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Ⅱ.近づく距離
13.常識の違い
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悠里の浮世離れしているような反応に、狼泉は何か言いたげな雰囲気だったが、ため息と共に呑み込んだようだ。チラリと白珠の方に視線を向け、目を細める。
「……そっちの白雪豹も、俺と仲良くなりたいとでも?」
なぜか諦念が滲んだ声だった。悠里は狼泉の様子に首を傾げつつ、白珠に視線を移す。
「白珠は、もともと狼泉のこと好きだもんね?」
「え?」
「……グル?」
狼泉だけではなく、白珠まで疑問に満ちた声をあげる。悠里はきょとんと目を丸くした。
「え、だって、狼泉を最初に見つけたのは白珠だし、その後も何かと世話を焼いていたでしょ? 好きだからじゃないの?」
悠里にとっては当然の問い掛けだったのだが、白珠には少し呆れたように見つめ返され、狼泉にはため息をつかれた。
「グルル……」
「……そいつが俺の世話を焼いている感じに見えたのなら、その理由は悠里しかないだろう」
「僕?」
「ああ。悠里はここで長く一人暮らしをしていて、寂しいと思っていたんじゃないか? そいつはそれを気にしていて、ちょうどよく見つけた人間を傍に据えようと思った。悠里ありきの行動で、別に俺を気にかけてなんかいない」
「……そうなの?」
悠里は白珠を見つめた。静かな眼差しで頷かれて、目を伏せる。
あまり寂しいとは口にしていないつもりだった。傍にいてくれる白珠たちのことを考えたら、人間と共に暮らしたいなんて、言ってはいけない気がしていたのだ。
だが、白珠はそんな悠里の言葉にしない思いを察していた。そして、なんとか叶えようとしてくれていた。
なんと愛情深いのだろうと思う。これまで悠里の傍にいてくれただけでも嬉しいことなのに、白珠はそれ以上に悠里の心に寄り添ってくれようとしているのだ。
自分がなぜ魔獣に好かれるのか、白珠がどうしてここまでしてくれようとするのか、それは分からない。だが、魔獣たちが悠里に向けてくれる思いやりに嘘はないのだから、悠里はできる限り彼らに報いたいと思った。
「……白珠、ありがとう」
手を伸ばすと自然と擦り寄られる。ふわふわの毛に顔を埋め、悠里は精一杯の感謝の思いを込めて呟いた。悠里が彼らのためにできることなんて、悔しくなるくらい少ない。
「グルル」
白珠が機嫌よさそうに喉を鳴らす。毛並みを整えるように撫でれば、さらに上機嫌に尻尾が揺れた。
「……それで、そいつも、俺と仲良くするのか?」
「グル」
白珠が狼泉をチラリと見て鳴く。「悠里がそれを望むなら」と言いたげな声だった。
「うん。仲良くしてほしいな。――手始めに、ちゃんと名前を呼んで? 二体とも、呼ばれるの好きみたいなんだ」
「……闇兎と白珠、か」
「……きゅー」
「グル」
白珠はともかく、闇兎はまだ微妙な雰囲気だったが、きちんと狼泉の呼び掛けに答えている。
「……たぶん、呼ばれるのが好きっていうのも、悠里に付けられた宝物のような名を、悠里に呼んでもらえるから、だと思うが」
狼泉は複雑そうな顔をしながらもため息をついて、「――まぁ、そういうことなら、よろしく頼む」と挨拶する。二体も頷いたので、これにて一件落着。
狼泉が目覚めて以来、気がかりだった一人と二体の関係性が収まるところに収まり、悠里はホッと息をついた。
「……あ、そうだ! さっき白珠から山葡萄と蜂蜜――じゃなくて、熊蜜(?)をもらったから、みんな仲良くなったお祝いに、明日何か甘いものを作るね」
「甘いものは嬉しいが……熊蜜ってなんだ?」
狼泉が不審そうに眉を寄せる。やはり、この世界の人間である狼泉にも、熊が作る蜜という概念はなかったらしい。
悠里は狼泉に蜜を差し出す。
「玻璃……!?」
「あ、やっぱり、そっちが気になる?」
狼泉が真っ先に注目したのは、玻璃の入れ物だった。瓶の形で、コルクのような蓋で閉じられている。
日本育ちの悠里は、綺麗な入れ物だなというくらいの感想しか持たないが、この世界では玻璃の類いがあまり一般的ではないのは知っていた。
「――これ、魔獣が作ったものらしいけど……」
「魔獣……。これほど高度な玻璃制作技術を持つのは、古龍の種族じゃないか?」
「コーロン?」
「高い知性と強い力を持つ魔獣と言われている。魔獣ではなく神獣なのではないかと提唱する者もいるが」
「神獣?」
聞き覚えのない言葉の連続で、悠里は首を傾げたままだ。
狼泉は軽く眉を寄せて、悠里を凝視した。
「……神獣を知らないのか?」
「聞いたことは、ない、かな……?」
記憶を遡ってみても、天藍たちからそのような言葉は教えてもらっていないと思う。狼泉の様子を見るに、神獣を知っていることは常識のようだが。
「……参ったな。神獣を知らない人間がいるとは。悠里は、どんな辺鄙なところで生まれ育ったんだ? ……いや、ここと似たような、人間がほとんどいないところなら、それもありえるか」
額を押さえ嘆いた狼泉が、ふと周囲を見渡して納得し直す。
悠里は曖昧な笑みで誤魔化した。異界渡りであるという事実をなんとなく隠したがゆえに、隠し事をしていることへの申し訳なさが増していくような気がする。これは、早いところ事実を教えるべきだろうか。
「――神獣は、水の循環を促す神聖な生き物だ」
狼泉が説明を始める。やはり、初めて聞く話だった。
「水の循環?」
「ああ。悠里は、水がどこから生まれて、消えていくか知っているか?」
「……雨から海じゃないの?」
どこを水の始まりと定義するのは難しい。海という状態では消えたとは言えないかもしれないとも思う。
悩みつつ答えた悠里に、狼泉が目を細めた。
「雨は知っているが、ウミ……?」
「え、もしかして、海ないの?」
悠里はぎょっと目を見開く。まさか、そこから認識に違いがあるとは思わなかった。
狼泉は暫く悠里を探るように見つめた後、闇兎に足を蹴られてビクッと身体を震わせる。闇兎は悠里を凝視されて不愉快だったらしい。
「きゅ!」
「っ、あ、あぁ、まぁ、言い方の違いはあるかもしれないが……。水が生まれるのは『始泉』で、失われるのは『失海』だというのが、一般の常識だ。始泉とは六大国の都に存在する大きな泉のことだ。失海は大陸の外側に広がっている暗い空間。始泉から生じた水は、大陸を流れ、失海に落ちて消えていく」
「始泉と失海……」
悠里は初めて聞いた言葉を頭に叩き込む。ここが異世界であることは分かっていたつもりだったが、改めて日本での常識が通じないのだと実感した。
「そして、始泉を創り、管理しているのが神獣だ。神獣なくしてこの世界に水はなく、生き物すべての生命の源を握っている存在とも言える」
「……神獣って、すごい」
神と名付けられるだけあると、悠里は感心した。一目見てみたいものである。
狼泉は、素直な感嘆を示す悠里に、苦笑しながら頷いた。
「すごいのは事実だな。神獣がいるから、六大国は存在している。いや、もう、六大国とは言えないかもしれないが……」
「水の利権を握っているから、六つの国が大国になったってことだよね? でも、もう六大国とは言えないって、どういうこと?」
話が混乱してきて、悠里は眉を顰めた。
狼泉が苦い表情で首を振る。
「……その話は、長くなるから家に戻ってからにしよう。もうすぐ、暗くなる」
いつの間にか、空が赤みを帯びていた。
「……そっちの白雪豹も、俺と仲良くなりたいとでも?」
なぜか諦念が滲んだ声だった。悠里は狼泉の様子に首を傾げつつ、白珠に視線を移す。
「白珠は、もともと狼泉のこと好きだもんね?」
「え?」
「……グル?」
狼泉だけではなく、白珠まで疑問に満ちた声をあげる。悠里はきょとんと目を丸くした。
「え、だって、狼泉を最初に見つけたのは白珠だし、その後も何かと世話を焼いていたでしょ? 好きだからじゃないの?」
悠里にとっては当然の問い掛けだったのだが、白珠には少し呆れたように見つめ返され、狼泉にはため息をつかれた。
「グルル……」
「……そいつが俺の世話を焼いている感じに見えたのなら、その理由は悠里しかないだろう」
「僕?」
「ああ。悠里はここで長く一人暮らしをしていて、寂しいと思っていたんじゃないか? そいつはそれを気にしていて、ちょうどよく見つけた人間を傍に据えようと思った。悠里ありきの行動で、別に俺を気にかけてなんかいない」
「……そうなの?」
悠里は白珠を見つめた。静かな眼差しで頷かれて、目を伏せる。
あまり寂しいとは口にしていないつもりだった。傍にいてくれる白珠たちのことを考えたら、人間と共に暮らしたいなんて、言ってはいけない気がしていたのだ。
だが、白珠はそんな悠里の言葉にしない思いを察していた。そして、なんとか叶えようとしてくれていた。
なんと愛情深いのだろうと思う。これまで悠里の傍にいてくれただけでも嬉しいことなのに、白珠はそれ以上に悠里の心に寄り添ってくれようとしているのだ。
自分がなぜ魔獣に好かれるのか、白珠がどうしてここまでしてくれようとするのか、それは分からない。だが、魔獣たちが悠里に向けてくれる思いやりに嘘はないのだから、悠里はできる限り彼らに報いたいと思った。
「……白珠、ありがとう」
手を伸ばすと自然と擦り寄られる。ふわふわの毛に顔を埋め、悠里は精一杯の感謝の思いを込めて呟いた。悠里が彼らのためにできることなんて、悔しくなるくらい少ない。
「グルル」
白珠が機嫌よさそうに喉を鳴らす。毛並みを整えるように撫でれば、さらに上機嫌に尻尾が揺れた。
「……それで、そいつも、俺と仲良くするのか?」
「グル」
白珠が狼泉をチラリと見て鳴く。「悠里がそれを望むなら」と言いたげな声だった。
「うん。仲良くしてほしいな。――手始めに、ちゃんと名前を呼んで? 二体とも、呼ばれるの好きみたいなんだ」
「……闇兎と白珠、か」
「……きゅー」
「グル」
白珠はともかく、闇兎はまだ微妙な雰囲気だったが、きちんと狼泉の呼び掛けに答えている。
「……たぶん、呼ばれるのが好きっていうのも、悠里に付けられた宝物のような名を、悠里に呼んでもらえるから、だと思うが」
狼泉は複雑そうな顔をしながらもため息をついて、「――まぁ、そういうことなら、よろしく頼む」と挨拶する。二体も頷いたので、これにて一件落着。
狼泉が目覚めて以来、気がかりだった一人と二体の関係性が収まるところに収まり、悠里はホッと息をついた。
「……あ、そうだ! さっき白珠から山葡萄と蜂蜜――じゃなくて、熊蜜(?)をもらったから、みんな仲良くなったお祝いに、明日何か甘いものを作るね」
「甘いものは嬉しいが……熊蜜ってなんだ?」
狼泉が不審そうに眉を寄せる。やはり、この世界の人間である狼泉にも、熊が作る蜜という概念はなかったらしい。
悠里は狼泉に蜜を差し出す。
「玻璃……!?」
「あ、やっぱり、そっちが気になる?」
狼泉が真っ先に注目したのは、玻璃の入れ物だった。瓶の形で、コルクのような蓋で閉じられている。
日本育ちの悠里は、綺麗な入れ物だなというくらいの感想しか持たないが、この世界では玻璃の類いがあまり一般的ではないのは知っていた。
「――これ、魔獣が作ったものらしいけど……」
「魔獣……。これほど高度な玻璃制作技術を持つのは、古龍の種族じゃないか?」
「コーロン?」
「高い知性と強い力を持つ魔獣と言われている。魔獣ではなく神獣なのではないかと提唱する者もいるが」
「神獣?」
聞き覚えのない言葉の連続で、悠里は首を傾げたままだ。
狼泉は軽く眉を寄せて、悠里を凝視した。
「……神獣を知らないのか?」
「聞いたことは、ない、かな……?」
記憶を遡ってみても、天藍たちからそのような言葉は教えてもらっていないと思う。狼泉の様子を見るに、神獣を知っていることは常識のようだが。
「……参ったな。神獣を知らない人間がいるとは。悠里は、どんな辺鄙なところで生まれ育ったんだ? ……いや、ここと似たような、人間がほとんどいないところなら、それもありえるか」
額を押さえ嘆いた狼泉が、ふと周囲を見渡して納得し直す。
悠里は曖昧な笑みで誤魔化した。異界渡りであるという事実をなんとなく隠したがゆえに、隠し事をしていることへの申し訳なさが増していくような気がする。これは、早いところ事実を教えるべきだろうか。
「――神獣は、水の循環を促す神聖な生き物だ」
狼泉が説明を始める。やはり、初めて聞く話だった。
「水の循環?」
「ああ。悠里は、水がどこから生まれて、消えていくか知っているか?」
「……雨から海じゃないの?」
どこを水の始まりと定義するのは難しい。海という状態では消えたとは言えないかもしれないとも思う。
悩みつつ答えた悠里に、狼泉が目を細めた。
「雨は知っているが、ウミ……?」
「え、もしかして、海ないの?」
悠里はぎょっと目を見開く。まさか、そこから認識に違いがあるとは思わなかった。
狼泉は暫く悠里を探るように見つめた後、闇兎に足を蹴られてビクッと身体を震わせる。闇兎は悠里を凝視されて不愉快だったらしい。
「きゅ!」
「っ、あ、あぁ、まぁ、言い方の違いはあるかもしれないが……。水が生まれるのは『始泉』で、失われるのは『失海』だというのが、一般の常識だ。始泉とは六大国の都に存在する大きな泉のことだ。失海は大陸の外側に広がっている暗い空間。始泉から生じた水は、大陸を流れ、失海に落ちて消えていく」
「始泉と失海……」
悠里は初めて聞いた言葉を頭に叩き込む。ここが異世界であることは分かっていたつもりだったが、改めて日本での常識が通じないのだと実感した。
「そして、始泉を創り、管理しているのが神獣だ。神獣なくしてこの世界に水はなく、生き物すべての生命の源を握っている存在とも言える」
「……神獣って、すごい」
神と名付けられるだけあると、悠里は感心した。一目見てみたいものである。
狼泉は、素直な感嘆を示す悠里に、苦笑しながら頷いた。
「すごいのは事実だな。神獣がいるから、六大国は存在している。いや、もう、六大国とは言えないかもしれないが……」
「水の利権を握っているから、六つの国が大国になったってことだよね? でも、もう六大国とは言えないって、どういうこと?」
話が混乱してきて、悠里は眉を顰めた。
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