婚約者に逃げられました。

砂臥 環

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侯爵家での生活

流されて間をとるという選択

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 やらかした。
 寝落ちした。

 しかもそれだけでなく、クッションにはヨダレが垂れていた。

『流石にないにゃー』『これはリカバーできないやつにゃー』と言いながら去る猫の声を聞いた(気がした)時には、窓から降り注ぐ西日。
 夕焼けが眩しい茜色の空。

 ──どれだけ寝てたんだ、という。

 そしてどれだけ待たせていたのか、と。

 有難いことにフェル様が頭から被せてくださった上着のおかげで、ヨダレは見られることなく素早く手で拭えたものの、高級そうなクッションには染み……

 これは恥ずかしがるフリをして、抱き締め続けるしかない。
 いや、実際に恥ずかしいが、ヨダレ付きクッションを見られるのはもっと恥ずかしい。




 クッションを抱き締め「申し訳ありません……」と謝るしかない私に、フェル様は穏やかに微笑み「気にしなくていい」と言ってくれたばかりか、身体まで気遣ってくれた。

 私は思った。

(これは完全に『病弱』だと思われている……)

『病弱』──これは私が撒いた噂ではない。
 あまりに社交に出てこないのと小柄で細身で色白なせいか、勝手にそういうことになっていたのだ。
 私はあくまでも噂に乗じていただけである。

(……ダメだこれ言い訳にもならないやつだ)

 乗じて仮病を使いまくった事実も過去にはある。『今使ってないからいいよね』という感じにはならない。

 食事の時間もとても心配されたが、私は元々食が細いだけだったりする。
 ちなみに色が白いのは、あまり外に出ない為……つまり怠惰故。
 嘘をついているわけではないが、優しくされると罪悪感が凄い。

(このまま隠せるわけではないし……)

 その一方で嘘をついているわけでもないのが、またややこしい。
 猫は被っているが嘘はついていないので、わざわざ言うのもなにかおかしいというか。

(話のきっかけが難しいわ~)

 私にはハードルが高い。
 結局『折を見て話す(※先送りの柔らかい言い方)』と決めるに留めた。




 それから先は、割と順調……とは言えないまでも、徐々にこちらでの生活にも慣れていき、少しずつ私達はお互いの距離を縮めていった。

(でもフェル様の元気が徐々に無くなっている……気がするわ)

 段々私の本性が見えてきて、呆れているのだろうか……

「どう思う? ユミル」
「いえ、お嬢様はなにかと頑張ってらっしゃいます」

 そう、ユミルの言う通り、私は頑張っていた。


 伯爵家でもそこそこ慣れていた事務仕事だけでなく、孤児院や修道院にも足を運んでいる。

 こちらでも相変わらず子供には舐められ放題で手荒い歓迎は受けるものの、奴等は案外賢いので、フェル様がいる時は『貴族のお姉ちゃん、いつもありがとう♡』等と、さり気無く持ち上げてくれたりする。
 後日の菓子を期待したあざとい行為だが、それを小憎らしくとも可愛い、と思えるぐらいまでは実際に仲良くもなっているし、概ね問題はないと思う。

 また、修道院での奉仕作業は勿論真面目にこなしたし、教会での祈りも、いつもしっかりと捧げている。
 神様に祈る時はどうでもいいことを考えがちなのでポーズだけだが、先に『祈りの質には寄付金額分も是非加味してください』と心の中で神様には一応お伝えしている。


 とても立派に貴族淑女している。
 ……筈だ。端から見たら、多分。

「じゃあ……やっぱり……」

 私の見た目の問題だろうか。

『美人は三日で飽きる』などと言うが、『ツルペタストーン』も見慣れたら、三日で飽きたのだろうか。

「いえ、フェルナンド卿のお嬢様への好意はむしろ、増しているように見えます。 別のことでお悩みなのではないでしょうか」

 確かにフェル様とも普通に歓談ができるようになっている。今もなにかと気遣ってくれ、贈り物はくれるし、近場だがお出掛けにも頻繁に誘ってくれる。
 とても婚約者らしい。

 こないだはなんと、夜の庭園で……

 手まで繋いだのだ!

「……手を繋いだだけなことに、驚きを禁じ得ません」
「えっ」
「あれからちょっと空気が違うので、もっと他になにかあったのかと思っていました」
「ええっ」

 それはつまり……

「いつまでも進展しない関係に焦れているのでは……」
「ええええええええええええ?!」

 進展しているじゃないッ!
 もっと物理的接触がないと駄目なの!?


『せ……体力もあり余ってそうな方じゃなぁい?』

 母の言葉がまたも頭に過ぎる。


「せ……」
「お嬢様?」
「ゲフンゲフン……いえなんでも」


 この国は『初心者の為の閨』でもわかるように、周辺諸国より医学が進んでおり、『医学的見地から生娘を判別するのは無理』と断じている。
 勿論貞節は男女共に求められるが、それ故『結婚する相手であり両者が相応の年齢の場合に限り』、行為を問題視していない。


 ──当てはまっている。
 問題視されない側に。

 侯爵家にお世話になっている今、あっても世間的にはアリよりのアリではあるのだが……

「その……が……我慢させているのかしら?」
「私に聞かれても……ですが最近の卿は、切ないお顔でお嬢様を見つめていることが多いような気は致します」
「切ないお顔で……」

 割と心当たりがあるような……?

(いや、ある気がするわ!)

 この間も、フェル様のマフラーを編んでいた私を見て、そんな顔をしていた。

「その時は『もしかしたら首になにか巻くのはムズ痒くてダメなタイプなのかしら』と思っていたのだけれど……」
「お嬢様。 これはどちらにせよ、お嬢様のお気持ちが一番です。 無理に先に進めようとしなくても、卿は待ってくださいます」
「ううぅぅ~ん」

 待たせていると思うとなんだか心苦しい。
 でもまぁ……私にはまだハードルが高いのも事実である。

「お嬢様、ご自身の! フェルナンド卿への! お気持ちが大事です!!」
「はっ?! ──そうッ! そうよね?!」

 ウッカリ罪悪感とかを持ち出し、思考への怠惰からそれに流されつつ『間をとる』という無難な結論を選ぶところだった。

(フェル様への気持ち……)

 ただ、そう言われてもイマイチわからない。
 そもそも前提が婚約者であり、いずれはそうなるものなのだから。
 今、それがフェル様であることを好ましくは思えど、ルルーシュ様では無理だった……などという訳では無い。
 そして、前提を切り離して考えるのは、曲がりなりにも貴族である私には難しかった。

「逆に言うと、いずれでなく今でも、……つまり立場的な責務以外でも、間をとれるぐらいには好意を抱いている……ということになりませんか?」
「へぇッ?! そ、そうなのかしら?!」

 少し強引な屁理屈に思える私に、ユミルは少し困った顔で考えて、こう言った。

「──お嬢様、ご自身のお気持ちがハッキリしないのなら、この際やってみましょう」
「え?」
「間の行為を」
「ええェェエェェ!?!」


「物理的接触は距離を近付けると言います」等と言いながら、ユミルは私に色気の欠片もない上下の寝間着を着せ、更にその上に厚手の部屋用カーディガンを羽織らせて、隣の寝室に放り込む。

「では、お呼びしておきますので」
「ええええええええええェェ!??」

 心の準備などは待ってくれないらしい。

 慌てふためきつつも、私は頭の片隅で「……っていうかこんな寝間着があるならサッサと出して欲しかった」とかちょっと思っていたりした。
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