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Ⅱ-ⅰ.あなたの隣に
2-4.頼られたい(ジルヴァント視点)
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いつも通りの執務室。
午前の謁見を済ませて戻ってきたら、執務机の上で書類が雪崩を起こしそうになっていた。それをマイルスが冷静に整理し始めるのも含めて、いつも通りだ。
「それで、フラン様はなんと?」
「……なにも」
「また相談してくださらなかったんですか?」
執務椅子に身を預け、天井を見上げる。どうにもやる気が出ない。
マイルスが眉を顰めているのが視界の端に映っていたが、どうでもいい。
「ラジアル伯爵夫人に、なにかしら思うところはありそうだったが」
ベアトリス・ラジアル伯爵夫人。フランの礼儀作法の教師に選んだ人物だ。
多くの貴族子息子女に礼儀作法を教えた経験があり、伯父のルトルード侯爵から推薦されたことで呼び寄せたのだが……少々早計だった気がする。
フランがお披露目パーティーの日付が決まったことで焦っているのを感じていたから、相性を確かめる前に決めてしまった。そのせいで、フランは不満を口にできなくなっている。
「――ラジアル伯爵夫人の背後関係は洗ってあるな?」
「もちろんです。ルトルード侯爵など、日頃から殿下を支えてくださる方々との関係が深いようですよ。教師としては様々な派閥から依頼されているようですが」
「……王太后は」
「関係していません」
マイルスがはっきりと告げる。思わずホッと息が漏れた。
俺にとって王太后ほど忌避すべき存在はいない。いまだに俺に対して悪辣な手を伸ばしてくる可能性もあり、油断できない。
特に今は、フランという絶対に失えない存在がいるのだから、警戒して当然だった。
「イリスから聞き取りは?」
「相性が悪いようだ、と。それに『これが本当に高位貴族にとって当然の教育なのですか?』と不信感が強い様子でしたね」
思い出すように呟くマイルスを、片眉を上げて見据える。
「おかしなことをしているのか?」
よもや体罰でも、と気色ばむ俺を抑えるように、マイルスが苦笑しながらすぐさま首を横に振った。
「いいえ。フラン様の自信を削ぐような言葉を掛けることは度々あるようですが……それくらいは私も経験がないとは言えませんし」
「お前が?」
意外な言葉が聞こえて、思わずマイルスをじっくりと眺めた。
俺が知る限り、いつだってそつなく何事もこなし涼しい顔をしていたマイルスが、教師に叱られたことはないはずだ。
「殿下の目がないところでは、色々あるんですよ」
「……そういうものなのか。だが、それがフランの身に降りかかるのを許容するつもりはないぞ?」
説教が正当か否かはどうでもいい。それでフランが傷ついているなら、俺はラジアル伯爵夫人を許さない。
ふつふつと湧く怒りを抑えきれず、マイルスを睨みつける。
「分かっています。ですが、今ラジアル伯爵夫人との契約を切ったとしても、次の教師をすぐに手配することは難しいですよ?」
「……それが問題だな」
フランを俺の番として紹介する披露目のパーティーまで一週間を切った。新たな教師を手配したところで間に合わないだろう。
おそらくそれがわかっているから、フランもなにも言わないでいるのだ。……不満くらいは漏らしてもいいのに。それくらいの甲斐性はあるつもりなんだが。
「フラン様なら、さらに礼儀を学ばなくても問題はないと思いますけどねぇ」
「本人がそれでは駄目だと思っているからな」
「多少拙いところは残っていますけど、愛嬌で乗り切れるでしょう? 殿下がそう説得なさればよろしいのでは?」
マイルスの提案をしばし吟味してから、首を横に振る。フランが納得するとは思えなかった。
「フランは、自分の振る舞いが俺の評判にかかわると思っている。それだけでなく、ボワージア子爵家への評価にも、な」
「殿下の評判は今更ですが、ボワージア子爵家のことを言われると、説得が難しいですね」
自分の主人の評判をどうでも良さそうに言うマイルスを咎める気はない。そんなこと、俺が一番思っていることだから。
前王の運命の番であった側妃の子。至上のアルファ。王太后に厭われ、現王に可愛がられる王弟。社交界に出ない人嫌い。
俺を表す言葉は数多存在していて、そのどれもが俺にとってどうでもよいものだ。基本的に社交界に出ないのだから、貴族からどう思われていようと構わない。
だが、そのせいでフランまで蔑む者がいたら、絶対に許すつもりはない。
「あと一週間、耐えてもらうしかないか……」
「念の為、ラジアル伯爵夫人に怪しいところがないか、再度探っておきます」
「ああ、頼んだ」
ふぅ、と息を吐いて、目を閉じる。
俺はフランが傍にいてくれればそれだけでいいのに、面倒くさいことが多すぎる。
フランを連れて、他の誰もいないところに行きたい。誰にも煩わされずに、ずっと二人きりで過ごしていたい。
そんな望みを告げたら、フランはどんな顔をするだろうか。
――きっと、驚いた後に、幸せいっぱいの笑みを見せてくれるだろう。共にいることに幸せを感じるのは、俺もフランも同じなのだから。
午前の謁見を済ませて戻ってきたら、執務机の上で書類が雪崩を起こしそうになっていた。それをマイルスが冷静に整理し始めるのも含めて、いつも通りだ。
「それで、フラン様はなんと?」
「……なにも」
「また相談してくださらなかったんですか?」
執務椅子に身を預け、天井を見上げる。どうにもやる気が出ない。
マイルスが眉を顰めているのが視界の端に映っていたが、どうでもいい。
「ラジアル伯爵夫人に、なにかしら思うところはありそうだったが」
ベアトリス・ラジアル伯爵夫人。フランの礼儀作法の教師に選んだ人物だ。
多くの貴族子息子女に礼儀作法を教えた経験があり、伯父のルトルード侯爵から推薦されたことで呼び寄せたのだが……少々早計だった気がする。
フランがお披露目パーティーの日付が決まったことで焦っているのを感じていたから、相性を確かめる前に決めてしまった。そのせいで、フランは不満を口にできなくなっている。
「――ラジアル伯爵夫人の背後関係は洗ってあるな?」
「もちろんです。ルトルード侯爵など、日頃から殿下を支えてくださる方々との関係が深いようですよ。教師としては様々な派閥から依頼されているようですが」
「……王太后は」
「関係していません」
マイルスがはっきりと告げる。思わずホッと息が漏れた。
俺にとって王太后ほど忌避すべき存在はいない。いまだに俺に対して悪辣な手を伸ばしてくる可能性もあり、油断できない。
特に今は、フランという絶対に失えない存在がいるのだから、警戒して当然だった。
「イリスから聞き取りは?」
「相性が悪いようだ、と。それに『これが本当に高位貴族にとって当然の教育なのですか?』と不信感が強い様子でしたね」
思い出すように呟くマイルスを、片眉を上げて見据える。
「おかしなことをしているのか?」
よもや体罰でも、と気色ばむ俺を抑えるように、マイルスが苦笑しながらすぐさま首を横に振った。
「いいえ。フラン様の自信を削ぐような言葉を掛けることは度々あるようですが……それくらいは私も経験がないとは言えませんし」
「お前が?」
意外な言葉が聞こえて、思わずマイルスをじっくりと眺めた。
俺が知る限り、いつだってそつなく何事もこなし涼しい顔をしていたマイルスが、教師に叱られたことはないはずだ。
「殿下の目がないところでは、色々あるんですよ」
「……そういうものなのか。だが、それがフランの身に降りかかるのを許容するつもりはないぞ?」
説教が正当か否かはどうでもいい。それでフランが傷ついているなら、俺はラジアル伯爵夫人を許さない。
ふつふつと湧く怒りを抑えきれず、マイルスを睨みつける。
「分かっています。ですが、今ラジアル伯爵夫人との契約を切ったとしても、次の教師をすぐに手配することは難しいですよ?」
「……それが問題だな」
フランを俺の番として紹介する披露目のパーティーまで一週間を切った。新たな教師を手配したところで間に合わないだろう。
おそらくそれがわかっているから、フランもなにも言わないでいるのだ。……不満くらいは漏らしてもいいのに。それくらいの甲斐性はあるつもりなんだが。
「フラン様なら、さらに礼儀を学ばなくても問題はないと思いますけどねぇ」
「本人がそれでは駄目だと思っているからな」
「多少拙いところは残っていますけど、愛嬌で乗り切れるでしょう? 殿下がそう説得なさればよろしいのでは?」
マイルスの提案をしばし吟味してから、首を横に振る。フランが納得するとは思えなかった。
「フランは、自分の振る舞いが俺の評判にかかわると思っている。それだけでなく、ボワージア子爵家への評価にも、な」
「殿下の評判は今更ですが、ボワージア子爵家のことを言われると、説得が難しいですね」
自分の主人の評判をどうでも良さそうに言うマイルスを咎める気はない。そんなこと、俺が一番思っていることだから。
前王の運命の番であった側妃の子。至上のアルファ。王太后に厭われ、現王に可愛がられる王弟。社交界に出ない人嫌い。
俺を表す言葉は数多存在していて、そのどれもが俺にとってどうでもよいものだ。基本的に社交界に出ないのだから、貴族からどう思われていようと構わない。
だが、そのせいでフランまで蔑む者がいたら、絶対に許すつもりはない。
「あと一週間、耐えてもらうしかないか……」
「念の為、ラジアル伯爵夫人に怪しいところがないか、再度探っておきます」
「ああ、頼んだ」
ふぅ、と息を吐いて、目を閉じる。
俺はフランが傍にいてくれればそれだけでいいのに、面倒くさいことが多すぎる。
フランを連れて、他の誰もいないところに行きたい。誰にも煩わされずに、ずっと二人きりで過ごしていたい。
そんな望みを告げたら、フランはどんな顔をするだろうか。
――きっと、驚いた後に、幸せいっぱいの笑みを見せてくれるだろう。共にいることに幸せを感じるのは、俺もフランも同じなのだから。
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