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児童誘拐殺人事件 篇
目覚めれば入院中③
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デュランは病院という場所を嫌っている。
身体を弄られるのが怖いだとか、痛いのが嫌だとかいう子供じみた理由からではない。病院特有の〝匂い〟がどうにも好きになれなかった。
老人を消毒液に漬け込んだような匂いが八割、汚物や排泄物等の微かな悪臭が一割、残りの一割が死臭。割合の違いはあれど、どこの病院もデュランの嗅覚ではそう感じることが殆どであった。だが、この病院に関してはこれまでデュランが立ち寄った病院とは明らかに違う点があった。病室や通路から漂う美味そうな料理の香り。病院内に一軒の小さなビストロが入っている。目を瞑るとそんなイメージがはっきり浮かび上がる。それほどまでに強くデュランの鼻と好奇心を掴んだ香りの出所は地下一階。エレベーターを出たデュランはスタッフオンリーと書かれた通路を気にも留めずにずかずかと進み、突き当たりの扉の前で立ち止まった。
「邪魔するぞ」
そう言いながら鉄の扉を蹴破るように不躾な作法で入ってきた入院着の男にスタッフ一同は驚いた様子で目を向けた。
「困りますよ。ここは関係者以外は立ち入り禁止でして、患者さんは病室へ——」
栄養士であろう男性スタッフが慌ててデュランへと駆け寄る。デュランは男の言葉を遮るようにリゾットが盛り付けられている皿を目の前に突きつけた。
「このリゾットとやらを作ったのは誰だ」
突如乗り込んできた男の一言に呆然とする栄養士一同。僅かな沈黙の後、一人の男が怖々と小さく手を挙げて答えた。
「わ、私ですが何か問題がありましたでしょうか?」
七三に分けられた金髪に銀縁の洒落た眼鏡をかけた細身で気の弱そうな男。デュランはその男へギロリと目線を向ける。
「ひぃ!」
見るからに粗暴そうな男がいきなりやってきて、その手には自分の作った料理を持っており凄まじい眼力で睨みつけてきている。怯えるなという方が無理な話である。
「テメェか……」
デュランは身を震わせ怯える男に近づくと、男の目の前で右手をゆっくり上げてそのまま男の右肩へと勢いよく振り下ろした。
「頼む! こいつの作り方を教えてくれ」
「い、いいですよ。でもその前にちょっと上で治療だけしてきてもいいですか?」
男は脱臼した肩を上階の整形外科で入れ直してもらい、再び調理場へと戻ってきた。
「いや、ホントにすまなかった。思わず力が入り過ぎちまったみたいで……」
「いえいえ、お気になさらす。ですが腕がこの状態ですのでデュランさんが作ってみてください。手順や材料はこちらで指示しますから。まずお米をオリーブ油で炒めましょうか。中華のように強火ではなく、あくまで弱火でゆっくりと。お米がやや透明がかってくるまで炒めてください」
「生米を炒めるなんざ珍しい調理方だな。米粒もでけぇし」
「イタリアのカルナローリ米を使用していますが、もちろんジャポニカ米でも美味しく作れますよ。ただ、粘り気が強いのであまり混ぜ過ぎないようにすることがコツですかね。油とお米が馴染んできたら、鳥と野菜でとったブロード、つまり出汁を少しずつ足しながら煮ていきます。水分が減ってきたらその都度足していく感じで。先程も言いましたが、あまり混ぜ過ぎると粘り気が出ますのでそこだけ気をつければ決して難しい料理じゃありませんよ。パスタ同様ある程度芯を残してアルデンテに仕上げる場合もありますが、ここは病院ですので消化に良いものをお出しするために敢えてしっかりと火を入れて提供しています」
見慣れぬ食材、馴染みのない調理手順。そのどれもが料理人としてのデュランの好奇心を大いに刺激した。
「なるほど。いい勉強をさせてもらったぜ。ええと……」
「ニコロ・マルキオーニと申します。以後お見知り置きを」
ニコロと名乗った男は、先日イタリアからアルメニアに渡航してきたという。世界各国を周りながら料理を通じてその国の文化を学び、イタリア料理を広める活動を行なっているのだそうだ。その活動は全てボランティアでやっているため、ここでの報酬も職員寮のアパート一部屋と三食分の食事のみ。あくまで趣味の一環であるため、金銭の授受は一切行わないのだと語った。
「悪気は無かったとはいえ、そんな立派な料理人に怪我させちまったツケはきっちり払わせてもらうぜ。アンタの腕が完治するまで今夜からここの手伝いをさせてくれ」
「そんな、患者さんにそんなことさせられませんよ。それに脱臼は癖になっているのでこんなの日常茶飯事なんです。どうかお気になさらず」
「三日間寝てたんだ。リハビリを兼ねて是非頼む。その代わりと言っちゃあ図々しいんだが、イタリアの料理をいくつか教えてもらえねぇか? 最近転がり込んできたイタリア生まれの同居人に故郷の料理を振る舞ってやりてぇんだ」
以降、退院するまでの一週間。デュランは看護師や医者の目を盗んでベッドを抜け出し、半ば強引に病院の厨房へ出入りを繰り返した。
身体を弄られるのが怖いだとか、痛いのが嫌だとかいう子供じみた理由からではない。病院特有の〝匂い〟がどうにも好きになれなかった。
老人を消毒液に漬け込んだような匂いが八割、汚物や排泄物等の微かな悪臭が一割、残りの一割が死臭。割合の違いはあれど、どこの病院もデュランの嗅覚ではそう感じることが殆どであった。だが、この病院に関してはこれまでデュランが立ち寄った病院とは明らかに違う点があった。病室や通路から漂う美味そうな料理の香り。病院内に一軒の小さなビストロが入っている。目を瞑るとそんなイメージがはっきり浮かび上がる。それほどまでに強くデュランの鼻と好奇心を掴んだ香りの出所は地下一階。エレベーターを出たデュランはスタッフオンリーと書かれた通路を気にも留めずにずかずかと進み、突き当たりの扉の前で立ち止まった。
「邪魔するぞ」
そう言いながら鉄の扉を蹴破るように不躾な作法で入ってきた入院着の男にスタッフ一同は驚いた様子で目を向けた。
「困りますよ。ここは関係者以外は立ち入り禁止でして、患者さんは病室へ——」
栄養士であろう男性スタッフが慌ててデュランへと駆け寄る。デュランは男の言葉を遮るようにリゾットが盛り付けられている皿を目の前に突きつけた。
「このリゾットとやらを作ったのは誰だ」
突如乗り込んできた男の一言に呆然とする栄養士一同。僅かな沈黙の後、一人の男が怖々と小さく手を挙げて答えた。
「わ、私ですが何か問題がありましたでしょうか?」
七三に分けられた金髪に銀縁の洒落た眼鏡をかけた細身で気の弱そうな男。デュランはその男へギロリと目線を向ける。
「ひぃ!」
見るからに粗暴そうな男がいきなりやってきて、その手には自分の作った料理を持っており凄まじい眼力で睨みつけてきている。怯えるなという方が無理な話である。
「テメェか……」
デュランは身を震わせ怯える男に近づくと、男の目の前で右手をゆっくり上げてそのまま男の右肩へと勢いよく振り下ろした。
「頼む! こいつの作り方を教えてくれ」
「い、いいですよ。でもその前にちょっと上で治療だけしてきてもいいですか?」
男は脱臼した肩を上階の整形外科で入れ直してもらい、再び調理場へと戻ってきた。
「いや、ホントにすまなかった。思わず力が入り過ぎちまったみたいで……」
「いえいえ、お気になさらす。ですが腕がこの状態ですのでデュランさんが作ってみてください。手順や材料はこちらで指示しますから。まずお米をオリーブ油で炒めましょうか。中華のように強火ではなく、あくまで弱火でゆっくりと。お米がやや透明がかってくるまで炒めてください」
「生米を炒めるなんざ珍しい調理方だな。米粒もでけぇし」
「イタリアのカルナローリ米を使用していますが、もちろんジャポニカ米でも美味しく作れますよ。ただ、粘り気が強いのであまり混ぜ過ぎないようにすることがコツですかね。油とお米が馴染んできたら、鳥と野菜でとったブロード、つまり出汁を少しずつ足しながら煮ていきます。水分が減ってきたらその都度足していく感じで。先程も言いましたが、あまり混ぜ過ぎると粘り気が出ますのでそこだけ気をつければ決して難しい料理じゃありませんよ。パスタ同様ある程度芯を残してアルデンテに仕上げる場合もありますが、ここは病院ですので消化に良いものをお出しするために敢えてしっかりと火を入れて提供しています」
見慣れぬ食材、馴染みのない調理手順。そのどれもが料理人としてのデュランの好奇心を大いに刺激した。
「なるほど。いい勉強をさせてもらったぜ。ええと……」
「ニコロ・マルキオーニと申します。以後お見知り置きを」
ニコロと名乗った男は、先日イタリアからアルメニアに渡航してきたという。世界各国を周りながら料理を通じてその国の文化を学び、イタリア料理を広める活動を行なっているのだそうだ。その活動は全てボランティアでやっているため、ここでの報酬も職員寮のアパート一部屋と三食分の食事のみ。あくまで趣味の一環であるため、金銭の授受は一切行わないのだと語った。
「悪気は無かったとはいえ、そんな立派な料理人に怪我させちまったツケはきっちり払わせてもらうぜ。アンタの腕が完治するまで今夜からここの手伝いをさせてくれ」
「そんな、患者さんにそんなことさせられませんよ。それに脱臼は癖になっているのでこんなの日常茶飯事なんです。どうかお気になさらず」
「三日間寝てたんだ。リハビリを兼ねて是非頼む。その代わりと言っちゃあ図々しいんだが、イタリアの料理をいくつか教えてもらえねぇか? 最近転がり込んできたイタリア生まれの同居人に故郷の料理を振る舞ってやりてぇんだ」
以降、退院するまでの一週間。デュランは看護師や医者の目を盗んでベッドを抜け出し、半ば強引に病院の厨房へ出入りを繰り返した。
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