天翔ける獣の願いごと

asagi

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Ⅱ.近づく距離

15.失われた神獣

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「神獣が、失われた……?」

 震える声でぽつりと呟いた悠里を、狼泉が指の間から窺い見る。
 その視線に気づかないほど、悠里は混乱すると同時によく分からない恐怖心を抱いていた。神獣なんて見たことも聞いたこともなかったはずである。それなのに、悠里は心が凍えるような気分に陥っていた。

「グルル」
「きゅう……?」

 不意に背中と脚に温かいものが触れる。そのホッとする温もりは白珠と闇兎だった。二体は気遣うように悠里を見上げ、凍える心を温めようとしてくれる。

「……大丈夫。ありがとう」

 悠里は二体を撫でて、小さく微笑む。実際、体温を感じたおかげで、悠里の混乱は落ち着いてきていた。

「……話を、やめた方がいいだろうか」
「ううん。ちゃんと、最後まで聞きたい」

 顔を上げ尋ねてくる狼泉も、少し疲れた顔をしているように見えた。この話をするのは、狼泉にとってもつらいと感じられるらしい。
 その理由を聞くよりも、悠里は話の続きを望む。ここまで聞いておいて、終わりにする方が居心地が悪く思えた。狼泉には申し訳ないが。

「そうか……。それならば、話そう。俺も、悠里に聞いてほしいと思うし、悠里は知っておくべきだと思う」
「うん?」

 なぜそのように言われるのか分からなかったが、聞き返す前に狼泉が話を続けるので、疑問に思ったことさえ忘れてしまった。

「俺の国、琥泉は六大国のひとつに数えられる。だが、今では国内の水は少なくなり、多くの民が他国に移り住んでいる」
「……それは、神獣が、失われたから?」
「ああ」
「でも、神獣がいなくなっても、始泉があれば――」
「俺の一族も最初はそう思っていたようだ。だが、神獣が失われると、年々始泉の湧水量が減少していった。現在の水不足は深刻な状況だ」

 まさか、神獣が失われたのが、狼泉の国のことだとは思っていなかったが、深刻そうな顔を思い出して少し納得する。
 大国でありながら、神獣を失い、水不足に苦しんでいる状況を肌身に感じていたからこそ、狼泉はその話をすることさえ、つらい様子を見せたのだ。

「……どうして、神獣が失われたの?」

 尋ねながらも、悠里は少し思い当たることがあった。
 狼泉が目覚めた頃に聞いた話。狼という字が、国から守護を奪った敵の名前だという事実。それが、今回の話に繋がっている予感がする。

「争いがあった。……人間と神獣の、な」
「神獣の大切さは、人間もよく知っていたんじゃないの?」

 予想が的中しても、まったく嬉しくない。悠里は神獣と争ったという人間の考えが理解できず、眉を寄せた。

「神獣は大切だ。だが、人間は長い時の中で、その意識を薄れさせてしまった。神獣は慈悲深い生き物で、人間のわがままを聞いてしまうことがあったのも、良くなかったんだろう。いつしか、神獣は人間の管理下にあるものという認識が生まれてしまっていたんだ」
「……ひどい。神獣は、人間を慈しんだだけなんでしょう?」

 目を潤ませて神獣を哀れむ悠里を見て、狼泉は目を伏せて頷く。

「ああ。そもそも、神獣の役割は始泉により水の循環を促すことだ。人間の相手をするなんて、本来の役割じゃなかった。ただ、神獣が弱き人間を哀れみ、豊かな水が満ちる大地で生きることを許したことで、人間は驕ってしまった」

 悠里はもう、なんと言えばいいのか分からなかった。ただただ、神獣が憐れに思えてならなかった。

「――驕った人間は、神獣を拘束し、より有効に使うことで、更なる水を得ようとした。それが争いの理由であり、大国が滅びに向かうことになった原因だ」
「……神獣は、抵抗したんだね。それで失われた。死んだわけではない?」
「さぁ、どうだろう。そもそも神獣にはいくつかの種族があり、琥泉の国の神獣は、天琥という一族だった。残されている絵を見るに、白珠より体格が良い感じの見た目のようだ」

 それは、虎ではないかと悠里は思う。天琥という名前にも、虎という字が含まれていることから、可能性は高いだろう。

「――当時の天琥の族長が捕らえられそうになった時、落雷があったらしい。それと同時に、天琥の族長は姿を消して、二度と現れなかったそうだ。他の天琥たちも、族長の失踪を知り、住み処にしていた始泉の周囲から去った。神獣はもともと天上の存在であり、天琥たちは人間を見放し、天に戻ったのではないかと言われている」
「天琥は役割を放棄したということ?」
「それは分からない。だが、現実として、始泉は枯れかけていて、琥泉は水不足に喘ぐ土地になった」

 狼泉が大きく息を吐く。語り終えて、疲労感の滲んだ顔をしていた。
 悠里は聞いた話を頭の中でゆっくりと消化する。天琥という神獣の一族と、その加護を失った人間の国。どちらがより憐れだろうかと考えて、すぐに意味のない思考だと唇を歪めた。

 失われたものは、そう簡単に戻ってくることはない。悠里が憐れんだところで、どうすることもできないのだ。

「……悲しいね」
「あぁ。悲しくてつらい。だが、受け入れなければならない事実だ」

 悠里は悲痛な顔で目を瞑る狼泉を見ていられなくて、そっと傍らに寄り、頭を抱き締めた。抵抗することなく身体を預けてくる狼泉が、憐れで愛しい。
 琥泉を憐れんでもなんの意味もないが、狼泉をこうして抱き締めることには意味があると信じて、悠里はじっと狼泉を温め続けた。

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