3 / 26
本編
カーテンコールはお断り。①
しおりを挟む
―――はぁっはあっはっはっ
耳の中で激しく脈打つ鼓動と荒い呼吸だけが響く。
ざあざあと、数年前に視察で出向いた港町で初めて見た海鳴りを思い起させるのは、密集する分厚い葉をかき分ける音。
指も手も腕も足も、切り傷や擦り傷で血まみれで。
肌触りもよく動きやすい上質な仕立ての衣服は、とっくに泥と汗と血で見る影もない。
断続的にきぃんと響く耳鳴りと、背後から追ってくる低い唸り声。
痛い
苦しい
怖い
嫌
助けて
誰か助けて
◇◇◇
「今どき高位貴族が魅了魔法などに惑わされるわけもなかろうに」
「これも王妃殿下が開発されたアミュレットのおかげですな」
「わたくしは前途洋々たる若者の未来が奪われるのを見過ごせなかっただけですわ」
「実際、二十年前までは各国で被害が散発してましたからなぁ」
時折現れる魅了魔法の使い手が高位貴族や王族に取り入り国を乱すというのは、その使い手の能力によって規模の差はあれど問題視はされてきていた。
アミュレットはあれど、それは歴史ある国のみ、しかも王族クラスの中でも王や王太子程度しか持ちえないほど希少なものだった。
ここで登場するのが才に優れた王妃殿下。独自の魔法構築による魔法陣の圧縮と希少素材の省略により、各国首脳陣が常備できる程度にまで生産可能とさせた。
我が国においては、高位貴族、伯爵位以上の者は持たねば特権者としての意識に欠けるとさえ言われるほどに浸透している。
まあ、それで色恋で道を踏み外す者が全くいなくなったかといったら、それはそれで別の話ですけども。
なんでぇええぇえぇぇぇえぇぇとやまびこを響き渡らせながら、アンナが退場になった小ホールでは、さきほどまでの緊張感はすっかり霧散して、重臣たちの昔話と捕り物劇の感想で僅かばかりの高揚感をもって賑わっている。
王太子殿下には、不正や横領、詐欺などの疑いがある男爵の摘発とその証拠確保が課題。
王太子妃候補には、王太子殿下がその課題遂行のために接触した男爵令嬢が起こすであろう醜聞への対抗が課題。
―――王太子殿下はともかく、私への課題は少し意味がわからないだろうが、国内外問わず社交界では欠かせない醜聞やそれへの対処能力を試されている、らしい。
王妃殿下も、婚約者時代に今回同様現れた魅了魔法の使い手に見事対処している。開発したアミュレットをもって。もっともその時は今回のように一族絡みの犯罪ではなく、魅了魔法の使い手単独犯で能力も低く、単純に玉の輿狙いだったようだけれど。
どうしてこう魅了魔法の使い手はみんな逆ハー狙うのかしらねぇと、王妃殿下は昔ころころと笑いながら言っていた。
高位貴族はすべからく魅了魔法の対抗手段を持っているし、それを知っている。勿論私も知っている。
魅了魔法で操られることはほぼありえないといっていい。けれど恋に目が眩む者がいなくなるわけではない。むしろ操られることがありえないからこそ、不義理が発生すればそれは自発的なものだと考えざるを得なくなる。
だから、課題に適しているそうだ。
仲睦まじく切磋琢磨していたはずの婚約者の裏切りに心乱すことなく、学園や社交界での好奇や同情、嘲りの含む噂への対処、足を掬われないよう品位を保ち貴族社会での規範となるべく振舞うこと。
王太子妃、次期王妃として、それが可能な器であると示せという課題。
なぜなら現王妃も乗り越えた問題なのだから。
傑物たる現王妃とまでいかずとも、シャルロット・マクドゥエルは現王妃の姪なのだから。
現王妃の過去の偉業までいかずとも、シャルロット・マクドゥエルは確かに実績を積み上げているのだから。
見事課題をこなした王太子とその婚約者を称賛し、次代のこの国も安泰だと、朗らかに語らう輪から離れて、王太子殿下がふにゃりとした笑顔を向けてくる。
「シャル、お疲れ様。よかったよ。気づいていてくれて。さすがに君を裏切っているかのような演技は辛かった」
「お前ならこなしきると信じてはいたが、まさかあんな意趣返しまでするとはな。肝を冷やしたぞ」
「僕は冷えたどころじゃないです、心臓が凍ったかと」
公爵閣下も柔らかなまなざしで苦笑しつつ続き、護衛兼侍従はまだ少し震える指先を胸にあてている。
「ふふっ、私は心配してなかったわよ。だってシャルロットですもの」
「そうだよね。僕たちの中で一番伯母上にそっくりなんだし」
「兄さまっ王妃殿下でしょっおうちじゃないんだから」
公爵夫人は閣下に寄り添い、公爵家嫡男は末の令嬢に窘められてちらりと舌を出す。
「だけど試験とはいえ、あんな慎みのない女性の相手はもうごめんだな」
「全くだ。よくあれでシャルロット嬢に対抗できると思ったものだよ」
宰相子息に騎士団長子息が、苦笑とともに幼馴染らしいいつもの親しみを向けてくる。
「本当にお疲れ様、シャルロット。わたくしも伯母として鼻が高いわ」
「意外でもあったぞ。例え試験であることを見抜いていても、シャルロットならノってみせると思っていたしな―――昔の君を見ているようで面白かったよ」
陛下は王妃殿下の腰をさらに抱き寄せつつ、こめかみにキスを落としては王妃殿下に軽くたしなめられている。
王太子殿下が対抗でもしたいのかなんなのか、また距離を詰めようと歩み寄ってくる。
ああ、
あああ、
あああああああ、どいつもこいつも―――
耳の中で激しく脈打つ鼓動と荒い呼吸だけが響く。
ざあざあと、数年前に視察で出向いた港町で初めて見た海鳴りを思い起させるのは、密集する分厚い葉をかき分ける音。
指も手も腕も足も、切り傷や擦り傷で血まみれで。
肌触りもよく動きやすい上質な仕立ての衣服は、とっくに泥と汗と血で見る影もない。
断続的にきぃんと響く耳鳴りと、背後から追ってくる低い唸り声。
痛い
苦しい
怖い
嫌
助けて
誰か助けて
◇◇◇
「今どき高位貴族が魅了魔法などに惑わされるわけもなかろうに」
「これも王妃殿下が開発されたアミュレットのおかげですな」
「わたくしは前途洋々たる若者の未来が奪われるのを見過ごせなかっただけですわ」
「実際、二十年前までは各国で被害が散発してましたからなぁ」
時折現れる魅了魔法の使い手が高位貴族や王族に取り入り国を乱すというのは、その使い手の能力によって規模の差はあれど問題視はされてきていた。
アミュレットはあれど、それは歴史ある国のみ、しかも王族クラスの中でも王や王太子程度しか持ちえないほど希少なものだった。
ここで登場するのが才に優れた王妃殿下。独自の魔法構築による魔法陣の圧縮と希少素材の省略により、各国首脳陣が常備できる程度にまで生産可能とさせた。
我が国においては、高位貴族、伯爵位以上の者は持たねば特権者としての意識に欠けるとさえ言われるほどに浸透している。
まあ、それで色恋で道を踏み外す者が全くいなくなったかといったら、それはそれで別の話ですけども。
なんでぇええぇえぇぇぇえぇぇとやまびこを響き渡らせながら、アンナが退場になった小ホールでは、さきほどまでの緊張感はすっかり霧散して、重臣たちの昔話と捕り物劇の感想で僅かばかりの高揚感をもって賑わっている。
王太子殿下には、不正や横領、詐欺などの疑いがある男爵の摘発とその証拠確保が課題。
王太子妃候補には、王太子殿下がその課題遂行のために接触した男爵令嬢が起こすであろう醜聞への対抗が課題。
―――王太子殿下はともかく、私への課題は少し意味がわからないだろうが、国内外問わず社交界では欠かせない醜聞やそれへの対処能力を試されている、らしい。
王妃殿下も、婚約者時代に今回同様現れた魅了魔法の使い手に見事対処している。開発したアミュレットをもって。もっともその時は今回のように一族絡みの犯罪ではなく、魅了魔法の使い手単独犯で能力も低く、単純に玉の輿狙いだったようだけれど。
どうしてこう魅了魔法の使い手はみんな逆ハー狙うのかしらねぇと、王妃殿下は昔ころころと笑いながら言っていた。
高位貴族はすべからく魅了魔法の対抗手段を持っているし、それを知っている。勿論私も知っている。
魅了魔法で操られることはほぼありえないといっていい。けれど恋に目が眩む者がいなくなるわけではない。むしろ操られることがありえないからこそ、不義理が発生すればそれは自発的なものだと考えざるを得なくなる。
だから、課題に適しているそうだ。
仲睦まじく切磋琢磨していたはずの婚約者の裏切りに心乱すことなく、学園や社交界での好奇や同情、嘲りの含む噂への対処、足を掬われないよう品位を保ち貴族社会での規範となるべく振舞うこと。
王太子妃、次期王妃として、それが可能な器であると示せという課題。
なぜなら現王妃も乗り越えた問題なのだから。
傑物たる現王妃とまでいかずとも、シャルロット・マクドゥエルは現王妃の姪なのだから。
現王妃の過去の偉業までいかずとも、シャルロット・マクドゥエルは確かに実績を積み上げているのだから。
見事課題をこなした王太子とその婚約者を称賛し、次代のこの国も安泰だと、朗らかに語らう輪から離れて、王太子殿下がふにゃりとした笑顔を向けてくる。
「シャル、お疲れ様。よかったよ。気づいていてくれて。さすがに君を裏切っているかのような演技は辛かった」
「お前ならこなしきると信じてはいたが、まさかあんな意趣返しまでするとはな。肝を冷やしたぞ」
「僕は冷えたどころじゃないです、心臓が凍ったかと」
公爵閣下も柔らかなまなざしで苦笑しつつ続き、護衛兼侍従はまだ少し震える指先を胸にあてている。
「ふふっ、私は心配してなかったわよ。だってシャルロットですもの」
「そうだよね。僕たちの中で一番伯母上にそっくりなんだし」
「兄さまっ王妃殿下でしょっおうちじゃないんだから」
公爵夫人は閣下に寄り添い、公爵家嫡男は末の令嬢に窘められてちらりと舌を出す。
「だけど試験とはいえ、あんな慎みのない女性の相手はもうごめんだな」
「全くだ。よくあれでシャルロット嬢に対抗できると思ったものだよ」
宰相子息に騎士団長子息が、苦笑とともに幼馴染らしいいつもの親しみを向けてくる。
「本当にお疲れ様、シャルロット。わたくしも伯母として鼻が高いわ」
「意外でもあったぞ。例え試験であることを見抜いていても、シャルロットならノってみせると思っていたしな―――昔の君を見ているようで面白かったよ」
陛下は王妃殿下の腰をさらに抱き寄せつつ、こめかみにキスを落としては王妃殿下に軽くたしなめられている。
王太子殿下が対抗でもしたいのかなんなのか、また距離を詰めようと歩み寄ってくる。
ああ、
あああ、
あああああああ、どいつもこいつも―――
101
あなたにおすすめの小説
完【恋愛】婚約破棄をされた瞬間聖女として顕現した令嬢は竜の伴侶となりました。
梅花
恋愛
侯爵令嬢であるフェンリエッタはこの国の第2王子であるフェルディナンドの婚約者であった。
16歳の春、王立学院を卒業後に正式に結婚をして王室に入る事となっていたが、それをぶち壊したのは誰でもないフェルディナンド彼の人だった。
卒業前の舞踏会で、惨事は起こった。
破り捨てられた婚約証書。
破られたことで切れてしまった絆。
それと同時に手の甲に浮かび上がった痣は、聖痕と呼ばれるもの。
痣が浮き出る直前に告白をしてきたのは隣国からの留学生であるベルナルド。
フェンリエッタの行方は…
王道ざまぁ予定です
婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。
松ノ木るな
恋愛
純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。
伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。
あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。
どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。
たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。
《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法
本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。
ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。
……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?
やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。
しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。
そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。
自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。
天才少女は旅に出る~婚約破棄されて、色々と面倒そうなので逃げることにします~
キョウキョウ
恋愛
ユリアンカは第一王子アーベルトに婚約破棄を告げられた。理由はイジメを行ったから。
事実を確認するためにユリアンカは質問を繰り返すが、イジメられたと証言するニアミーナの言葉だけ信じるアーベルト。
イジメは事実だとして、ユリアンカは捕まりそうになる
どうやら、問答無用で処刑するつもりのようだ。
当然、ユリアンカは逃げ出す。そして彼女は、急いで創造主のもとへ向かった。
どうやら私は、婚約破棄を告げられたらしい。しかも、婚約相手の愛人をイジメていたそうだ。
そんな嘘で貶めようとしてくる彼ら。
報告を聞いた私は、王国から出ていくことに決めた。
こんな時のために用意しておいた天空の楽園を動かして、好き勝手に生きる。
婚約破棄から~2年後~からのおめでとう
夏千冬
恋愛
第一王子アルバートに婚約破棄をされてから二年経ったある日、自分には前世があったのだと思い出したマルフィルは、己のわがままボディに絶句する。
それも王命により屋敷に軟禁状態。肉塊のニート令嬢だなんて絶対にいかん!
改心を決めたマルフィルは、手始めにダイエットをして今年行われるアルバートの生誕祝賀パーティーに出席することを目標にする。
(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。
なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと?
婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。
※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。
※ゆるふわ設定のご都合主義です。
※元サヤはありません。
《完結》恋に落ちる瞬間〜私が婚約を解消するまで〜
本見りん
恋愛
───恋に落ちる瞬間を、見てしまった。
アルペンハイム公爵令嬢ツツェーリアは、目の前で婚約者であるアルベルト王子が恋に落ちた事に気付いてしまった。
ツツェーリアがそれに気付いたのは、彼女自身も人に言えない恋をしていたから───
「殿下。婚約解消いたしましょう!」
アルベルトにそう告げ動き出した2人だったが、王太子とその婚約者という立場ではそれは容易な事ではなくて……。
『平凡令嬢の婚活事情』の、公爵令嬢ツツェーリアのお話です。
途中、前作ヒロインのミランダも登場します。
『完結保証』『ハッピーエンド』です!
婚約破棄された私は、世間体が悪くなるからと家を追い出されました。そんな私を救ってくれたのは、隣国の王子様で、しかも初対面ではないようです。
冬吹せいら
恋愛
キャロ・ブリジットは、婚約者のライアン・オーゼフに、突如婚約を破棄された。
本来キャロの味方となって抗議するはずの父、カーセルは、婚約破棄をされた傷物令嬢に価値はないと冷たく言い放ち、キャロを家から追い出してしまう。
ありえないほど酷い仕打ちに、心を痛めていたキャロ。
隣国を訪れたところ、ひょんなことから、王子と顔を合わせることに。
「あの時のお礼を、今するべきだと。そう考えています」
どうやらキャロは、過去に王子を助けたことがあるらしく……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる