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Ⅰ‐ⅰ.僕とあなたのはじまり
1.はじめての夜会
しおりを挟むシャンデリアが照らす広間は、人いきれがしそうなほど、多くの貴族で埋め尽くされていた。
華やかな衣服を纏った彼らは、まるで蝶が舞うようにステップを踏んで軽やかに踊ったり、グラスを片手に歓談したりしている。
そんな人々の中で特に目立つのは、白い衣服を纏った者たち。今夜が社交界デビューとなる貴族の令息令嬢——デビュタントたちだ。
……なにを隠そう、僕もその一員なんだけど。
誰にも声を掛けてもらえず、壁の花——むしろシミのようになっていることを考えなければ。
「あー……これは無理かも……」
ぽつりと呟きながら、闇色に染まった窓を眺める。
ストロベリーブロンドのウェーブした髪が目元にかかっているのがわかり、指先で払い除けた。
いつもならピンで髪をまとめて留めてしまうけど、社交界でそんな姿を晒すわけにはいかない。その程度の常識は、田舎の貧乏子爵家の三男である僕だって持っている。
「——そんなに、悪い容姿ではないと思うんだけどなぁ」
鏡のようになった窓には、繊細な面立ちの男が映っていた。小顔のわりに大きな目が、ぱちりと瞬いて見つめ返す。
家族からは「フランは黙っていれば、至高の芸術品のような美しさなのにね」とか「おとなしくしていれば、庇護欲そそられる儚げで可憐なオメガなんだけどなぁ」と言われる。
僕もそれなりに容姿には自信があった。今夜の社交界デビューで粉々に砕け散ってしまいそうだけど。
だって、誰もダンスに誘ってくれないんだ。どうしてなの。普通、デビュタントを壁の花にすることなんてない。少なくとも僕の知識の中ではそうだ。
「十六歳じゃないからかなぁ」
小さくため息まじりにこぼす。
一般的に社交界デビューは十六歳だ。その頃に王城からパーティーへの招待状が届く。
でも、僕が十五歳のとき、父が領主を務めるボワージア子爵領を含めるエストレア国北部地域で、ひどい冷害が起きた。
それにより苦しむ家族や領民を見て、どうして翌年の社交界デビューの支度をしてほしいなんて言えるだろう。
社交界デビューにはお金がかかる。
美しい白色の布は高いし、それを体にぴったりと合わせて仕立てるのには技術が必要だ。王都まで向かうための馬車や宿を用意するのも、貧乏な貴族家にとっては大変なこと。
そのことを考えて「余裕ができるまで、社交界デビューを引き延ばそう」と家族に告げたのは僕。家族はそれを申し訳なさそうにしながら受け入れてくれた。
僕はオメガなのだから、本当は適当な商家に嫁いだって良かった。それで領地に援助してもらえるなら、僕は身売りのような縁組みにだって快く頷いただろう。
そのような申し出が家族の元に届いていたことを、僕は噂で知っている。
でも、家族はその提案にだけは頑として頷かなかった。
そして、僕と家族の妥協の末に辿り着いたのが、十八歳での社交界デビューだ。
つまり、他のデビュタントより、僕は年かさ。それで悪目立ちして、声さえ掛けてもらえないのかもしれない。
……困ったなぁ。今夜、番候補をみつけられなかったら、家族に負担をかけ続けてしまう。
僕が社交界に参加できるのは、これが最初で最後かもしれない。そのくらい、今のボワージア領には余裕がないんだ。
オメガである僕には番が必要なのに。
十五歳の頃に最初の発情期を迎えてから、三ヶ月毎に一週間それは襲いくる。アルファなしに乗り越えるには抑制薬が必要だ。そして、その抑制薬の購入にはお金がかかる。
今は家族がなんとかお金を工面して抑制薬を用意してくれている。それはすごくありがたいんだけど、同時にどうしようもなく申し訳なくなる。
だから、早く番をみつけて、僕に使っているお金を、領民のために使ってもらいたいんだ。
できれば、ボワージア領を支援してくれるような番がみつかればいい。
——なんて最初は思っていたけど、そもそも番候補になるような相手すらみつけられそうにない状況に、目眩がしてくるような……。
「どうしよう。本当に気分が悪くなってきた……」
たぶん人酔いだ。田舎育ちはこういうところが軟弱でいけない。
内心で自分を罵りながら、ベランダに向かうためにガラス扉を開く。
いつもの僕は、もっとポジティブ思考のはずなんだけど、初めての状況に少し気弱になってしまった。
少しだけ逃避させて。戻ったら、礼儀知らずと謗られようと、僕のほうからアルファに声をかけるから。
心の中で言い訳しながら、澄んだ空気が満ちる外に招かれるように足を踏み出す。
今恋しく思うのは、痩せた土地ながらも必死に毎日を生きる明るい家族と領民たちの姿だった。
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