ドブ川の宝石

のがれみすみ

文字の大きさ
2 / 6
プロローグ

2

しおりを挟む
 今でも夢に見る思い出は幾つかある。その中でも私の心に初めて、深い深い傷をつけたあの出来事は何度でも夢に現れた。

 赤い絨毯に、つやつやしたマーブル模様がうっすら見える床、白いテーブルの上には宝石みたいに輝くご飯。目の前に広がる素敵な光景に胸を躍らせる。
 今日はパパの友達である一条さんというおじさんがパーティーを開いていて、パパやママ、お兄ちゃんに私はそれに招待されていた。
 ワンピースに黒いツヤツヤした靴、そしてお兄ちゃんがくれたガラスのうさぎのペンダント、自分の大好きなものを身にまとってやってきたパーティーには何人もの人がいた。

「じゃあ瑠璃、お友達と遊んでおいで。」

 パパとママに送り出され、私と同じ年の子達が集まっている所へ近づいていく。お兄ちゃんは来てくれなくて、私一人で少し心細い。
 スカートの裾を掴みながら、どうしようか迷っているとねえ、と男の子からの声をかけられた。黒い髪で、目がキラキラした男の子。

「君のお父さん、僕のパパの友達?」

 急に聞かれてもわからなくて、首を傾げると男の子はうーん、と言ってから私に手を差し出す。握手ってことかな。

「僕、一条秀いちじょうしゅう。君は?」
「あ!一条さん、パパの友達だ。えっと、私は財木瑠璃ざいきるりです。」

 手を軽く握ると、男の子、じゃなくて秀くんは優しい目をキュッと上げて笑った。
 それから秀くんと一緒に少し遊んだ時、秀くんは私のペンダントを指さして、可愛いね、と言う。男の子だけど、こういうの好きなのかな。

「でしょ、これお兄ちゃんがくれたの!とっても大事なんだ。」

 触ってみる?と聞いてみると、秀くんは目を輝やかせて頷く。嬉しくて、私はペンダントを首から外し、秀くんに手渡す。
 ありがとうくらいは言ってくれるかな、なんて思っていたのに秀くんは急に笑顔を消して、床にペンダントを叩きつけた。
 マーブル模様のある床に強く投げられたペンダントのうさぎが、ぱりんと小さな音を立てて死んでしまった。粉々になったそのうさぎを見て、訳が分からなくて、泣きそうになる。

「な、なんで、こんなことするの……?」

 分からなくて問いかけると、秀くんは今度はにっこり笑うだけだった。

「うさぎ、うさぎ返してよ!」

 溢れ出す悲しい気持ちを秀くんにぶつけるように大きな声を上げて、笑っている秀くんに飛びかかる。
 秀くんの腕を掴んで返して、返してと泣きながら怒っているうちに、パパやママ、たくさんの大人達が集まってきた。

「痛い、痛いよ!瑠璃ちゃん!」

 急に秀くんは声を上げて暴れ出す。私は驚いて手を離そうとしたのに、秀くんが離してくれない。

「どうした秀、それに瑠璃ちゃんも。」

 一条のおじさんが近寄ってきた途端秀くんは私の手を離し、そのまま割れたうさぎのガラスで腕を切った。な、何をしているの?

「パパ、瑠璃ちゃん酷いんだ。そのペンダント、可愛いから少し触らせてって言っただけなのに、すごく怒ってきて。」

 ぐすぐす、鼻をすする音が聞こえてきて私は混乱しながらも、秀くんが言っていることは本当じゃないことを言わなくちゃと頭を振った。

「違う!秀くんが私のペンダントを壊したの、だから……。」
「こら瑠璃!言い訳はするな、秀くんは怪我までしているんだぞ。謝りなさい!」

 パパが怖い顔をして私を怒ってきて、ママも一条のおじさんにうちの娘がすみません、なんて言って頭を下げていた。
 周りを見るとみんな私を冷たい目で見ていて、怖くて震えてしまう。謝りなさい!ともう一度パパに強く言われて、この場から逃げ出したくて私は謝った。
 下げた頭を上げると、上の方から秀くんが私を見下ろして笑っていて……。

 ここでいつも夢は終わる。
 もう何度も味わう最悪の寝覚めに耐えるように布団の上で丸まりながら、うーうー唸ってからようやく体を起こす。
 天井も壁も相変わらずシミだらけのボロアパートが目に入った。いつも通りの風景だ。もう何年もずっとこんな景色で、白い壁なんてめっきり見ていない。大理石の床も、ペルシャ絨毯も。

「今日の講義何時だっけ……。」

 スマートフォンを開いて自身の時間割をチェックする。二限からだ。
 布団から出て洗面所の水で顔を軽く洗い、ハトムギ化粧水を少しだけ顔に塗る。今月の出費どれくらいだっけ、計算しないとな。
 手を拭きながらそんなことを考え、リビングとも言えない部屋で手帳を開く。奨学金が6万円、アルバイトの収入が40万弱で、家賃が6万円。食費が4万円、通信費が8500円。光熱費が8500円ちょっと。その他交際費とかが大体2万円ちょっと。
 今月の実家からの仕送り要求が30万円。

「43万円くらいか。あー、危ない、ギリギリ3万円貯金できる。」

 計算しながら知らぬうちに噛んでいた爪を口から離し、手帳に収支を書き込んでひとまず閉じる。月初はこの作業をするのが私の定番というか、ルーティンだ。家の方には明日お金を持っていこう。確か、明日は夜のアルバイトは休みだし。
 お金の計算をすると朝食を食べる気にはとてもならず、顔に軽く下地を塗る程度の化粧をして、カジュアルな服を着て外へ出る準備を終えてから勉強を始める。
 今度の試験でもトップを取らなくては、学費免除が受けられないかもしれない。そうなってしまうと大学へ通えなくなるから、何がなんでも避けなくては。
 しばらく勉強をしてから部屋を出る。ドアノブの中央にあいた鍵穴へ鍵を挿して回し、ドアの施錠をした。薄っぺらいプラスチックのプレートに香椎と書かれた表札が曲がっていて、指で軽く押して直す。最近引っ越してきて貼ったばっかりなのに、一体このテープの粘着力はどうなっているんだ。

「ふぅ……。」

 階段を降りようとした時に少し目眩がした。昨日はアルバイトがいつもの上がり時間の2時ではなく、3時になったせいで睡眠時間が足りていないせいだろう。基本的にすぐ帰る客が、私なんかに延長を繰り返したせいだ。
 給料は多少上がるだろうけれど、あまり高い酒を飲まなかったからなぁなんて思いながら目眩を抑え、鉄の階段を降りていく。
 鞄からイヤホンを取り出してスイッチを入れてから耳につけ、スマートフォンを操作して音楽を流す。まともな趣味は持つ余裕はないけれど、こうして通学途中に音楽を聴くのが好きで、それにだけはほんの少しお金をかけていた。
 冷える手をポケットに入れて駅まで歩く。今日の昼ご飯は何にしようかと考えたとき、音楽が止まって着信を告げてくるスマートフォン。どうせ碌な連絡ではない、出たくないなと思いながらもスマートフォンを取り出し、右へスワイプした。

「瑠璃、どうして電話にすぐ出ないのよ!」

 ヒステリックに叫ぶ声が耳に優しくない。片手で音量を下げながら、ごめんなさいと素直に謝った。画面上に表記されるお母さんの文字を見て、なんだか乾いた笑いが出そうだ。

「お金はいつくれるの、早くしてくれないと智仁さんがいなくなっちゃう。」
「明日には持って行くよ。じゃあまたね。」

 何か言われる前に素早く通話終了ボタンへスワイプする。間髪入れずに流れ始めた音楽に浸るような余裕はなくて、深いため息を吐いて地面を見ながら歩く。息を吐くと白い息が漏れるような季節になった。
 もうそろそろ、大学生になってから一年経つのかぁと不思議な思いになりながら駅までの道を少し早足で歩いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同期に恋して

美希みなみ
恋愛
近藤 千夏 27歳 STI株式会社 国内営業部事務  高遠 涼真 27歳 STI株式会社 国内営業部 同期入社の2人。 千夏はもう何年も同期の涼真に片思いをしている。しかし今の仲の良い同期の関係を壊せずにいて。 平凡な千夏と、いつも女の子に囲まれている涼真。 千夏は同期の関係を壊せるの? 「甘い罠に溺れたら」の登場人物が少しだけでてきます。全くストーリには影響がないのでこちらのお話だけでも読んで頂けるとうれしいです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

国宝級イケメンとのキスは、ドルチェみたいに私をとろけさせます♡ 〈Dulcisシリーズ〉

はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。 ★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください ◆出会い編あらすじ 毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。 そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。 まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。 毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。 ◆登場人物 佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動 天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味 お読みいただきありがとうございます! ★番外編はこちらに集約してます。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517 ★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...