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Ⅰ‐ⅰ.僕とあなたのはじまり
4.俺のこれまで——ジルヴァント視点
しおりを挟む「ジルヴァント王弟殿下、ご入場です」
一斉に集まる視線にうんざりする。
今夜は久しぶりの夜会だ。面倒だが、兄上のしつこさに押し負けて、参加を約束してしまったのだから、きちんとこなさなければならない。
俺は王の息子、つまり王子として生まれたが、母親は側妃で、しかも正妃の子である兄上とは四ヶ月違いという歳の近さだった。
母である側妃と正妃の仲は悪く、当然のように俺は正妃から虐げられて育った。
父王は俺を守ろうとしてくれていたが、隣国の王女であった正妃は大きな影響力を持っていて、状況は悪くなるばかり。
そんな状況は、母が亡くなったことで、急激に悪化した。
突然の死。
誰もが正妃の関与を疑った。
父王は運命の番である側妃を亡くしたことを嘆き悲しみ、それが正妃の怒りをより高めることになった。
運命の番が正妃だったなら、何も問題なかったはずなのに。父王は国同士の取り決めで契約した番である正妃を、愛することはできなかったのだ。
正妃もある意味被害者ではあったのだろう。だからといって、やってきたことを許すつもりはない。
俺は母の死をきっかけに、王城を離れ、王家直轄地であるセレネー領に所在を移すことになった。
それは俺を守るためだったのだろう。
だが、当時七歳だった俺は、母を亡くし、慣れた場所からも追われ、悲しくて堪らなかった。
遠く離れても正妃はしつこく俺を死に追いやろうとしてくるから、より精神的に打ちのめされた。
その結果、俺は頼りない父王を恨み、憎むことになる。
十二歳の時、兄上の立太子が決まり、ようやく正妃は俺を捨て置く気になったようだ。
それからは比較的穏やかな日々が続いた。
兄上が番を得て、王子をもうけた後、王位を継いだのは二十五歳の時。
運命の番を亡くした父王は、もはや国政に携わる意欲を失くしていた。
そんな父王と話をしたのは、兄上の戴冠式の時。
許すことはできなかったが、諦めはついた。この人は、王として、運命の番を守るアルファとして、相応しい力を持っていなかったのだと悟ったからだ。
兄上とはそれなりに話をして、表面上の和解ができた。そもそも兄上は悪いことをしていなかったのだから、俺が怒りを向けるべき相手ではない。
ただし、兄上の母親、王太后となる人と関わることは拒否し、その許しを受けた。
それ以後、兄上はセレネー領に引きこもる俺に、何くれとなく連絡を寄越してくる。本当にやめてほしい。
俺はもう二十九歳で、兄上に干渉される謂れはないのだから。
一ヶ月前、兄上から「そろそろ番を持ってはどうだ?」なんて余計な世話を焼かれ、送られてきた招待状を断る言い訳が底をついた。
それにより、俺は戴冠式以来四年ぶりに、王城に足を踏み入れることになったのだ。
「はぁ……鬱陶しい……」
パーティーに遅れて参加して、母の兄——俺の伯父であるルトルード侯爵に挨拶をした後は、しばらく一人で過ごしてから広間を立ち去るつもりだった。
多くの貴族から好奇の目を向けられて、ここに長く留まる必要性を感じない。デビュタントから初々しさとは程遠い媚びるような眼差しを感じて吐き気がした。
俺はアルファとして上位らしい。一目でそれがわかるほどに。
だからこそ、俺は幼い頃から現王太后に嫌われていたのだ。兄上の王位継承を危ぶませる存在として。
「殿下、もう少し堪えてください」
「マイルス。俺は十分堪えていると思うが」
乳兄弟であり、侍従でもあるマイルスに、苦々しく言葉を返す。
わかっている。
兄上の招待を嫌々でも受けた以上、まだここに留まる必要があることは。
だが、視界に王太后の姿が飛び込んできてしまっては、我慢することなんてできなかった。
足がベランダに向かう。
パーティーを辞すことは叶わずとも、ここから離れることは許されるだろう。そもそも、王太后と関わらないことは兄上に許されている。俺の行動に文句を言える者はいない。兄上さえも言いはしない。
何故か遠い距離にあったガラス扉を目指していた。そのことに気づいたのは、ガラス扉を開けて、漂う香りを感じ取ってから。
身体の芯から熱くなるような、魅惑的なフェロモンの甘い香り。
「っ……オメガ」
「え?」
不思議そうにマイルスが声をこぼすのを認識できないまま、ベランダに身を滑り込ませてガラス扉を閉じる。
この甘やかな香りに、他の者が気づかないように。
椅子にオメガが座っている。
ウェーブしたストロベリーブロンドの髪が、広間から漏れる光で美しく輝いていた。身に纏うのは白色の礼服だ。デビュタントを表す無垢な色。
近づけば、琥珀色の瞳が熱っぽく潤んでいるのがわかった。ぼんやりとしていて、俺を認識しているかどうかも怪しい。
緊急抑制薬の服用はしたらしい。
応答はあったが、だいぶ意識が朦朧としているようだ。これはきちんと薬の効果が現れるまで、時間がかかるかもしれない。
そう思った時には、すでにオメガはぐったりとしていた。
おそらく緊急抑制薬の副作用。早く医者に診せなくては。
「殿下、この方は——」
「俺の番だ」
追ってきたマイルスに端的に答える。
神経が灼き切れそうになるほど、このオメガに焦がれている。こんなこと、今までなかった。
……それは当然だろう。
なぜなら、このオメガこそが、俺の運命の番なのだから。
「は?」
目を見開くマイルスに、部屋を用意させるよう指示を出した。
ここからパーティー会場に戻らず部屋に行くには、と考えながらオメガを抱き上げる。
「……名前を聞くこともできなかったな」
意識をなくしてしまった番に向けてこぼれた声には、俺らしくもなく甘く切なげな響きが滲んでいた。
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