突然、母が死にました。

山王 由二

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5日目

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 母が亡くなってから5日目。翌日にお通夜を控えた私は、二つの邂逅を経験した。良いものと、悪いものを。

 いつものように仕事場に行き、前日夜に税理士から受け取ったうちの会社の資料を基に会社の月間収支、年間収支を記録していると、ノックもなしに事務所の扉が開いた。
 そちらに目をやれば、小柄なしわだらけの顔をした一人の老婆が立っていた。
 久方ぶりに会ったその老婆――Kは、戸籍をたどっていくと父方の祖母の妹と言う人物で、昔から付き合いのある人物だった。ウチとしては付き合いなどさっさと断絶したかったのだが。
 とにかくこの婆さん、いっそ感嘆するくらいに性格が悪く、利己的で自己中心的な――面倒くさい嘘つき婆さんなのだ。
 この婆さんにも母はよくいじめられたそうで、生前、母は「あいつだけは私の葬儀に呼ぶんじゃないっ!」と何度も声を荒げて言ったものだった。(一度など、悔し涙まで流していたこともある)
 私も小さいころはちょいちょい嫌がらせをされたこともあるし(やった本人は覚えてないだろうけど)、母から聞いたこの婆さんの伝説・・も割とドンびく内容のものだった。
 ここで話せるレベルだと――
 まだ私が生まれる前、我が家では犬を飼っていたらしい。(母は犬好きだったのだ。と言うか一家全員だけど)そして、当時は母はウチではなく別の場所で働いていて、日中は家にいることがなかった。それが気に入らなかったのか、それとも他にも何かあったのかはわからないが。が、とにかくこの婆さん、ウチの母に嫌がらせをしたくなったらしい。
 仕事から帰ってきた母に、『犬の鳴き声がうるさいって周り近所からひどい苦情が来てる! あんな犬さっさと捨てろ!』と怒鳴りつけにやってきたらしい。それを何度も繰り返された母は、泣く泣く犬を手放すことになった。
 それから時は経ち、母は働きに行っていた会社をやめて家で仕事をすることとなり、そこで初めて、それがウソであったことに気が付いた。
 何故なら、近所に犬を飼っている家など何件もあり、中には通行人などに向かって元気に鳴いている子だっていたからだ。
 そんな環境で、ピンポイントで内に苦情が来るわけもなく、確認を取ってみれば案の定、だったらしい。
 他にも――
 私の両親が父方の祖母の家から独立して会社を立ち上げた際、その祖母から独立祝いにけっこうな額のお金を頂くことになったそうだ。が、この時その祝い金の運び人を務めたのがK婆さんで、祖母は妹と言うことで信用してしまったのか、その婆さんに(祖母曰く)百万円を預け、私の両親に届けてくれるよう頼んだらしい。
 そして、この婆さん、その金を全額ちょろまかした。
 祖母から「あの金はどうした?」と聞かれても平然と「そんな金、知らない」とウソをつき、母に「知らないよね、○○母の名前さん?」と同意を求めたそうだ。
 実際そんな金があることなど知らない母はその言葉に同意し、結果、祖母の怒りを買ってしまった。
 出した側からすれば、二人でとぼけているようにしか見えなかったのだろうから、当然だろう。
 もしかしたら、そのせいで母は祖母にいびられるようになったのかもしれない。
 だいぶ後になって、母と祖母が和解した時のその事実を知り、改めて「あの婆さん怖ぇっ!」と思ったそうだ。
 この二つのエピソードだけでもこの婆さんの性格の悪さ、下衆っぷりが伝わってくると思うが、さらに一つ、この婆さんはとんでもないことをやらかしていた。
 その辺りのことはとてもではないが口にすることはできず、表に出れば一族レベルで大問題に発展する内容で。
 その婆さんがそれをやった理由だけ口にすると――


 嫌がらせで産んでやった。


 だった。
 その内容を詳しく聞いたとき、私は思わず『桐原家の人々(邪悪版』と思った。それくらい、ひどかった。
 そんな婆さんが、事務所の前にたたずんでいた。
 ちょっと神妙な顔をして、どこから聞いたのか母の訃報を知りお悔やみの言葉を述べたのだ。母方の祖母が亡くなった時にはそんな言葉一言も出さず、当時、母を亡くしたばかりの私の母にさんざん自分勝手なお願いをしまくっていた婆さんが。
 正直、ちょっと意外に思ったのと、これからもウチで自分の面倒を見てもらえるか探りに来た、あるいは見てもらえるよう印象良くしようと思ってんじゃねぇの、この婆さん? と邪推したりもした。
 ただ、私の中ではこの婆さんの印象はどんな善行積もうと覆ることがないくらい最悪なものだったので、私は一言として口を開くことはなかった。
 ただ、冷めた目で見返していると、期待した反応ではなかったからかふてくされた顔をして挨拶無く立ち去って行った。
 K婆さんも私も、お互い大いに気分を害する邂逅はそうして終わったのだった。
 それからまた、仕事をこなしながら夜になるのを待った。
 日が暮れ、外がすっかり暗くなった頃、コン、コン、と、事務所の玄関をノックする音がした。
 玄関の向こうに立っていたのは、一人の男性だった。
 初めて会うはず……だが、どこか懐かしいものを覚える彼は……
 「M、くん?」
 そう訊ねると、果たして彼は「お久しぶりです」と首肯した。
 Mくんの母と私がの母は昔からの友人で、私たちも幼なじみの間柄だったのだが、Mくんの家族が引っ越してから、疎遠になっていたのだ。
 じつに20年ぶりくらいの再会だった。
 動けぬ母(Mくんのお母さんも病気を患っており、遠出は難しかった)の代理で来たと言う彼と、しばしの間、互いの近況や思い出話などに花を咲かせた。思い返してみると、一時とは言え全てを忘れることができたあの時が一番、私の心が穏やかだったと思う。
 私の兄が来て、三人で連れ立って母に会いに行った。
 思うに、あの来客こそ母が一番喜んでくれた相手だったと思う。
 Mくんにとっては、少し辛かったかもしれないけれど。(申し訳ない、Mくん)
 彼との邂逅で少し心が救われた私は、家に帰って、すでに定番となりつつあったごはん茶碗でカレーを食し、寝た。

 翌日は、母の通夜だった。



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