いざなみさまごっこ

杏樹まじゅ

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【第二章.いざなみのいえ】

【十三.開眼】

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 八月になった。私は連日の「くんれん」により、炎を自在に出せるまでになっていた。

 そんな、暑い真夏日のある日のこと。その日のくんれんは、なぜだかいつもと違った。

「これが出来たらもう終わりでいいですよ」

 そう言って、「せんせい」が差し出して来たものは一枚の写真だった。写っているのは、髭なんか生やして、偉そうな雰囲気のおじさんだ。私も、テレビ等で見た覚えがあるような気がする。本当に、それだけでいいのかな? 私は、いつも通り茜を想いながらそのおじさんの写真を見つめる。

 ……ぼっ。

 私が、燃えてちりちりと縮んでいく写真を見ていると、「せんせい」は席から立ち上がって手を叩いて歓喜しだ。

「素晴らしいわ。月子さん! ついに、ついに開眼もこの域に達したのね!」

 変なの、写真燃やすのなんてしょっちゅうなのに。そう思っていたが、その日のくんれんは、本当にそれっきりで終わってしまった。五分もせずにくんれんしつから解放された私は、特に行く当てもなかったけれど、冷たいお水が飲みたかった。連日の訓練で頭がくらくらとしていたのだ。水、水……私はそう口にしながら、「家」のみんなが、ご飯を食べるダイニングに入った。カウンターに置いてあるピッチャーから、グラスに水を注いでひと息で飲み干した。そして私は、六人掛けのテーブルが整然と並ぶ中のいちばん端っこに、ひとりぽつねんと座った。まだ午前中で、ダイニングには静かな時間が流れている。テーブルには何もない……いや、私の視線がひとつだけ置かれたテレビのリモコンにとまる。普段はいざなみさまの教育アニメのビデオしか流しちゃいけないんだけど、なんとなく──理由はなかった、本当に何の考えもなしに──電源を入れた。

「──ただいま入った情報によりますと、心肺停止とみられております。繰り返します。赤木常広文部科学大臣は心肺停止とみられております」

 ブラウン管に映し出されたのは、午前のニュースだ。なにこれ、じけん? そこには、テレビでよく見る、青いカーテンの会見場が映し出されている。けれど、そこには誰もいない。慌ただしくスーツのひとたちが右往左往している。カメラ止めて、止めて、そこではそんな怒号が飛び交っている。

「えー、それでは田中さん。いったい何があったとみられておりますでしょうか」
「はい、こちら記者クラブの田中です。現場は閉鎖されたため、会見場の外からお送りしております。赤木文部科学大臣は会見中突然倒れ、直後に火の手が上がりました。私は会見場の最前列におりましたが──」

 つまんないの。消そう……私が、そう思ってリモコンの電源ボタンに指をかけたその時、テレビが名前と共に一枚の画像を映し出す。

 赤木常広 文部科学大臣。

 ……数瞬、心臓が止まった。だって、だってそれは。
 私が燃やした、あの写真と同じ髭の顔だったから。

「赤木文部科学大臣は、宗教法人『いざなみのいえ』をめぐる高額な献金やいわゆる『霊感商法』の問題を受け、教団に対する解散命令を名古屋地方裁判所に請求し──」

 ……私が、私がやったんだ……。この時私は、生まれて初めてひとをひとり殺したという事実を認識した。ものすごい吐き気と悪寒に襲われて、反射的に立ち上がってトイレを目指して駆け出した。そして食堂の扉を開けたその時。

「おめでとう、おきがみつきこさん! 一人前のいざなみ様の遣いになられたおきがみつきこさんに、皆さま、はくしゅー!」

 美影が、吐きそうな私の肩を抱いて大袈裟に、それはもう大袈裟にみんなを煽りまくる。みんなもそれに乗って、心の底からのお祝いを込めて拍手をする。
 ぱちぱちぱちぱち。
 美影も、「せんせい」も、「家」のみんなも、最愛の妹も。みんな。みんな笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。

 ──私は、ひとを、殺してしまった。
 ──昔からあの男のひとが言っていた。お前は悪い子だ。いずれひとを殺すって。いずれ地獄に落ちるんだって。だから殴るんだって。悪い子だから、殴るんだって。そう言って……。

「おねえちゃん、おめでとう!」

 ほら、あかねちゃん、行っておいで。おきがみつきこちゃんに渡しておいで。美影に促された妹が、最愛の茜が、満面の笑みで花束を渡してきた。

「やっといざなみさまになれたんだね。ゆめがかなってよかったね、おねえちゃん」



 どうしたのか、思い出せない。どう走ったのか、どう転んだのか。
 私は、気付いたら妹の、美影の、大人たちの手を振り払って駆け出していた。あの桜と菜の花の庭を駆け抜けて、敷地の端までたどり着いた。三メートルはありそうな、脱走防止の電流が走る、堅牢なフェンスが立ち塞がった。けれども、いまの私には問題にならない。手のひらを近づけるだけでバターみたいに溶け落ちた。そのまま丸く、自分が通れるくらいの穴を開け向こう側に這い出た、その時だった。

「おねえちゃん、まって、まってよお!」

 私はびくんと体を硬直させた。見つかってしまった。……この子にだけは、見つかって欲しくなかった。

「いかないで、あかねをひとりにしないでえ!」

 溶けて穴の開いたフェンスの向こうで、妹が声の限りで絶叫しながら泣く。

「ごめん、あかね。いざなみさまにはなれない」

 私は背を向けたまま、泣きじゃくる妹の顔をもう見ることは出来なかった。

「おねえちゃん、いざなみさまごっこ、もうやめにする」

 ひとりはいや。
 それが、妹が「妹であるうちに」私が聞いた、最後の言葉だった。
 私は「家」のフェンスの向こう側の森を、膝まであるシダや笹とかの下生えをかき分けてかきわけて、三百メートル以上走った。滝の音がすると思ったら崖があって、気付くのが遅れて川まで転がり落ちた。幸か不幸か、そこは深さが二メートル以上ある流れの淵だったから、骨折からは免れたけれど、代わりにたくさんの水を飲んでしまった。
 意識は、そこで途切れた。

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