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6日目
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水曜日になり、いよいよ母の通夜をおこなうこととなった。
(他の従業員はともかくとして)忌引きなどというものがない私は、遺族の集合予定時間まで普通に仕事をし、それから兄に迎えに来てもらって、北海道から葬儀に出席するために前日からこっちに来ていた母の姉と三人で、斎場へと向かった。
ちなみに、父は一人で向かった。電車で。伯母は、父が気を遣ったと思っていたようだが、私と兄は、父が兄にいろいろ言われるのを嫌がっただけだと思っている。
斎場に着くと葬儀の準備はすでに整えられていて、母の通夜が行われるそこでは、オルゴールの音色で葬送にあった曲が流されていて。
その曲と、棺の中で眠る母の姿に、涙がこぼれた。
きっと、この日と翌日の二日間が、人生で最も多く泣いた日だったと思う。
葬儀会社のI氏の案内で二階の控え室に上がり、葬儀が始まるのを待つことになった。
そこで、お布施や斎場代などの葬儀代の一部を支払うことになった。まあ、一部と言ってもこの日に支払ったお金は60万を超えていたのだけど。
葬儀が始まる三〇分くらい前になって、母の通夜と告別式を執り行う住職が見えられ、私と兄、それから父の三人でご挨拶に伺った。
お布施として20万円を支払い、それから住職と二、三会話をし、最後に生前の母について聞かれた。正直何も考えていなかったしそんなことを聞かれるとも思っていなかったので、何一つ言葉など用意していなかった。戸惑いながら、生前の母について、私と兄とで住職にお話しさせてもらった。(実はここでのこの経験が、後日、少し役に立った)
住職の控え室を出て、遺族、親族の控え室に戻る。と、父方の親戚たちも少しずつ集まりだし、そして、弔問客も徐々に集まってきた。
I氏から「すでにお集まりになっている方もいるようですので、ご挨拶に行かれては」と勧められ、本来なら喪主を務める兄となるのだろうが、集まっている方々とより顔見知りなのは私の方だろうと言うことで、私が挨拶しに下りていった。
集まってきているのは会社関係の方々や近所の方々で、その方々とは普通に言葉を交わすことが出来た。が、
ある人の姿を見ると、私は涙を堪えることが出来なかった。
その人は母の友人の一人で、私もその方とは交流があって。
共通の知人の姿に、堪えていたものが吹き出し、涙が止まらなくなった。
前屈みになり、必死に涙を抑えようとする私に、近くにいる方からは「君がしっかりしなきゃダメだろう」と声をかけられたりもした。
なんとか感情を鎮め、それから親戚たちの相手を終えて下りてきた兄と二人、葬儀の間の入口前で弔問客に感謝を述べていると、I氏と同じ葬儀会社の方がやってきて通夜の開始を告げられた。
私たち遺族が先に入り、それから親族、そして友人や会社関係の方々も席に着き、最後に住職がやってきた。
住職を合掌を持って迎え入れると、母を送るための通夜が、始まった。
葬儀の間にいる人間が焼香を終え、その後も外にいらした方々が続々と焼香にやってきた。(想定した人数より少し多かったらしく、住職は読経を延長してくれた。アレって延長できるものなんですね)
二時間の通夜を終え、私たちも二階に上がって精進落としの食事を取ることに。(と言っても、実際には食事などほとんどとれず、挨拶回りが主だったが)
私は受付や残っていた会社関係の方々の相手をし、兄は親戚(特に従兄弟連中)の相手を務め、父はと言えば、叔父伯母の席には加わらず、こっちに来ていた。父は自身の姉弟たちともあまり上手くいっていないと言うこともあったが、それ以上に叔父たちは今回の葬儀をあまり快く思っていなかったせいでもあったのだと思う。
父方の親戚は、程度の差はあれ皆、宗教にハマっていた。ウチの家族だけ宗教をシューキョーと読むような家族で、そのせいもあって元々、親戚たちとはあまり距離は近くなかったのだが、今回、私と兄が親戚に頼らず、彼らが信奉する寺で葬儀を行わなかったのがたいそう面白くなかったみたいだ。従兄弟の中には、寺で結婚式を挙げた子もいるくらい(アレはそうそう経験できないある意味貴重、ある意味異様な結婚式でした)、ドハマリしてる家もあるのだから、まあそうなるだろう。私なんかは「ンなもん知ったことか!」と思っていたけれど。
そんな微妙な遺族と親族の確執などもありつつ、葬儀の一日目――通夜を終えた。家に帰り、しわにならぬよう喪服を脱ぐと、風呂にも入らずにベッドに倒れ込み、そして――「あ、塩ふってないや」と遅ればせながら気づいて清めの塩をふって、寝た。
余談。
伯母を泊まっているホテルに送っていたとき、伯母は「こっちではみんな途中で帰っちゃうんだね」と意外そうに聞くので、私は「?」と疑問符を浮かべたりした。
どうやら北海道では、遺族、親族だけでなく弔問客も通夜の最後まで残るものらしい。なので、弔問客が焼香を終えて順々に退出していく姿が奇妙に映ったそうだ。
まあ、だから何というか、所変わればいろいろな葬儀の形があるという、ただそれだけの話なのだけど。
(他の従業員はともかくとして)忌引きなどというものがない私は、遺族の集合予定時間まで普通に仕事をし、それから兄に迎えに来てもらって、北海道から葬儀に出席するために前日からこっちに来ていた母の姉と三人で、斎場へと向かった。
ちなみに、父は一人で向かった。電車で。伯母は、父が気を遣ったと思っていたようだが、私と兄は、父が兄にいろいろ言われるのを嫌がっただけだと思っている。
斎場に着くと葬儀の準備はすでに整えられていて、母の通夜が行われるそこでは、オルゴールの音色で葬送にあった曲が流されていて。
その曲と、棺の中で眠る母の姿に、涙がこぼれた。
きっと、この日と翌日の二日間が、人生で最も多く泣いた日だったと思う。
葬儀会社のI氏の案内で二階の控え室に上がり、葬儀が始まるのを待つことになった。
そこで、お布施や斎場代などの葬儀代の一部を支払うことになった。まあ、一部と言ってもこの日に支払ったお金は60万を超えていたのだけど。
葬儀が始まる三〇分くらい前になって、母の通夜と告別式を執り行う住職が見えられ、私と兄、それから父の三人でご挨拶に伺った。
お布施として20万円を支払い、それから住職と二、三会話をし、最後に生前の母について聞かれた。正直何も考えていなかったしそんなことを聞かれるとも思っていなかったので、何一つ言葉など用意していなかった。戸惑いながら、生前の母について、私と兄とで住職にお話しさせてもらった。(実はここでのこの経験が、後日、少し役に立った)
住職の控え室を出て、遺族、親族の控え室に戻る。と、父方の親戚たちも少しずつ集まりだし、そして、弔問客も徐々に集まってきた。
I氏から「すでにお集まりになっている方もいるようですので、ご挨拶に行かれては」と勧められ、本来なら喪主を務める兄となるのだろうが、集まっている方々とより顔見知りなのは私の方だろうと言うことで、私が挨拶しに下りていった。
集まってきているのは会社関係の方々や近所の方々で、その方々とは普通に言葉を交わすことが出来た。が、
ある人の姿を見ると、私は涙を堪えることが出来なかった。
その人は母の友人の一人で、私もその方とは交流があって。
共通の知人の姿に、堪えていたものが吹き出し、涙が止まらなくなった。
前屈みになり、必死に涙を抑えようとする私に、近くにいる方からは「君がしっかりしなきゃダメだろう」と声をかけられたりもした。
なんとか感情を鎮め、それから親戚たちの相手を終えて下りてきた兄と二人、葬儀の間の入口前で弔問客に感謝を述べていると、I氏と同じ葬儀会社の方がやってきて通夜の開始を告げられた。
私たち遺族が先に入り、それから親族、そして友人や会社関係の方々も席に着き、最後に住職がやってきた。
住職を合掌を持って迎え入れると、母を送るための通夜が、始まった。
葬儀の間にいる人間が焼香を終え、その後も外にいらした方々が続々と焼香にやってきた。(想定した人数より少し多かったらしく、住職は読経を延長してくれた。アレって延長できるものなんですね)
二時間の通夜を終え、私たちも二階に上がって精進落としの食事を取ることに。(と言っても、実際には食事などほとんどとれず、挨拶回りが主だったが)
私は受付や残っていた会社関係の方々の相手をし、兄は親戚(特に従兄弟連中)の相手を務め、父はと言えば、叔父伯母の席には加わらず、こっちに来ていた。父は自身の姉弟たちともあまり上手くいっていないと言うこともあったが、それ以上に叔父たちは今回の葬儀をあまり快く思っていなかったせいでもあったのだと思う。
父方の親戚は、程度の差はあれ皆、宗教にハマっていた。ウチの家族だけ宗教をシューキョーと読むような家族で、そのせいもあって元々、親戚たちとはあまり距離は近くなかったのだが、今回、私と兄が親戚に頼らず、彼らが信奉する寺で葬儀を行わなかったのがたいそう面白くなかったみたいだ。従兄弟の中には、寺で結婚式を挙げた子もいるくらい(アレはそうそう経験できないある意味貴重、ある意味異様な結婚式でした)、ドハマリしてる家もあるのだから、まあそうなるだろう。私なんかは「ンなもん知ったことか!」と思っていたけれど。
そんな微妙な遺族と親族の確執などもありつつ、葬儀の一日目――通夜を終えた。家に帰り、しわにならぬよう喪服を脱ぐと、風呂にも入らずにベッドに倒れ込み、そして――「あ、塩ふってないや」と遅ればせながら気づいて清めの塩をふって、寝た。
余談。
伯母を泊まっているホテルに送っていたとき、伯母は「こっちではみんな途中で帰っちゃうんだね」と意外そうに聞くので、私は「?」と疑問符を浮かべたりした。
どうやら北海道では、遺族、親族だけでなく弔問客も通夜の最後まで残るものらしい。なので、弔問客が焼香を終えて順々に退出していく姿が奇妙に映ったそうだ。
まあ、だから何というか、所変わればいろいろな葬儀の形があるという、ただそれだけの話なのだけど。
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