悪魔に憑かれた男

大松ヨヨギ

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  エレモアシティー南区ゲート前、その日はやけに渋滞している。スキープカーがズラリと順番待ちをして、最後尾は既に一時間近く待たされている状況だ。苛立ちから窓を開けてゴミを投げ捨てる連中が多発し出した。

 普段は監視プログラムが通行人を選別しているが今日は違う。

「あー、何だって金曜の一番忙しい時に壊れるかね」

 そうボヤきたくなるのは当然だ。普段はシステム管理室でのんびりしながら監視するだけだが、システムが正常に作動しないとなれば人力で仕事しなければならない。

 スキープカーの窓をコンコンと叩き、身分証の提示をお願いする。自分の身分を証明出来ない人間は残念ながらエレモアシティーの外には出られない仕組みだ。一時間近く待たされて帰れ、と言うのだからゴネるのはしょうがない。それを宥めて帰ってもらうというのが一連の流れだ。勿論エレモアシティーに入る時もその作業が必要で、そこで働く警備員はてんてこまいである。

「全く、本当ツいてないね。ポーカーの続きしたかったのによ。別に誰が通ってもいいじゃねーか」
「噂では、政府が国民のデータを収集してるらしい」
「俺が聞いた話は『帝都優生者選別』をより正確にするためと聞いたけど。」
「ははは!陰謀クセェ!…―さて、次の車を仕分けするか」

 身分証明書を確認する者、スキープカー、それを跨いでゲートを開ける者、連携が必要である。

 次のスキープカーがゲートの前で停車した。警備員はコンコン、と窓を開けるよう合図した。

「身分証の提示お願いしております」

 その車内には小綺麗なスーツを着た感じの悪そうな男二人が乗っている。しかし綺麗なのは服装だけで、「誰に物言ってんだ?」と偉そうな態度を隠すことがない。

(誰だよ…、知らねぇよ)と内心思いながら定型文を読み上げなければ。

「ただ今監視プログラムの不具合で皆様に提示をお願いしております。」
「見てわかんねぇのか!マーク!」

 中年の男は窓から手を出しスキープカーの車体をバンバン叩いた。そこには『帝国宮内庁ていこくくないちょう』のカンムリワシのマークが確かにある。

「身分証明書のご提示頂けない場合、ゲート通過を許可出来ません」
「ああ!?宮内庁の人間だって言ってるだろ!」

 話の通じない相手だ。そもそも宮内庁の人間がこのような横暴を働くのだろうかと疑問に思う。ゲートを制御している相方にアイコンタクトを取り、いざと言う時に備えていてもらう。

 ちらりと視線を後部座席に向けると、大きな麻袋が転がされている。ちょうど人一人分位のサイズだ。

「…その後部座席の荷物は?」
「………」

 先程までクダを巻いていた男が急に黙りを決め込んだ。そして逆に今まで一言も喋らなかったもう一人が「石膏像だ」と怪しすぎる回答をする。もしかすると帝国宮内庁のマークもコピーかもしれない。

「中身を確認させてください」
「それは機密事項だから…」
 
 もそ…と後部座席の麻袋が動いた。石膏像が動くはずは無いのでこれは事件の匂いだ、そう察知した警備員は腰の警棒をスッと抜き取った。ほぼ同時に車内の男達も内ポケットのピストルを向ける。
 
 ごくりと飲んだその時、グラグラと地面が脈打ち、聞いたこともない凄まじい破裂音が頭上から襲い掛かった。まるで水中に潜った時のようにぼんやりと音が消える。耳鳴りが段々大きく聞こえてきたら徐々に聴覚が蘇るのだ。

「な、なんだ!?」

 バリバリと引き剥がされるような音の数秒後、南区ゲートの天井がべこべこに凹んでいく。おそらく落下物が飛んできたのだろう。警備員としてここにいる人間の避難を真っ先に考える。マニュアルでは駅内からの退避とあるが、頑丈に作られているこの場所より果たして外が安全なのかという疑問が頭を過った。

 自称帝国宮内庁の連中との一触即発、それを留めたのは皮肉にも爆発の破片だった。




 
 人々がその街から逃げようと各駅に群がっている。しかしスキープカーの数にも限度があるため立ち往生だ。
 
『倒壊の恐れがある為地下シェルターへの避難を開始してください』とアナウンスされるが観光に来ていた大勢は我先に街からの脱出を試みる。出られないのならせめて穴の空いていない東区側へと向かう者もいればむしろ穴が空いた上部や西区の方が安全だと向かう者もいる。どちらが正しいとも言えない状況だ。
 
「道を開けてくれ!」
 
 担架に乗せられた怪我人を救助隊員が運び出し、態々危険地域に足を運んだノエル達を気にする人間はいない。

 ゲートを潜ると上部は予想通り酷い有様だ。綺麗に整備されていた通路には割れたガラスや看板が落下して、もくもくと建物から煙が上がっている。
 
 破片が突き刺さって絶命している遺体を上空に飛び回る無人航空機は衝撃映像をウキウキしながら撮影しているマスコミ連中に違いない。エレモアシティーここの住人達は皆政府に期待などしていないので、それが被害状況を確認して救助要請をする為に派遣された無人航空機でも大した違いは無いのである。
 
 デリカロッドのシンボル、頭が無くなった性の女神像を太陽が揺らぐことなく照らして男の行く道を示した。ノエルは左手の痛みに気を取られながら早足の男に遅れぬようついて行くだけだ。

 黒光したビルはガラスが割れ蜘蛛の巣のようなヒビが広がっている。ウィルソンはデリカロッドのビルの裏手にまわり、娼婦達が暮らす全面鏡張りの寄宿舎に真っ先に向かった。そこは背の高いビルを盾にしていたからか、傷一つついていない。出入り口に溜まった娼婦はウィルソンを見るや否や「あっ!」と声を上げる。男は彼女らに青い顔のまま詰め寄った。
 
「…ヒラキはどこにいる!?」
「ヒラキ…?ああ、あの地味な?確か三階の部屋だったような…それよりレミちゃんの部屋に行って!叫び声が聞こえたの」
「叫び声…?」

 隣の男の呼吸が浅く早くなる。吸いきれずヒューヒューと気管支が笛のように鳴って苦しそうだ。傷が痛むのだろうか、異常な量の汗がダラダラと流れて、ノエルは自分の左手の痛みを忘れるほど男が心配になっている。

「ノエル…、私の前を歩いてくれないか?」
「分かった。ヒラキさんの部屋に行くか?それとも―」
「………レミの部屋だ。」

 二人は階段を使って五階へ上っていく。上っている間にもどこかに破片が落下したのだろう、バリバリと大きな音が外から響いていた。ここも安全とは言い切れない。
 
 そこを上りきると長い廊下に体を腕で抱き締めるレミ・ゴールが蹲っている。彼女はノエルを見つけると「あんたは…いいとこに来た!」とヨロヨロと立ち上がった。

「何があった?怪我はないか?」
「あたしは大丈夫。…それよりリクが…」
「リク?サコダがいるのか?」
「そう、…三人で話してたのよ」
「三人?」

遅れてやってきたウィルソンを見つけたレミはその血みどろにギョッとして大丈夫なのかと尋ねた。しかし男はノエルの背中に身を隠し不審な行動を取る。
 
「…どうしたの?なんで隠れてんのよ」 
「………」
「…あっそ、無視ってわけね」
 
 レミが顔を顰めていてもお構い無しだ。ウィルソンはノエルの後ろからひょいと顔を覗かせて首を左右に振りながら周囲を見回した。何かから隠れているような仕草だ。
 
「それより叫び声が聞こえたらしいが、…」
「…それなんだけど」 

「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」」

まるでその部屋で拷問でも行われているのか、というような絶叫はこのフロア全体に響き渡る。その声と一緒にガンッガンッ!と何かをがむしゃらに振り回している音が聞こえてきた。
 
「落ち着いて!何もしないっすから!」と聞き覚えのある声が必死に宥めている。
 
「―嫌だッ!止めろ!終わった、終わったはずだッ!やめてくれ!」
 
 その掠れた叫びが再び廊下を突き抜けていった。
 
 ただ事では無い、ノエルはそう感じているが部屋の中に入る事を躊躇った。ただでさえ負傷しているのに錯乱状態の人間を相手にするのは無謀だ。
 
「…レミ、中にいるのはヒラキか?」
「そうだけど…」
 
 ウィルソンは彼女とようやく会話する気になったようだ。レミはちょっと不貞腐れて、ポリポリと長い爪で頬を掻いた。

「ヒラキは、その、正気なのか?」
 
 爆発で耳が駄目に鳴ったのかとレミとノエルは疑った。その質問をした本人は真剣そのものだが。
 
「…はぁ?今まさに叫んでるのが聞こえないの?外から大きな音がして、そうしたらいきなり発狂したのよ。…暴れ回って手が付けられない」
 
 話している間もその絶叫は続いている。…心が抉られるような痛々しい叫び。
 
「ははは…聞けば正気じゃ無いことくらい分かるよな。…うっかりしていたよ」
 
 ウィルソンはやけに明るくそう言うと先程までの様子とは一変してノエルの前に立ち、その部屋の扉を躊躇うことなく開け放った。
 



 ―彼にとってそれは地獄のような過去の繰り返しである。
 
「嫌だ!やめてくれ!」
 
  振り回しているのは使い捨てのフォークだ。その目はどこを見ているのか、焦点が定まらず一目で現実から遠ざかっていると分かるだろう。
 
 部屋の隅にはクタクタの雑誌を盾に縮こまるリク・サコダがその狂人をどう制圧すべきか考える。「あ、あんた!早くどうにかして!」とサコダは人の気配を感じてそう叫んだ。レミにいい顔をした手前、退室することは出来なかった。親戚一同に詰め寄られるのは面倒なので怪我をする訳にはいかない。
 
「ヒラキ!」
 
 ウィルソンは彼の名前を呼ぶが、半狂乱の男は壁のポスターの男にフォークを何度も突き立てた。破れていく男の顔に「俺はこんな事したくなかった!」と言い訳をしながら。
 
 バリバリとスターシールドが崩れる度、彼はゴミだらけの地面に伏せ頭を庇った。きっとヒラキに見えているのは青い空から際限なく降り注ぐクラスター爆弾なのだ。
 
 まだ続いている、彼の中ではそのトラウマが。
 
 (可哀想に…)
 
 ウィルソンは自分の事のように胸が痛み、暴れる男の背中を優しく抱きしめた。その拳が体を掠めても、フォークが腕に突き刺さっても構わない。ぎゅっと抱え込んで「大丈夫だから。」と言い聞かせる。

「………あ」

 現実に引き戻されたのかその瞳はハッとウィルソンを写した。ツッと額から汗が流れ、強張った体が脱力していくのが分かる。
 
 「な?大丈夫だろう?」と甘く優しい声色でウィルソンは子供をあやす様にその額に口付けをした。
 余程ヒラキを大切に思っているのだろう事は見ているだけで伝わる。
 
「ウィリアム…、ごめん、俺は……」
「分かってる。お前は悪くない」
 
 それを目の当たりにしなければならないノエルは拳をギュッと握って、左手に走った鋭い痛みに顔を顰めた。
 そこで初めて(…俺は果たしてこの男の一番になれるのか?)と自信が揺らいだのだ。
 
 石ころだと見下していたのに、それにすら及ばない自分。
 
 ノエルはその事実を受け止めて、自分に何が足りないのか分析する必要があるとやけに冷静だった。
 
 そこでふと思うのだ。ウィルソンと二人きりの時、確かに心が通じあった感覚があった。時間をかければ自分は唯一無二の存在になり得るのだと。
 
 では、何故現状そうならないのか。勿論まだまだ時間が必要だろうが、原因はヒラキ・ライトというウィルソンにとっての一番が居座っているからだ。
 
これから取るべき行動はヒラキに対して嫉妬心を剥き出して見下す事ではなく、快く彼が特等席から下りるよう促すことである。それにはヒラキ・ライトとも信頼関係を結ぶ必要があるだろう。
 
「ここに留まるべきでは無い」
 
 ノエルは蹲ったヒラキに手を差し伸べる。その行動に彼は戸惑いを見せながら断りきれず手を取った。
 
「行こう。」
 
 よろけた男を立たせてノエルは支えながらゴミを踏みしめる。ウィルソンもヒラキの肩を支えどうにかレミの部屋から出られそうだ。
 
「ちょっと!置いていかないで!」
 
 いくら愛しのレミちゃんの部屋でもそろそろ繊細な鼻がムズムズしてきた。「ヴェっクション!」とくしゃみを一つその部屋に置いてサコダは退室したのである。
 
 
 
 
 「おい!まさかこんなのが今晩の飯だとか言わないよな!」
 
 配給された菓子パンは子供でも満足しない小さな物だ。文句の一つや二つ言いたくなる気持ちも分かる。だがどれ程怒った所でそれ以上は貰えない。
  
「負傷者の方はこちらに並んでください」
 
 白いタープテントにビニールを引っ掛けただけの簡素な治療室、その前にずらりと並ぶ怪我人の中にノエルとヒラキは順番を待っている。
  赤いタグが腕に巻き付けられた重傷者から先にそこへ消えていく。彼らの番はまだまだ先になるだろう。
 
 人で溢れかえった上部駅は頑丈な建物という事で避難所として利用されている。恐らく他の地区ゲートも同じようなことになっているに違いない。
 
「このゲートを開けて!四時までに帰らないといけないの!」
「こんな危険な街に居られるか!歩きでもなんでもいいから開けろ!」
 
 固く閉ざされたゲートの前に集る彼らは外に帰る場所がある人々だ。エレモアシティーから外に繋がるトンネルは大体二十キロメートル、勾配があるので徒歩で三、四時間といったところだ。
 
「ただいまゲートの解放を制限しております!ゲートの前に集まらないでください!」
「いつゲートは解放されるの!!?」
「市長の許可が降り次第、としか言いようがないです」
「はぁ!?それっていつになるのよ!大事な仕事があるのよ!その分の損失、あんた達払えんの!?」
 
 気が立った彼らの対応を押し付けられた警備員達は息をつく間もない。
 それを冷たい地べたに座りながら眺めるリク・サコダは手に着いた粉砂糖を品なくべろべろ舐める。
 
「なんでゲートを閉鎖してんだろ。普通は外に避難した方が安全だと思うんすけど…おにーさんもそう思わないすか?」
 
 そう同意を求められたウィルソンは硬いパンを齧りながら「そうだな」と無難な返答をした。

 童顔の青年はじっと男の顔を見ている。何か言いたげでウィルソンは御手洗に行ったレミが早く戻ってこないかとチラチラ視線を泳がせた。
 
「ね、やっぱりおにーさん先輩と知り合いだったんでしょ」
「…先輩?」
「とぼけんでくださいよ~、ノエル先輩す。てか俺のこと覚えてます?ほら、おにーさんが暴れ回って先輩が捕まえた時に一緒にいたっしょ!」
「そうだったか?私は人の顔を覚えられない」
「ふーん、なぁんか怪しいなぁ」
 
 ノエルと打ち合わせしていなかったせいでどう対応すべきか頭を悩ませる。ここは話を逸らす方が良いだろう。
 
「そんな事よりヒラキと何を話していたんだ?」
「え?あー、…それは部外者には言えないというか…。てかあの人大丈夫なんすか?急に発狂したから驚いたっすよ」
「大きな音で驚いたんだろう、…面倒かけたな。」
 
  下手に会話するとボロが出そうなのでウィルソンはそれきり無言を決め込む事にした。サコダもそれ以上会話を続ける気はないようだ。だが無言を貫けばウィルソンにとって辛い光景が目に付く。
 
 泣きわめく甲高い子供の声、それを叱る母親。妻を宥める夫は優しく彼女を抱きしめる。
 再会を喜んで騒ぎ出す恋人たちの五月蝿さに殺意を覚え、理性でグッと堪えた。
 
(気持ち悪い…)
 
 耳を塞いでフードを深く被る。そうすれば多少はマシになる気がした。
 ブツブツと身体中イボが出来たように毛穴が開いて、そこから嫌悪感が消化される事は残念ながらない。体を丸めて耳を塞ぐ男に、サコダは(この人もヤバイ感じ?)と顔を引き攣らせる。
 
 二人が気まずくしている頃、ようやくノエルとヒラキはテントの中までやって来た。自分たちの番まであと少しだ。
 
「…大丈夫か?」
「え、ええ。俺は大したことないです…。あなたのほうが怪我は酷いでしょう」
「俺が軽傷で済んだのはあの男が庇ってくれたからだ」 
「…………そうなんですね」
 
 ヒラキの反応で、ノエルは(彼もウィルソンが不死身だと知っている)と確信した。だが不思議と腹が立たないのは今後の方針が決まっているからである。
  
 テントの中は血だらけで意識もないような人間がゴロゴロ転がっている。生きているのか死んでいるのか見ただけでは分からない。即席で集められた医者や看護師は忙しなく走り回り、次々患者を診ていくのだ。

「…先程はすみません。多大なる迷惑をかけてしまって…」

 ずっと並んでいる間、ヒラキはいつ謝るかタイミングを伺っていた。自分の罪悪感を晴らすための行動であるが、ノエルは咎めようとはしない。
 
「俺は大した迷惑はかかっていない。気にするな」と彼が言って欲しいであろう言葉をかける。
 
「次の人どうぞ」
 
 ようやくノエルの番になった。傷口を見せるため巻き付けていたハンカチを外し、後は医者に任せていればいい。
 
「あなたはどこを怪我したの?」
「えっと、俺は…その、…どこか打ったような気がして…」
 
 隣で処置を受けるヒラキを観察しているうちに左手を七針縫われた。愛想笑いを浮かべ、周りの顔色を伺っている。気がつけば消毒液をかけられて以上終了だ。酷い怪我だと思っていたがそうでもなかったようで一安心である。
 
 ヒラキも特に異常は無かったようで、二人は自分たちより遥かに重傷の人の横をすり抜けた。
 
「人が多いですね…」
 
 テントの外は入る前より人で溢れている。どう見ても定員オーバーであるが、上部で一番頑丈な建物に集まるのは当然だ。
 
 
「ちょっと待ってよー!」
 
 騒がしく走り回る子供がちょうど出てきたヒラキにぶつかった。
 
「い、いた…」と尻もちをついた子供に彼は慌てることなくしゃがみ子供の目線に合わせ、起き上がらせると「大丈夫?ごめんね、怪我してない?」と優しく問いかけるのだ。その子が頷くと頭を撫でて「走らないようにね」と見送る。
 
「意外だ。貴方はもっとアタフタするかと思っていた。子供好きなんだな。」
「…そう、ですね。元気で、パワーが貰えるというか…」
「良い父親になりそうだ」
「…俺に家庭なんて無理ですよ」
「そんなことは無いと思うが」 
 
 二人は肩を並べながら配給のパンを取りに行く事にした。食いっぱぐれる前にさっさと自分の分は確保しなくてはいけない。明日もあるとは限らないのだから。
 
 配給所も予想通り混みあっている。普段ならば自ら進んで話しかけようとは思わないが、目標を達成する為ならば苦にはならない。
 
「…ヒラキさんはウィルソンと長い付き合いなんだよな」
「…え、……あ、はい…長いと言いますか付かず離れずと言った感じですかね。」 
 
 ヒラキは分かりやすく表情を暗くして声が小さくなる。彼はきっとウィルソンから離れ、普通の家庭を築きたいと思っているのでは無いか。
  
「以前俺が言った事を訂正したい」
「訂正?」
「俺は彼に性欲や支配欲を向けていた。だが今は純粋な恋心のほうが大きくなっている。…ヒラキさんは彼と仲がいいから勘違いされたままでいて欲しくなくてな」
 
 それは嘘も混じっているが大方本当の事だ。ウィルソンが聞いていたらまた首を絞められて殺されそうになるだろう。
 
「どうして、…何故心境の変化が起きたんですか?アイツがあなたを庇ったから?」
「元々ちゃんと好きだった。…だが彼が『気持ち悪い』というもんだからヤケになっていたのかもしれない」
 
 配給のパンが手の届く範囲に来たので、ノエルはヒラキの分もちゃんと取って渡した。カチンコチンのそれはあまり美味しく無さそうだが。
 
「…そう、だったんですね。」  
「貴方にも八つ当たりのような事をしてしまったな。申し訳ない」  
 
 高圧的な態度を改めた男にヒラキは目を丸くして困惑している。だが人が良いせいで手のひら返ししたノエルに強く出られない。それともただの愚か者なのか。
 
「いや、俺に謝らないでください!あいつのこと色々と面倒見てくれてるし…」
「それは俺が好きでしている事だ。」
 
 人混みの中、サコダとレミの背中を見つけたノエルは自然とそちらの方へ向かった。
 
「あ!二人ともやっと帰ってきた!大丈夫だった?」
 
 レミは赤い口紅を塗ったのだろう、人でも食いそうな口をしている。サコダは地べたにあぐらをかいてリラックスしているようだ。
 しかしウィルソンの姿はない。ノエルの目玉はグルグルと人混みの中に彼を探した。

「…ウィリアムは?」とヒラキが小さな声でレミに問いかける。
  
「なんか知り合い?を見つけたみたいで外に出てった。危ないからって止めたんだけど…」 
「どっちから出た?俺が様子を見てくる」
 
 そう申し出ると、サコダの黒い目がノエルを捕える。そして彼は立ち上がって「先輩、大事な話があるんでちょっといいすか?…仕事のことで」と引き止めるのだ。ふざけている様子もなく、『仕事』と言われれば断れない。
 
「あ、じゃあ俺が見てきます…。」
「じゃあアタシも行くよ。一人は暇だから」
「いや、でも…」
「ほら行くよ!」

 レミが一緒ならノエルにとっても安心だ。女性を危険な場所に連れていく事にヒラキはあまり乗り気ではないようだが、押しの強さには勝てない。
 
 二人が人混みに消えた事を確認して、サコダは早速話し始める。
 
「ヒラキ・ライトについて、…気になる点があるんすよ」
 

 
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