おだやかDomは一途なSubの腕の中

phyr

文字の大きさ
9 / 47
前編

9.新しい魔法

しおりを挟む
 わ、とか、あ、とか声を出しているつもりなのだが、耳に入ってくるのは鋭く甲高い音にしか聞こえない。もしかしたら何か言葉になっているのかもしれないし、そうではないのかもしれないが、とにかく、レーネは目的を果たすべく懸命に両腕を動かしていた。

 正確には、両腕と同じ感覚で使っている左右の翼だが。

 偵察をするなら全体を見渡せたほうがいい。全体を見渡すとなると、空を飛んでいたほうがよさそうだ。それだけの単純な理由でぼんやりとアイディアだけ練っていた魔法を使ってみたところ、レーネはどうやら成功したらしかった。空を飛ぶ魔物の一体に乗り移り、背筋がぞわぞわする高さからの眺めを味わう羽目になっている。

 元々は空を飛んでみたくて、鳥に変身したり人間に翼を生やしたりすることを考えていたのだが、人間の組成を変えるのは思ったより難しかった。
 仕方なく鳥や空を飛ぶ種類の魔物の体を拝借する方針を立てていたものの、それも悪手だったらしい。体の動かし方は何とかわかるが、ぎこちなさは拭えないし、魔法で風でも起こせば楽だろうと思っても、この魔物は魔法がうまく使えない個体らしく、いつものようには魔法が展開できない。もっと狙った相手に憑依できたほうが便利だし、魔物自体の意識か何かがずっと頭をガンガン叩いてくるようにうるさくて、改善点しか見つからない。
 思いつきだけで魔法を使うのはよくないなと反省しつつ、不格好に空を飛びながら、レーネは魔物の群れを遡っていた。大移動の横から合流するような動きは見当たらず、だいたい同じ方向から魔物が流れてきている。砦に魔物がおびき寄せられているということもないだろうし、この先に大移動を引き起こした原因があると考えていいはずだ。

 しかし、地を駆けるもの、空を飛ぶもの、小型のものから大型のものまで、あらゆる魔物が移動する理由とは何だろう。魔物同士で争うこともあるはずなのに、小型の魔物が襲われることもなく、他の飛ぶ魔物にレーネが攻撃されることもない。全てが同じ方向から、逃げるように砦のほうへ向かっている。

 リユネルヴェニア北の砦は、ユッダ山脈に向き合うように建てられている。他に比べて尾根が低くなっている辺りで、山裾もちょうど砦を囲うような形になっているので、水が高いところから低いところへ流れるように、魔物が入り込みやすい位置にあるのだ。元来、そういった魔物から国土を守るために作られた砦なので、魔物と戦う機能自体は備えられているし、砦にいるのも戦うための人間だ。それでも、この量の魔物に対処し続けるのはかなり厳しい。純粋な物量の多さというのは、どれだけの備えがあっても脅威になる。

 空からの視点をもってしても、ユッダ山脈のこちら側にはそれらしき要因が見つけられず、レーネは意を決してさらに高度を上げ、ユッダ山脈の尾根を越えた。高さに目がくらみそうだがそれよりも、リユネルヴェニアの領土を離れ魔物の領域に入ってしまったことに身がすくむ。尾根を越えてしまったから、砦からの支援など望むべくもない。
 そもそも魔物の姿をしているから、助けも何も攻撃されそうではあるが。
 ユッダ山脈にぶつかるせいで気流が乱れるのか、風が変な方向に吹くことがあって飛びにくいし、どこかから鈍い音が常に聞こえてくる。

 意識を引きしめて翼で宙を打ったレーネの目に、ようやく砦に流れ込む魔物以外の動きが見えてきた。まだはっきりとはわからないが、周囲と比べて見た印象では、超大型種の魔物だろうか。超大型種二体が争っているとなると、周辺の魔物が逃げ出すのも理解できる。うかつに巻き込まれて死にたくはないし、うっかり目に留まって八つ当たりされたら目も当てられない。
 そっと風下に回りながら、レーネは慎重に超大型種のほうへ近づいていった。近づくにつれて、先ほどから聞こえている鈍い音の発生源がここであるらしいことを理解する。超大型種の魔物、ギガント二体が殴り合っているせいで、肉がぶつかるたびにその音が響き渡っていたようだ。
 二体の喧嘩が始まった原因はわからないが、これがどうにかならない限り、魔物の移動が収まらないことは確かだ。つかず離れずといった位置で観察を続けてみるが、どちらもそれなりに負傷しているはずなのに、どちらも折れる気配はない。喧嘩が終わるのを待つよりは、どうにかして止めるか、もっと遠方まで誘導するか、少なくとも何か手を打たなければいけないようだ。

 ただ、その手段というのがまるで思いつかない。超大型種などそうそう倒せるものではないし、原因がわからないから根本から止めるのも無理だ。別の場所に誘導するくらいならできるかもしれないが、この不慣れな魔物の姿で実行するのは危険だろう。

 静かにギガントたちの争いから離れて、レーネは砦の方向に戻り始めた。状況は把握できたわけだし、一度帰還して、相談するなり指示を聞いてみるなりしたほうがいい。
 はたはたと宙を打ちながら羽ばたいて、再び尾根を越える。炎の壁は維持されているし魔物の移動も止まっていないから、まだ防衛戦は継続中だろう。オルランドたちの位置がわかればいいのだが、どのあたりだろうか。そもそも無事なのか。

 そこまで考えてふと、自分が魔物の姿であることを思い出す。何となくで魔法を使って成功はしたが、解除の仕方をまったく考えていなかった。うまく元の体に戻りたいが、この魔物をそのまま放り出すわけにもいかないし、砦に近づけば攻撃されるのではないか。
 あたふたと速度を緩め、違和感のないように周辺の魔物に合わせつつ、戻る方法を考える。

 おそらく、自分の体が見えていれば、元には戻れる、と思う。問題はその体をどうやって見つけるかで、さらには見える位置まで近づけるのかどうかだ。それから、抜け出したあとのこの魔物をどうするか。今はレーネがねじ伏せているが、魔物としての意識が戻れば砦の人間を襲うのは間違いない。そうなる前にレーネが退治できるならいいが、違和感なく元の体をすぐ動かせるのか、魔法をいつも通りに使えるのか自信がない。
 それに憑依したままでこの魔物を倒されたら、レーネも一緒に死んでしまうような気がする。この魔物を確実に倒せる状況にしておく必要はあるが、抜け出す前に倒されてはいけない。

 知らずに置かれた状況にぞっとして、レーネは短く声を上げた。それが引き金になったのかあちこちで魔物が鳴いて、炎の壁を突破しようと勢いを増す。ギガント同士の争いからはずいぶん離れていてこれ以上逃げることはないはずなのだが、ある意味パニック状態なのかもしれない。
 巻き込まれないよう距離を取ろうとしたのだが、レーネの後ろからも魔物が突撃してきて、体当たりされたり翼を引っかけられたり、バランスを崩して炎の壁に落ちていく。

 痛い。指先が沸騰して融け落ちている気がする。熱い。息が苦しい。怖い。喉が焼かれる。目が開けられない。怖い。

「……レーネさん!」

 冷たい水のような呼び声に、レーネは唐突に目を開けた。胸がばくばくとうるさくて、びっしょりと汗をかいている。体をしっかりと抱え込んでくれている腕を知覚して、ゆっくり視線を上げる。

「ティ、ノ……ト……くん」

 思った以上に小さな声しか出ない。周囲から口々に何か言われているのはわかるが、言葉としての理解が追いつかない。魔法の後遺症なのか、炎に呑まれた恐怖のせいなのかわからない。
 落ちつかなければ、とうまく力の入らない手でティノールトにしがみついて、ゆっくりとした呼吸をくり返す。
 大丈夫。熱くない。ティノールトの手は温かい。息もできる。ちゃんと、何かを掴む指もある。大丈夫。

「……大丈夫ですか?」

 降ってきた静かな声に顔を上げて、空色の瞳と視線がぶつかる。
 ものすごく心配していると、目が語っている。

「……大丈夫。ありがとう、守ってくれて」

 何も説明せずただ守ってくれとわけのわからないお願いをしたのに、きちんと約束を果たしてくれたのだ。それに、ティノールトが呼んでくれなければ戻ってこられなかった。今すぐは何もできないので、せめてもの気持ちを込めて笑顔を作る。
 今いるのは、おそらく、救護テントかどこかだろう。小隊の誰かが怪我をしたのかとも思ったが、レーネがいきなり意識を失ったから、ここまで連れてきてくれたのかもしれない。ベッドに寝かされていてもいいはずだが、ティノールトはずっと抱えていてくれたのだろうか。片がついたら改めてお礼をしなければ。

 ティノールトが驚いたような顔をしているがとりあえず置いておき、温かい腕に甘えたまま、視線を巡らせて目当ての人物を探す。

「オルランドくん」
「……あとでちゃんと説明してもらうからな」

 まずい。こちらはとても怒っている。でも説明する暇はなかったし結果として何とかなったし、許してほしい。
 ひとまず、今は叱責に時間を取るべきでないのはオルランドもわかっているようなので、返事をせずに話だけ進める。

「一緒にイダンくんのところに行ってほしい」
「歩けるのか」

 ティノールトに助けてもらって立ち上がり、地面を何度か踏みしめる。最初こそふらついたが、一人で歩けないほどではない。

「大丈夫」
「……まあ、いざとなったら抱えてやる。行くぞ」

 前線の後ろに設けられているらしい救護テントから出て、レーネはオルランドとともに防衛線本部へと向かった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

世界で一番優しいKNEELをあなたに

珈琲きの子
BL
グレアの圧力の中セーフワードも使えない状態で体を弄ばれる。初めてパートナー契約したDomから卑劣な洗礼を受け、ダイナミクス恐怖症になったSubの一希は、自分のダイナミクスを隠し、Usualとして生きていた。 Usualとして恋をして、Usualとして恋人と愛し合う。 抑制剤を服用しながらだったが、Usualである恋人の省吾と過ごす時間は何物にも代えがたいものだった。 しかし、ある日ある男から「久しぶりに会わないか」と電話がかかってくる。その男は一希の初めてのパートナーでありSubとしての喜びを教えた男だった。 ※Dom/Subユニバース独自設定有り ※やんわりモブレ有り ※Usual✕Sub ※ダイナミクスの変異あり

おすすめのマッサージ屋を紹介したら後輩の様子がおかしい件

ひきこ
BL
名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。 せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。 クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom × (自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。 『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。 (全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます) https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390 サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。 同人誌版と同じ表紙に差し替えました。 表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!

【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。

きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。 自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。 食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※表紙をAI君に描いてもらいました。(2026.2.21) ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

溺愛極道と逃げたがりのウサギ

イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。 想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。 悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。 ※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。 二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
「普通を探した彼の二年間の物語」 幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】名前のない皇后 −記憶を失ったSubオメガはもう一度愛を知る−

社菘
BL
息子を産んで3年。 瀕死の状態で見つかったエリアスは、それ以前の記憶をすっかり失っていた。 自分の名前も覚えていなかったが唯一所持品のハンカチに刺繍されていた名前を名乗り、森の中にひっそりと存在する地図上から消された村で医師として働く人間と竜の混血種。 ある日、診療所に運ばれてきた重病人との出会いがエリアスの止まっていた時を動かすことになる。 「――お前が俺の元から逃げたからだ、エリアス!」 「本当に、本当になにも覚えていないんだっ!」 「ととさま、かかさまをいじめちゃメッ!」 破滅を歩む純白竜の皇帝《Domアルファ》× 記憶がない混血竜《Subオメガ》 「俺の皇后……」 ――前の俺?それとも、今の俺? 俺は一体、何者なのだろうか? ※オメガバース、ドムサブユニバース特殊設定あり(かなり好き勝手に詳細設定をしています) ※本作では第二性→オメガバース、第三性(稀)→ドムサブユニバース、二つをまとめてSubオメガ、などの総称にしています ※作中のセリフで「〈〉」この中のセリフはコマンドになります。読みやすいよう、コマンドは英語表記ではなく、本作では言葉として表記しています ※性的な描写がある話数に*をつけています ✧毎日7時40分+17時40分に更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

愛されSubは尽くしたい

リミル
BL
【Dom/Subユニバース】 玩具メーカーの取締役開発部長Dom(37)×元子役の大学生Sub(20) かつて天才子役として名を馳せていた天使 汐は、収録中にSub drop(サブドロップ)に陥り、生死の境をさまよう。 不安定になっていた汐を救ったのは、スーツ姿の男だった。 素性や名前も知らない。でも、優しく撫でて「いい子」だと言ってくれた記憶は残っている。 父親の紹介で、自身の欲求を満たしてくれるDomを頼るものの、誰も彼も汐をひたすらに甘やかしてくる。こんなにも尽くしたい気持ちがあるのに。 ある夜、通っているサロンで不正にCommand(コマンド)を使われ、心身ともにダメージを負った汐を助けたのは、年上の男だ。 それは偶然にも15年前、瀕死の汐を救った相手──深見 誠吾だった。 運命的な出会いに、「恋人にもパートナーにもなって欲しい」と求めるも、深見にきっぱりと断られてしまい──!? 一筋縄ではいかない17才差の、再会から始まるラブ! Illust » 41x様

処理中です...