人形学級

杏樹まじゅ

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【紫園太陽の学級-一】

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「あ……君、確か……灰島……月子さん……だったよね?」
「だれっ?」

 ──紫園太陽くんだよ。

「つばき? つばきなの?」

 ──うん。あなたの首を縫い付けてる紐。わたしなの。
 繋がってるから、心も繋がるよ。

「なんで、つばきはこの子のこと、知ってるの?」

 ──前に何度も、会ってるよ。

「えっ?」

 ──月子ちゃんは、鈍いから。……いいよ、わたしの記憶、移してあげる。

 ……

 紫園太陽は、新宿にある高校に通う一年生だ。

 小さな頃から、好奇心が人一倍、いや、二倍も三倍も旺盛だった。
 気になったことは、気が済むまで調べないとどうしても収まらない。

 父さんの、宝物の車のプラモデルを、ひっくり返してパーツを一つづつ外して、綺麗に並べた。
 小さな部品があんまり綺麗で、何時間も眺めた。
 父さんが仕事から帰ってきて、息子が宝物をスクラップにしているのを嘆くまで、気が付かなかった。

 母さんの、化粧ポーチの中身が気になった。
 リップはクレヨンだと思った。
 お気に入りの自由帳にまるを描いた。
 ファンデーションも、クレヨンの仲間だと思った。
 まるに肌色を塗って母さんを描いた。
 買い物から帰ってきた母さんに見せたら、悲鳴を上げた。

 豊島区にある自宅のマンションのエレベーターのボタン。
 非常階段の踊り場にある、子供でも開けられる蓋のされた配電盤。
 幼稚園の園庭の隅にあるアリの巣。
 先生に入っちゃダメと言われた女子のトイレ……はさすがに先生に止められた。

 小さい頃から、気になったら一直線。
 将来の夢は大学教授。
 なんでも調べて、それを仕事に出来るなんて、素敵だ。
 小さい頃から一度も変えたことがない。
 大学教授になったら、宇宙のことを、調べるんだ。
 人間が、まだまだ知らないことばかりの、天高く広がる星空を見ては、そう思っていた。

 新宿にあるその高校は、教育学部のある大学への進学率が高かった。
 中学校でも、理数系は完璧だった。
 担任の先生から「理数系は」お墨付きをもらった。
 でも、文系、それも国語がネックだった。

 人の気持ちが、わからないのだ。

 小学校の頃から、国語は大嫌いだった。
 漢字は、別に嫌いじゃない。
 暗記は大の得意だ。寧ろ完璧だった。
「作者はなんと思いましたか」
 この問題文が大の苦手だ。
 作者がどう思ったか?
 登場人物がどう思ったか?
 そんな、答えのない問題、誰にもわからないじゃないか。
 なのに、先生はそれにまるとばつをする。
 意味がわからない。

 紫園くんは、国語さえなんとかなればなあ。

 三者面談でも、模試の結果を見ても、担任の先生は頭を抱えた。

 だけど。
 自分には大学教授になって、宇宙の真理を調べるという、夢がある。
 教育学部進学率が都立ではナンバーワンのこの高校に、どうしても通いたかった。
 なんでも好奇心だけで生きてきた少年は、ここで初めて、「死にものぐるいで」頑張るということを覚えた。
 夏期講習も冬期講習も頑張った。
 理数系も社会もバッチリで、カリキュラムを苦手な国語──と英語──に割り振れたから、めきめきと伸びた。
 模試の成績もみるみる良くなっていった。
 中学校の推薦も取れた。
 やった!
 これで面接さえパス出来れば……

 しかし。
 面接当日。

 ひどい立ちくらみがした。
 貧血なのかと思ったけど。
 ベッドから降りれなくて、頑張ったけど、倒れてしまった。

 小児科に連れていかれた。
 二日寝てなかった。
 過労だと言われた。

 悔しくて涙が止まらなかったけど、気を取り直した。
 一般入試で頑張ることにした。
 当日がやってきた。
 席に着いた。
 受験番号を確認した。合ってる。
 よし。あとは模試の通りにやればいいだけ。
 模試の通りに……

「ほら、中に入ってて。大人しくしててね」

 なんだ?
 一人で喋って……
 そう思って横を見ると。

 ふわふわのショートヘアに、妙に大きいメガネ。
 目にはクマが出来てる。
 痩せ型の身長の高い女子生徒がいた。
 見たことの無い制服だ。
 遠くから受けに来てるようだった。

 何より。
 ペットでも連れてきてるのだろうか。
 学生カバンが妙に膨らんでいる。
 よく見たら……それは人形だった。
 黄色い髪の人形が、ひょっこり覗いて太陽のことを見ていた。
 ように見えた。
 ん?
 人形?
 人形と話してたのか。

 気になった。

 もう一度見てみる。
 クマはあるけど……けっこう美人だ。
「ほら、ダメだったら」
 また独り言を言って、カバンに黄色い髪の人形を押し込んだ。
 ──電波系の女の子なのかな。
 電波系なんて世間じゃ嫌われてるみたいだけど、太陽にはそれは個性に見えた。
 こんな子と、同じ学校に通いたい。
 一人勝手に受験へのモチベーションをあげるのだった。

 合格発表の日。
 手元の受験番号の書かれた紙を見ながら、探す。
 五四七番だ。
 五三一、五三三、五三四、五三七、五三九、五四二……
 五四七!
 あった!
 やった、やったあ!
「すごいじゃない、太陽、すごいわ!」
 一緒に来ていた母さんと手を叩きあって喜んだ。
 あ。
 あの子。
 隣だった。
 確か、受験番号は、横に続いてたから、記憶が正しければ五四八の筈だ。
「太陽?」
 自分を呼ぶ声を振り切って、合格発表の掲示板に戻った。
 ……あった。
 そっか。
 あの子と、同じ学年に、なれるんだ……
「……よし。行こっか……」
 掲示板の前の生徒たちに混じって、あの日の声がした。
 つかつか。
 声の主は、足早に太陽の隣を過ぎた。
 振り返る。
 あのふわふわショートヘアの、すらりとした女の子が歩いている。
 カバンからは、あの黄色い髪の人形が、こっちを見ている。

 なぜか。
 自分が合格したことより。
 ──嬉しかった。

 高校入学後は、数学研究同好会なる、怪しい同好会に入った。
 部員は、二年生の先輩──瓶底メガネにお坊ちゃまカットの髪型の──ただ一人だった。
 変な喋り方の先輩で、太陽に「氏」を付けて呼んだ。
 活動場所の多目的室にある、数学の色々な教本のある鍵のかかった本棚には、太陽の知らない、「萌え系」の漫画が何故かたくさん入っていた。
 でも、それでじゅうぶんだった。
 知的好奇心を埋めてくれる、大事な場所になった。
 先輩もオタクな所を除けば、数学に真摯に向き合う、志の高い、太陽にとって大事な先輩になった。

 週に一度しかないある活動日──たしか五月くらいだった──、先輩と数学の問題を解いていると、ギターの音が聞こえてきた。
 前からちょくちょく聞こえてて、気になって先生に聞いてみた。
「ああ、軽音楽部の部室が隣にあるんでござるよ」
 何故か、気になった。
 数学の問題を解きながら耳をそばだてた。
 弾いているのは、一年生らしい。
 何度も同じフレーズを練習していた。
 太陽が聞いた時は、段々と失敗をしなくなって、どんどん次のパートに進んでいた。
 聞いたことのある曲だ。
 確か、中島美嘉主演の、二人の同じ名前の女の子が出てくる、ロックバンドの映画の劇中歌だ。
 太陽の世代じゃないけど、その劇中歌は好きだった。
 受験勉強中に何度か深夜のラジオで聞いた。
 弾いてる子も、あの中島美嘉みたいな子なのかな。
 ──気になった。
 先輩には悪いけれど、その日は数学はそこそこに、部活動が終わるとすぐに引き上げた。

 隣の、軽音楽部の部室の前にきた。
 防音室じゃない。
 だからドラムの爆音もギターのメロディも、部員達の声も、全部聞こえた。
 部員はみんな女子ばかりなのか、耳に入る声も、女の子の声しか聞こえない。
 中島美嘉の曲を引き終わった。
 ぱちぱちぱち。
 拍手が聞こえた。
「すごーい! ホントに中学でギター触ってないの?」
「……はい。体験入部が初めてです」
「ひと月でこんなに上手くなるもんなのー? あたし一年かかったよー。なによりさ……」
「かっこいいよねー!」
「ねー!」
 先輩達はきゃいきゃいしている。
「……ありがとうございます」
 声の主は、淡々と答えた。
「文化祭のボーカル、だれにしよっか! あたしは灰島さんに一票!」
「あたしも!」
「あたしも──」
 どうやら、新入部員は相当な有望株らしい。
「……それじゃあ、失礼します」
 あ、期待の新人が出てくる。
 つかつかつか。
 がらっ。

 ──目が、合った。

 ふわふわのショートヘア。
 高い身長。
 痩せ型の手足。
 肩に背負ったギターケース。

「……何?」
「あ……いや、上手だなって──」
 つかつかつか。
 言い終わる前に行ってしまった。

 メガネは無いけれど。
 目のクマも無いけれど。
 すぐにわかった。

 ギターケースの反対側に背負った学生カバンから、あの可愛い黄色い髪の人形が、こちらを見ていたから。
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