15 / 51
Ⅱ.近づく距離
15.失われた神獣
しおりを挟む
「神獣が、失われた……?」
震える声でぽつりと呟いた悠里を、狼泉が指の間から窺い見る。
その視線に気づかないほど、悠里は混乱すると同時によく分からない恐怖心を抱いていた。神獣なんて見たことも聞いたこともなかったはずである。それなのに、悠里は心が凍えるような気分に陥っていた。
「グルル」
「きゅう……?」
不意に背中と脚に温かいものが触れる。そのホッとする温もりは白珠と闇兎だった。二体は気遣うように悠里を見上げ、凍える心を温めようとしてくれる。
「……大丈夫。ありがとう」
悠里は二体を撫でて、小さく微笑む。実際、体温を感じたおかげで、悠里の混乱は落ち着いてきていた。
「……話を、やめた方がいいだろうか」
「ううん。ちゃんと、最後まで聞きたい」
顔を上げ尋ねてくる狼泉も、少し疲れた顔をしているように見えた。この話をするのは、狼泉にとってもつらいと感じられるらしい。
その理由を聞くよりも、悠里は話の続きを望む。ここまで聞いておいて、終わりにする方が居心地が悪く思えた。狼泉には申し訳ないが。
「そうか……。それならば、話そう。俺も、悠里に聞いてほしいと思うし、悠里は知っておくべきだと思う」
「うん?」
なぜそのように言われるのか分からなかったが、聞き返す前に狼泉が話を続けるので、疑問に思ったことさえ忘れてしまった。
「俺の国、琥泉は六大国のひとつに数えられる。だが、今では国内の水は少なくなり、多くの民が他国に移り住んでいる」
「……それは、神獣が、失われたから?」
「ああ」
「でも、神獣がいなくなっても、始泉があれば――」
「俺の一族も最初はそう思っていたようだ。だが、神獣が失われると、年々始泉の湧水量が減少していった。現在の水不足は深刻な状況だ」
まさか、神獣が失われたのが、狼泉の国のことだとは思っていなかったが、深刻そうな顔を思い出して少し納得する。
大国でありながら、神獣を失い、水不足に苦しんでいる状況を肌身に感じていたからこそ、狼泉はその話をすることさえ、つらい様子を見せたのだ。
「……どうして、神獣が失われたの?」
尋ねながらも、悠里は少し思い当たることがあった。
狼泉が目覚めた頃に聞いた話。狼という字が、国から守護を奪った敵の名前だという事実。それが、今回の話に繋がっている予感がする。
「争いがあった。……人間と神獣の、な」
「神獣の大切さは、人間もよく知っていたんじゃないの?」
予想が的中しても、まったく嬉しくない。悠里は神獣と争ったという人間の考えが理解できず、眉を寄せた。
「神獣は大切だ。だが、人間は長い時の中で、その意識を薄れさせてしまった。神獣は慈悲深い生き物で、人間のわがままを聞いてしまうことがあったのも、良くなかったんだろう。いつしか、神獣は人間の管理下にあるものという認識が生まれてしまっていたんだ」
「……ひどい。神獣は、人間を慈しんだだけなんでしょう?」
目を潤ませて神獣を哀れむ悠里を見て、狼泉は目を伏せて頷く。
「ああ。そもそも、神獣の役割は始泉により水の循環を促すことだ。人間の相手をするなんて、本来の役割じゃなかった。ただ、神獣が弱き人間を哀れみ、豊かな水が満ちる大地で生きることを許したことで、人間は驕ってしまった」
悠里はもう、なんと言えばいいのか分からなかった。ただただ、神獣が憐れに思えてならなかった。
「――驕った人間は、神獣を拘束し、より有効に使うことで、更なる水を得ようとした。それが争いの理由であり、大国が滅びに向かうことになった原因だ」
「……神獣は、抵抗したんだね。それで失われた。死んだわけではない?」
「さぁ、どうだろう。そもそも神獣にはいくつかの種族があり、琥泉の国の神獣は、天琥という一族だった。残されている絵を見るに、白珠より体格が良い感じの見た目のようだ」
それは、虎ではないかと悠里は思う。天琥という名前にも、虎という字が含まれていることから、可能性は高いだろう。
「――当時の天琥の族長が捕らえられそうになった時、落雷があったらしい。それと同時に、天琥の族長は姿を消して、二度と現れなかったそうだ。他の天琥たちも、族長の失踪を知り、住み処にしていた始泉の周囲から去った。神獣はもともと天上の存在であり、天琥たちは人間を見放し、天に戻ったのではないかと言われている」
「天琥は役割を放棄したということ?」
「それは分からない。だが、現実として、始泉は枯れかけていて、琥泉は水不足に喘ぐ土地になった」
狼泉が大きく息を吐く。語り終えて、疲労感の滲んだ顔をしていた。
悠里は聞いた話を頭の中でゆっくりと消化する。天琥という神獣の一族と、その加護を失った人間の国。どちらがより憐れだろうかと考えて、すぐに意味のない思考だと唇を歪めた。
失われたものは、そう簡単に戻ってくることはない。悠里が憐れんだところで、どうすることもできないのだ。
「……悲しいね」
「あぁ。悲しくてつらい。だが、受け入れなければならない事実だ」
悠里は悲痛な顔で目を瞑る狼泉を見ていられなくて、そっと傍らに寄り、頭を抱き締めた。抵抗することなく身体を預けてくる狼泉が、憐れで愛しい。
琥泉を憐れんでもなんの意味もないが、狼泉をこうして抱き締めることには意味があると信じて、悠里はじっと狼泉を温め続けた。
震える声でぽつりと呟いた悠里を、狼泉が指の間から窺い見る。
その視線に気づかないほど、悠里は混乱すると同時によく分からない恐怖心を抱いていた。神獣なんて見たことも聞いたこともなかったはずである。それなのに、悠里は心が凍えるような気分に陥っていた。
「グルル」
「きゅう……?」
不意に背中と脚に温かいものが触れる。そのホッとする温もりは白珠と闇兎だった。二体は気遣うように悠里を見上げ、凍える心を温めようとしてくれる。
「……大丈夫。ありがとう」
悠里は二体を撫でて、小さく微笑む。実際、体温を感じたおかげで、悠里の混乱は落ち着いてきていた。
「……話を、やめた方がいいだろうか」
「ううん。ちゃんと、最後まで聞きたい」
顔を上げ尋ねてくる狼泉も、少し疲れた顔をしているように見えた。この話をするのは、狼泉にとってもつらいと感じられるらしい。
その理由を聞くよりも、悠里は話の続きを望む。ここまで聞いておいて、終わりにする方が居心地が悪く思えた。狼泉には申し訳ないが。
「そうか……。それならば、話そう。俺も、悠里に聞いてほしいと思うし、悠里は知っておくべきだと思う」
「うん?」
なぜそのように言われるのか分からなかったが、聞き返す前に狼泉が話を続けるので、疑問に思ったことさえ忘れてしまった。
「俺の国、琥泉は六大国のひとつに数えられる。だが、今では国内の水は少なくなり、多くの民が他国に移り住んでいる」
「……それは、神獣が、失われたから?」
「ああ」
「でも、神獣がいなくなっても、始泉があれば――」
「俺の一族も最初はそう思っていたようだ。だが、神獣が失われると、年々始泉の湧水量が減少していった。現在の水不足は深刻な状況だ」
まさか、神獣が失われたのが、狼泉の国のことだとは思っていなかったが、深刻そうな顔を思い出して少し納得する。
大国でありながら、神獣を失い、水不足に苦しんでいる状況を肌身に感じていたからこそ、狼泉はその話をすることさえ、つらい様子を見せたのだ。
「……どうして、神獣が失われたの?」
尋ねながらも、悠里は少し思い当たることがあった。
狼泉が目覚めた頃に聞いた話。狼という字が、国から守護を奪った敵の名前だという事実。それが、今回の話に繋がっている予感がする。
「争いがあった。……人間と神獣の、な」
「神獣の大切さは、人間もよく知っていたんじゃないの?」
予想が的中しても、まったく嬉しくない。悠里は神獣と争ったという人間の考えが理解できず、眉を寄せた。
「神獣は大切だ。だが、人間は長い時の中で、その意識を薄れさせてしまった。神獣は慈悲深い生き物で、人間のわがままを聞いてしまうことがあったのも、良くなかったんだろう。いつしか、神獣は人間の管理下にあるものという認識が生まれてしまっていたんだ」
「……ひどい。神獣は、人間を慈しんだだけなんでしょう?」
目を潤ませて神獣を哀れむ悠里を見て、狼泉は目を伏せて頷く。
「ああ。そもそも、神獣の役割は始泉により水の循環を促すことだ。人間の相手をするなんて、本来の役割じゃなかった。ただ、神獣が弱き人間を哀れみ、豊かな水が満ちる大地で生きることを許したことで、人間は驕ってしまった」
悠里はもう、なんと言えばいいのか分からなかった。ただただ、神獣が憐れに思えてならなかった。
「――驕った人間は、神獣を拘束し、より有効に使うことで、更なる水を得ようとした。それが争いの理由であり、大国が滅びに向かうことになった原因だ」
「……神獣は、抵抗したんだね。それで失われた。死んだわけではない?」
「さぁ、どうだろう。そもそも神獣にはいくつかの種族があり、琥泉の国の神獣は、天琥という一族だった。残されている絵を見るに、白珠より体格が良い感じの見た目のようだ」
それは、虎ではないかと悠里は思う。天琥という名前にも、虎という字が含まれていることから、可能性は高いだろう。
「――当時の天琥の族長が捕らえられそうになった時、落雷があったらしい。それと同時に、天琥の族長は姿を消して、二度と現れなかったそうだ。他の天琥たちも、族長の失踪を知り、住み処にしていた始泉の周囲から去った。神獣はもともと天上の存在であり、天琥たちは人間を見放し、天に戻ったのではないかと言われている」
「天琥は役割を放棄したということ?」
「それは分からない。だが、現実として、始泉は枯れかけていて、琥泉は水不足に喘ぐ土地になった」
狼泉が大きく息を吐く。語り終えて、疲労感の滲んだ顔をしていた。
悠里は聞いた話を頭の中でゆっくりと消化する。天琥という神獣の一族と、その加護を失った人間の国。どちらがより憐れだろうかと考えて、すぐに意味のない思考だと唇を歪めた。
失われたものは、そう簡単に戻ってくることはない。悠里が憐れんだところで、どうすることもできないのだ。
「……悲しいね」
「あぁ。悲しくてつらい。だが、受け入れなければならない事実だ」
悠里は悲痛な顔で目を瞑る狼泉を見ていられなくて、そっと傍らに寄り、頭を抱き締めた。抵抗することなく身体を預けてくる狼泉が、憐れで愛しい。
琥泉を憐れんでもなんの意味もないが、狼泉をこうして抱き締めることには意味があると信じて、悠里はじっと狼泉を温め続けた。
84
あなたにおすすめの小説
【完結】《BL》溺愛しないで下さい!僕はあなたの弟殿下ではありません!
白雨 音
BL
早くに両親を亡くし、孤児院で育ったテオは、勉強が好きだった為、修道院に入った。
現在二十歳、修道士となり、修道院で静かに暮らしていたが、
ある時、強制的に、第三王子クリストフの影武者にされてしまう。
クリストフは、テオに全てを丸投げし、「世界を見て来る!」と旅に出てしまった。
正体がバレたら、処刑されるかもしれない…必死でクリストフを演じるテオ。
そんなテオに、何かと構って来る、兄殿下の王太子ランベール。
どうやら、兄殿下と弟殿下は、密な関係の様で…??
BL異世界恋愛:短編(全24話) ※魔法要素ありません。※一部18禁(☆印です)
《完結しました》
【完結】最初で最後の恋をしましょう
関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。
そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。
恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。
交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。
《ワンコ系王子×幸薄美人》
もうすぐ死ぬから、ビッチと思われても兄の恋人に抱いてもらいたい
カミヤルイ
BL
花影(かえい)病──肺の内部に花の形の腫瘍ができる病気で、原因は他者への強い思慕だと言われている。
主人公は花影症を患い、死の宣告を受けた。そして思った。
「ビッチと思われてもいいから、ずっと好きだった双子の兄の恋人で幼馴染に抱かれたい」と。
*受けは死にません。ハッピーエンドでごく軽いざまぁ要素があります。
*設定はゆるいです。さらりとお読みください。
*花影病は独自設定です。
*表紙は天宮叶さん@amamiyakyo0217 からプレゼントしていただきました✨
春風のように君を包もう ~氷のアルファと健気なオメガ 二人の間に春風が吹いた~
大波小波
BL
竜造寺 貴士(りゅうぞうじ たかし)は、名家の嫡男であるアルファ男性だ。
優秀な彼は、竜造寺グループのブライダルジュエリーを扱う企業を任されている。
申し分のないルックスと、品の良い立ち居振る舞いは彼を紳士に見せている。
しかし、冷静を過ぎた観察眼と、感情を表に出さない冷めた心に、社交界では『氷の貴公子』と呼ばれていた。
そんな貴士は、ある日父に見合いの席に座らされる。
相手は、九曜貴金属の子息・九曜 悠希(くよう ゆうき)だ。
しかしこの悠希、聞けば兄の代わりにここに来たと言う。
元々の見合い相手である兄は、貴士を恐れて恋人と駆け落ちしたのだ。
プライドを傷つけられた貴士だったが、その弟・悠希はこの縁談に乗り気だ。
傾きかけた御家を救うために、貴士との見合いを決意したためだった。
無邪気で無鉄砲な悠希を試す気もあり、貴士は彼を屋敷へ連れ帰る……。
【完結】生まれ変わってもΩの俺は二度目の人生でキセキを起こす!
天白
BL
【あらすじ】バース性診断にてΩと判明した青年・田井中圭介は将来を悲観し、生きる意味を見出せずにいた。そんな圭介を憐れに思った曾祖父の陸郎が彼と家族を引き離すように命じ、圭介は父から紹介されたαの男・里中宗佑の下へ預けられることになる。
顔も見知らぬ男の下へ行くことをしぶしぶ承諾した圭介だったが、陸郎の危篤に何かが目覚めてしまったのか、前世の記憶が甦った。
「田井中圭介。十八歳。Ω。それから現当主である田井中陸郎の母であり、今日まで田井中家で語り継がれてきただろう、不幸で不憫でかわいそ~なΩこと田井中恵の生まれ変わりだ。改めてよろしくな!」
これは肝っ玉母ちゃん(♂)だった前世の記憶を持ちつつも獣人が苦手なΩの青年と、紳士で一途なスパダリ獣人αが小さなキセキを起こすまでのお話。
※オメガバースもの。拙作「生まれ変わりΩはキセキを起こす」のリメイク作品です。登場人物の設定、文体、内容等が大きく変わっております。アルファポリス版としてお楽しみください。
姉の婚約者の心を読んだら俺への愛で溢れてました
天埜鳩愛
BL
魔法学校の卒業を控えたユーディアは、親友で姉の婚約者であるエドゥアルドとの関係がある日を境に疎遠になったことに悩んでいた。
そんな折、我儘な姉から、魔法を使ってそっけないエドゥアルドの心を読み、卒業の舞踏会に自分を誘うように仕向けろと命令される。
はじめは気が進まなかったユーディアだが、エドゥアルドの心を読めばなぜ距離をとられたのか理由がわかると思いなおして……。
優秀だけど不器用な、両片思いの二人と魔法が織りなすモダキュン物語。
「許されざる恋BLアンソロジー 」収録作品。
sugar sugar honey! 甘くとろける恋をしよう
乃木のき
BL
母親の再婚によってあまーい名前になってしまった「佐藤蜜」は入学式の日、担任に「おいしそうだね」と言われてしまった。
周防獅子という負けず劣らずの名前を持つ担任は、ガタイに似合わず甘党でおっとりしていて、そばにいると心地がいい。
初恋もまだな蜜だけど周防と初めての経験を通して恋を知っていく。
(これが恋っていうものなのか?)
人を好きになる苦しさを知った時、蜜は大人の階段を上り始める。
ピュアな男子高生と先生の甘々ラブストーリー。
※エブリスタにて『sugar sugar honey』のタイトルで掲載されていた作品です。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる