人形学級

杏樹まじゅ

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【灰島月子の学級-二】

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「白鳥……萌……?」

 全裸で首輪をつけられ鎖に繋がれたその女──白鳥萌は、生気のない目で地面にへたりこんでいる。
 月子は恐る恐る声をかけた。
「……月子? あんた月子なの?」
 元クラスメイトを認識した萌が、駆け寄る。
 がしゃん。
 フェンスを揺らした。
「出して、ここから出して!」
「えと……落ち着いて。どうしてここに……?」
 その甲高い声を聞くと、月子はいじめられた記憶が蘇って、反射的にすくんでしまう。
「知らないわよ、気がついたら化け物みたいな子達に──」

 がんっ。

 大きな音に驚いて振り返る。
 サクラが「飼育小屋」のフェンスを思いっきり蹴った。

「あはハ、まだ、しつケが足りてナイみたいネ」

「しつけ……? サクラさん、何を……」
 サクラが視線の合わない目のまま萌の方を見て、親指を立て、自分の首の前で横に動かして、そして──

 にまあ。
 ──嗤った。

「ひいいっ」
 白鳥萌が後ずさる。

「さ、教室に戻ろう!」
 ぼたんが月子とフェンスの間に立った。
「え……でも」
「……いいから……」
 つばきに押され、教室の方へ戻った。
 萌のことがどうしても気になって振り向くと、サクラだけが飼育小屋のまえに残っていて、何か言っている……
 ように見えた。

「いかがでしたか?」
 緑川先生が優しく微笑む。
「え……ええ、学校のことがわかって……良かったです」
「それは良かった! じゃあ、一時間目の授業を、始めましょうか」
「はーい!」
 三人が手を挙げる。
 サクラは、まだ居ない。
 今、外はどう見てもお昼時だ。
 なのに、これから一時間目が始まるという。
 外の小屋に繋がれた、白鳥萌。
 十年前と変わらない、この学校。

 何かどこかがおかしいのに、それを上手く言葉に出来ない。

「……島先生? 灰島先生?」
 しまった。
 緑川先生が声をかけていた。
「あ……はい、緑川先生」
「社会科で使う世界地図を忘れてしまいました。授業用の、大きな、丸めてあるやつです。準備室へ、取りに行っていただけませんか」
 柔らかな笑顔で、そう言った。

 社会科室の場所は、案内されなかったけど、覚えている。
 たしか二階だったはず。
 低い手すり、低い段の階段を軽やかに二階まで降りて──五年二組は四階だ──、廊下を曲がったとき、人にぶつかった。
「すいませんっ」
「あいたたた」
 ホウキとチリトリを持っている。
 掃除婦さんだろうか。
 転んだその人が月子の方を見た。

 本当の五年二組の担任、黒木先生が、あの時の姿のまま、固まっていた。

 こちらを見る。
「黒木先生……?」
 でも、人違いだったのか、よびかけには反応しないで、また掃除を始めた。
 月子は何秒か尻もちをついたまま動けずにいたけれど、怖くなって社会科準備室へ急いだ。

 準備室の、白い扉の前についた。
 あ、鍵が必要だったかな。
 そう思いながら戸に手を伸ばすと、幸い施錠されていなかった。
 がらがらっ。
 扉を開ける。
 左右に、天井まであるラックが聳えていて、様々なもの──国旗に地球儀に──を収納してある。
 つんと、埃の匂いがする。
 小さな窓には薄いカーテンが掛けられていて、暑い日差しを遮ってくれている。
 えーっと、世界地図、世界地図。
 呟きながら、奥まで足を進める。
 銀の傘立てのようなラックに、収納ケースに入った筒が何本か刺してある。
「平成二十年発行 地球地図全球版 国土地理院」
 ……あった。これだ。
 よいしょっと。
 幅が百五十センチくらいはある地図は、思ったより重くて、ラックから引き出すのに苦労した。
 やっと引き出して振り返ると。

 ひすいが、立っていた。

「先生、ひすいのこと、見て?」
 あの頃の、ふわふわの黒髪、黒い瞳の十一歳のひすいが、そこにいる。
 深緑のシャツを、ゆっくりたくしあげた。
 下着も、一緒に上げていた。
 大好きなひすいの、大好きな裸が、目の前にさらけ出された。
 なんだか、前に似たことがあったような気がした。
 だから、いけない気がしたけれど、止められなかった。
 手を伸ばした。
 その少し膨らんだ胸を、触った。
 なぜかとても、冷たかった。

 がらっ。

「ドッキリせいこー!」
 そう言って社会科準備室のドアが開いた。
 え。
 振り向くと、のっぺらぼうで等身大の人形達──編みぐるみだ──が、数え切れないくらい覗いている。
「月子ちゃん、大好き。ずっと前から」
 ひすいの声に前を向き直すと、目の前にものっぺらぼうの編みぐるみが立っている。
「きゃあっ」
 人形が抱きついてきた。
 細い毛糸で出来てるようにしか見えないのに、中に大男が入っているかのような力の強さだった。
「いやっ、離してっ」
 廊下の人形達もわらわらと部屋に入ってきた。
「つきこちゃん だいすき ずっとまえから」
 無機質なひすいの声が、重なり合って狭い社会科準備室に響き渡る。
「つきこちゃん だいすき」
「いやあっ」
 五年生と同じ身長の「それら」が月子を抱えあげる。
 丁度、胴上げをしてる様な格好だ。
「だいすき」
 がらっ。
 頭上で何かを開ける音がした。
 背筋が凍りつく。
 窓を開けたのだ。
「だいすき だいすき」
 そしてそのまま月子を窓まで運び出した。
「いや、やめてえっ」
 そして、二階の窓から、放り投げた。
「いやぁ──」
 ごおっ。
 二階から落とされたはずなのに、九階から落とされたみたいに長い時間、宙に浮かんだ。
 そして、月子の意識も、深い底に落ちていった──

 灰島月子は目を開ける。
 目の前には扉がある。
 引き戸だ。
 水色で、木で出来ていて、重そうな扉。
 ガラスがはめ込んであるけど、磨りガラスで中は見えない。
 笑い声が聞こえる。
 女の子達の笑い声だ。
 がらがら。
 思わず扉を開けた。
「あ、月子先生だ!」
 広い教室に、机が四つ。
 そこにあの四人が、座っている。
「先生、早くー」
「授業、始めましょ」
「まっテたヨ」
「……ほら、早く」
 月子は、教卓まで歩いた。
 手に持っていた名簿を開く。

 赤城ぼたん。
 蒼井アキ。
 桃原サクラ。
 金野つばき。

 四人の名前がちゃんと書いてある。

「はいはーい! みなさん、おはようございます」
 明るい声でドアが開く。
 声の方を見る。
 万年背の順一番目くらいに小柄な身長。
 ふわふわのパーマがかかっている腰まである長い髪。
 髪の色は翡翠の色だ。
 くりくりした可愛い目もまた、緑色だ。
 月子が大好きな二十一歳のひすいが教室に入ってきた。
「ひすい」
 しっ。
 ひすいが人差し指を口に持っていく。
「子供達の前では、緑川先生、でお願いしますね、いちお」
「ひすい先生! おはようございます!」
 ぼたんが元気よく挨拶する。
「はい、おはようございます。今日は、みなさんにお知らせがあります。今日からしばらく、教育実習の先生が来てくれています」
 灰島月子。
 黒板に名前を書いた。
 ひすいと同じ、綺麗な字だ。
「じゃあみんな、自己紹介、しましょうか」
「はぁーい!」
 四人の個性的な女の子は、伸び伸びと自己紹介した。
 どの子も魅力的、個性的。
 これだわ。
 あたしが作りたかったクラスは。
 ここが理想の学校だわ。
「じゃあ、これからみなさんで学校案内、してあげてください」
 緑川先生が微笑む。

「最後は飼育小屋! サクラがお世話してるんだよ!」
「ア、いまネ、ペットはしつけ中」
 斜視で傷面のサクラがぽりぽりと頭を掻いた。
 見ると確かに、飼育小屋は空っぽ、鎖に繋がれた首輪だけが落ちている。
 ばし、ばし。
 何か音がして、校庭の方を見る。
 のっぺらぼうの人形が二人で、何かの入ったずた袋を木の棒で叩いている。
「サ、教室に帰ろー」
 サクラが背中を押した。

 何か、強烈な既視感と違和感が月子に纏わりついて離れなかったが、それが何かは教室に戻ってもなお、分からなかった。
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