悔しいけど、君が好き。

矢凪來果

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有給なので見ないふりをしてください。

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 ミサキが一人暮らししている家は焼肉屋とは中目黒駅を挟んだ反対側に位置していた。だから、店を出た後は、ヒロトを見送るついでにダラダラと同じ方向を歩く。
 道が狭くて、肩と手が当たりそうなのが少し気になりながら、二人は意識を逸らすように周りの景色に目を向けていた。

「桜、もうちょっとで咲きそうだ。」
「そうだね。」
「ミサキはこの辺に住んでるんだよな。なかなかやるなぁ。」
「家賃高くて死にそうだけど、仕事が遅いから近くないと帰らなくなっちゃうんだよね。」
「確かに、さっきも忙しそうだったな。」
「すごい顔してたの見られたもんね。」
 ミサキはバツの悪そうな顔をするが、対するヒロトはどこか気の抜けた様子で「ああ」と答えただけだった。

 …どうしよう、もうすぐ駅に着く。
 改札でバイバイと手を振ってしてしまえば、この関係はまた変わらないままなんだろう。

 正直、無理矢理有給とって海外に行くよりも、久しぶりの連絡を送るよりも、今言おうとしていることを口に出す方がとてつもなく難しい。
 なんなら、こうして会えたんだから、もうそれでいいんじゃないだろうか…そんなふうに、気弱な自分が勇気をどんどん削いでいく。

 どうしようと悩んでいるミサキだったが、唐突に心の中に世界的実業家が出てきた。
『今日ガ人生最後ノ日ダッタラ、ドウスルンデスカ、コノ意気地無シ』

 …脳内再生された実業家の言い方が絶妙に腹が立つ。でも、確かに次は来ないかもしれない、伝えたい思いは、やっぱり今言わないとだめだ。

 意を決して、話を切り出そうとミサキは口を開けたが、タイミング悪く、先に声を出したのは隣にいる男の方だった。
「今日さ、カフェに着いたら、とある人が鬼みたいな顔で携帯睨んでてさ。」
「私じゃん」
 って、私がもたもたしている間にさっきの会話が続いてしまった。駅に着くまでにここからどうやって切り出す?っていうか、なんの話なのよいきなり!

「仕事なんだろなって思ったんだけどさ、それにしてもすごい顔で…」
「ほんと、忘れて…」
 すると、ヒロトは少し足を止めて、ちょっとだけ小さくなった声で続きを言った。
「あの顔を見た時さ、すげえ嬉しかったんだ。」

「…え、なんで?」
 ワンテンポ遅れてミサキも足を止めた。

 いつの間にか駅に着いていたようで、泊まった場所は入り口の大きな地図のすぐそばだった。
「俺さ、昔『明日死ぬなら』って話したの覚えてる?」
「うん」
 人の声で聞き漏らすことがないように、ミサキは真っ直ぐヒロトの顔を見つめて話を聞いた。

「最近急に、それを思い出してさ、俺が明日死ぬならあの顔が見たいって思って日本に帰って来たんだ。」
「…社畜フェチ?」
「ちっげえよ、ぶっ飛ばすぞ」

 ミサキの言葉に、ヒロトはため息とも深呼吸ともつかない、大きな息を吐いてから、もう一度ミサキに向き直った。
「俺、今の仕事でこの先も稼げるか、まだ全然わかんないし、日本にだってあんまいないかもしれないし、性格だって割と捻くれてると思うから、ミサキの友人としては、『俺』って男はあんまり勧めたくないんだけど…」
 ヒロトが言葉を切った一瞬、ミサキは周りの人の声は何も聞こえないくらい、自分の鼓動がうるさいことに気がついた。

「それでもやっぱり、肉で口一杯の間抜けな顔も、眉間に皺が入った鬼みたいな顔も、全部が世界一可愛く見えるくらい好きなんだ。」

 ヒロトの言葉に、息が止まった気がした。
「…目、悪いんじゃない」
「否定したいけど、視力0.2だわ」
 ミサキの可愛げのない言葉に笑って返した後、ヒロトはミサキの手を取って少し屈み、困ったような顔で目線を合わせてきた。その手は少しだけ冷たかった。

「ちなみに、ミサキはどう?まあ、答えは今じゃなくてもいいんだけど…」
「えと、今言う…ちょっと待って」
 ミサキも震える声を抑えて、伝えないといけない言葉を少しずつ口に出していく。

「わ、私は、しがない社畜だし…食いしん坊で抜けてて、ビビりで助けてもらってばっかりだから、大事な友達の彼女にはあんまりおすすめじゃなくて、だけど…」

 心の実業家が、今は拳を上げて応援してくれている。

「あ、いや、これ言うのちょっと悔しいけどね、電話しなくなって何年経っても、それでも、しんどい時やいいことがあった時はね、四千キロ離れてる捻くれた男友達の声が聞きたくなってたの。だから、今日同じヒロトと同じことを思い出して、会いに行かなきゃって思ったの。」

 もう少し、頑張れ私。
「私もヒロトが好きだよ。」

 その瞬間、ミサキはヒロトに抱きしめられていた。

「良かった。まあ知ってたけど」
「の割には、手冷たくて震えてたけど…ビビってたんじゃない?」
「うるさい」
 ミサキはふふっと笑いながら、そろっと背中に手を回した

「はい、捕獲したから…もう離れれません。なんちゃって。」
 ミサキの冗談に少し動きを止めたヒロトは、低い声で困ったように囁いた。

「なにそれ…」
「え、ごめん、いい歳して流石に寒かったかな?」
「いや…なあミサキ」
「何?」
 ミサキは自分の冗談に居た堪れなくなりながら返事をした。するとヒロトが素っ頓狂なことを言い出した。
「俺の終電、多分無くなった。」
「いや、まだ十時だし。」
「あーあ、間引き運転のせいだな。困った」

 いや、ミサキ側から見えている奥の電光掲示板はまだまだ下までみっちり予定が書かれてるし、むしろ案件に余裕のあるミサキの同僚なら、そろそろ飲みにこの駅までへ来てもおかしくない時間だ。

 て言うか、ホテルはこの後取るって言ってたくせに…どこへの終電だよ。長野か?

 でも、そんなツッコミは口に出さなかった。ミサキだって離れたくない、クスリと笑ってから、素っ頓狂な主張を受け入れた。
「それは困ったね」
「俺を家まで連行してくれない?…なんつって。」
「脱獄しない?」
「…刑期終わっても出ないかも」
 ミサキはその答えに満足そうに頷いた後、少し焦った声でヒロトにお願いした。

「わかった。…けど流石に一旦離してくれないかな」
「やだ、捕まえといて」
「そろそろ、うちの会社の人が通るんだよ・・・・」
 その後たっぷり一分粘った後、ミサキは解放されて、駅の反対側に向かって歩き出した。

 ただ、先ほどと違って触れそうな距離にあった手はしっかりと繋がれていた。
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