ひとこま ～三千字以下の短編集～

写真は思い出とともに

　娘の小夜子は近くに住んでいて、孫の友佳も時々遊びにやって来る。
　この日も高校二年生になった孫の友佳が訪ねてきた。
「よくきたね。外は暑かっただろう？　ちょっと待っててね。麦茶入れるから」
　私はしていた作業をやめて、エアコンをつけると台所の冷蔵庫を開けた。

「おばーちゃーん、写真だらけだねー」

　先程まで私がいた居間のソファーに座った友佳が、私に聞こえるように大声で言ってくる。
　氷を入れたグラスに麦茶を注ぐと、カランと涼しい音がした。お盆にのせて居間まで運ぶ。
「整理をしていたところなのよ。
写真が汚れたら困るから、テーブルから下ろしてくれるかい？」
「分かった」
　友佳は写真を丁寧な手つきで揃えてござの上に置いたのだが、その中から一枚の写真を手に取った。
「おばあちゃん、これ、良く撮れてるね！　帽子がとても似合っていて、美人に写ってるよ」
「どれどれ？」
　私はコースターをひいてから麦茶をテーブルに置いて、友佳の持っている写真に視線を移す。ダークグリーンのつばの大きな帽子を被って、まるでモデルのような自然な笑みを浮かべている自分が写真の中にいた。
「ああ。その写真ね」
　私はくすりと思い出し笑いをした。
「それはプロの写真家に撮ってもらったものなのよ」
　私の言葉に友佳は驚いた。
「え？　プロのカメラマン？！　凄いね。良いな！」
「そうね。運が良かったのね。
友達二人と旅行に行ったときだったわ」
　私は麦茶を一口飲んで、当時を思い返した。


＊＊＊

　あれはまだ私が五十になった頃だった。友達の道子と香織と三人で京都を旅行したことがあった。季節は４月上旬。まだ肌寒い日もあるが、至る所に桜が咲いていて美しかった。
　確か、清水寺を観光して、寺からの参道の坂道沿いに並ぶ店を見ながら、ぶらぶら下っていた時だった。

「すみません。ちょっといいですか？」

　私たちは高そうなカメラを手にした同年代くらいの男性に声をかけられた。男性の後ろには色々な道具を手にした人が四人。
　私たちは顔を見合わせた。どう見ても素人という感じではなかったからだ。
「撮影予定のモデルが体調を壊しまして、よろしかったらそこのあなた、代わりに撮らせて頂けないでしょうか？」
　そう男は真っ直ぐに私を見て言った。そう、私をだ。
「わ、私？　でも、私はもう年ですし、若い方のほうがいいんじゃないかしら？」
　私は戸惑って言った。隣の友人たちを見る勇気はなかった。三人いるのに私にだけ声をかけるなんて、二人はきっと良く思っていないはず。　
「いえ、今回はあなたくらいの方をモデルに撮る企画なのです」
　困り果てた私はそっと二人の友人たちを盗み見た。予想通り、二人は面白くなさそうにそっぽを向いていた。
「あの、私たち、旅行に来ているんです。他にも回りたいところがありますから……」
　断ろうと決断した私がそう言うと、道子が、
「あら、断ることないんじゃない？　私と香織はここら辺をぶらぶらしてるから、撮ってもらったら？　良い記念じゃない」
　と割って入ってきた。道子の本音が分からず、私は瞳をうろうろさせた。

　女三人というのが私は苦手だった。二対一に分かれてしまうからだ。そして、今、確実に私は一人になろうとしていた。学生のときならまだしもこの年になってまでこんなことで悩むなんて、まだまだ自分は子供ね、と小さくため息をつく。

「一時間ほどで終わります。お友達も言ってますし、お願いできませんか？」
　私はそう言われて、渋々引き受けるしかなかった。
「じゃあ、一時間後、ここのお店の前でね」
　香織が言い、道子は私に軽く手を振った。
　二人は撮影に興味がないわけではないと思う。でも、見学をするという選択を彼女たちはしなかった。やっぱり選ばれなかったことを快く思っていないのだろう。
　女友達は難しい。予定も狂ってしまったし、撮影後の旅行の続きを考えると気が重かった。

　私は服を着替えさせられ、帽子を被らされ、場所を変えて何枚もの写真を撮られた。
　表情が沈んでいたようで、何度も、
「もっと楽しそうに！　笑顔で！」
　と言われてしまった。
　でも、さすがプロだ。おだてられ、のせられしているうちに、私はいつの間にか自分が本当のモデルになったような気分になって、自然に笑えるようになっていた。
　一時間も経たないうちに、道子と香織が戻ってきた。二人は撮影をしている様子を遠巻きに見ていた。

　
　撮影が終わり、画像のデータをカメラマンが確認している時、私たちもそれを見せてもらった。
　自分ではないようによく撮れた写真に、私は感心していた。道子と香織も興味津々と言った感じだ。
「やっぱり、恵子は顔立ちがはっきりしているから写真映えするわね！」
「この写真、とても素敵ね！　いい表情！」
　道子と香織が画面に映しだされる写真を指差して言った。その後もこの写真はああだとかこうだとか楽しげに話している二人を、私は不思議な気持ちで見ていた。


　「ごめんね。遅くなって」

　カメラマン一行と別れて、私が二人に謝ると、二人は顔を見合わせて小さく笑った。
「一時間ちょっとだったから、別にいいわよ」
「……まあ、自分に声がかからなかったのは正直、面白くなかったわね」
　道子は複雑な笑みを一瞬見せたが、すぐにふふふともう一度笑った。
「でもねえ、最後は三人の写真も撮ってもらえたし」
「良い思い出になったわよね」
「そうそう。
恵子が美人で目立つのは分かってることだし」
「私たちじゃ、あんないい写真にはならなかったわ」
　私は二人の言葉に目を瞬かせた。二人は屈託のない笑顔を見せている。私は自分から力が抜けていくのを感じた。そんな私を見て、二人はまたおかしそうに笑った。
「それに、一人残された恵子の顔」
「不安そうだったわね」
「私たち、それで早々戻ってきたのよ」
　二人はそこで気まずそうな顔になった。
「最初から見とけば良かったって、大人気なかったなと思ったわ」
「恵子が気にしやさんなの、分かってるのに」
　そして、二人して、

「こちらこそ、ごめんね恵子」

　と言ったのだった。


　結局旅は楽しく終わり、良い思い出として今も覚えている。

　三人で撮ってもらった写真と、掲載されたシニア雑誌、そして、友佳が見つけた私一人の写真が一枚、その後送られてきた。一人の写真はなんだか気恥ずかしくて、飾る気にもなれず、他の写真と一緒にしまっていたのだった。

＊＊＊

「へえ、そんなことがあったんだね。
……女友達って、確かに難しいよね」

　話を聞いていた友佳が麦茶のコップを手にポツリと言った。悩んでいることでもあるのかもしれない。
「でもねえ、おばあちゃんはそれからあんまり気にしないようになったのよ。それまでちょっと神経質になりすぎてたのね、きっと。気の合う友達とはちょっとやそっとじゃ壊れたりしないのよ」
「道子さんと香織さんとは続いているの？」
　友佳の遠慮がちな問いに私はにっこり笑った。
「もちろんよ。今でも時々温泉に行くの。昔みたいに遠出はできなくなったけどね」
　私はテレビの前に飾ってあった写真の二つを手にとり、友佳に見せた。
「あ、これが、さっきの京都のときの三人の写真だね。
こっちは最近の？」
「そう。おじいさんが亡くなってから、しばらく塞ぎ込んでいた私を、温泉に連れ出してくれたのよ、二人が」
　友佳は、
「良いお友達だね！」
　と言って笑った。
「私もおばあちゃんになった時にそんな友達がいるといいな」
　私を見て言った友佳の肩に私は優しく手を乗せた。
「大丈夫よ。人との出会いは縁。まずは今いる友達を大切になさいね」
「はあい」


　友佳が帰った後、もう一度、私は京都で撮られた写真を見た。
「あれからずいぶん年を取ったわね」
　私は独りごちる。
　女友達は難しい。女特有の嫉妬やプライドにより拗れることもある。でも、女友達は楽しい。私は彼女たちや他の友達がいなかったら、夫の死を乗り越えることができなかっただろう。気兼ねないお喋りは心のもやを晴らしてくれる。
　道子と香織とはこの旅行の半年ほど前に、公民館の書道クラブで出会って意気投合した。初めての三人での旅行。私は実はとても緊張していた。これからも仲良くやっていけるかを占うような旅行だった。今では二人とは緊張感のかけらもない関係になっている。
「本当に不思議ね」
　私は呟いて、再び散乱した写真をアルバムに閉じ始めた。

　　　　　　　　　　了