ひとこま ~三千字以下の短編集~

花木 葵音

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半世紀ぶりの再会

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「あら。もしかして、井倉さんじゃなあい? 久しぶりね!」
 私はスーパーの買い物途中、視界に入った懐かしい姿に思わず声をかけた。我ながらよく名前が出てきたものだ。
 声をかけられた井倉さんはというと、私の方をやや怪訝そうに見たけれど、やがて、
「もしかして佐川さん?」
 と目を瞬かせた。
「そうよ~、旧姓佐川麻里子。高校の時以来だもの、分からないわよねぇ」
 名前を思い出してくれた井倉さんに私は笑顔になって言った。
「まあ、懐かしい。ここら辺に住んでるの? 今まですれ違うこともなかったわよね?」
「そりゃあ、そうよ。主人が亡くなって、こちらに最近戻ってきたのよ」
「あら……そうだったの」
「……ねえ、これからお時間ある? 少しお話でもしない?」
 私はおそるおそる尋ねてみた。井倉さんはにっこりと笑った。
「いいわね。確かエンゼルがここの近くにあったわよね」
「そうそう。高校のとき、帰りに良く寄ったわよね」
 私たちは珈琲店エンゼルに行くことにして、買い物袋を手にのんびりと歩いた。

 井倉さんとは部活がコーラス部で一緒だった。親友とまではいかない友人同士。高校を卒業してからもしばらく年賀状のやり取りはあった。でも、お互い就職をした頃からそれもなくなった。本当に久しぶりの再会。50年ぶりくらいかしら。人違いだったらとも思ったけれど、声をかけて良かった。

 ドアを開けるとカランとベルが鳴って、漂ってきた珈琲の香りに、私たちは懐かしくなって顔を見合わせた。
「変わってないわね。相変わらずいい香り。私、何年ぶりかしら」
「私は会社員になっても時々来てはいたのよ」
「そうなの? そういえば井倉さんは地元就職だったわね」
「そうなの」
 私たちは突き当たりの席に陣取った。

「ご主人、亡くされたのね」
「……ええ」
 頼んだブレンドコーヒーにミルクと砂糖を入れて、私は答えた。井倉さんは私を労わるような目で見ていた。
「いつだったの?」
「三年前」
 私はスプーンでコーヒーを混ぜながら、ミルクがコーヒーに輪を描くのを見ていた。
「がんて怖いわね」
 私はポツリと独りごちた。
 主人の顔を思い浮かべていた。私よりも体力気力とも十分だった主人。ただお酒が好きで晩酌が欠かせなかった。毎日日本酒を三合は飲んでいた。たまには休肝日を作ったら、と私は冗談のようには言っていたけれど、美味しそうにお酒を飲む主人を見ているのが好きで強くは言えなかった。元気だったからこそ病院嫌いだった主人。本人がいつから症状を自覚していたかは分からないけれど、病院に行った時には末期の肝臓がんだった。それでも告知されたことが信じられないほど初めは元気だった。でも結局、余命6ヶ月と言われた通りに亡くなってしまった。67歳だった。
「まだこれからという時なのに、それは本当に辛かったわね」
 私の話に井倉さんはため息をついた。
「そうなのよ。長年連れ添った主人を亡くすのは本当に辛くて、私、しばらく抜け殻のようになってしまって」 
 ショックからか軽い認知症のような症状も出て、息子は私を施設にあずけるか引き取るかで、嫁と揉めることが多くなった。私はそんな二人を見るのが忍びなくなって、しっかりせねばと思った。それで主人との思い出の詰まった家と土地を売って、息子夫婦の家の近くではなく、学生の頃住んでいたこの町に、ワンルームのマンションを購入して、一人で暮らし始めた。そうしたら認知症も少し改善されて、なんとか一人でもやっていけている。
「どこら辺のマンションなの?」
「あの、天気がいい時に小さく富士山が見える橋があったじゃない?」
「あったわね。八幡橋ね?」
「あの橋から少し入ったところよ」
「そうなの? うちと意外と近くだわ! 今度、遊びに来なさいよ。お茶飲み友達ができたようで嬉しいわ」
 私は少し複雑な笑みを浮かべて、
「そうね」
 と言った。
「井倉さんは? これまでどうしてたの?」
 私の問いに、井倉さんは、
「私、今、若林って苗字なのよ」
 といたずらっ子のような目をして言った。
「まあ! もしかして、同じコーラス部の若林君と結婚していたの?!」
「そうなのよ。実は高校生の時から付き合ってたの」
「まあ! 全然知らなかったわ」
「ふふふ。当時はナイショにしてたから」
「若林君は元気にしてるの?」
「もう、元気過ぎてこちらは疲れてしまうほどよ」
「若林君おしゃべりだったしね」
「そう。家でもずっとしゃべってるのよ」
 若林君の話から、高校生の時の話になった。
「うちのコーラス部はお世辞にも強い部じゃなかったわね」
「そうね。でも私覚えてるわよ」
 井倉さんの言葉に、私は、
「何を?」
 と不思議に思って返す。
「佐川さんが熱血だったこと」
「熱血?」 
 私は驚いた。
 私が、熱血……? そうだったかしら。
「ええ、熱血だったと思うわ。弱小コーラス部を県大会まで行かせたいって、一生懸命だったじゃない。それまでなかった朝練まで増やして」
 私は記憶を手繰り寄せる。
 そう。私は確かコーラス部では部長だったのだ。
「そう言われると、確かに私、力入れてたかもしれないわ」
 今ではとても出来そうにない。
「始めは文句を言ってた部員もいたのよ? でも、佐川さんがあんまり熱心だから、私たちも段々やれば何とかなるんじゃと思い出して」
 井倉さんは懐かしそうに微笑んでブラックコーヒーを飲んだ。
「佐川さんの諦めの悪いところ、正直羨ましかったわ。この人はなんでも最後まで頑張る人なのねって」
 私は井倉さんの言葉をくすぐったく感じながら、もう一方で過去の自分に今の自分にはないものを見つけた気がして複雑な気持ちになった。
 最後まで諦めない。
 それは今の私に出来ていないこと。
 あの頃の私は未来に希望があって、頑張れば未来は変えられるんだって信じていた。そんな強さがあった。
「佐川さん? どうかした?」 
「……大丈夫よ。なんでもないわ」
 あの頃の私なら、今の私の選択をなじるかしら。もっと最後まで頑張れ! って言うかしら。
「ねえ、井倉さん。私……」
 私は言おうか言うまいか迷う。井倉さんは私の様子に姿勢を正す。そして次の言葉を待っているようだった。
 私は高校に必死で自転車を漕ぎながら行ってた自分を思い出す。そう。あの頃はとにかくなんでも必死で。
 だめね。私。私らしくない選択をしていたわ。
「私も実は大腸がんなのが先日分かったの」
 井倉さんは私の告白になんて返していいのか分からないようだった。
「もう主人の所に行ってもいいかなと思って、手術を見送ろうと思ってたんだけど……」
「だめよ! そんな、佐川さん! 諦めるなんて、佐川さんらしくないわ! まだ助かる見込みがあるなら!」
 井倉さんの言葉に、私の目から涙が溢れる。
「そうね。昔の私もきっとそう言うわね。諦めるなって」
「そうよ! せっかくお茶飲み友達ができたんだもの。長生きしてもらわなきゃ」
 井倉さんは私の手をとって言った。その目はやはり潤んでいた。
 私はうんうんと頷いた。
「手術、受けるわ。最後まで足掻いてみるわ。今日井倉さんと会えて良かった」



 私はその後8時間に渡る大手術をした。
 井倉さんとはあの日からもよくお茶をしている。私の命の恩人だ。
 私は井倉さんに会って、半世紀前の自分に再会したのかもしれない。
 当時の私が、今も時々言う。

「まだよ。まだ諦めない! まだ頑張れるわ!」


            了
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