヴァ……それならお前、私と一緒に来れないの?」
「きゅいっ!?」
シルヴァはその体格の割合としては短めの前足で、私の腰と太ももを抱き寄せて、首を左右にいやいや振りながら鼻先を胸にすりつける。
「な―――っシャルから離れろトカゲが!」
「グルァアアァ!」
王太子殿下の珍しい罵声に、シルヴァの地の底から響くような咆哮が返された。
太い尾が力強く床に打ちつけられ、衝撃でバルコニーの手すりが崩れ落ちる。また巻き起こるギャラリーの悲鳴。
ふんっふんっと短い鼻息を鳴らして、不機嫌そうに尻尾を素早く左右に揺らしてはまたびたーんびたーんと床に打ちつける。
……可愛いがすぎる。
よーしよしよしよしと両腕を首に回して抱きしめて全力で頬ずりしてると、王妃殿下の呟きが耳に入った。
「嘘でしょ……いまさら隠しキャラとか」
不敬なので口に出したことはないけれど、王妃殿下はあのピンクブロンドととても気が合うのではないかと思う。意味不明な独り言が多いあたりがそっくりだもの。
「シャル?」
歩み寄られた分また後ずさる私の身のこなしは、なかなかに鮮やかだと思う。
計算通りにたどりついたバルコニーへ続くガラスドアに後ろ手をかけて。
「貴族籍の剥奪、公爵家からの絶縁勘当により、この身はすでに平民故」
「何を」
「まさか高貴なるものの宣言が翻されるなどあってはならないことでしょう」
「いやいやいやいや、シャル、もうそんな冗談」
「シャルロットどうし……ああ、そうね。ほらエディ、あなたちゃんとっねっ」
「えっ」
「ほらっお芝居だとシャルロットもわかってたとはいえ、ね?女の子ですもの。よその娘に触れたなんて面白くないわよね。男の子でしょっしっかり甘やかしてっ」
「ふ、触れたって、母上っ言い方!」
何言ってくれてるのこの人ら……いけない、こんな、あ、でももう平民だから令嬢言葉なんていらないわね。そうね。そうだわ。扇で口元隠さなくてもいいわ。もう。アルカイックスマイルもしなくていいんだわ―――すとんと表情筋から力を抜いて、ガラスドアを開け放った。
春の陽ざしに暖められた心地よい空気が、そよ風のようにふわりとひと吹き流れ込む。
部屋からは雲一つない青空が広がっているけど、薄い影がバルコニーにさっと走っていくのが見えて、知らず頬が笑みに緩んだ。
「貴族としての義務は果たしてきましたわ。でも仕方ありませんよね。剥奪されちゃったんだもの。絶縁勘当されちゃったんだもの」
いつでも仲良しなみなさんが、やっぱり仲良くぽかんとした顔を並べているのを見渡して。
それがとてもおかしくて、本当に久しぶりに肩の力が抜けて笑えた。
「あはっあはははっ楽しめましたでしょ?あとは親しい方々でお過ごしくださいな。あの哀れな令嬢も退場しましたし、端役も下がりますね?」
柔らかな光が降り注ぐバルコニーへと一歩踏み出して
指笛を甲高く響き渡らせれば
きゅーくるるると頭上はるか高くから応える鳴き声とともに
吹き込む突風
裾が翻るドレスに覆いかぶさる影
艶めく白銀の鱗にきらきらと輝くスピネルの瞳、しなやかな翼を広げて降り立つドラゴン。
冷たそうにもみえるその鱗は、触れればするりと温かく滑らかで。
額を撫でる私の手のひらに、もっととばかりに鼻面を寄せてはくるるくるると愛らしく喉を鳴らした。
「ごめんね待たせて―――帰ろっか」
◇◇◇
王妃殿下の数ある武勇伝のうちのひとつ。
王宮裏手に広がる禁呪の森には、身体欠損すら治癒するハイポーションの素材となる白竜石があるという。通常竜石は様々な希少薬の素材となるが、それはドラゴンを討伐して体内から取り出すしか入手方法がない。ドラゴンも最新の目撃情報は七十年前以上に遡り、その強さは師団級の布陣でやっと一体討伐できるほどのものと伝えられている。
そんな竜石の中でもさらに幻とまで言われている白竜石が、禁呪の森の奥深くにある泉の底にある。
禁呪の森にはドラゴンまでいかずとも難攻不落とされる魔獣がそこかしこに闊歩していて、それらが出てこないように結界をはってはあるけれど、内部に踏み込むことは死に直結する。
『大丈夫よ。秘密の抜け道があるの。泉まで直行なんだから』
無垢な少女のように悪戯に瞳を輝かせる王妃殿下によれば、その抜け道をたどる限りは魔獣に見つからないのだと。それを使って手に入れた白竜石で、当時の王太后の命を救ったらしい。その時王妃殿下は十一歳。こんなエピソードすら、数ある武勇伝のうちのひとつなのだ。おとぎ話の勇者もかくや。
『それにね、これもあればさらに安全!』
持たされた王家の秘宝は、半径五百メートル内にはあらゆる魔獣を寄せ付けないというネックレス。森の中であれば樹々が視界を遮る相乗効果で、まず魔獣とは出くわさない。
『だからいってらっしゃい。エドワードの妃としての実績になるわ』
そう言って一人送り出された十二歳の夏。
―――結論から言えば死にかけた。
獣道すら見つからない肩まで届く繁みをかき分け、木洩れ日もわずかな薄暗さの中で、古樹が伸ばすすねまである太さの根に足をとられ、自分以外の湿った息遣いに追われながら一睡もできずに逃げ回った。
無傷で生還できたのは奇跡の連鎖でしかない。
闇雲に逃げ惑いながらも泉にたどりついた奇跡。
泉にすまう白銀の仔竜に出会えた奇跡。
その仔竜が傷を癒してくれて、森の出口まで送ってくれた奇跡。
帰還予定時刻を三日も過ぎているのに、平時と変わらぬ佇まいの王宮にたどりついた。
出迎えもないまま、婚約者に与えられている部屋へ一人戻り、隅に蹲って眠った。
翌日身なりを整えて向かった王妃殿下の部屋には、どうだった?綺麗な泉だったでしょう?と笑顔の王妃殿下と、大丈夫だとは思ったけどやっぱり無事でよかったとふにゃり微笑む王太子殿下がいた。
◇◇◇
「シャル!離れろ!」
騎士団長と護衛騎士がバルコニーと部屋を分ける壁となり、その後ろから王太子殿下が叫ぶ。
重臣たちのあげる悲鳴を、国王陛下が一喝して抑えた。
ぎらりと陽光を跳ね返す剣。
射出は今かと待機する火球や氷礫。
「シャル……おいで、ゆっくりと、こちらにくるんだ」
公爵閣下の静かで平坦な声は、差し伸べられた指先とともにほんのわずかに震えているけれど、脚は一歩踏み出ている。
「まだ仔竜ですのに、ものものしいこと」
後ろ足で立つ竜の背は、私の鼻先までしか届かない。太くて長い尻尾を勘定に加えればその倍にはなるけれど。
私の両腕でちょうどよく抱きしめられる首に右腕を回して寄り添えば、きゅうと小さな鳴き声をあげる仔竜は二股に別れた細い舌先で私の鼻先を擽ってくる。
きらきらと潤んで透き通る深紅の瞳に映る私は、愉し気な笑みを浮かべている。
一人泥と血にまみれて、痛みと熱で遠ざかる意識の中、孤独と恐怖に震えて絶望する私を救ってくれたのはこの仔だけ。
よく鞣された皮よりも柔らかく滑らかな額に頬ずりをして、その温もりを味わう。
「禁呪の森の主か……?どうしてこんなところに」
国王陛下のお声は戸惑いながらも深みのあるよいお声ですね。セクシーエロボイス担当なんですって。王妃殿下が小娘のようにはにかみつつおっしゃってましたわ。馬鹿じゃないのかと思いました。
それはともあれ、禁呪の森の主とは初耳です。
「そうなの?シルヴァってば、あの森の主なの?」
確かにこのサイズにも関わらず、シルヴァといれば魔獣は襲ってくるどころか近寄ってもこないけれど。なんなら貢物っぽく木の実やら獣肉やら置いて逃げていくけれど。あ、もしかして本当に貢物だったのかしらあれ。
首を傾げてスピネルの瞳を覗き込めば、真似するようにこてりと逆に首を傾げる。知らないらしい。
「心当たりないそうですわ」
「いやいやいやいや……まだ幼生みたいだがその白銀の鱗は間違いないだろう。泉の白竜石は森の主が遺すものだと王家の伝承にある」
ああ、なるほど。確かにそれならシルヴァの住処が泉にあるのも頷ける。というか、え?それなら。
「シルヴァ……それならお前、私と一緒に来れないの?」
「きゅいっ!?」
シルヴァはその体格の割合としては短めの前足で、私の腰と太ももを抱き寄せて、首を左右にいやいや振りながら鼻先を胸にすりつける。
「な―――っシャルから離れろトカゲが!」
「グルァアアァ!」
王太子殿下の珍しい罵声に、シルヴァの地の底から響くような咆哮が返された。
太い尾が力強く床に打ちつけられ、衝撃でバルコニーの手すりが崩れ落ちる。また巻き起こるギャラリーの悲鳴。
ふんっふんっと短い鼻息を鳴らして、不機嫌そうに尻尾を素早く左右に揺らしてはまたびたーんびたーんと床に打ちつける。
……可愛いがすぎる。
よーしよしよしよしと両腕を首に回して抱きしめて全力で頬ずりしてると、王妃殿下の呟きが耳に入った。
「嘘でしょ……いまさら隠しキャラとか」
不敬なので口に出したことはないけれど、王妃殿下はあのピンクブロンドととても気が合うのではないかと思う。意味不明な独り言が多いあたりがそっくりだもの。
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