いざなみさまごっこ

杏樹まじゅ

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【第二章.いざなみのいえ】

【十四.罪】

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 私は自転車を漕いで、必死に漕いで駅から離れた保育園に向かう。
 着いた時、園児たちはみな園庭に集まって難を逃れていた。──可哀そうに、一月でいちばん寒い時期なのに。

「熾神さん、おかえりなさい!」

 保育士さんたちも、私の帰りを待ちわびていたようだ。

「朝陽は、朝陽は無事ですかっ」
「うえーん、ままー」
「ちょうど火元にいたんです。でも奇跡的になんともないみたいで……」
「怖かったね、朝陽。怖かったね」

 私は娘を思いっきり抱きしめた。その時。

「あさひちゃんが ひを だしたんだよ」
「こら、しゅん君、そんなこと言っちゃダメでしょ」
「ほんとだもん! おれ みたもん」

 私の心臓を凍り付かせるには、しゅん君の言葉は十分過ぎるものだった。
 翌日、八王子市役所に転園申し込みを申請した。そしてそれほど期間を待たず受理され、朝陽は駅の近くの保育園に転園となった。



 ここは何処? 私、どうしたんだっけ。

 ごぼっ……。水の中?
 明かり、何か明かりが欲しい。ぼんっ。ぼこぼこぼこぼこ。私の右手からたくさんの泡が舞い上がる。暗い水の中で燃え盛る炎が辺りを照らす。──そうだ、溺れたんだ。私はここで初めて自分が溺れていることに気が付いた。そして火が付くと同時に妹の意識とつながった。

『おねえちゃん?』

 頭の中で響くのは、大好きな妹の声。

「あかね? きこえてるの?」
『きこえてる。みて、おねえちゃん』

 火を通じて、彼女の見ている景色が「直接頭の中に」流れ込んでくる。妹の可愛い左手は──机に固定されている。向かいには、パイプ椅子に座って左肘をつく美影の姿が見える。彼女は、とても満足げな笑顔を浮かべたまま、かちっと、右手でスイッチを押した。びりりっ! 電撃の鋭く痺れる痛みが私の脳を焦がす。

「くんれんしつっ? なんで? なんであかねがっ!」

 私は水中で悲鳴を上げる。がばごば、水を何口か飲み込んだ私に、妹は柔らかい声で告げる。

『あのね、おねえちゃんがいなくなって、あかね、きめたの。あかねがいざなみさまになるって』

 茜は、笑っていた。視界からは見えないけれど、意識を共有している私には伝わってくるのだ。

「だめ、だめだよっ! いますぐやめて、あかねもにげてっ」

 ここで、初めて。
 私は自分がしでかした過ちと、その罪の重さに気が付いた。

『はいはーい、そこまでー』

 美影が私たちの意識共有の間に割って入った。

『わたしは味方だって言ったでしょう、おきがみつきこちゃん。これで貴女は自由。この子は望んでいざなみ様になれる。そしてわたしは求め続けた地獄の炎で身を焼くことができる。ウィンウィンってやつよね、所謂』

 あっはははは! 聖母の少女は、とても嬉しそうに笑う。

『うん。いいんだ。あかね、いざなみさまになって、まってるから。おねえちゃんのこと、まってるから』
『だってさー、おきがみつきこちゃん。あとはこっちで楽しくいざなみさまごっこやってるから、貴女はそっちでエンジョイしてね!』
「だめっ、だめだよ、あかねぇ!」

 ごぼっ……。息が続かずまた溺れて、私は気を失った。



 ごぼっ、げほっ、げほっ。
 どのくらい時間が経ったのか、どのくらい遠くに流されたのか──私は、気が付くと渓流のほとりで、水を吐いてむせていた。なんとか立ち上がって周囲を見渡してみる。何キロか流されたのだろうか、川幅も広くなっていて、「家」も追手の姿も、どこにも見当たらなかった。
 全身がずぶ濡れだ。八月とはいえ山奥の夕方で、気温がぐんぐんと下がっていた。だから、私は、指先の感覚がなくなるほどに凍えていた。なんでもいい、温まりたい。茜、火を、火をちょうだい──。

『なあに?』
「……大好きだよ……」
『あかねも』

 ──任せちゃいなよ。

 ふと、美影の言葉がよみがえる。そして私は、この時気付いてしまった。
 このままどこかに逃げてしまえば、全てを私の幼い妹に押し付けてしまえば、私はもう苦しい思いをしなくていいということに。私はもう、あの地獄に戻らなくてもいいということに。

『大丈夫よ、今まで頑張ってきたんだもの』

 隣の美影が肩を叩く。

『覚えておいて、おきがみつきこちゃん。わたしは、あなたの味方。世界でたった一人の味方なのだから』

 優しく、とても優しく彼女は言った。
 服を濡らす水は、いつの間にか一滴の染みもなく乾いていた……私の、罪の意識と共に。

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