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草原
15.清く正しいお付き合い
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イェノアが子を授かったことでククィツァが集落をあまり離れたがらなくなり、ユクガが外回りをすることが多くなった。
それはそれで構わないのだが、交渉などでククィツァを引っ張り出さざるを得ない場面はあるし、二人だけで話しておきたいこともある。
たまには羊の面倒を見ろと外に連れ出して、ユクガは久しぶりにククィツァの時間を確保していた。のんびりと草を食む馬たちの横で、ククィツァが草むらにごろりと寝転がる。
「久しぶりに走った気がするな」
「お前がイェノアにかかりきりだったからな」
「だって心配だろ?」
「……理解はできる」
イェノアは初産で、一時は果物しか受けつけないくらい体調を崩していた。今は持ち直しているが、重たいものを持たせてはいけないとか、もちろん転んではいけないとか、いろいろと気をつけなければならないこともあり、ククィツァが過敏になるのも理解はできる。
それにもし、キアラが子を宿したとしたら、ユクガも似たようなことをする自信がある。むしろイェノアより華奢で儚く見えるのだ、気が気ではないだろう。イェノアはああ見えて、剣術の腕はククィツァに勝る。
ただ、それ以前にキアラには全くヒートの兆候がないし、首輪を外す方法もわかっていない。体の準備ができていないうちに、事に及ぶ気はない。
「で、まあ溜まってたいろいろがあるとは思ってんだけど……何から聞けばいい?」
正直なのはいいことだ。
ユクガも正直にため息をついて、集落の運営に関することから話しておくことにした。
家族ごとの様子、今年生まれた羊の数、寄せられた困りごとや、共通財産の管理。そのあたりは単なる状況報告でもあるし、ククィツァも折に触れて聞いている話だ。ユクガが処理に困ることもそうそうない。
問題は、それ以外だ。
「以前、糸と織物を売りにいったときに普段より高値になったと伝えただろう」
「ああ……キアラと市に行ったときか」
あのあとも数回、ユクガ以外の者も含めて市には顔を出しているのだが、どの品も高く売れ、あとから文句を言われるということもなかった。女たちに聞いても、今までと同じように作っていたというから、少なくとも、作り手の工夫の成果が出た、などという話ではない。
「理由がわからんのは困るな」
キアラとベルリアーナにも話は聞いてみたが、二人ともここに来て初めて糸紡ぎや機織りをしたと言っていて、カガルトゥラードの技術を知らずに導入した、というわけでもない。
要因がわからず成果が上がってしまうというのは、自分たちで管理しきれずいつか破綻する可能性を孕んでいる。諸手を挙げて歓迎できるものでもなかった。
「……神子というのは、存在するだけで何かをもたらすようなものなのか?」
「……わからん。聞いたことのある神子の力だってばらばらだし、だいたい……神子が本当に存在するなんて思ってたか?」
「……いや」
キアラと生活しておきながら言うことでもないが、神子などおとぎ話の中のものだと思っていた。
しかしどの精霊の加護ともつかない髪の色をしたキアラは確かにいて、精霊の祝福によるものだろうとしか思えない力も見た。単なる精霊の加護の下にいる人間は、瞬きの間にけがが治るようなことはない。
「それに、いるだけで織物の質が向上するとか、謎の能力すぎるだろ」
「……いや、キアラの力は何かを癒すことだ」
「は?」
「……傷がすぐに癒えるのを見た」
初めて靴を履いたと思われる日に、靴ずれを起こしていたこと、その傷が目の前でたちまち治ったことについて、ユクガはククィツァにすら話していなかった。カガルトゥラードでキアラがその力を利用されていたことを考えると、人に明かすことについて慎重になるべきだと思ったからだ。
ククィツァを信頼していないわけではないが、秘密というものは知るものが少ないほどいい。
「血を与えると、他人の傷も癒せるそうだ」
「うーわ、争いの火種どころかすでに大火事起きてそうだな」
大変だ、と笑うククィツァに、できるだけ平静を装って尋ねる。
「……キアラを手放すべきだと、思うか」
「ハァ?」
途端に目の前の男が顔をしかめ、ユクガを睨みつけてきた。
「ぶん殴るぞてめぇ」
「……すまん」
予想とは少し違ったが、ほぼ想定通りの反応が返ってきて安堵する。
同意されたら、それこそユクガのほうがククィツァを殴り飛ばしていたかもしれなかった。
「あの子はもうお前の嫁だろ。俺だってイェノア手放せって言われたら怒り狂ってぶち殺してるところだ」
「……まだ手は出していない」
「はあぁ!? あのいちゃつき具合で!?」
「……そんなにか?」
ユルトの中では自重していない自覚はあったが、外でも傍目でわかるほどべたべたしていただろうか。出かけるときと帰ったときに、抱きしめたり、口づけたりしている程度だと思っていたのだが。
「一緒にいないのなんてお前が出かけてる間だけだろうが」
「離れている理由があるか?」
唖然とした顔で見つめられて、困惑して見返すしかない。
「……お前がそんな色ボケするとは思ってなかった」
「そんなつもりはないが……」
ユクガが集落から離れているのはだいたい昼で、その間はキアラも機織りや糸紡ぎに加わったり、カヤの世話をしたりして過ごしている。ククィツァなりベルリアーナなりが乗馬を教えてくれているらしいので、そのうち自在にカヤを操れるようになるだろう。
そうしてユクガが帰る頃にはその日キアラがすべき仕事は終えていて、ユクガのほうも特にやることはない。
それならば、あとは二人で過ごすのが自然だ。
「もうキアラも大人だろ? 別に……オトナにしてやったっていいだろ」
「……まだヒートは来ていない」
キアラが一人でも生活できるようになるまではと思い、ククィツァのユルトに連れていっていたのだが、今ではベルリアーナと協力してイェノアの世話までこなしているようだった。実際の年はわからないままだが、十分独り立ちして、大人になったと言ってもいいとは思う。
ただ、しっかり体ができていない状態で事に及んで、キアラの成長に支障があっては困る。怖い思いもさせたくない。幸いユクガも欲を持て余して暴走するような歳ではないし、時が来るまでキアラの成長を待つつもりだった。
「それに、あの首輪の外し方もわからんままだ」
「ああ、あれな……」
キアラには不釣り合いな、ともすれば重たげにも見える金属の首輪だ。誰かにつけられたのかとキアラに聞いてもわからないというし、苦しかったり痛かったりしないかと聞いても、不都合はないという答えだった。
ただ、キアラと番になりたいアルファがうなじを噛むには、完璧に邪魔になっているだけだ。
「継ぎ目もないし、鍵穴とかも見当たらないしな」
無理やり破壊しようにもキアラも傷つけてしまいそうで、市に連れていったときに商人にも尋ねてみたのだが、外せそうな職人の心当たりというのも見つかっていない。
「まあ……番にならなきゃだめってわけでもないだろうし」
「今のままでは、キアラがヒートになったときお前も巻き込まれる」
「あ、そうか」
ユクガもククィツァも、今までオメガのヒートに巻き込まれたことはない。だからラットというものを経験したことはないのだが、場合によっては我を忘れてオメガを襲うこともあるということは知っている。
その少ない知識でも、一人のヒート状態にあるオメガを挟んでラットのアルファが二人いたときに、穏便な解決が望めるとは思い難かった。お互いに、この歳にもなって修羅場をくり広げるような真似はしたくない。
「キアラがいつヒートになるかもわかんねぇしなぁ……」
ユクガやククィツァと比べれば華奢な印象は拭えないが、小柄な女と並んでいると大して変わらないようには見えてきているから、キアラがいつヒートになってもおかしくはない。ユクガやククィツァのほうの対策も進めておくべきかもしれなかった。
「オメガの抑制剤のように、アルファにも何か薬があるだろうか」
「あー、あるかもな……。今度市行ったとき探してみてくれないか」
「ああ」
その他、カガルトゥラードに関する噂もククィツァに入れておく。
「麦の作付を増やした……ってのは気になるな」
「追っておくか」
「そうしてくれ」
それにも頷いて返事をすると、群れからはぐれそうな羊を連れ戻すために、ユクガはルイドに飛び乗った。
それはそれで構わないのだが、交渉などでククィツァを引っ張り出さざるを得ない場面はあるし、二人だけで話しておきたいこともある。
たまには羊の面倒を見ろと外に連れ出して、ユクガは久しぶりにククィツァの時間を確保していた。のんびりと草を食む馬たちの横で、ククィツァが草むらにごろりと寝転がる。
「久しぶりに走った気がするな」
「お前がイェノアにかかりきりだったからな」
「だって心配だろ?」
「……理解はできる」
イェノアは初産で、一時は果物しか受けつけないくらい体調を崩していた。今は持ち直しているが、重たいものを持たせてはいけないとか、もちろん転んではいけないとか、いろいろと気をつけなければならないこともあり、ククィツァが過敏になるのも理解はできる。
それにもし、キアラが子を宿したとしたら、ユクガも似たようなことをする自信がある。むしろイェノアより華奢で儚く見えるのだ、気が気ではないだろう。イェノアはああ見えて、剣術の腕はククィツァに勝る。
ただ、それ以前にキアラには全くヒートの兆候がないし、首輪を外す方法もわかっていない。体の準備ができていないうちに、事に及ぶ気はない。
「で、まあ溜まってたいろいろがあるとは思ってんだけど……何から聞けばいい?」
正直なのはいいことだ。
ユクガも正直にため息をついて、集落の運営に関することから話しておくことにした。
家族ごとの様子、今年生まれた羊の数、寄せられた困りごとや、共通財産の管理。そのあたりは単なる状況報告でもあるし、ククィツァも折に触れて聞いている話だ。ユクガが処理に困ることもそうそうない。
問題は、それ以外だ。
「以前、糸と織物を売りにいったときに普段より高値になったと伝えただろう」
「ああ……キアラと市に行ったときか」
あのあとも数回、ユクガ以外の者も含めて市には顔を出しているのだが、どの品も高く売れ、あとから文句を言われるということもなかった。女たちに聞いても、今までと同じように作っていたというから、少なくとも、作り手の工夫の成果が出た、などという話ではない。
「理由がわからんのは困るな」
キアラとベルリアーナにも話は聞いてみたが、二人ともここに来て初めて糸紡ぎや機織りをしたと言っていて、カガルトゥラードの技術を知らずに導入した、というわけでもない。
要因がわからず成果が上がってしまうというのは、自分たちで管理しきれずいつか破綻する可能性を孕んでいる。諸手を挙げて歓迎できるものでもなかった。
「……神子というのは、存在するだけで何かをもたらすようなものなのか?」
「……わからん。聞いたことのある神子の力だってばらばらだし、だいたい……神子が本当に存在するなんて思ってたか?」
「……いや」
キアラと生活しておきながら言うことでもないが、神子などおとぎ話の中のものだと思っていた。
しかしどの精霊の加護ともつかない髪の色をしたキアラは確かにいて、精霊の祝福によるものだろうとしか思えない力も見た。単なる精霊の加護の下にいる人間は、瞬きの間にけがが治るようなことはない。
「それに、いるだけで織物の質が向上するとか、謎の能力すぎるだろ」
「……いや、キアラの力は何かを癒すことだ」
「は?」
「……傷がすぐに癒えるのを見た」
初めて靴を履いたと思われる日に、靴ずれを起こしていたこと、その傷が目の前でたちまち治ったことについて、ユクガはククィツァにすら話していなかった。カガルトゥラードでキアラがその力を利用されていたことを考えると、人に明かすことについて慎重になるべきだと思ったからだ。
ククィツァを信頼していないわけではないが、秘密というものは知るものが少ないほどいい。
「血を与えると、他人の傷も癒せるそうだ」
「うーわ、争いの火種どころかすでに大火事起きてそうだな」
大変だ、と笑うククィツァに、できるだけ平静を装って尋ねる。
「……キアラを手放すべきだと、思うか」
「ハァ?」
途端に目の前の男が顔をしかめ、ユクガを睨みつけてきた。
「ぶん殴るぞてめぇ」
「……すまん」
予想とは少し違ったが、ほぼ想定通りの反応が返ってきて安堵する。
同意されたら、それこそユクガのほうがククィツァを殴り飛ばしていたかもしれなかった。
「あの子はもうお前の嫁だろ。俺だってイェノア手放せって言われたら怒り狂ってぶち殺してるところだ」
「……まだ手は出していない」
「はあぁ!? あのいちゃつき具合で!?」
「……そんなにか?」
ユルトの中では自重していない自覚はあったが、外でも傍目でわかるほどべたべたしていただろうか。出かけるときと帰ったときに、抱きしめたり、口づけたりしている程度だと思っていたのだが。
「一緒にいないのなんてお前が出かけてる間だけだろうが」
「離れている理由があるか?」
唖然とした顔で見つめられて、困惑して見返すしかない。
「……お前がそんな色ボケするとは思ってなかった」
「そんなつもりはないが……」
ユクガが集落から離れているのはだいたい昼で、その間はキアラも機織りや糸紡ぎに加わったり、カヤの世話をしたりして過ごしている。ククィツァなりベルリアーナなりが乗馬を教えてくれているらしいので、そのうち自在にカヤを操れるようになるだろう。
そうしてユクガが帰る頃にはその日キアラがすべき仕事は終えていて、ユクガのほうも特にやることはない。
それならば、あとは二人で過ごすのが自然だ。
「もうキアラも大人だろ? 別に……オトナにしてやったっていいだろ」
「……まだヒートは来ていない」
キアラが一人でも生活できるようになるまではと思い、ククィツァのユルトに連れていっていたのだが、今ではベルリアーナと協力してイェノアの世話までこなしているようだった。実際の年はわからないままだが、十分独り立ちして、大人になったと言ってもいいとは思う。
ただ、しっかり体ができていない状態で事に及んで、キアラの成長に支障があっては困る。怖い思いもさせたくない。幸いユクガも欲を持て余して暴走するような歳ではないし、時が来るまでキアラの成長を待つつもりだった。
「それに、あの首輪の外し方もわからんままだ」
「ああ、あれな……」
キアラには不釣り合いな、ともすれば重たげにも見える金属の首輪だ。誰かにつけられたのかとキアラに聞いてもわからないというし、苦しかったり痛かったりしないかと聞いても、不都合はないという答えだった。
ただ、キアラと番になりたいアルファがうなじを噛むには、完璧に邪魔になっているだけだ。
「継ぎ目もないし、鍵穴とかも見当たらないしな」
無理やり破壊しようにもキアラも傷つけてしまいそうで、市に連れていったときに商人にも尋ねてみたのだが、外せそうな職人の心当たりというのも見つかっていない。
「まあ……番にならなきゃだめってわけでもないだろうし」
「今のままでは、キアラがヒートになったときお前も巻き込まれる」
「あ、そうか」
ユクガもククィツァも、今までオメガのヒートに巻き込まれたことはない。だからラットというものを経験したことはないのだが、場合によっては我を忘れてオメガを襲うこともあるということは知っている。
その少ない知識でも、一人のヒート状態にあるオメガを挟んでラットのアルファが二人いたときに、穏便な解決が望めるとは思い難かった。お互いに、この歳にもなって修羅場をくり広げるような真似はしたくない。
「キアラがいつヒートになるかもわかんねぇしなぁ……」
ユクガやククィツァと比べれば華奢な印象は拭えないが、小柄な女と並んでいると大して変わらないようには見えてきているから、キアラがいつヒートになってもおかしくはない。ユクガやククィツァのほうの対策も進めておくべきかもしれなかった。
「オメガの抑制剤のように、アルファにも何か薬があるだろうか」
「あー、あるかもな……。今度市行ったとき探してみてくれないか」
「ああ」
その他、カガルトゥラードに関する噂もククィツァに入れておく。
「麦の作付を増やした……ってのは気になるな」
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「そうしてくれ」
それにも頷いて返事をすると、群れからはぐれそうな羊を連れ戻すために、ユクガはルイドに飛び乗った。
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